38.描く世界
12:30
雅紀、隼人、狼介の3人が食事や飲み物を買って戻ってくると、7人は床にあぐらをかき、円になって食事を始めた。
「何も床に座って食わなくても受付横の休憩スペースでよかっただろ」
「7つも席がなかったからな」
雄三が文句を言うと、隼人がおにぎりを食べながら答える。他の男たちも、黙々と目の前の食事を口に運んだ。
「男7人、あぐらかいて食事…まるで山賊だな」
狼介が呟くと、雅紀が嬉しそうに声を上げて笑った。
「いいねぇ、7人の山賊。映画化しよう」
「ハッピーエンドで終わらせようじゃねぇか」
雅紀の言葉に、数馬も便乗して呟く。そんな数馬の呟きに雅紀もウェーイと軽いノリで声をあげた。
13:00
食事を終えた7人は、そのまま円を作りながら雑談を始めた。
「雅紀、電車どうだ」
「やっぱ無理っぽいわ。どう頑張っても俺たちは今日動けない」
佐ノ介が問いかけると、雅紀がスマホを見ながら答える。それを聞き、全員どことなく残念そうな表情をしていた。
「仕方ない。和久にもそう連絡しておく。各自自由にしててくれ」
数馬がそう言うと、それぞれ立ち上がり、部屋を出る。数馬はそれを見てから携帯を取り出し、和久へと電話をかけた。
廊下に出た佐ノ介と数馬以外の5人のうち、さっそく隼人が話し始めた。
「誰か稽古に付き合ってくれないか。このままだと体が鈍る」
隼人の言葉を聞き、即座に雅紀が首を横に振った。
「俺はヤダよ?お触りし合うなら女の子がいい」
「…そうか」
雅紀の言葉に、隼人は残念そうに俯く。すぐに狼介が隼人の背中を叩いた。
「しょーがねぇな、今回も付き合うよ」
「おぉ、いつもありがとう」
狼介の言葉を聞くと、いくらか嬉しそうに隼人が礼を言う。同時に、雄三も隼人に尋ねた。
「稽古ってのは、一体何をやるんだ?」
「大したことじゃない。明日も任務があるから、今日は軽めに、ランニング30分、腕立てとスクワット300回、腹筋背筋200回、受け身と投げを各500回、約束組手を…」
「よーし俺は降りる。体バラバラになっちまうからな」
隼人の話す内容を聞き、雄三は途中で割り込むようにして宣言する。隼人はあまり表情を動かさなかったが、悲しんでいそうなのは雄三にもなんとなくわかった。
「俺はそういう汗臭いキャラじゃないんだよ。竜雄はそういうの好きだったろ?付き合ってやれよ」
「そうだな、いつか稽古してみたかったんだ。竜雄、よければ付き合ってくれないか」
雄三に言われて隼人も竜雄に話を振る。しかし、竜雄は重い表情をして俯くと、首を横に振った。
「…すまない、また今度で」
竜雄はそう言って1人その場を後にし、1人だけ部屋に戻っていった。
竜雄を見送った4人は、複雑な表情をしていた。
「俺たちに殴りかかったこと、まだ気にしてるんだな」
雄三が竜雄の背中を見送りながら呟く。それを聞いた狼介は小さくため息をついた。
「敵のせいなんだから気にする必要はねえのにな。あんなふうにしたって無駄なのに」
「頭でわかってたって、無駄か無駄じゃないかで人間動けねぇよ」
狼介の言葉に、雅紀が呟く。狼介は肩をすくめるだけで何も答えなかった。
話題が途切れたのを見て、隼人が話題を切り替えた。
「それじゃあ狼介、行こう」
「へいへい」
隼人はそう言って狼介を連れて歩き出す。
「お、じゃーなー」
雅紀は歩いていく隼人の背中に手を振って見送る。
「さて、俺らもホテルの中散策しようぜ」
雄三は雅紀にそう言って隼人たちと反対方向へ歩き出す。雅紀も雄三について行って廊下の奥へと進んでいった。
雄三や雅紀と分かれた隼人と狼介は、雑談を交わしながら1階への階段を下りていた。
「ところで隼人、どこで稽古するつもりだ?」
狼介の問いかけに、隼人は黙り込んだ。
「…おいまさか」
「考えてなかったなぁ…」
隼人はあっけらかんと言ってのける。狼介は隼人の何も考えていない様子に、呆れきってメガネを掛け直した。
「雑木林でどうだ?」
「投げ技やったら土だらけになるだろうが」
「マットを買おう」
「持ち帰れないだろ」
狼介に呆れられながら、2人は1階に下りてくる。休憩スペースで誰かが座っていたが、隼人はそれに気づかず歩き、悩んでいた。
「…どうしたものか。なら狼介、基礎トレだけにするから雑木林で」
隼人が思いついたことを話そうとするが、振り向いても狼介はいなかった。
隼人が周囲を見回すと、狼介は休憩スペースに座っている女性に、やや興奮気味で話しかけているようだった。
「狼介、何やってるんだ?」
隼人は狼介に歩き寄りながら尋ねる。狼介はやはり興奮気味に隼人に話し始めた。
「隼人、この人知ってるか?」
「いや?」
「良野神楽さんだよ」
「誰?」
「作家さんだよ、有名な!知らないのか?」
狼介は興奮したような様子で隼人に言う。隼人は全くと言っていいほど理解できていないような表情をしており、女性の方も気まずそうにしていた。
「全く、脳筋が。『灯島の歌』、『人見頃の夜』、『恋する気持ちは神無月』、全部良野先生の作品だぞ!」
「…そうなのか?」
「あ、あの〜…」
戸惑う隼人と興奮げに話す狼介に女性は申し訳なさそうに狼介に声をかける。
「はい!」
「いや、その…どちら様ですか?」
女性に言われると、狼介は我にかえり、すぐに謝罪の言葉を述べた。
「失礼しました。俺は鈴木狼介、こっちは横山隼人、良野先生の作品のファンです!」
狼介は謝罪もほどほどに興奮冷めやらぬ様子で女性に言う。女性はいまだに戸惑いながら狼介に控えめに頼み始めた。
「私、今オフなんで…ペンネームじゃなくて、本名の池田良子で呼んでいただけませんか?先生って言うのも…なしで…」
良子が弱々しく言うと、狼介は居住まいを正して頭を下げた。
「これは失礼しました。でも、先生の作品すごい好きなんですよ。特に『神在月シリーズ』!」
狼介の言葉に、良子は恥ずかしそうに答えた。
「やめてください…!違うんです、あの作品は…!ただのラノベじゃないですか…!」
「いやいや、今どき何本も書籍化されるってすごいですよ!」
「違います、出版社に勤めてて、そのコネで…そんな人に褒められるようなものじゃないんですよ…」
「いやでも」
話を続けようとする狼介を、隼人が腕を掴んで止めた。
「嫌がってるみたいだぞ。早く稽古に行こう」
隼人の言葉に対し、狼介は隼人の方に振り向いて話し始めた。
「隼人、わかってないな。この人の作品は本当に面白いんだよ!流れるように進む物語、テンポのいい会話、個性が強い登場人物、本当にすごい作品なんだって!そりゃそんな作家さんがいたら話したくなるだろ?」
「気持ちはわかる、だが、相手は嫌がってるぞ」
「でも面白いものは面白いと言われるべきだし、評価されるべきものを評価して何が悪いんだ」
「でも」
隼人が反論をしようとしたその時、狼介の背後に良子が立ったのが見えた。
異様な空気を感じ取った隼人は咄嗟に身構えた。
「おい、何を…」
「『そして、本は開かれた』」
良子が低い声で言うと、急に隼人も狼介も動けなくなる。
「なんだ…!?」
2人は周囲を見回すが、やはり体が動かない。その間に、良子がタイプライターを手元に引き寄せ、文字を記していく。
「『2人の名は、鈴木狼介と横山隼人』」
良子が書き込んだことを読み上げる。
次の瞬間、隼人と狼介は煙のようになり、タイプライターの中に吸い込まれて消えていった。
良子はタイプライターと向き合って座る。そして、ゆっくりとした手つきで、タイプライターで文字を打ち始めた。
「『物語は、ここから始まる』」
「…おい!起きろ!」
隼人は狼介のそう言う声に目を開き、上体を起こした。
「…くっ…どこだここは…?」
隼人は頭を抱えながら周囲を見回す。普通に生活していれば見ることもないような、中世のヨーロッパの城のような石畳と石の壁に囲まれていた。
「場所はわからない…すまん、多分良野先生は敵だった。油断した俺のミスだ」
隼人の質問に答えながら、狼介は悔しそうに謝る。隼人は首を横に振った。
「気にしなくていい。どうにか抜け出そう。湘堂の時みたいにな」
「あぁ」
隼人の言葉に、狼介も力強く頷く。狼介に手を差し伸べられて隼人も立ち上がると、すぐ近くにあった小窓から外の景色を見る。
隼人たちのいる建物は、周囲を昼の光に照らされた湖に囲まれていた。そのうち一方に橋がかかっており、そこから陸に出られるような構造になっていた。
隼人が外を見ている窓からはそれしか見ることが出来ず、その窓から出ることもできそうにない。
「あっちの方に出口があるみたいだ。とにかくそこを目指そう」
「賛成だ」
隼人の言葉に、狼介も短く賛同し、2人は歩き出す。
2人は部屋を出ようと目の前の扉に手を伸ばす。
瞬間、どこからか声が聞こえてきた。
「城に立つ2人の騎士よ」
女の声だった。2人はお互いに背中を預けるような形になって周囲を見回すが、人の姿はなかった。
「狼介」
「あぁ、多分良野先生の声だ」
隼人と狼介は短くやりとりを交わす。それを気にせず、声は語り始めた。
「私の描く世界に、彩りを添えてくれたまえ…運命に抗い、生き延びようと足掻く姿…それこそが私の物語を美しくしてくれる…さぁ、窮地を脱し、戦う姿を見せてくれたまえ…!」
「好きに言いやがって」
女の声に対し、狼介は吐き捨てるように言う。隼人は首を横に振った。
「行こう」
隼人はそう言って扉を開ける。狼介を連れて部屋を出ると、周囲を見回した。
今隼人と狼介がいるところは、どうやら廊下のようだった。石造りの壁が延々と左右に広がっており、ところどころに篝火が置かれ、それが照明代わりになっている。窓のようなものはない。
「相当広い建物だな…出口までに結構歩きそうだ」
「いいトレーニングになる」
狼介が愚痴をこぼすと、隼人は淡々と答える。狼介が小さく笑うと、隼人は左側へ足を踏み出した。
同時に、隼人が踏んだ石畳の一角が沈む。
隼人も狼介も嫌な予感がしてその足元を見た。
「…何した?」
「…さぁ?」
狼介の問いに、隼人は首を傾げるだけだった。
瞬間、どこかから轟音が聞こえてくる。反響しているのでどこで何がなっているのかはよくわからなかった。
隼人と狼介はもしやと思い後ろを見る。
走って逃げ切れるほどの速度ではあったが、2人の身長を超える大きさ、2mほどはあろう鉄製のボールが2人の方へ転がってきていた。
「ヤバいヤバいヤバい!」
狼介は思わず声を上げていた。そして2人は同時に鉄球から逃げるように走り出した。
2人は初め並んで鉄球から走って逃げていたが、隼人は走りながら両手に鉢巻を発現させ、手早くそれを自分の頭に巻きつけた。
「すまん、先、失礼」
「あ!ずりぃ!」
隼人はその鉢巻による能力を駆使して自分のスピードを大きく上げる。狼介が隼人を咎めたが、それも虚しく隼人と狼介の差は大きく開いていった。
「おいおいおいおい!」
狼介は自分のほぼ真後ろにまで迫ってきている鉄球を横目に、足を速めていく。しかし、どうやら彼らの走っている廊下は傾いているようで、狼介の足に比例して鉄球は速度を上げていた。
「隼人ー!なんかないか!」
「ない!」
狼介は先を走る隼人の背中に声をかける。しかし、隼人は声を張り上げて答え、狼介はそれに舌打ちするだけだった。
先を進む隼人は周囲の壁を見るが、逃げ場所になりそうな場所はない。挙句、隼人が正面に目をやると、壁が立っていた。行き止まりである。
「狼介、行き止まりだ!」
「ちくしょう!」
狼介は悪態を吐きながら走り、上をみる。行き止まりの少し手前の天井に、鉄のポールが通っていた。
隼人がそれに気づかない間に、その鉄のポールの下を走り抜ける。瞬間、隼人の目の前の床が落ちた。
「!!」
隼人はとにかくジャンプした。足元を見ると、穴の中に暗闇が広がっていた。
狼介も、その穴に差し掛かると上にジャンプする。そして持っていた針金に能力で電流を流し、鉄のポールへ電流を飛ばし、磁力を発生させてぶら下がった。
「狼介!!」
隼人は壁に体をぶつけながら、その勢いを利用して三角とびの要領で狼介の方へと跳ぶ。
狼介も体をそちらに傾け、左手を隼人に差し伸べた。
鉄球が隼人の足先を掠める。
狼介は、隼人の腕を掴んだ。
穴の中から轟音が響く。
隼人と狼介は、頭上から電流が流れる音を聞きながら、穴へ落ちていった鉄球を眺めていた。
「…なんとかなったな」
隼人が呟くと、狼介も力が抜けたように頷く。
「廊下には何もなかったんだろう?穴の中を見るか?」
「そうだな」
狼介に言われると、隼人も頷く。狼介が電流を操作しながら穴の中に降りていく。
光のない穴の中にやってくると2人は周囲を見回す。暗くて何も見えないところだったが、狼介が針金の先に電流を集め、辺りを照らし出した。
2人を囲んでいるのは土の壁と、それを支える木製の枠組みだった。
「とんだ欠陥住宅だな」
狼介がそう呟く間に、隼人は壁の一画が扉になっていることに気づいた。隼人はとりあえずドアノブを握り、自慢の筋力で扉を開けると、扉ごと外れた。
「…脆いな」
狼介も派手な音に気づいて振り向き、隼人が開けた扉の先に空間が広がっているのを目にした。
2人は扉の先に歩いていく。狼介が針金の先に電流を集めて辺りを照らし、隼人もそれの隣に立って周囲を見回しながら偵察する。
そんな2人の耳に、何かが聞こえてきた。
2人はすぐに身構えて耳を澄ます。よく聞くと、それは少女がすすり泣く声だった。
2人は警戒を強めながら声のした方に歩いていく。
角を曲がり、狼介が部屋の突き当たりを照らし出す。
隼人や狼介と同じように現代的な洋服を着て、しゃがみ込み泣いている少女の姿がそこにあった。
隼人と狼介はお互いに目を合わせ、状況を確認する。そして隼人がしゃがみこみ、少女と同じ目線になりながら話しかけ始めた。
「大丈夫かい?俺は横山。君の名前は?」
隼人に尋ねられるが、少女は泣き続ける。隼人はめげずに話し続けた。
「お父さんやお母さんはどうした?俺たちは敵じゃない、教えてくれないか?」
隼人は警戒されないように小さく微笑みながら話しかけ続ける。それでも隼人に対して口を開こうとしない少女を見て、狼介はしびれを切らしたようだった。
「隼人、もうやめよう。ここを出ないと。きっとこの子にも事情があるんだ、必要なら助けを求めるはずだ」
「だが、こんな危険なところに、こんな少女を1人で置いていくのは…」
「そんなお人好しなこと言ってる場合か?敵かもしれないんだぞ」
隼人と狼介は言葉を交わす。
しかし、そんな2人の背後で、少女はゆっくりと立ち上がった。
「横山隼人…身長182cm、体重88kg…湘堂市を生き延びた後、灯島市で過ごし、国防軍に志願し、入隊」
背後から聞こえてきた少女の声に、隼人と狼介は振り向く。少女の目は、人間とは思えないような青白い輝きを放っていた。
「なんだ?」
「志願した理由の根底には、湘堂で家族を失ったというものがある。自分の家族のように、理不尽に殺されてしまうものが出ないように戦おうと決意したからだそうだ」
少女は淀みなく隼人たちに言う。隼人はなんとも言えない不快感を抱きながら少女の方へ歩み寄った。
「おい、お前は一体何を…」
瞬間、少女は全身の力が抜けたかのようにそこに倒れ込む。隼人はすぐにその少女に駆け寄ると、気絶した少女を抱きかかえた。
狼介が電流で少女の顔を照らす。
隼人の腕の中で眠る彼女の顔は、どこかで見たことがあるような気がした。
「この子…良野先生じゃないか?」
狼介が言うと、隼人も驚いたように狼介と目を合わせた。
「...だとしたら…何が起きているんだ?」
「ひとつ、ハッキリしてる」
隼人の疑問に、狼介は眼鏡を掛け直しながら状況を整理した。
「俺たちをここに閉じ込めたのは良野先生だ。そして、この子が良野先生なんだとしたら…この子が諸悪の根源の可能性は高い」
「…つまり」
「この子を置いていくべきだ」
狼介は隼人に向けて言う。その言葉を聞いて隼人は少女の顔を見た。
そして隼人は狼介の方を向いて首を横に振った。
「おい隼人…!わかってないのか?彼女を連れて行けばどうなるかわからないんだぞ?一番敵である可能性が高い人間を連れていくのが、どれだけリスキーか…!」
「俺たちは軍人だ。軍人は、自分達より弱いものを守るためにいる。彼女を安全なところまで護衛するのも、また軍人の任務だと俺は思う」
「達成できなきゃ任務も何もないだろう?敵を守る必要なんてない、置いていくべきだ!」
「敵かどうかもわからないじゃないか」
「だが敵の可能性は非常に高い!わざわざ危険な方をとる必要なんてないんだ!」
「それでこの子に万が一があった時、お前は後悔しないのか」
「俺たちの最優先は魅神を倒すことだろう!お人好しで死ぬわけにはいかない!」
狼介の論に、隼人は黙り込む。しかし、隼人は少女を置いていこうとはしなかった。
沈黙が漂う空間に、女の笑い声が響き渡る。2人は周囲を見渡したが、やはり人の姿はなかった。
「2人の男は、互いの信念をぶつけ合った!1人は温情に重きを置き、1人は論理に重きを置いていた!」
女は嬉しそうにそう言うと、大きく笑った。
「片や故郷を守れなかった後悔から感情に重きを置く横山隼人!片や両親に愛されなかったことから情を信じず、論理に重きを置く鈴木狼介!この2人の対立は面白いものではあったが…これ以上は中だるみになる。物語を動かすとしよう!」
女が嬉々とした声をあげると、隼人と狼介の周りの影がひとりでに動き出し、人の形を作る。あっという間に隼人と狼介は人型の敵に取り囲まれてしまった。
影の化け物たちは、金切り声にも似た奇声を上げる。瞬間、2人の男の目は一気に鋭くなった。
「駆けるぞ!」
狼介がそう言うと、針金に集めていた電流を正面の化け物に放つ。化け物の体は電流によって引き裂かれ、そのまま消滅した。
隼人は少女を抱きかかえながら狼介の拓いた道を走る。化け物たちが左右から隼人に襲い掛かるが、隼人はそれをすんなりと避けると、2人が入った扉のあったところに戻ってきた。
しかし、扉の先の景色は先ほどとは打って変わって違っていた。
足元には青い湖が広がり、数人しか乗れないゴンドラのようなものが正面から遥か遠くへと伸びていた。ただし、ゴンドラと水面にはかなりの距離があり、落ちればひとたまりもないだろう。
敵をいなしてきた狼介も隼人と合流する。
「なんだこりゃ…!?」
「仕方ない、乗り込むぞ!」
一瞬ためらった狼介と隼人だったが、覚悟を決めてゴンドラへ飛び乗る。狼介が背後から迫る影の化け物たちに電撃を放って時間を稼ぐと、隼人はゴンドラに取り付けられていた謎のハンドルを回し始めた。
ゴンドラが2人のいた場所からゆっくりと離れていく。影の化け物たちは距離を離されないようにゴンドラに飛び移ろうとしたが、やはり狼介の電流で撃ち抜かれ、その場に塵となって消えていった。
ゴンドラに速度がついてくる。そのうち隼人がハンドルを回さずとも、ゴンドラは加速していき、影の化け物たちも追えないほどまで離れていった。
「ふぅー、なんとかなったぜ」
狼介はひと息つきながら腰を下ろす。隼人も安堵のため息をつきながら、目下から延々と広がる青い湖を見渡していた。
「すまんな狼介。なし崩し的にこの子も連れてきてしまった」
隼人は自分の横で目を閉じている少女を指して言う。狼介は小さく笑った。
「ま、しょーがねぇか」
狼介がそう言って眼鏡をかけ直すと、少女がゆっくりと体を起こした。
「…んっ」
隼人と狼介は警戒を強めながら少女の方に視線をやる。少女はそれを気にせず、頭を少し振った。
「…目が覚めたようだな」
隼人が言うと、少女は隼人の低い声に驚いてその場から飛び退く。勢いそのままゴンドラから落ちそうだったが、狼介が彼女の背中を支えた。
「おいおい、危ないぞ」
少女は狼介の方を見て、距離を取るように後ずさる。隼人と狼介は不安そうに目を合わせて、意思疎通を交わすと、隼人が少女に話しかけた。
「俺は隼人。こっちは狼介。軍人だ。君の名前は?」
隼人に尋ねられると、不安そうに周囲を見回してから少女はか細く答えた。
「…良子」
少女の答えに、隼人と狼介は再び目線を交わす。
「やっぱりそうだ…この子は俺たちをここに閉じ込めた良野先生と同一人物なんだ」
狼介は呟く。隼人も目を細めて目の前の少女を見ていた。
瞬間、少女は頭を抑えて悶え苦しみ始める。隼人はすぐに少女に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「歯車…!」
少女は苦しみながら声を上げる。隼人は少女に尋ね返した。
「なんだって?」
「歯車を…壊して…!私を…ここから出して…!」
少女は叫ぶと、意識を失う。その場に倒れた少女を、隼人は抱き上げた。
「おい、しっかりするんだ!」
隼人が呼びかけても、少女は意識を失ったままだった。狼介は隼人に歩み寄ると、隼人を止めた。
「やめろ隼人。やっぱりその子は敵なんだ。この子を攻撃すれば…多少なりと良野先生にもダメージが入るはずだ」
狼介の非情な言葉に、隼人は鋭く狼介を睨む。
瞬間、意識を失っていたはずの少女は高笑いをあげ始めた。
「合理的だな!鈴木狼介!貴様には人としての優しさが欠落している!」
少女が目を見開き、隼人の腕から離れて立ち上がる。彼女の目は先ほど見せた人間とは思えない青白い輝きを再び放っていた。
「やはり両親の影響か?」
少女がそう言うと、狼介は一気に目を鋭くして言葉を返した。
「黙れ…!」
「お前の両親は動物の研究家だったそうだな。自分の子供も顧みず、日夜研究に明け暮れ、お前の顔すらも覚えていなかったそうじゃないか!」
狼介は少女の胸ぐらに掴みかかる。そのままいつでも湖に投げ捨てられるようにしていたが、それを隼人が止めた。しかし少女は話を続けた。
「そんなお前が愛情や優しさ、人間の感情を理解できるはずはないよな!信じるものは金と力と論理だけ!自分に力があれば優しくされると思って名誉を欲している!でも本当は、誰よりも他人の優しさに飢えているんだ!」
「遺言はそれだけか小娘…!」
「待つんだ狼介!」
狼介は怒りに任せて少女を投げようとするが、隼人がそれを止める。瞬間、少女は再び意識を失った。
隼人は狼介から少女をひったくるように奪う。そして気絶した少女を横にすると、隼人に背を向ける狼介に声をかけた。
「…お前の過去は俺には想像もつかん。だが、それはこの子を殺していい理由にはならないだろう」
隼人の言葉に、狼介はしばらく沈黙する。隼人はそのまま続けた。
「この子は助けを求めてる。なら、助けようじゃないか。優しさは、誰かに優しくして初めて感じられるものだと、俺は思う」
隼人に言われると、狼介は諦めたようにため息をついた。
「…余計なお世話だ」
狼介はそう言って振り向く。そして、隼人がニヤリと笑ったのと同時に、狼介もニヤリと笑い返した。
そんな時、狼介が少女の方に目をやると、少女のすぐ近くから影が現れ、その中から影の化け物が現れた。
「おい!」
狼介が声を張る。それを気にせず、化け物は少女を掴み、影へ引きずりこもうとし始めた。
目を覚ました少女は、目の前の事態に悲鳴を上げた。
「助けて!!誰か!!」
すぐに狼介が少女を掴む化け物の腕を電撃で貫く。そのまま隼人が化け物の頭を踏み抜きながら少女を救い出し、安全な場所に少女を置いた。
それも束の間、何もいなかったはずのゴンドラに、続々と影の化け物たちが湧いてくる。隼人と狼介は、少女を背後に回し、化け物たちと正面から向き合った。
「2人の騎士よ!物語は幕を引く時が来た!ここで果てるがいい!」
どこからか女の声が響く。しかし、隼人も狼介も怯む様子は全くなかった。
「面白いのはここからさ、なぁ隼人」
「あぁ、作家先生に教えてやろう」
化け物が2匹、隼人に襲い掛かる。狼介がそれを前転して回避し、隼人はその攻撃を両腕で受け止めた。
「どんな運命も変えられるってな」
隼人はその化け物2匹をまとめて湖へ放り投げた。
そんな隼人の背後で、狼介も2匹の化け物を相手にする。
だが、狼介は敵の攻撃を全て得意の身軽な動きでかわしていた。
狼介が化け物に挟まれる。
2匹の化け物が狼介に突きを放った瞬間、狼介は天高く跳び、化け物はお互いに同士討ちをして消え去っていった。
「ハッピーエンドは自力で書かせてもらう」
狼介は着地するなり眼鏡をかけ直して言う。すでに化け物たちは全滅していた。
一方の良子は、自分の目の前にあるタイプライターが勝手に物語を描いていることに驚きを隠せないでいた。
「そんな…!何が起きているの…!」
良子の思いをよそに、タイプライターは目の前の紙に淡々と文字を並べた。
「『騎士たちは塔を往く。頂を目指し、少女を救わんがため』」
「ダメ!そんな展開許さない!絶対に、こんなもの!バッドエンドで終わらせてやる!」
隼人と狼介は、少女を連れながらゴンドラのたどり着いた塔の螺旋階段を登っていた。
「歯車はこの上…お願い、壊して…!」
少女は隼人と狼介の少し前を歩きながら言う。2人はいよいよ終盤に差し掛かったのだと思うと改めて気を引き締めた。
「にしても歯車ってのはなんなんだろうな。この子はさっきからずっと歯車のことを言ってる。よっぽど重要なものなんだとは思うが」
狼介は考えながら隼人に尋ねる。しかし、隼人にもやはりわからなかった。
「その疑問に答えてやろう」
そう言ったのは、先ほどまでから聞こえていた女の声だった。2人が身構えると、螺旋階段の上に黒いローブを全身に羽織った何者かが、巨大な鎌を携えて立っていた。
「歯車はこの城のカラクリ…それさえ壊せば貴様らはこの城から出ることもできるだろう」
黒いローブの人間が隼人と狼介に言う。その声を聞き、2人は目の前の人間が今まで2人を煽っていた女なのだと察した。
「だが、そうはさせない。貴様らの物語も、ここが終着点だ!」
黒いローブの女は、そう叫び、左手を前に出す。彼女の指揮により、振り切ったはずの影の化け物たちが隼人と狼介を挟むように地面から湧いてきた。
「どうしよう…!」
少女が隼人の影に隠れながら絶望にも似た声をあげる。だが、隼人と狼介は短く目線を交わし、作戦を決めた。
「走るぞ!」
隼人は少女をお姫様抱っこの様な形にして抱きかかえながら階段を駆け上がる。狼介はその少し前を走りながら、電撃で襲いかかってくる影の化け物たちを撃ち抜いていく。
「ええい逃すものか!」
影の化け物たちの間をすり抜けた隼人に向け、黒いローブの女は隼人の首を目がけて鎌を振るう。
しかし隼人は難なくしゃがんでそれをくぐり抜け、黒いローブの女の横を通り過ぎた。
「何!?」
ローブの女は隼人の背中に鎌を振り下ろそうとしたが、そんな女の頭を踏みつけて狼介は敵を飛び越え、隼人と合流して階段を駆け上っていく。
「おのれ…!逃すな!」
ローブの女が指示を出すと、影の化け物たちは隼人と狼介を追って走る。
一方の隼人と狼介は最上階に来ると、多くの歯車が噛み合っている謎の機械を見つけた。
「おいおいどれも歯車じゃないか。どれだ!?」
狼介に尋ねられると、少女は天井に一番近い、一つだけ金色の歯車を指差した。
「あれ!」
「なるほど!」
狼介は少女の指示を受けると、針金に電撃を溜め始める。一際大きなその歯車を壊すには、強力な電撃が必要そうだった。
隼人はその間に、背後から迫ってくる影の化け物たちに気づいた。
抱きかかえていた少女を安全な場所に立たせると、階段の上に仁王立ちになり、化け物たちを待ち構えた。
「危ない!」
少女が叫ぶ。化け物たちは隼人に飛びかかった。
「おじさん!」
少女の叫びも虚しく、化け物たちに覆いかぶさられた隼人の姿は見えなくなる。
「大丈夫だ!」
そんな化け物たちの底から、隼人の声が聞こえる。次の瞬間、隼人は化け物たちを跳ね返しながら立ち上がり、全て階段の下へと投げ飛ばした。
「筋力は全て解決するのさ」
隼人は手をはたくと、階段下へ落ちていく化け物たちの姿を見下ろした。
同じ頃、狼介は電撃を放つ。蒼い光が金色の歯車を撃ち抜き、歯車は粉々になって消えていった。
轟音を立てて壊していない歯車が動き出す。
「…!!」
黒いローブの女は絶望した様に周囲を見る。すぐそこの窓から見える城門は、ゆっくりと開きつつあった。
門が開いていくのと同時に、影の化け物たちは金切り声を上げながら消滅していく。
上にいた隼人と狼介も、窓から外を見て門が開いたのを確認する。
「よし、あと少しだ」
そう呟いた隼人の背後から、少女の悲鳴が聞こえた。
2人が急いで振り向くと、黒いローブの女が少女へと鎌を振り上げていた。
「やめろ!」
狼介は咄嗟に電流をローブの女に向けて放ち、鎌を落とさせる。同時に隼人はローブの女にタックルしてから少女を救い出した。
ローブの女は姿勢を崩す。そのまま彼女が被っていたフードが外れた。
ローブの女が顔をあげると、それはやはり良子の顔をしていた。
「良野先生…!」
狼介はその顔を見て声をあげる。
良子は目に涙を浮かべながら隼人と狼介の方にゆっくりと寄ってきた。
「どうして俺たちにこんなことをしたんだ」
狼介が良子に尋ねる。良子は泣きながら話し始めた。
「…魅神に心を操られてた…あの歯車で…あなたたちを殺すように指示を受けてたから…」
「あの男、そんな能力も持っていたのか」
「でも…それだけじゃないの…」
隼人の呟きに、良子はその場に膝崩れになりながら話し続けた。
「私は…魅神の作る世界の方がいいと思った…!今の私は、書きたいものも書けない三流作家…!だったら、いっそのこと魅神に従って、魅神の作る世界に生きる方がいいと思った…!」
狼介は良子の言葉に、複雑な表情で俯く。それを気にせず、良子は話し続けた。
「人生は悲惨なことばっかり…!いつも想像よりひどいことばっかり起きる…!だったら…魅神の世界で心も殺して生きてた方がずっと楽だと思ってた…!」
「なるほど、この少女はあなた自身の心なのか」
隼人は自分の隣に立つ少女を見ながら呟く。少女はじっと泣き崩れている良子を見下ろしていた。
「もういっそのこと殺して…!こんな何も希望のない世界で、私は生きていけない…!」
そう叫ぶ良子を見て、隼人は静かに尋ねた。
「本当にそう思っているのだろうか」
「…そうに決まってるじゃない」
「だが、この子はこの城の外へ出たがっていた。歯車を壊したがっていた。この子があなたの心だとしたら、それが本音じゃないのか」
隼人は少女を見ながら良子に言う。良子は首を横に振った。
「だとしても、生きていたってなんの希望もない…!書きたい物語も描けない、必死に全部を耐えなきゃいけない人生に…!」
「違うと思う」
狼介はしゃがみ込みながら、良子に手を差し伸べた。
「俺の好きな作品は、あなたの書きたかったものじゃないかもしれない。でも、俺はあなたの作品から希望をもらった。今まで感じたことがなかった、他人からの優しさをあなたの作品から感じ取ったんだ。だから俺は辛いことも耐えれた」
狼介の言葉に、良子は思わず顔をあげる。絶望の涙は、どこか温かいものに変わっていた。
少女も、しゃがんで良子に手を差し伸べた。
「本当はわかってるんでしょ?あの街を生き延びた時から。希望は、常にあるって」
少女はそう言って微笑む。良子は、その姿を見て、もう一度涙ぐんでいた。
隼人も同じように手を差し伸べる。
「行こう」
良子は顔をあげる。涙でくしゃくしゃになった顔を、笑顔に変えて、良子は隼人と狼介の手を握った。
気がつくと隼人と狼介は元のホテルに戻ってきていた。
「ここは…」
「元のホテルですよ」
戸惑う隼人と狼介に、そこに座っていた良子が微笑みながら2人にそう呟いた。隼人と狼介は警戒したが、良子は笑顔を見せながら話し続けた。
「もうあなたたちに攻撃はしません。魅神に埋め込まれた歯車も無くなりましたから」
そんなふうに話しながら笑う良子の姿は、今までの良子とは違う憑き物が落ちたような表情をしていた。
「本当に感謝してます。あなたたちのおかげで、もっと前向きに生きてみようって思えました」
良子はそう言いながらタイプライターをしまう。隼人と狼介は一瞬目を合わせたあと、微笑んだ。
「鈴木さん」
良子は狼介の方を見て声をかける。狼介が向き直ると、良子は少し恥ずかしそうにしながら質問した。
「今度、『神在月』の新作を出そうと思うんです。読んでいただけますか?」
狼介はそれを聞くと、満面の笑みで頷いた。
「えぇ、是非!」
3人は穏やかに微笑む。その空間には、希望だけが満ちていた。
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次回もお楽しみいただけると幸いです
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