42.絶海の上で
23:30
7人を乗せたフェリーは船着場を離れた。
月明かりに照らされながら、7人は誰もいない船のデッキに立って海や周囲の景色を眺めていた。
「全く、こんな厄介な仕事を抱え込んでるんじゃなければフェリーなんて最高なんだけどなぁ」
雅紀がふとカメラで海の風景を撮りながら呟く。
「新幹線が吹っ飛ばされたときみたいに、フェリーも狙われるかもしれないからな」
「ホント迷惑な奴らだよなぁ」
佐ノ介の言葉に、雅紀は呟く。同時にシャッターを切り、ため息を吐いた。
「どーだ、いい写真撮れたか」
「じぇんじぇんダメだ」
数馬が尋ねると、雅紀は冗談めかしながらも、肩を落としながら答える。
そんな雅紀の横に立っていた雄三が、大きくあくびをしてからその場を離れていく。
「ふぁぁ…寝る」
「お、おやすみー」
雄三はそう言うと、客室へ戻っていく。雅紀もそちらの方を見ずにおやすみと返した。
「俺たちも失礼するよ。フェリーに爆弾でも仕掛けられちゃかなわんからな。いくぞ隼人」
「おう」
狼介と隼人も、雅紀に一声かけて去って行く。
「俺もそろそろマリにおやすみの連絡をしなくちゃな」
「じゃあな、雅紀。いい写真撮れたら俺にもくれよ」
佐ノ介と数馬も好き勝手言うと、その場を去って行く。残されたのは雅紀と竜雄の2人だけだった。
「竜雄はなんか用事あったりしねぇの」
「ないなぁ」
雅紀と竜雄はぼんやりと海を眺める。しばらく沈黙が流れた後、雅紀は竜雄に尋ねた。
「自分、叫んでよろしいか」
「よろしいっす」
「俺だって可愛いカノジョが欲しいんだよおおおおお!!!」
雅紀の孤独な叫びが夜の海に消えていく。耳を塞いでいた竜雄は、ゆっくりとその手を離した。
「…気持ち晴れた?」
「…晴れねぇっす…」
「だよね」
雅紀は再びガックリとうなだれる。竜雄はそんな雅紀の肩に軽く手を置いた。
「ったくさぁ、なんか写真撮ってても全然上手くいかねぇんだわ。こう、湧き上がってくるもんがないんだよ、わかる?」
「わかんない」
「要するに、可愛いカノジョが欲しいってこと」
「なるほど」
「やっぱりね、可愛いは正義なんですよ、可愛い女の子の存在でね、俺のインスピレーションは湧くしね、世界は平和になるんですよ。ちょっとそこ、湧き上がるのはホントにインスピレーションだけかって言ったか今?」
「言ってないけど」
「そうだよ、湧き上がるのはインスピレーションだけじゃねぇよ。なんつったって俺のかはん」
「あのー?」
そのまま大衆の前では言い難いことを口走りそうになった雅紀の言葉を遮るように、女性の声が雅紀の背後から聞こえてくる。
「はぁいなんでございましょう?」
咄嗟に雅紀は世間向けの声を取り繕い、声のした方へ振り向く。
その瞬間、雅紀は息を飲んだ。
雅紀よりは背が低いものの、すらっとした体つきに細長い手足、それでいて女性的な部分の肉付きは非常に豊かで、顔立ちはやや童顔であれど、色白で美しく、人形のようだった。
(なんだこの美人!?)
「すごく大きな声が聞こえたんですけど、何かあったんですか~?」
おっとりとした口調に、耳が蕩けるような色気のある声。全てが完璧な美人を目の前に、雅紀は思わず姿勢を正した。
「あぁ、これはもう大事件だよ。君のような美しい女性に出会えるなんて、僕の人生で最大で最高の大事件さ」
「えぇ?」
「美しいお嬢さん、お名前は?」
「桜って言います」
「桜ちゃん。なんて素敵な名前なんだ。僕は雅紀。ネットではちょっと名の知れた写真家なんだ。にしても、桜なんて本当に君にピッタリな素敵な名前じゃないか。桜の花の花言葉は」
雅紀の言葉を途中から無視すると、桜は雅紀の後ろにいた竜雄の前に歩き出した。
「久しぶり~竜雄」
雅紀は桜の発した言葉に、思わず竜雄の方へ向き直った。
「お久しぶり」
「おいおいおいちょっと待ちなさいよ竜雄くん?」
雅紀は早足で竜雄に近づくと、桜から距離を取り、声を低くして竜雄と話し始めた。
「お前あんなベッピンさんとお知り合いだったのか!?」
「いやまぁ知り合いだけど」
「なんで紹介してくれなかったんだよっ!?」
「いや、知り合いってほど親しくないし」
「何者だよ彼女!?モデルさん?グラビア?いくら出せばヤレる?」
「はぁ…彼女は吉田桜。中学の同期だよ」
「ま!?」
「今は和久のところで働いてる」
「なんと。あのデブこんな美女侍らせて、ナニやってんですかねぇ」
「あの~」
竜雄と雅紀が声をひそめて会話していると、後ろから桜が声をかける。
雅紀はすぐに向き直って姿勢を正した。
「なんだい、桜ちゃん」
「竜雄、数馬に会わせてよ」
桜は雅紀の方には見向きもせずに竜雄に話しかける。
「桜ちゃん、数馬には心に決めた女が」
「どういう要件?」
「お仕事のこと」
雅紀のことを無視して竜雄と桜が会話を続ける。雅紀は拗ねて黙り込んだ。
「仕事?」
「うん。和久に、こっちの援護をお願いされたんだ〜。それで、数馬宛に伝言も預かったから、数馬に会わせて欲しいな〜って」
「そうだな…数馬が今どこにいるかわからないから、伝言預かっとくよ。後で俺から伝えとく」
「それじゃダメなの〜。和久本人から、数馬だけに伝えるようにって言われちゃったから〜」
桜は竜雄に言う。竜雄は困ったように雅紀の方へ歩み寄った。
「雅紀、桜とここにいてくれないか?」
「おぉ喜んで、一生一緒にいたっていいぜ」
「雅紀」
ふざけたことを言う雅紀と肩を組むと、竜雄は声をひそめて耳打ちした。
「正直桜は相当怪しい。警戒は怠らないでくれよ」
「任しとけ、彼女の隅から隅までバッチリ見ておくよ」
「…不安だなぁ」
「なんだって?」
「いやいや、頼りになるなぁと」
「だろぉ?」
調子のいい雅紀の様子に不安を覚えながら竜雄は雅紀との会話を終えて桜の方へ向き直った。
「数馬呼んでくる。しばらくこいつとここで待ってて」
「うん〜、ありがとう、竜雄〜」
竜雄は桜の礼の言葉を背中で受け止めながら数馬を探しに客室の方へと歩き始めた。
「…へっくし!」
竜雄が去ると、桜がくしゃみをする。見ていた雅紀はすぐに胸ポケットからティッシュを取り出した。
「大丈夫かい?桜ちゃん」
「はい…へっくしょん!…ありがとうございます…」
桜はくしゃみ混じりに雅紀に礼を言いながらティッシュを受け取った。
上目遣いになった桜の指先が、雅紀の手に僅かに触れる。桜の潤んだ大きな瞳に見つめられた雅紀は自分が理性を失いそうになっているのに気づいた。
(かわいいいいい!!!)
雅紀はその叫びを心の内にしまいこみ、つとめて紳士的に振る舞った。
「寒いのかい、桜ちゃん?」
「大丈夫です~…ヘックション!…ダメかもです~…」
「風邪をひいちゃいけない。風の当たらない客室に行こう」
「でも〜、竜雄がここで待っててくれって〜」
「そんなのどうだっていいさ。こんな美人に風邪をひかせるわけにはいかないよ。さ、早く僕の部屋に行こう」
「わかりました〜。ありがとうございます〜」
雅紀の説得に押し切られるような形で、桜は雅紀と共に彼の客室へと歩き始めた。
その頃、竜雄は数馬を探しに客室へと足を運んでいた。数馬の客室は雅紀の客室とは違う階にあり、竜雄と雅紀が鉢合わせることはない。
竜雄はさっそく数馬の客室の扉を叩く。
「数馬、川倉だ、いるか?」
竜雄が言うと、中から数馬が出てくる。先ほどスナイパーに撃たれた傷がまだ響いているのか、足取りはおぼつかない様子だった。
「こんばんは。どうした?」
「桜が来てる。数馬と直接話したいって」
「参ったな、俺には陽子がいるのに」
「和久から伝言があるんだってさ」
「和久から?」
竜雄に言われると、数馬は首を傾げる。数馬は同時にスマホを取り出した。
「和久とは普通にやり取りしてる、何かあるなら直接言ってくるはずだ」
「数馬、和久に確認取って」
「もちのろん」
数馬は軽口を叩きながら、スマホの通話先で和久を選ぶ。竜雄にも通話の内容が聞こえるようにスピーカーに切り替えると、数コールもしないうちに数馬のスマホから和久の声が聞こえてきた。
「はい、堀口です」
「重村です、夜分にすまんな。桜が俺たちと同じ船に乗ってる」
「桜?吉田桜が?」
和久が不思議そうに聞き返すと、竜雄が横から話し始めた。
「そうなんだ、和久の指示で、俺たちの援護に来たって」
「そんな指示は出していない」
和久の言葉に、数馬と竜雄は息を飲み、顔を見合わせる。
「本当か、和久」
「あぁ、むしろ、今日一日桜はずっと連絡が取れなかったんだ。なぜそんなところに…」
「歯車、だな」
全てを察した数馬は呟く。和久は聞き返した。
「歯車?」
「あぁ、魅神の能力だ。歯車を埋め込まれた人間は、本人の意志に関係なく魅神に操られる。桜もきっとどこかで…」
「…首相襲撃事件で敵の動きが良かったのはそのせいか…!桜は魅神に操られ、情報を渡していたのか…!」
「あんにゃろう本当にセコい奴だ!」
数馬は思わず怒りを露わにする。同時に傷口が少し痛んだようだった。
「桜はウチの誇る優秀なスパイだ。並の人間の強さじゃない。数馬、やれるか?」
「あぁ…と言いたいが…ちょっと怪我しちまっててな…」
和久の質問に、数馬は悔しそうに答える。すぐに竜雄が口を挟んだ。
「数馬、休んでてくれ。俺がなんとかするよ、和久」
「竜雄、大丈夫か?殺さないでくれよ」
「あぁ、もちろん。雅紀が今、桜と一緒にいる、さっさと助けに行ってくるよ」
「頼む…!」
数馬と和久から桜を任された竜雄は、数馬を置いて走り出す。数馬は竜雄の背中を見送り、自分の部屋の扉を閉じた。
その頃、雅紀と桜は雅紀の船室で2人きりになっていた。船室にあるのは、シングルベッドと、ハンガー掛け、そして全体を柔らかく照らすオレンジのランタンだけだった。
雅紀に譲られ、桜はベッドに腰掛ける。桜は上着を脱ぐ雅紀の後ろ姿を眺めながら、1人考えを巡らせていた。
そんなことにも気づかない様子の雅紀は、どこか落ち着かない様子で上着をハンガーにかけ、ハンガーを壁に掛けた。
「いっぱい歩いたから、ちょっと暑くなっちゃいました〜。これ、掛けておいてくれますか〜?」
桜の声に雅紀が振り向くと、桜は露出度の高い黒のタンクトップ姿になっていた。服の黒に色白の肌がよく目立つ。
「う、うん、任せておいて」
雅紀は動揺しながら桜の上着を受け取ると、もうひとつのハンガーにそれを掛け、自分の上着の隣に掛けた。
作業を終えてしまった雅紀は、気まずそうに周囲を見回していた。
(やっべぇよどうしよ)
「雅紀さん、座らないんですか〜?」
桜に言われると、雅紀は背筋を正して返事をした。
「はいっ!えと、じゃあ、お言葉に甘えて」
桜はベッドの端に寄る。雅紀はそれによって空いたスペースに座り込んだ。
狭いベッドで、桜の肩と雅紀の肩が触れ合う。雅紀は息を飲みながら桜の姿を横目でチラ見していた。
(やべえ、チョー可愛い。いや待て、落ち着け、ここでがっついたら嫌われる、絶対に嫌われる!ジェントルマン、ジェントルマンで行くんだぞ相川雅紀!)
雅紀が脳内で叫びつつ桜をチラ見していると、思わず桜と雅紀の目が合った。
桜は穏やかに微笑むと、小さく会釈をして前を見る。雅紀も気まずそうに笑ってから目を逸らし、顔を隠した。
(かわいいいいい!!!)
桜はそんな雅紀を眺めつつ、彼女は冷静に雅紀を操る方法を考えていた。
(この人、普通に私のこと好きっぽい。ちょろそう)
桜はそう思うと、ゆっくりと話し始めた。
「そういえば、自己紹介がまだでした〜。私は吉田桜です。和久のところで働いていて、今日は彼の命令で来ました」
桜から自己紹介をされると、雅紀も桜の方に向き直り、丁寧に自己紹介を始めた。
「お疲れ様です。僕は相川雅紀、普段は写真屋やってます」
「でも今は、魅神を倒す作戦に参加中なんですよね?」
「そうだね」
雅紀が答えると、桜は静かに頷いた。
「ねぇ、雅紀さん、あなたのこと、信じてもいいですか」
桜は潤んだ瞳で雅紀を見上げる。雅紀はそんな桜の姿に心を奪われると、反射的に返事をしていた。
「もちろんだよ。なんでも言ってくれ」
「…助けてください…!」
桜はそう言うが早いか雅紀の胸に顔を埋めるようにして身を預けた。
「ほ!?」
「私たちの中に、裏切り者がいたんです…!私、必死で戦って、それで、皆さんに情報を伝えるためにここまで来たんです…!」
「そ、そうなの?」
雅紀は桜という美人に抱きつかれ、錯乱した状態で返事だけ返す。実際は桜の淡い香水の匂いで全てが上の空だった。
「あなたたちの中にも、裏切り者がいるんです…!早くしないと間に合わないって思って、私、怖くて怖くて…!」
「わ、わかったよ、桜ちゃん、もう大丈夫、心配しないでいいからね」
雅紀はそう言うと、ゆっくり、少し戸惑いながら桜を抱きしめる。桜がニヤリと笑ったことは、雅紀にはわからなかった。
「それで、桜ちゃん、一体誰が偽物なんだい?」
「…竜雄と数馬です」
「マジ?」
桜の言葉に、雅紀は耳を疑う。桜は雅紀の胸元で頷いた。
「数馬も、竜雄も、本当は魅神の襲撃事件で死んでいるんです。でも、変身できる能力者が2人に化けて成り変わってたんです」
「そんな…嘘だろ…?」
「信じてくれないんですか?もうあなただけが頼りなのに…!」
桜は泣きそうな顔で雅紀の目を見つめて言う。雅紀はそんな桜の姿に、男らしく頷いた。
「信じるよ、桜ちゃん。2人で協力してあいつらを倒そう」
「…はい!」
桜は優しく笑って頷く。雅紀もそれを見て微笑み返した。
「それじゃ、行きましょう!」
「いや、待って」
雅紀は桜を止めると、自分の一眼レフカメラを取り出した。
「記念に1枚、ツーショット。ダメかな、桜ちゃん」
「この状況で?」
「そう」
「どうして?」
「竜雄をここに誘い出す」
「わかりました」
雅紀は桜の返事を聞くと、カメラのレンズを自分たちの方に向ける。桜は雅紀の胸元に寄りかかり、2人はピースサインを作った。
「自然に笑ってー、はい、チーズ」
雅紀がシャッターを押す。すぐに雅紀はスマホを取り出すと、カメラからスマホに写真を転送した。
「うん、桜ちゃん、やっぱり美人だね」
「ありがとうございます〜」
転送する間、2人はわずかに言葉を交わす。雅紀がスマホの画面を見ると、竜雄から何か連絡が入っていることに気づいた。
「お、竜雄からだ。『どこにいる?』だって」
「じゃあ、手筈通りに」
桜からそう言われると、雅紀は竜雄への返事を打ち込んだ。
同じころ、竜雄は待ち合わせ場所であるはずのデッキに出ていた。しかし、桜も雅紀も、2人とも影も形もなかった。
「やられたか…?」
竜雄は不安に思いながらスマホに手を伸ばし、雅紀とのメッセージを確認する。新しいメッセージの通知をタップすると、雅紀から『船室にいる』というメッセージと、雅紀と桜のツーショットが送られてきていた。薄着の桜を見て、竜雄は頭を抱えた。
「あいつ…色仕掛けに引っかかったな?」
竜雄はそうぼやきながら、雅紀のいる船室へと走り出した。
数分も走らずに、竜雄は雅紀の船室に到着する。竜雄は荒々しく扉をノックすると、雅紀の名を呼んだ。
「雅紀、おい雅紀!いないのか!?」
我慢できなくなった竜雄は扉を乱雑に開けた。
「きゃぁっ!?」
「!?」
瞬間部屋の中から聞こえてきた女の声。竜雄が前を見ると、ほとんど服を纏わず毛布で身を隠している桜の姿があった。
「待て!違う!いやその、これは事故で!下心とか全く無くて!」
竜雄は必死になって弁明しつつ、桜から目を逸らすために後ろを向く。
そんな竜雄の目の前に雅紀が立っていた。
「雅紀!これはいった」
「ごめんな」
竜雄が疑問を口にしようとした瞬間、雅紀は自分の能力である電動カッターを発現させ、それを竜雄の胴体へ突き立てた。
「うぐわぁっ…!」
血は吹き出ないものの、竜雄は悲鳴を上げて倒れる。そのまま竜雄は僅かに震えた後、動かなくなった。
「もう大丈夫だよ、桜ちゃん」
雅紀は目を伏せていた桜にそう言うと、電動カッターをしまう。桜は下着の上に上着を羽織ると、毛布を横に置いて立ち上がった。
「怖かった…」
「僕といれば大丈夫だよ。さ、行こう」
雅紀は桜の手を取って走り出す。2人は竜雄を置いて部屋を出た。
「次は数馬を誘い出す。今から連絡するね」
「はい、お願いします」
雅紀は桜と次の作戦を打ち合わせしながらスマホを取り出し、メッセージを送信する。
「それじゃ行こう!」
雅紀は桜の手を取って走り出した。
7分後
船内は意外に広く、あっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返した末に、雅紀と桜は数馬を仕留めるための船室の扉の前にやってきた。
「ここで大丈夫なんですか?」
「うん、ここは誰も宿泊してない。死体もしばらくは隠せるよ」
桜の質問に、雅紀は手短に答える。そして少し扉を開けて中を確認すると、2人に背を向けて横になっている数馬の後ろ姿があった。
「数馬と正面から戦うのは危険だ。だから不意打ちで仕留めよう」
「任せてください」
雅紀の言葉に、桜はそう言って腰からナイフを抜く。雅紀もそれを見て頷いた。
「僕が開ける。あとは任せたよ」
「はい」
「3、2、1!」
雅紀がカウントダウンと共に、扉を押し開ける。桜は部屋の中に躍り込むと、目にも止まらぬ速さで数馬の首元へと近づいた。
「死ね!」
桜はそう言って数馬の首にナイフを突き立てた。
同時に、桜はその感触が何かおかしいことに気づいた。
すぐさま数馬の顔を確認するため、それを自分の方に向かせる。
桜が刺したのは黒いタオルが巻かれているだけのただの枕だった。
(そんな…!この男に工作する時間はなかったはず、私の能力だって作用していた!なのに…!これは一体…!?)
動揺する桜の胸元に、金色の歯車が浮かび上がり始めたのが、雅紀の目にも映った。
「竜雄ぉおおっ!!!」
雅紀が急に大声を出すと、桜も思わずそちらに振り向く。そのまま雅紀にナイフを投げようとしたが、桜は自分の体が何者かに羽交締めされる感覚に落ち入り、身動きが取れなくなった。
「何、これ!?」
「桜ちゃん、じっとしててくれよ!」
雅紀は桜にそう言うと、桜の胸元の歯車に、発現させた電動カッターを突き立てた。
「ぅっ…!ぐっ…!あぁぁああああ!!!」
歯車と電動カッターの間に火花が散り、桜も思わず悲鳴を上げる。雅紀は光から目を背けず、そのまま歯車にカッターの刃を押し当て続けた。
雅紀がひと息にカッターの刃を振り抜くと、歯車は金色の光になって砕け散る。悲鳴を上げていた桜も、ぐったりと力が抜けたように気絶した。
「ふーっ、いい動きしてくれたじゃん竜雄ちゃんよ」
雅紀がそう言って電動カッターのスイッチを切ると、同時に桜の後ろに徐々に人の姿が現れていく。数秒もしないうちに、竜雄の全身が桜を抱きかかえるようにして現れた。
「全く、いきなり切りつけてきやがって。俺じゃなかったら死んでたぞ」
「ごめんて」
竜雄の小言に対して雅紀が軽く謝る。竜雄は桜をベッドに寝かせると、ゆっくりと腰を伸ばす。雅紀は横になった桜の前髪をやさしく払った。
「うぅっ…」
桜が苦しそうに声を上げ、ゆっくりとまぶたを開く。
「桜ちゃん、大丈夫?」
「…雅紀さん…はい…助けてくれて…ありがとうございます…」
桜が礼を言うと、雅紀もベッドの横にしゃがみ込み、桜と同じ目線になって頷く。
「雅紀、俺は数馬に報告してくる」
竜雄はそう言って部屋を出る。
2人きりになった雅紀と桜は、静かに話し始めた。
「…私を止めてくれてありがとうございます…」
「そんな何度も言わなくていいよ」
「…どうやってやったんですか…?」
「僕の能力は切りつけたところの光を操る能力。だから、竜雄を切りつけて、竜雄を透明にしたんだ。あとは数馬を呼び出すフリして竜雄に指示を出し、竜雄がたくさん動いてくれたってわけ」
「…私が嘘ついてるってわかったんですか?私、能力も使ったし、相当上手く嘘ついたと思うんですけど」
桜が言うと、雅紀は一眼レフを取り出し、先程撮った桜とのツーショットを見せる。
「この時気づいた」
「どうして?」
「写真撮ってるとわかるんだけど、人間さ、表情って隠しきれないもんなんだ。よく見てよ、桜ちゃんすごい美人なのに、なんかこの写真の桜ちゃん、笑顔に陰があるんだよね。だから、何か隠してると思った」
「私の能力は?どうやって切り抜けたんですか?」
「桜ちゃんの能力?何それ?」
桜が疑問を口にすると、逆に雅紀が尋ね返す。
「私、男の人に触ると、その男の人が私のことを好きになってくれるんです〜。でも雅紀さん、私が触っても全然様子が変わらなくて。どうやってやったんですか?」
桜の言葉に、雅紀は戸惑う。本音を言うなら桜に触れられる前から桜に首ったけだったからだが、それを言うと気味悪がられそうなので、雅紀は言葉を選んだ。
「あー…意志、で、頑張った」
「意志…すごいですね」
なんとか無事にその場を乗り切ったと思った雅紀は安堵の微笑みを見せた。
しかし、桜は違った。
「…私も…そうありたかった…!」
うつむきながら言葉を発する桜を、雅紀は静かに見守るしかできなかった。
「歯車を埋め込まれて…何度も協力させられて…!そのせいでたくさんの人が死んだ…!でも逆らえなかった…!本当はそんなことしたくなかったのに、私は…!」
桜は嗚咽を漏らしながら、涙をこぼす。明るくおっとりとした彼女の姿からは想像できない姿を見て、雅紀はゆっくりと桜の背中をさすった。
「桜ちゃん、君は悪くない。悪いのは全部魅神だからさ」
雅紀はそう言いながら桜の背中をさするが、桜は泣き止む気配を見せなかった。
「桜の花言葉を知ってるかい?」
雅紀はふと桜に尋ねる。桜が首を横に振ると、雅紀は微笑みながら話し始めた。
「色んなものがあるんだ。『清楚な美人』とか、『高貴』とか。でもね、そんな中で俺が一番好きなのは、『精神美』」
「『精神美』…」
「俺はね、写真屋だからこそ、目に映らないもの、永遠に続かないものが好きなんだ。それこそ、『精神美』とかね。自分を正当化したりしない、そんな桜ちゃんの態度こそ、俺は美しいと思う」
雅紀はそう言うと、顔を隠していた桜の手を握りしめた。
「桜の花は、散る時は潔く散ってしまうけど、春になれば、美しく街を彩る。優しく、力強く。桜ちゃん、今の君の気持ちは散ってしまった桜かもしれない。でも、だからこそ、もう一度美しく花を咲かせられると思うんだ」
雅紀は桜の顔を見上げる。
「だから、もう自分を責めるのはやめて、前を向いてやり直してみよう?大丈夫、桜ちゃんならできるよ。もう一度、咲き誇れるよ」
雅紀が桜の目を見つめて優しく微笑みながら言う。桜の目にはまだ涙があふれていたが、桜は笑顔を作った。
「…ありがとうございます、雅紀さん。例えその気持ちが私の魔法のせいだったとしても…嬉しいです」
雅紀は、「本心だ」と言いそうになって、言葉を飲み込む。今の桜には不要だと思ったからだった。
そんな中で、船室の扉が開くと、竜雄が現れる。雅紀はすぐに桜から手を離した。
「数馬と和久に報告しておいたよ。桜、大丈夫そうか?」
竜雄は何も知らない様子で尋ねる。桜は涙を拭くと笑顔を作って頷いた。
「うん〜、大丈夫。でも、少しここで休ませてほしいかも〜」
「わかった。また後で」
竜雄は桜と短く言葉を交わし、部屋を出る。雅紀もゆっくり立ち上がり、桜とお互いに名残惜しそうに一瞬見つめあうと、部屋を出ていった。
船の廊下を歩く雅紀は、一眼レフで撮った桜とのツーショットを見る。そんな雅紀の横顔を見て、竜雄は尋ねた。
「よかったのか、別れの言葉もなくて」
「…あぁ」
雅紀はそう答えると、カメラをしまう。
「…あの子が前を向くのに、俺は必要ないからな」
雅紀はそう言うと、前を向いて歩く。竜雄も、そんな雅紀の姿を見てふっと笑った。
「本気で惚れたんだな」
「…さぁな」
2人はデッキに出て、その後各自の船室に向かう。青白い月は、凪いだ海と2人を照らしていた。
23:45
雅紀と竜雄が桜と別れたのとほとんど同じころ、1人の女が従業員以外立ち入り禁止の誰もいない男性用の更衣室へ入っていた。
女は部屋に入るなり男臭い部屋に顔をしかめたが、すぐに彼女自身の目的を果たすために片っ端からロッカーを開けては空のものは閉めていた。
そうこうしているうちに、一番奥のロッカーを開けると、彼女はロッカーの中に目当てのものを見つけた。紺色の作業着である。
女は着ていたベージュのコートを脱ぐと、履いていたジーパンも下ろし、Tシャツと下着だけの姿になる。
すると、更衣室の扉が開くような音がした。女は開けてあるロッカーの影に隠れると、入り口からこちらに向かってくる人影を監視する。
女にとって都合がいいことに、入ってきた人間は女に気づかず、部屋の真ん中のロッカーと向き合って服を着替え始めた。
女はニヤリと笑うと、着替えに夢中で自分に気づいていない男の背後に回り込む。
彼女の能力で、音もなく自分の指を鋭利な刃物に変えると、その指で男の喉仏を貫く。貫かれた男は自分が何をされたのかもわからず、声も上げられないまま、その場にバタリと倒れた。
「あは…即死…」
女は小さく笑うと、自分の下着の紐に挟んでいたスマホを抜く。刃物になっていた指を元に戻し、スマホのカメラを起動すると、わざとらしく自分の胸がわずかに見えるように服をはだけさせ、背景に自分が殺した死体の傷跡が見えるようにしてカメラのシャッターボタンを押した。
そのまま彼女はその写真を送信すると、スマホで通話しながら着替えを始めた。
「あ、もしもしトッシー?切ちゃんだよ。今日の分、見てくれた?」
着替えをしながら無邪気に切はそう言う。スマホの向こうから聞こえてくるのは、暁広の声だった。
「あぁ、見たよ」
「今日のやつ、すっごい綺麗に刺し殺せたんだよ?しかも切ちゃんのセクシーショット付き。めっちゃいい1枚じゃない?」
「最高だよ、切」
「でしょー?待っててね、トッシー、このあと、とびっきりの送ってあげるから」
「どんなのが来るのかな?」
「船ごとみんな死んじゃうの!派手にやっちゃうからさ、できたら褒めて褒めて?」
「素敵だね、切。楽しみにしてるよ」
「うん!」
切は暁広の声を聞くと、嬉しそうにして通話を切る。彼女は同時に、作業着に着替え終えていた。
「さーて、推しのためにも頑張らなくっちゃ!」
切は明るくそう言うと、自分が殺した死体を蹴り上げてロッカーに叩き込む。そうしてロッカーを閉じると、悠々と更衣室を後にするのだった。
更衣室を出た切は、スマホを取り出し、船内の地図を確認する。
(エンジン室はここから3階層下かぁ…めんどくさいなぁ…)
切はそう思いながら廊下を歩いていく。
スマホに目線を落としていた彼女は、正面から人が来るのに気が付かず、そのまま衝突した。
「痛っ」
「失礼」
切とぶつかった眼鏡の男性は、小さく会釈して謝る。切も軽く舌打ちすると、すぐにもう一度スマホを見ながらその場を立ち去った。
(ったく、眼鏡野郎が。生理中だったら八つ裂きにしてたわ)
切は内心でそう吐き捨て、エンジン室を目指して階段を下りていった。
「船内の地図、か」
先ほど切とぶつかった眼鏡の男性、狼介は眼鏡を掛け直しながら、誰もいない廊下でふと呟いた。
(妙だな。あれはおそらく整備士のはず。なのに、作業着の裾の部分をズボンから出していた。しかもわざわざ船内の地図を確認しながら歩いている…さて、嫌な予感がするな)
狼介は胸騒ぎを覚えながら切の進んでいった廊下の先を見る。この先にある階段を下りれば、エンジン室があるはず。もしも狼介の予感が当たれば、状況は最悪などでは済まない。
狼介は自分の嫌な予感を振り払うようにして廊下を走り出していた。
一方の切はすでにエンジン室にたどり着いていた。中では切と同じような作業着を身につけた男たちが数人、設備を点検していた。
切は気にせずに階段を下り、作業している男の1人の背後へと回り込んだ。
「ども〜」
切が軽いトーンで作業員に声を掛けると、作業員は知らない声に戸惑いながら振り向く。瞬間、切は再び指を鋭利な刃物に変形させながらその従業員の喉を貫いた。
その場に崩れ落ちる作業員の死体を眺め、切は首を傾げた。
「うーん、なんか芸術点低いなぁ」
切はそう呟きながら指先についた血をハンカチで拭きとる。
すぐさま不審な音を聞きつけた他の従業員たちが駆けてくる。
「おい、どうした?」
振り向いた切の瞳に映ったのは2人の同じような服を着た作業員。彼らはすぐに切の足元にある死体に気づいた。
「…!」
「誰だお前は…!」
切は気づいた従業員の胸に、刃物に変形させた腕を伸ばして突き立てた。
殺した従業員を倒しつつ、腕を軸にしながらポールダンスのように回転し、足を刃物に変形させると、もう1人の喉元を足で切り裂き、ふたつ目の死体を作り上げた。
切は自分の仕事を終えると、右手についた血を軽く振るって落とした。
「ん〜、今の切ちゃんセクシーだったな〜。トッシーに見て欲しかったなぁ〜」
切はハンカチも取り出して手についた返り血を落とし、作業着のポケットにしまっていた爆薬とその起爆セットを取り出した。
「さて、お仕事お仕事っと」
切は陽気にそう言いながら死体の頭を踏みつけつつ、エンジンへと近づいた。
その場にあぐらをかいて爆薬セットを床に並べる。
鼻歌を歌う上機嫌な切の、少し離れた背後の物陰で、狼介は様子を窺っていた。
(あの並んでいる道具…やはり作業道具じゃないな)
狼介はそう思うと、物陰から足音を立てずに切の背後に近づく。
切はそれに気づかずに鼻歌を歌い続けているように見えた。
狼介と切の距離はあと5歩。狼介は何も言わずに切の背後に近づいていた。
瞬間、切は振り向きざまに刃物に変形させた左腕を振り抜いた。
狼介はすぐに後ろへ宙返りして、間一髪で刃物をかわす。
着地した狼介は眼鏡をかけ直す。同時に切は自分の腕を元に戻し、狼介と間合いをとりながら睨み合った。
「早いじゃん?陰キャメガネ」
「何者だ、小娘」
「何〜?ナンパ?切ちゃん、あんたみたいなの趣味じゃないんだけど」
「ふざけるな。そのC4で船ごと吹き飛ばすつもりだったんだろう」
狼介の言葉に対し、切は右腕を刃物に変形させて狼介の顔を目掛けて突きを放つ。狼介は姿勢を低くしながらそれをかわし、ひと息に切の目の前まで近づくと、切の顎を蹴り上げた。
「!」
切はそれを食らうが、その勢いを生かして後ろへ宙返りして狼介と距離を取った。
「…へぇ、躰道みたいだね、それ。動画で見たことあるよ」
「御託はいい。正体を名乗れ、命だけは助けてやる」
「はぁ、つまんな。あんたモテないでしょ?話のつまんない男とかありえないんですけど」
切の言葉をよそに、狼介は再び姿勢を低くしながら切に近づこうとする。
そんな狼介の軸足に、何かが突き刺さった。
「!」
狼介が見ると、先ほどまでただのコードだったものが鋭利な刃物に変形していた。
痛みに思わず狼介の姿勢が崩れる。
「一回触ったものなら好きに刃物に変えられるのよ、切ちゃん。あんたもここで終わり!」
切はそう言いながら変形させた右腕を姿勢の崩れた狼介に振り下ろす。
(もらった…頸動脈!)
狼介は真っ直ぐ自分の首を目掛けて振り下ろされる刃物を見つめる。
そのまま自分の足に刺さったコードを抜いて電気を流し、自分の横に放り投げた。
コードに青白い電流が流れる。
狼介に振り降りようとしていた切の刃は、狼介が電流を流したコードの方に吸い寄せられた。
(なっ…!)
逆に姿勢を崩した切。
狼介は負傷した右足の代わりに、手に体重を乗せながら切に近づくと、左足で切の顔面を蹴り飛ばした。
「ぎゃあっ!」
狼介はふらつきながら立ち上がる。一方壁に叩きつけられた切は怒りを隠そうともしないまま立ち上がった。
「痛ってぇなぁ…!可愛い切ちゃんの顔を蹴りやがって!これでトッシーに嫌われたらどうしてくれんだよクソ眼鏡!」
「元から大して綺麗な顔してないぞ」
「マジで殺す!」
そう叫ぶ切に対し、狼介は冷静に懐から拳銃(P99)を抜き、切に向けて引き金を引く。切はすぐさま腕を幅の広い刃物へと変形させて身を守りながら狼介に近づいていく。
「オラオラ当ててみろや!」
切は銃撃をしてくる狼介を挑発しながら距離を詰めていく。狼介の銃撃は全て切のガードに弾かれていた。
狼介が最後の1発を撃ち、切がそれを弾き返すと、切は腕をもとに戻して狼介に近づいた。
「死ね!」
切はそう言うと、素手によるパンチと蹴りの連撃を狼介に放っていく。狼介はそれを全てうまく身ごなしでかわすが、確実に壁に追い込まれていた。
「ちょこまかと!鬱陶しい!」
切はそう言うと、足を刃物に変形させ、狼介の足元を狙って足払いをする。狼介は咄嗟に後ろへ宙返りをした。
(飛んだな、バカめ!)
切は狼介が飛んだのを確認する。切は右手を変形させ始めた。
(串刺しだ!)
切がそう思った瞬間、狼介と切の目が合う。同時に、狼介が右手に空になった薬莢を握っていることに気づいた。
(まさか…!)
「もらった!」
空薬莢は金属。そして徐々に変形しつつある切の右腕も金属。
狼介は空薬莢から切の右腕へ電撃を放った。
青白い電撃が切の右腕へと奔る。高電圧が体を駆け巡る感覚が、切を襲った。
「ぎゃあああああぁぁぁ!!!!」
切の悲鳴を聞きながら、狼介は着地し、切の様子を見張る。同時に、回収しておいたC4爆薬を軽くお手玉する。切は電気を流され、体力をかなり消耗した様子で背後の壁に寄りかかった。
「C4は預かった。お前はもう手詰まりだ」
「…クソ…っ…!」
切は疲弊した体で立ち上がる。
「…もう…サイッアク!...切ちゃんの邪魔してくれちゃってさぁ…!えぇ!?せっかくトッシーにもっと好きになってもらえるチャンスだったのにさぁ!」
切は悪態をつきながら右腕を長く鋭利な刃物に変える。狼介ももう一度空薬莢を握りしめた。
「でもさぁ、切ちゃん、リアリストなんだよね!」
切はそう吐き捨てるように言うと、自分の背後の壁に向けて右腕を振るった。金属の分厚いはずの壁は、あっという間に切り裂かれ、水がエンジン室へと流れ込んできた。
「!」
狼介は咄嗟に身を守ると、切はその間に足を刃物に変形させ、プロペラのように回転させると吹き込んでくる水に逆行するように海の方へと出ていく。
狼介は切を追おうとしたが、切は既に船を出ており、さらにこのまま放っておけば船全体が浸水することも考えると、狼介は早速斬り捨てられた金属製の壁に電撃を放ち、互いに電磁石になるようにしてくっつけていく。
「間に合え…!」
浸水は徐々に激しくなっていき、もう既に狼介の脛のあたりまで水が浸っている。しかし壁の修理はまだ完了しておらず、どんどんと水位が上がってきていた。
「ちっ…!」
狼介は舌打ちをしながら得意のパズルの要領で壁を塞いでいく。切り裂かれた壁の破片で全て塞いだが、わずかに穴が開いており、そこから水が噴き出てくる。
「これだ!」
狼介はすぐさま使い終えた拳銃の空弾倉をその穴にねじ込み、電流を流して電磁石どうしで引き合うようにして穴を塞いだ。
「はぁ…はぁ…」
狼介はひと息ついていたが、同時に能力を発動させて壁の穴を塞いでいたので、一瞬でも気を抜けば再び浸水が開始するような状況だった。
狼介は自分が塞いだ壁の穴に寄りかかる。すぐに狼介は胸ポケットに入っているスマホに手を伸ばし、仲間たち全員と連絡が取れるグループに通話をかけた。
「おい、誰かいないか。狼介だ」
「お、狼介、どうした?」
「雅紀か、エンジン室で事件だ。船長に言って溶接道具を持ってきてくれ。隔壁に穴が開いた。今は俺がどうにか塞いでいる状況だ」
「ヤベェじゃん、皆呼んでそっち行くわ!」
「早めに頼む」
狼介はそう言って通話を終えると、改めて壁を抑えながら、背中越しに壁の様子を見る。先ほどに比べ、確かに穴は塞がっていたが、ほんの少しずつ水が流れてきているのがわかった。
「この分なら…2時間は保たせられるな…ま、余裕だな」
狼介はニヤリと笑って眼鏡を掛け直す。冷たい海水に囲まれながら、狼介はただ雅紀たちを待ち始めた。
10分後
船に穴を開けて逃げた切は、海の上を漂いながら遠く離れていく船の後ろ姿を見送った。
「…クソがよ!あのメガネ、絶対許さねぇぞ!ゴミが!」
切は船に罵声を浴びせながら水面を殴りつける。怒りを隠しきれない様子でスマホに手を伸ばし、暁広へと通話をかけた。
「もしもし、トッシー?切ちゃんだよ」
「どうした?花火の写真がないけど」
「ごめんね、トッシー、私、一生懸命やったんだけどね、でも」
切が猫撫で声で言い訳を並べようとすると、暁広の大きなため息が聞こえてきた。
「しくじったのか」
「だってしょうがないじゃん!切ちゃんは完璧だったのに、あのクソメガネが…!」
「切、ここまでだ」
暁広が短く言う。切の声から一切の愛情が消えた。
「…どういうこと?」
「言葉通りだよ。君は失敗した。それに俺は重村数馬を殺せって言ってあったはずだ。船を吹っ飛ばせとは言っていない。命令も聞けない君に存在価値はない」
「ふざけんなよ!切ちゃんはトッシーに喜んで欲しくて頑張ったのに!トッシーが喜ぶと思ってたくさん人を殺したのに!あんたが奥さんは飽きたとか言ってたから!切ちゃんは付き合ってやってたのに!あんたのために全部犠牲にしたのに!」
「切」
暁広が冷静に切の名を呼ぶと、感情的になっていた切は泣きそうになりながら弁明を始めた。
「あぁ、ごめんね、トッシー。切ちゃんが悪かったよね、本当にごめんね、だから、お願い捨てないで!切ちゃんにはトッシーしか…」
「さよならだ」
暁広は切の弁明を聞くことなく通話を切る。
虚しく鳴り響くスマホを見下ろし、切は気がつくと全力で泣き叫んでいた。
右腕を刃物にへと変形させると、自分の首元にそれを当てがう。
「うわぁああああああ!!!」
切は絶叫しながら首に当てがった刃物を引き、自分の頚動脈を切りつけた。
はずだった。
瞬間、どこからか凄まじい速さで走ってきたボートが切の横を通りすぎると、頚動脈を切ろうとした切を寸前で拾い上げ、気がつくと切はボートに乗っていた。
「何すんだよ!?」
「ボニー!寝かせとけ!」
「アイサー」
4人乗りボートの後部座席に乗せられた切は、その隣に座っていた男に殴られると、気絶する。ボートは数馬たちの乗る船と一定の間隔を保ちながら進んでいくのだった。
5/16 0:30
船内の作業員たちの苦労もあり、1時間ほどの作業を経て、狼介が塞いでいた穴は簡易的に溶接された。
「一体何があったんですか?」
作業を終えた作業員に労いの言葉をかけると、船長は狼介に問いかける。狼介は気まずそうに目線を逸らしながら、自分が国防軍であることの証明である手帳を見せる。
「ちょっと任務でして」
狼介が言うと、船長も深く質問するのをやめて狼介を解放する。
狼介は傷を負った足を庇うようにしてエンジン室の外に出て、そこで待っていた雅紀と合流した。
「よ、お疲れさん」
「どうも」
「上陸後の打ち合わせするから集まれだってさ」
「わかった」
狼介と雅紀はゆっくり廊下を歩いていく。狼介はすぐにニヤニヤとしている雅紀の顔に気づいた。
「おい、何をニヤついてる?」
「いや?女っていいもんだなぁと思っただけだよ」
「良かったな。俺はそうは思えないけど」
同じ頃 龍観基地
暁広は切との通話を終えると、自分の友人であり部下である仲間たちを集めた。
「状況は最悪だ」
暁広が言うと、彼の前に座る6人の男たちは表情を固くした。
「恐らく今日から堀口たちが動き始め、心音からの援護は望めなくなる。ここで戦えるのは、お前たちしかいない」
暁広は真っ直ぐに目の前の仲間たちを見た。
「力を貸してくれ」
暁広がそう言うと、微妙な沈黙が流れる。
「他に頼れるものは…もうないんだ」
暁広の言葉には、珍しく力がなかった。浩助は思わず顔を上げると、暁広の表情すらも固くなっていることに気がついた。
(初めて見たな…あんな顔)
浩助はそう思うと、ゆっくりと立ち上がった。
「浩助…」
「トッシー、任せろ」
浩助の言葉は、いつになく頼もしい表情だった。
「俺たちは親友だ。親友の危機には、親友が立ち向かうもんだ」
浩助はそう言って暁広に微笑む。暁広は浩助の言葉に、すぐに心の余裕を取り戻したようだった。
「俺も、ぶちのめしてぇ奴らが生きてやがるんでよ、やらせてもらうぜ」
圭輝もそう言って立ち上がる。暁広は付き合いの長い2人の言葉に、内心では深く感謝していた。
「お前たち…」
「失敗した奴らだけには任せられんな。俺も一枚噛ませてもらう」
星も嫌味を言って浩助と圭輝に目線を送りながら立ち上がる。少し遅れて興太も立ち上がった。
「なに、失敗は取り戻せる!逆境だって巻き返す!それこそが人間の素晴らしさ!俺たちならできる!そうだろう、みんな!」
「相変わらず声だけはデカい男だ。だが、お前の美学に少し乗ってやろう」
光樹もそう言いながら立ち上がる。
周りの全員が立ったのを見て、流も大笑いしながら立ち上がった。
「なぁんだ、みんな同じ発想かよ。変に気ぃ遣って損こいたわ」
流はそう言うと、暁広の方に向いた。
「おい、トシちゃん、命令してくれよ。『派手に暴れてこい』ってよ。俺たちそろそろ退屈してたんだよ」
流の言葉に興太と光樹も便乗して暁広に迫る。
暁広は全員の言葉に思わず感極まって俯いた。
「みんな…ありがとう…!」
「あ?よく聞こえねぇぞ、トッシー?」
暁広が1人で呟いた言葉に、圭輝が煽りを入れる。すぐさま暁広は立ち上がり、全員に命令した。
「…派手に暴れてこい!」
暁広がそう言うと、全員オッシャア!と声を上げる。早速流が外へ走り出そうとしたが、それを星が止めた。
「んだよ星ちゃんよぉ。こういうのは勢いが大事だってのに」
「その前に作戦会議だ」
星がそう言うと、その場に彼らのいる北回道全域の地図を広げた。
「恐らく奴らは圭輝の能力を警戒して分散して行動するはずだ。俺たちは奴らが来そうなポイントで待ち伏せ、そこで各個撃破する」
星はそう言いながら地図に印を付けていく。暁広はすぐに言葉を発した。
「俺も行く」
「ダメだ。トッシーの持ち場はこの基地だ。そして、そこに到達されないように俺たちは待ち伏せする」
星はそう言うと、最終的に6ヶ所に印をつける。
「この6ヶ所だ。ここに1人ずつ待機する」
星の作戦に、全員一斉に頷く。そして、暁広の方を向き、目線で暁広の指示を仰ぐ。暁広も頷いた。
「全員配置につけ!重村数馬たちを、この大地に葬るんだ!」
朝4:30
フェリーは北回道の運盾までやってきた。
数馬たち7人はフェリーの階段を降りると、船着場に足を下ろした。
「ヒュー、はるばる来ちまったなぁ」
雅紀が伸びをしながら明るく言う。他のメンバーたちもあくびや軽く準備運動などをして昇ってくる朝日を眺めていた。
「さて、みんな、手はずはわかってるよな」
数馬は他の仲間たちに尋ねる。早速佐ノ介がそれに答えた。
「各自別行動して最終的に龍観基地付近のポイントに集合、だっけ?」
「そう。洗柿の能力を警戒して、みんなそれぞれバラバラの電車やバスでバラバラのルートで行く」
「ふぁぁ…頑張るか」
佐ノ介の言葉に、竜雄と雄三も反応する。
「みんな」
それぞれ準備をする7人の男たちの背後から、桜が声を掛ける。
「私もしばらくここで待機します。何かあったら連絡してね」
「ありがとうな、桜」
桜の言葉に対し、佐ノ介が軽く礼を言う。雅紀は桜に背を向け、寂しそうに笑っていた。
「よし、野郎ども、行くぞ!」
その場にいた全員が準備を整えたのを確認すると、数馬が声を掛ける。男たちはそれぞれ正面を見据え、自分の道を歩き始めた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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