32.死神
残酷な描写が含まれています
苦手な方はご注意ください
5月6日 21:00
数馬と陽子は数馬の家にやってきた。陽子はオレンジのスーツケースを数馬の家の狭い玄関に置くと、数馬の後に従って自分も靴を脱いだ。
「右がトイレ、左が風呂」
数馬は手短に陽子に自分の家の間取りを説明する。陽子も家に上がり、リビングまで来るとその中を見回した。
「奥の1部屋は物置だから。今後は俺の寝室だけど。陽子はそこにあるベッド使って」
「は、はい」
「食べられないものある?」
「あんまりないです」
「わかった。とりあえずお風呂入っちゃって。明日も仕事だろ?早く寝なよ」
数馬の言葉は淡々としていた。いつもの明るい喋り口調ではなく、感情を抑えたような言葉に、陽子は少し気まずそうにしながら返事をした。
陽子はリビングでスーツケースを開けると、その中から入浴用のセットを取り出した。
「それじゃあ、お風呂もらいますね」
陽子は遠慮がちにそう言うと、逃げるようにして風呂場へと立ち去った。
1人残された数馬は部屋を片付け始める。ズキズキと痛む後頭部をさすりながら、数馬は静かにため息をついていた。
「…どうしたもんかなぁ」
シャワーを浴び、ボブカットにした黒髪をシャンプーで洗う陽子も、同じようなことを考えていた。
(これから先、どうすればいいんだろう)
鏡に映る自分の顔を見る。殴られたところの腫れは小さくなっていたが、わずかにまだ赤くなっていた。
陽子が風呂から出ると、数馬は台所で軽く料理をしていた。
「お風呂、空きました」
「わかった」
陽子は遠慮がちに数馬に言う。数馬の返事を聞くと、陽子はゆっくりとリビングの食卓の席に着いた。
「親子丼でいい?」
「はい」
台所から聞こえる数馬の質問に、陽子は大人しく答える。数馬はそれを聞くと、すでに出来上がっていた親子丼の具を、どんぶり一杯分に盛ってある米の上に載せた。
それをふたつ用意すると、それぞれの手に持って食卓に並べる。
「割り箸でいい?」
「あ、お箸持ってきました」
陽子はそう言うと、スーツケースから箸セットを取り出す。数馬はそれをみて頷くと、陽子と向かい合うように座った。
「しょっぱいかもしれないけど、どうぞ召し上がれ」
「はい、いただきます」
数馬に言われると、陽子は遠慮がちに会釈してから親子丼に箸をつける。陽子はそのまま数馬の作った親子丼の鶏肉を口に運んだ。
「...美味しいです」
「よかった」
陽子が和やかな表情を見せると、数馬も静かに微笑んだ。
しかし、すぐさま気まずい沈黙が2人を包む。それを2人にはどうすることもできず、黙々と親子丼を食べていた。
会話もなく、淡々と食事するだけなので、数分のうちに2人のどんぶりは空になっていた。
「ごちそうさまでした」
陽子は食べ終えるとそう言って頭を下げる。そのまま陽子は立ち上がると、数馬の空になったどんぶりと自分のどんぶりを手に取った。
「洗い物、やっときます」
「いや俺がやっとくよ」
「お願いだから、やらせて」
陽子を止めようとする数馬に、陽子は強く言う。数馬の表情の変化を見て、陽子は俯きながら言葉を続けた。
「…助けてもらって、家にも泊めてもらって、それなのに何もしないのは苦しいの…だから、せめてこのくらいは…」
陽子の言葉に、数馬も納得したようだった。
「わかった。じゃあ、せめて分担を決めよう」
数馬の言葉に、陽子は目を見開く。数馬は少しニヤリとするとそのまま続けた。
「これから俺たちは共同生活をするわけだ。しかも俺も陽子も仕事がある。だったら分担を決めたほうがいいだろ?」
「…そうだね」
「じゃあ、洗い物は任せた。料理はできる?」
「人並みには…」
「じゃあ料理は余裕がある方が作ろう。買い物は任せてくれ。洗濯もやっとく。他なんかあったかな…」
「掃除」
「あぁ、俺まじでできないから頼むわ。トイレ掃除はやるけど」
「ちゃんとやります。そこは気を使わなくていいですから」
数馬に対し、陽子は距離がある言い方で言う。数馬はそれに対して穏やかに微笑んで頷いた。
「わかった。洗い物、頼むよ。洗剤は好きに使っていい」
「はい」
「洗い物終わったら、早く寝なよ」
数馬はそう言って席を立つ。寝室へ向けて歩く数馬の背中に、陽子は慌てて声をかけた。
「数馬」
数馬は呼び止められて足を止める。
振り向くと、陽子はしおらしく頭を下げた。
「助けてくれてありがとう」
「こちらこそ。命を救ってくれてありがとう」
数馬と陽子はそう言ってお互いに小さく微笑み合う。根本的なわだかまりは何も解決していないが、2人は確かに少しずつ溝を埋めつつあった。
翌朝 5月7日 9:30 波多野オフィス
波多野は目の前に立つ和久から受け取った報告書を見て、顔にある自分の古傷を指でなぞっていた。
「人並み外れた筋力に、金属製の棒による殴打をものともしない異常な耐久性を持った人間、か…」
「はい。彼らの中でも主犯格である魅神暁広、この男が武田さんを殺したとみて間違いないかと」
波多野の呟きに、和久が付け加える。波多野は目を細めると、何かを察したように報告書を置いた。
「わかった。引き続きJIOに調査を続行させてくれ。何か分かり次第逐一報告させること」
「了解しました」
「35分になったら一度席を外していてくれ。個人的に電話をしたいところがある」
波多野に命令されて、和久は素直に従う。和久が自分の席に戻ろうとしたその時、波多野が思い出したように和久を呼び止めた。
「あぁそうだ堀口、来週の公開閣僚食事会、参加するか?お前の親父殿にも久々に会えるぞ」
波多野が言うと、和久は穏やかに微笑んでから頷いた。
「はい、是非」
「わかった。出席で連絡しておく。時間だ、外してくれ」
波多野が話題を打ち切ると、和久は足早に部屋を出る。和久がいなくなったのを確認してから、波多野は引き出しの中にしまってあった電話を取り出した。
「波多野だ。龍観基地に繋いでくれ」
同日 15:00 虚山
暁広たちが寝泊まりする虚山内部の洋館に、1人の政治家と秘書がやってきた。心音が玄関先までやってきて扉を開けると、肥満体で背の低い老人と、痩せ型で背の高い若い男が立っていた。
「お待ちしてました。どうぞ中へ」
心音がそう言って2人を中へ招く。そのまま心音は2人を暁広たちが待機している居間へ案内した。
「トッシー」
心音が暁広に声をかけると、中にいた暁広、圭輝、浩助、茜の4人が立ち上がる。その4人の前に政治家が現れると、政治家は手近な椅子に腰掛けた。
「紹介するわ。私の叔父、赤葉早蕨環境大臣よ。我々のスポンサーであり、この洋館の本当のオーナー」
心音がそう紹介すると、早蕨は満足そうに頷く。暁広たちは一応の立場上、丁寧に頭を下げた。
「君たちが龍人とやらの力を手に入れた人たちだね?」
「はい、そうです」
「ほほほ、そうかね。それじゃあその力とやらを使って、せいぜい首相を消してくれたまえよ。そうすれば次は私が首相になる。君たちとは利害が一致しているわけだ」
早蕨は自分の手を揉みながら静かに笑う。暁広は自分達をどこか見下している早蕨にムッとしながら、それを隠すように会話を続けた。
「大臣も目指す世界があるから首相になりたいのでしょう」
「私は権力が欲しいだけだ。そのついでにあの男を消せれば嬉しい。それだけのこと」
早蕨には何の信念もなかった。このような男に自分達が使われるのは腹立たしくてならなかったが、暁広は怒りを堪えた。
「ところで、私の送った資料では、こんな少人数で首相を暗殺できるとは書いてなかったはずなのだがね」
早蕨は目の前にいる4人を品定めするように見ながら言う。すぐに暁広は答えた。
「他の主要な仲間は我々の本拠点に一度戻っています。それと、暗殺に使う人間たちは違うところに着々と集めておりますので」
「そうかそうか。くれぐれも上手くやってくれたまえよ」
暁広の言葉に、早蕨は満足そうに笑って立ち上がる。
「それでは失礼するよ。お招きいただき、どうもありがとう。手厚い歓迎、恐縮だった」
早蕨はそう嫌味を言うと、秘書の若い男を連れて立ち去る。
同時に、暁広は持っていた通信機に命令した。
「桃、出番だ」
早蕨はそれに気づかずに建物を出る。
そんな早蕨の後ろから、草むらに潜んでいた桃が一気に近寄る。気づいた早蕨と彼の秘書は慌てて振り向いたが、それを無視して桃は2人を蹴り倒した。
桃の右手に握られている拳銃(オートマグlll)に気がついた早蕨は恐怖を覚えた。
「おい、何をする気だ…!」
桃はそれに答えず、拳銃を構える。早蕨は恐怖で目をつぶった。
銃声が3度鳴り響く。
次の瞬間、草むらから風穴の空いた死体が3つ出てきた。
早蕨は目を開ける。同時に、3つの死体に気づき、息を飲んだ。
「ひっ…」
「どうやらJIOに監視されていたようですね」
早蕨の背後から暁広の声がする。早蕨が振り向くと、暁広が死体を見下ろしていた。
「…これが狙いか…私を呼んだのは」
「油断なさらないように、大臣」
暁広は嫌味のように言うと、早蕨に手を伸ばし、立たせる。
「くそっ、波多野め…」
「気をつけてくださいね?」
暁広がさらに嫌味を言う。早蕨は暁広を睨みつけると、そのままその場を立ち去った。
同じ頃 国防軍灯島駐屯地
訓練生たちがランニングの基礎訓練に勤しむ。
数馬も例外ではなく、先日の離島訓練で親交を深めた永戸、桜木、塚崎、石原と共に雑談を交わしながら走っていた。
「先輩、来週の警備訓練ってなんなんすか?」
永戸が数馬に尋ねると、数馬は一瞬考え、思い出したように呟いた。
「あぁ、閣僚の公開食事会の警備のことか」
「自守党が政権をとり、荒浜内閣が組閣してからずっと行われている食事会ですね。簡単に言えば、国民にどういった閣僚がいるのかをアピールするためのパフォーマンスであり、自守党の力を見せつけることでもある」
「湘堂の事件のあと、本当に一気に変わりましたよね。保守派の新党が出てきて、当時の与党の保守派の人間が一気にそこに合流し、あっという間に議席を取ってスパイ防止法の制定に憲法改正。これが急ピッチで行われたのは、外国の人間が日本でテロを主導したってことがすごい衝撃だったんでしょうね」
塚崎の言葉に桜木も知っていることを述べる。数馬は表情を少し曇らせると、あぁ、とだけ答えた。
「それで、来週の警備にあたって、何か注意しておくことはありますか?」
石原が数馬の前を走りながら尋ねる。数馬は少し唸り声を上げながら考えをまとめた。
「特にないかな」
「本当ですか?」
「まぁ、強いて言うなら訓練生の半分しか参加しないから、ここで頑張っても特に何もない、ってことくらいかな」
数馬が言うと、他の4人は納得したように頷く。
「だからって気を抜くなよ?何が起きても不思議じゃないのがこの世の中だからな」
「先輩に彼女ができるとか?」
「んだとコラァ?」
数馬がふざけて怒った演技をすると、他の4人はそのあまりの下手さに笑い出す。数馬も自分のギャグがウケたことに安心すると、再び4人と足並みをそろえて走り出した。
同日 19:00 数馬の自宅
陽子は仕事を終えると、誰もいない数馬の自宅に帰ってきた。
「ただいま…」
どこか落ち着かない空気感で、陽子は靴を脱ぎ、揃える。
「…いない?」
陽子は改めてリビングの方に声をかける。しかし数馬の返事はなかった。
それでも数馬がいるかもしれないと考えた陽子は、数馬の寝室の扉を開けた。だがやはり電気もついてなければ、数馬の気配もなかった。
「…いないか」
陽子はそう呟いて立ち去ろうとする。その彼女の足元に、丸まった紙屑があるのに気づいた。
「…掃除できないの本当なんだ」
陽子はそう呟くと、紙屑を拾い上げ、数馬の寝室の明かりをつける。
「ゴミ箱は…」
陽子はそう呟きながら部屋の中を見回す。布団が乱雑に置かれており、ゲーム機やモニターも雑に置かれ、改めて数馬が整理できない人間だと言うのを認識していた。
だが、陽子にとってそれ以上に大切なものが目の前に敷かれている布団の枕元の壁に貼られていることに気づいた。
「これって…」
陽子は紙屑をゴミ箱に投げ入れると、床に手と膝をついて壁に貼られているものを見る。丁寧に透明なビニールで保護されていたその絵は、陽子自身が11年前に数馬に描いて渡したものだった。
「なんで…?私の描いた絵をこんな大事に…」
陽子が疑問を抱くが、それを考えさせる暇もなくインターホンが鳴る。陽子は慌てて数馬の寝室から出てインターホンのモニターに映る玄関の映像を見た。
「マリだよー!」
玄関先から声が聞こえてくる。モニターに映るマリは、エプロンに三角巾を被り、大きな鍋を持っていた。
陽子はそれを確認すると、玄関の扉を開ける。同時に、目の前に立つマリの持つ鍋からカレーの食欲をそそる匂いが陽子の鼻をついた。
「こんばんは!カレー作ったから、よければ一緒にどう?」
マリは明るい笑顔で陽子に笑いかける。陽子は一瞬戸惑ったが、マリの勢いに負けるような形でマリを家に招き入れた。
「お米ある?なければ持ってくるけど?」
「大丈夫、昨日の残りがあるみたい」
マリと陽子は台所に入り、鍋を置きながらそんな会話を交わす。陽子は冷蔵庫の中からタッパーに入った米を取り出し、マリに見せた。
「足りないよぉ!男の人って結構食べるんだよ?」
「え、そうなの?」
「そうだよぉ。しかもあの人たち自衛官だから。ちょっと待って、お米もウチから持ってくるから」
マリはそう言って数馬の家の台所を後にすると、素早く自分の家から米の入った釜を持ってくる。女性2人で食べるには多すぎる量だったが、数馬と佐ノ介の分も考えると、確かに十分そうだった。
「じゃあ、先にいただいちゃおう?」
マリはそう言いながら皿に米を盛り付け、その上にカレーを載せて陽子に手渡す。陽子が受け取ったのを見て、マリは自分の分も素早く盛り付けると、リビングの隅においてあった椅子を食卓に持ってきてそこに座る。陽子もマリと向かい合うように座ると、遠慮がちに、いただきますと頭を下げた。
「マリはすごいね。警官もやって、立派に奥さんもやってる」
陽子はカレーを食べながらふと呟く。マリは不思議そうに陽子の顔を見た。
「どうしたの急に?」
「…私は、数馬に2回助けられた。でも、一度は彼を人殺しって罵った。それでも彼は私を助けてくれた。そんな彼に、私は何もできてない…マリを見てると、そう思っちゃって…」
陽子は暗い表情で俯く。陽子が悩む姿を見て、マリは穏やかに微笑んだ。
「今はそれでもいいんだよ」
マリの言葉に、陽子は顔を上げる。マリはカレーを食べながら話し続ける。
「私だって、料理できるようになるまでは佐ノくんに迷惑かけてたし。それに…湘堂から逃げる時だって、佐ノくんに何度も助けられた。何度も迷惑をかけたのに、その度に佐ノくんは許してくれた」
「いい人なのね」
「そうなの!だから、そんな佐ノくんにいい思いをしてほしいと思って、いろんなことをいっぱい学んだの。それが私にできる恩返しだと思ってね。お料理もそのひとつ」
マリが穏やかに語る姿を見て、陽子は自分に置き換えて考える。そんな陽子の姿を、マリも穏やかに見守っていた。
「おい、佐ノ、今日はカレーらしいぜ」
「この匂いはマリのだな。訓練頑張った甲斐があったぜ」
玄関の外から数馬と佐ノ介の声が聞こえてくる。マリはそれにニヤリとすると、陽子の手を取って立ち上がった。
「じゃあまずは、明るく挨拶から!」
「え、いやどういう」
「ほら、とにかく!」
マリは陽子を立たせる。戸惑う陽子をよそに、マリと陽子は玄関に向いた。
玄関が開くと、マリは大きく息を吸って声を発した。
「おかえりなさーい!」
マリの声に、数馬も陽子も驚く。陽子は戸惑いを隠せずマリに尋ねた。
「ほら、陽子も」
「えぇ!?あぁ…お、お帰りなさい!」
陽子は半ば自暴自棄になって声を張る。数馬も戸惑いながら会釈した。
「お、なんだ、マリこっちにいたのか」
数馬の後ろから佐ノ介も現れる。
「おかえり〜佐ノくん!!!」
マリは先ほどよりも明るく声を出す。佐ノ介も数馬の後ろからマリに手を振った。
そんなことよりも戸惑う陽子はマリの服の袖を引っ張り恥ずかしそうにマリの耳元で囁いた。
「どういうことなのマリ?こんなの恥ずかしいよ!」
「数馬に少しでも恩返ししたいんでしょ?だったら少しでも明るくしてたほうがいいと思うよ」
陽子の言葉に、マリは静かに答える。マリの言葉に陽子も考えたが、それを気にせずマリは数馬の横をすり抜けて佐ノ介の胸元に自分の顔を埋めていた。
そのまま数馬と陽子の目を気にせずイチャイチャし始める佐ノ介とマリの姿を見て、数馬と陽子は気まずそうに微笑み、食卓へ戻っていった。
1週間後 5月14日 朝8:30 虚山洋館
暁広と浩助と圭輝は、洋館の一室で武装を整えていた。それぞれの得物の銃器を斜め掛けにし、腰には無数の予備弾倉を用意したベルトを身につけていた。
そんな3人のいる部屋の入り口がノックされる。3人が目線を送ると、スーツ姿の昌翔が入り口から現れた。
「暁広、準備は良さそうだな」
昌翔の言葉に、暁広はショットガンの調子を確認しながら答える。
「昌翔、そっちは」
「支鮮華からのスパイも合わせてざっと100人だな。足りないか?」
「十分だ」
暁広の自信に満ちた表情を見て、昌翔も思わずニヤリと笑う。そのまま昌翔は暁広たちが準備する姿を眺めつつ呟いていた。
「荒浜たちを暗殺し、赤葉を強引に首相にして、影から赤葉を操って日本を龍人の拠点にする。こうして口にしてみると壮大だな」
「これは通過点だ。いずれは全人類を龍人にする。そうなって初めて、平和な地球が生まれるんだ」
暁広は右手を握りしめながら答える。彼の瞳には、確かに強い意志が宿っていた。昌翔はそれを見て、軽く暁広の肩を叩いた。
「それで、手順は大丈夫なのか?」
「あぁ。JIOの女を1人手駒にした。それに心音もいる。警備情報は筒抜けさ。言ってるお前は?」
「お望みのものはしっかり用意した。お国の金でな」
昌翔は皮肉っぽく笑う。彼の運営している企業は、国から多くの支援を受けていたが、彼はそれを全て暁広たちのために横流ししていたのだった。
「ありがとう」
暁広が礼を言う。昌翔はそれに対し、ニヤリと笑うだけだった。
同日 11:00 灯京都
閣僚たちやその関係者は公開食事会のため、老舗の大型レストラン「さみだれ」にやってきていた。今日のこのイベントのために、多くの新聞社の車両や、警備を担当する国防軍の車両が周囲に停車していた。
一階建てながらも多くの客を収容できるこのレストランの店内は、現在多くのスタッフが忙しく駆け回っていた。
数馬は、その様子を桜木たち後輩4人と共に見守っていた。彼らが今立っているのは、レストランの入り口とレストランの食事会場をつなぐ20mほどの通路の脇である。
「にしてもお前ら、アタリだったな。レストランの中は冷房が利いてる。この陽気で外だったら悲惨だったぜ?」
「おしゃべりしてないで仕事してください」
数馬が隣の永戸に話しかけると、石原が小言のように数馬を注意する。数馬はそれを聞いて、わかりました、とふてくされたように答えた。
そのまま彼らが食事会場へ流れていく多くのスタッフを見送っていると、そのスタッフの中にいた和久が数馬に気づき、一緒にいた雄三と雅紀を連れて数馬の方へ歩み寄った。
「よう、警備ご苦労様です」
数馬は和久に挨拶され、初めて目の前の3人の存在に気がついた。
「おう、和久に雅紀に雄三か。和久はともかく雅紀と雄三は何やってんだ?」
数馬はスーツ姿の雄三と、荷物を多く持った雅紀を見て尋ねる。はじめに答えたのは雄三だった。
「手品をやりに来た。どうやら大衆向けの余興らしい」
雄三はどこかつまらなさそうに手元のトランプを片手で弄ぶ。わずかな手の動きで、トランプの一番上の札が次々に番号を変えていた。
「ちなみに俺はカメラマン。おっさんよりもグラビアが良かったぜ」
雅紀も同様に嫌そうに背中に回していたカメラを手に持ちながらぼやく。
「じゃあなんで引き受けたのさ」
「金に決まってんだろぉ?」
数馬の質問に対し、雅紀は身も蓋もない回答をする。和久はそれを見て少し頭を抱えると、雄三と雅紀の背中を押した。
「じゃ、警備は頼んだぞ」
和久はそう言って2人を連れていく。雅紀はそれに抵抗しながら石原を口説こうとしたが、和久に連れ去られていった。
「あれ、マジシャンの赤尾雄三と、写真家の相川雅紀ですよね」
3人がいなくなると、塚崎が数馬に尋ねる。数馬は、そうだなとひと言答えた。
「結構な有名人ですよ?知り合いなんですか?」
「マブダチさ」
数馬はそう答えながら、目の前を流れていくスタッフの中に心音を見かけた。彼女は桜と明美を連れて食事会場へと歩いていった。
「先輩?ぼんやりしてどうしました?」
「…いや、なんでもない」
永戸の質問に、数馬は答える。しかし、彼の胸のうちには、どこか拭いきれない不安があった。
11:30
食事会が始まると、数馬たちが見張っている通路の人通りは無くなった。ここにいるのは、数馬たち見張り役の5人のみである。
扉越しに、閣僚たちが談笑する声が聞こえてくる。しかし、ここで見張りを任される数馬たちはニコリともせずに不審な人物が来ないかを見張っていた。
「先輩、この仕事、マジで地味っすね」
数馬の隣に立ち、共に会場への入り口の前に立って見張る永戸が数馬にぼやく。数馬は永戸の方を向かないまま静かに答えた。
「我慢だよ、我慢」
同じ頃 レストランから少し離れたところ
暁広は黒いバンを運転していた。彼の車両の後ろには、同じような車両が3台、暁広から離れないように走っていた。
暁広は車の上に乗せてあるスマホに、合図が来たのを横目で確認すると、車に備え付けてある通信機を手に取った。
「魅神だ。これより作戦を開始する」
暁広はそう言うとハンドルを切る。彼が目指すのは、閣僚たちが食事会をしているレストランである。
彼の目の前に、交通規制をしている警備員たちが現れる。暁広にも見えるように、赤い蛍光棒を横にして高く掲げるが、暁広は逆にアクセルを踏み抜いた。
「突っ込んでくるぞ!!!」
警備員は恐怖から叫ぶ。しかし、それも虚しく暁広の車に跳ね飛ばされ、そのまま後続の車両に轢き潰されることになった。
交通止め用のポールを薙ぎ倒し、高級レストランの前に待機する記者たちの車両に真正面からぶつかって道を開くと、入り口付近に展開していた国防軍の軍人たちの前にバンを止めた。
「こちら正面玄関、異常な動きをする車両が!」
軍人の1人が報告しようとした瞬間だった。
バンの運転席からショットガンの銃弾が、その軍人に直撃した。抵抗する間も無く彼はゆっくりとその場に倒れた。
「敵襲!」
別の軍人が叫ぶ。同時に、彼らは暁広たちを制圧するべく、持っていた小銃(89式小銃)をバンに向けて発砲する。
飛んでくる銃弾に一切怯むことなく、暁広が悠々と運転席から降りる。銃弾は何発も暁広に直撃していたが、やはり暁広は平然としながら、車の前に立ち、国防軍の若者たちを見た。
「悪党に飼い慣らされた愚か者が…」
軍人たちは暁広に銃撃を集中させるが、暁広は怯まない。そんな姿を見て、逆に軍人たちの方が恐怖心を覚え始めた。
銃弾が減り始め弾幕が薄くなっていく。
暁広は真っ直ぐ前を睨んだ。
「蹴散らせ」
暁広の号令と共に、バンから無数の武装した兵士たちが現れる。彼らはバンの影に隠れながら軍人たちへ発砲し始めた。
軍人たちの悲鳴が辺りに響き始める。高級なレストランの看板が血で大きく汚れ始めた。
「撤退!急げ!!」
軍人の中の指揮官が叫ぶ。彼の指示で軍人の多くが入り口まで駆け出すが、逆に銃弾の餌食になったものも多かった。
わずかに数名が建物の中に転がりこむ。しかし、それ以外はすでに銃弾によって息絶えていた。
暁広は右手をあげ、銃撃の停止を指示する。そして顎で後ろの部下たちに指示を出すと、部下たちと合流しに後ろへ歩いていった。
「何があった!?」
傷だらけになって転がり込んできた数名の同僚の姿を見て、桜木は叫びながら駆け寄る。その間に数馬は入り口である木製の背の高い扉を閉めて鍵をかけた。
「テロ集団が…!バンが4台…!武装している…!正面部隊は我々以外はもう…!」
辛うじて生き延びた軍人の1人が状況を伝える。想像を絶する危険な状況に、思わずその場にいた全員が固唾を飲んだ。
「バンが4台って…どんなに少なく見積もっても20人はいるぞ…!」
塚崎は思わず言葉を漏らす。絶望的な状況に、全員が下を向いたが、数馬は違った。
「狼狽えるな」
数馬は静かにそう言うと、指示を始めた。
「一旦全員会場まで下がる。石原、永戸、負傷者を連れて行け。桜木は今から灯島師団に連絡。済んだら塚崎と一緒に会場にいるお偉方の避難誘導だ。いけるな!?」
数馬の指示を聞いて、後輩たちは動き始める。数馬も負傷者の1人の肩を担ぎながら食事会場へと歩き始めた。
同時に桜木が持っていた通信機で自分達の本隊である灯島師団へ連絡を始め、塚崎は会場への扉を開け、そのまま会場内で食事をしている閣僚たちへ叫んだ。
「現在正面玄関からテロリストが来ています!ただいまから避難誘導を致しますので落ち着いて行動してください!繰り返します!落ち着いて行動してください!」
塚崎の声を聞いて一斉に閣僚たちが立ち上がり、それを映していたマスコミ関係者や、そばに控えていたウェイターもどよめき出す。それを気にせず塚崎と桜木は避難誘導のために、落ち着いてくださいと声を張り、率先して裏口への道を誘導し始めた。
「よし、永戸、石原、お前たちもあの2人と行け!ついでに彼も頼む!」
数馬は永戸に負傷者を預ける。両肩に負傷者を担いだ永戸は、そのまま数馬に尋ねた。
「先輩はどうするんです!?」
「ここならやりようがある!お前たちが逃げる時間は作るから任せてくれ!早いとこ裏口の連中と合流するんだ!」
「しかし!」
「行こう、誠司!先輩が大丈夫って言うなら信じよう!?」
数馬を置いていくのを躊躇う永戸に対し、石原が言う。永戸はその声に従い、負傷者を担いで裏口へ歩き始めた。
その様子を見た数馬は、手近なところにあった机を扉の前に置き、簡易的なバリケードを作る。その間にも、ほとんどの関係者たちは会場を脱し、裏口への通路へ入っていったようだった。
ほとんど誰もいなくなった会場の中央で、数馬は机を蹴り倒し、自分の弾よけにする。上に乗っていた豪華な食事が、床に飛び散った。
数馬が倒した机の影にしゃがみ込んだ瞬間だった。
先ほどバリケードを作った扉が、凄まじい音を立てて破られた。
数馬がわずかに頭を上げてみると、車の先端部分が先ほどまで扉だった部分に突き刺さっていた。
「車で突っ込んできやがった…!」
数馬はあまりに大胆な手段をとってくる相手に、小銃を握る手の力を強める。
砂煙の舞う中で、数人の人影がこちらへ走り出しているのが見えた。
数馬は冷静にその影ひとつひとつの動きに注目する。そしてしっかりと狙いをつけると、ゆっくり引き金を引き、1人ずつ敵を撃ち抜き始めた。
「敵がいるようです!」
砂煙で状況がよく見えない中、暁広の部下の1人が報告する。動かせなくなった車の横で、暁広は考えを巡らせた。
「全員逃げていると思ったがな。総員、無理に動くな。煙が消えるまで、一斉に撃て!」
暁広の指示が部下たちに通る。約30名の武装した人間たちは、横並びになって砂煙の中へ銃撃を開始した。
暁広は銃撃に参加せず、自分の手持ちのショットガンの調子を確認する。そのまま暁広は銃声が鳴り止むと、右手を上げた。
砂煙が引き、硝煙も消える。
そこにあったのは、穴だらけになった机だけだった。人の姿は見えない。
そのことに暁広の部下たちが違和感を覚えた瞬間だった。
一列になっていた左端の男へ、赤黒い光を纏った1人の男が殴りかかってきた。
その男の纏う光は、一瞬で殴られた人間を灰へと変えた。
悲鳴を聞いた他の人間たちは、そちらにサブマシンガンを向け、引き金を引く。だがその男は体に纏う赤黒い光で飛んでくる銃弾を全て朽ち果てさせると、持っていた拳銃の引き金を引き、手当たり次第に敵を撃ち殺していた。
暁広の部下たちは暁広の指示を受ける前から仲間たちの救援に走る。だが、暁広はすぐに声を張った。
「下がれ!」
暁広の声を聞き、部下たちはすぐに逃げていく。
暁広は持っていたショットガンを背中に回すと、右手に青白い光を集め、ショットガンを発現させる。そして、その持っていたショットガンでこちらに駆けてくる赤黒い光を纏った男を撃った。
「!!」
撃たれた男は大きく怯み、その場に膝をつきながら拳銃を暁広に向ける。
暁広はその男の顔を見て、意外そうに笑った。
「ほう?こんなところにいたか、重村数馬」
「…魅神暁広…!」
数馬は目の前の男の名前を呼ぶ。そのまま数馬は引き金を引いたが、暁広はわずかに怯んだだけで、銃弾はほとんど効いていないようだった。
「なんだと…!?」
「残念だったな」
暁広はそう言うと、持っていたショットガンの引き金を引く。
数馬は瞬時にそこから飛び退いて銃弾を避けると、持っていた拳銃を腰にしまい、右手に赤黒い光を集め、拳銃を発現させた。
「ほう?」
暁広は感心したように声を上げる。
数馬はそれを無視して拳銃の引き金を引いた。
赤黒い銃弾が暁広の眉間に当たるはずだった。
暁広は前に出ながらそれをかわし、数馬の懐に入った。
(どうやらアイテムでの銃撃をしたその一瞬は、体に纏っていたオーラが消えるようだ)
暁広は冷静に分析すると、数馬のアゴに強力なサマーソルトキックを叩き込んだ。
「グッ…!」
数馬は意識が飛びそうになりながら、空中から暁広を見る。大技を叩き込んだせいで、今なら暁広に数馬の挙動は見えなかった。
精一杯力を込めて意識を保ちながら、数馬は暁広に赤黒い拳銃を向けて引き金を引いた。
赤黒い弾は、暁広の脇腹を掠めた。
「!!」
暁広が膝をついたのと、数馬が地面に叩きつけられたのはほとんど同時だった。
暁広は撃たれた脇腹を触る。龍人になって以来感じたことのない痛みと、自分の血が流れる感触、そして死への恐怖が暁広を襲った。
「どういうことだ…!」
「サマーソルトなんかすっからだよ…!」
数馬はそう言って暁広に拳銃を向ける。暁広はすぐにバックステップで距離を取りながら、ショットガンを牽制で発砲する。数馬に当たりはしなかったが、数馬の動きを止めるのには十分だった。
「この野郎…!」
数馬が暁広を追いかけようとした瞬間、数馬の体の内側から痛みが走る。そのまま数馬は咳き込み始めた。
口から血が溢れ出る。それでも数馬は暁広に拳銃の銃口を向けたままだった。
「待…て…!」
咳き込みながら叫ぶ数馬に、暁広は青白いショットガンで銃撃を浴びせる。数馬は咄嗟に赤黒いオーラで身を守った。
「今日は見逃してやろう。俺の責務は十分果たせた。次会う時には貴様の命はないぞ」
暁広はそう言うと、脇腹を抑えながら数馬に背を向けて去っていく。
数馬はそれを追おうとしたが、暁広の部下たちの銃撃と煙幕によって数馬は身動きが取れなくなり、そのまま暁広たちは消えていった。
誰もいなくなった食事会場で、数馬は1人咳き込む。口から血が溢れるのも止まらないが、数馬は裏口へ逃げていった仲間たちと合流するためにゆっくりと歩き始めた。
同じ頃、桜木と塚崎は裏口を目指す一団の先頭を歩いていた。
「大丈夫です!落ち着いてください!」
塚崎は後ろで怯えるマスコミや閣僚たちに声を張る。同時に、桜木と塚崎は声をひそめて話し始めていた。
「銃声が聞こえてきてる」
「だとしたら俺たちで突破しなきゃな」
彼らは会話を交わしながら、裏口への最後の角へ歩いていく。
目の前に右へ曲がる角が見えたかと思った瞬間、その壁に軍人の死体が叩きつけられた。彼らの目的地である裏口側からの攻撃である。
「挟まれてたか…!」
「全員下がって!急いで!」
塚崎が後ろの一般人たちに指示を出す。同時に、塚崎たちのものではない銃声が聞こえ始めた。
「殺せ殺せ!荒浜は絶対に殺せ!」
裏口側のテログループを率いる圭輝が声を荒げ、銃を発砲する。桜木と塚崎は小銃を撃ちながら後ろへ後ろへと下がっていく。
曲がり角から敵が現れる。辛うじてそれを撃退しながら、桜木と塚崎は後ろの曲がり角まで後退した。
「オーナー!ここ以外に逃げ道はありますか!」
桜木がそこにいた初老の男性に尋ねる。オーナーは短く考えてから答えた。
「厨房から食料搬入エリアに出られます!」
「よし。永戸!石原!」
桜木は永戸と石原を呼ぶ。
「2人はオーナーの案内に従ってみんなを護衛してくれ!」
石原と永戸は不安そうに桜木の顔を見る。すぐに塚崎が銃撃しながら口を挟んだ。
「リーダーの命令だぞ!聞こえないのか!」
「待って、2人はどうするの?」
「後で合流する。頼むから先に行ってくれ!」
石原の問いに桜木は必死になって答える。永戸は息を飲むと、石原の肩に手を置いた。
「行こう」
永戸が言うと、石原も悔しそうに桜木たちに背を向ける。そのまま永戸はオーナーに道案内を頼むと、一団を引き連れて歩き始めた。
桜木と塚崎は2人きりになると、お互いにニヤリと笑った。
「おい桜木、ここで首相たちを逃し切れば、大出世間違いなしだぞ?史上最年少の何になりたい?」
「そうだな、2人で元帥ってのはどうだ?」
桜木の言葉に、2人は笑い合う。
敵の銃声は徐々に大きく、激しくなっていた。
2人の小銃を握る力が強まる。
「…乾坤一擲!」
2人はそう叫ぶと、物陰から躍り出て正面に銃撃を浴びせる。前へ前へ進みながら、向かってくる敵を小銃で撃ち殺していた。
「うおおおおおお!!!」
死を恐れない2人の前進で、多くの敵が倒れていく。
だが、圭輝の銃撃によって、2人の足は止まった。
「うぐぅっ!」
倒れた2人に、圭輝がゆっくり近づく。
まだ息があるようだった。
「馬鹿な奴らだぜ」
圭輝はそう言うと、トドメを刺そうと銃を向ける。
その瞬間、2人は大声で叫んだ。
「おふくろぉおお!!!ありがとおおお!!!」
「故郷よ!!今行くぞぉおおお!!!」
2人の叫びに思わず圭輝は身じろぎする。同時に、2人の意図に感づいた。
「逃げろ!!!」
圭輝が叫ぶ。
しかし、爆風が辺りを包む方が早かった。
遠巻きに聞こえた爆発音を、永戸と石原は厨房で聞いていた。2人は思わず歩みを止めそうになったが、それを堪えて前に前に足を進めていた。
「もうすぐです!」
オーナーがそう言うと、全員足を早める。
厨房の裏口への扉をオーナーが指差すと、石原がその扉を開けて周囲を偵察する。辺りに広がる駐車場には、一見、敵がいるようには見えなかった。
「よし、みんなこっちへ!」
石原が段差を降りると、手招きする。厨房の中にいた首相の荒浜や波多野も、怪我人を担いで下ろしていた。
「怪我人と一般人の脱出を優先するんだ!」
荒浜がそう言うと、閣僚たちは順番を守って一般のレストランのスタッフや、怪我をした軍人たちに先を譲る。
ある程度流れができ、駐車場に人が溜まってきた頃合いだった。
「いけ」
石原は確かに不穏な声を聞いた。
そして車の影からゾロゾロと敵が現れたのである。
「しまった!みんな中へ!」
石原が叫んでも遅かった。脱出しようと先を急いでいた一般のスタッフや、彼らに担がれている負傷した軍人たちは、あっという間に敵の銃撃の餌食になっていた。
「急いで逃げて!」
石原は叫びながら震える手で敵に向けて銃を撃つ。だが、一般人の悲鳴は鳴り止まず、死体の数は増える一方だった。
「このままじゃ…!」
「楓!戻ってこい!」
次々と死んでいく一般人の姿を見て、自分の責任を感じていた。その彼女に、永戸は叫ぶ。永戸も裏口の扉のところで小銃を構え、敵を撃っていた。
石原はここまでと思い、裏口の出入り口まで走る。
だが、後一歩のところで彼女は背中から撃ち抜かれた。
「楓!!!」
永戸の叫びも虚しく、石原はその場に倒れる。
石原は最後の力を振り絞って永戸へ手を伸ばしたが、銃撃の巻き添いを食らい、その手は届かないまま息絶えた。
永戸は駐車場の人間が全滅した惨状を目の当たりにし、涙が出そうになるのを堪えて扉を閉める。厨房の中にいる生き残りは、すでに先ほどまでの半分にも満たなかった。
「くっ…!」
永戸が悔やむ間も無く、扉が斬撃によって破られる。
永戸はすぐに閣僚たちに逃げる指示を出すと、自分は扉からやってくる敵に銃撃を浴びせる。
だが、敵は多く、あっという間に永戸を銃撃で撃ち倒した。
「ぐっ!!」
さらに悪いことに、永戸への銃撃の流れ弾が、他の閣僚や一般人を優先して逃して最後尾にいた荒浜首相の足を撃ち抜いていた。
「うわっ…!」
荒浜はその場に倒れる。
敵の多くがその荒浜に近づいていく。
「させ…るか…!」
永戸は最後の力を振り絞ると、素早く立ち上がって荒浜へ銃を向ける敵に小銃を乱射する。
あっという間に永戸の小銃の弾がなくなり、荒浜へ銃を向ける敵も皆倒れていた。
そんな永戸を、背後から浩助の刀が貫いた。
「…!!」
「軍人さん!」
永戸は荒浜の呼びかけに何も言えずにその場に倒れていた。浩助は刀についた血を軽く振るって落とすと、そのまま荒浜に刀を向けた。
「死んでもらう」
浩助がそう言って斬りかかる。
その浩助を吹き飛ばしたのは、和久のタックルだった。
120kgという巨漢である和久の一撃は、その半分の体重である浩助を大きく吹き飛ばすのには十分だった。
「総理!こっちです!」
その間に雅紀が荒浜を助け、雄三が和久の隣に立つ。
「和久、手ェ、貸すぜ」
「ありがたい」
雄三は懐から拳銃(ルガーP08)を抜く。和久も、杖に偽装した日本刀をいつでも抜けるように構えていた。浩助も刀を下段で構える。
すると、駐車場の方から再び銃声と悲鳴が聞こえ始めた。
浩助は自分の部下に異変が起きたことに気づくと、駐車場の方へ逃げていく。
和久と雄三が浩助の後を追うと、国防軍の車両が駐車場にやってきていた。軍人たちは車から降りると、その場にいた敵を次々と射殺する。
浩助もその標的になったが、銃弾を全て斬り落とすと、そのまま車の一台を強奪し、逃げていった。
「おい!無事か!」
そう聞いてきた軍人は、佐ノ介だった。他にも竜雄、狼介、隼人といった和久に馴染みのあるメンバーもいた。
「あぁ、俺たちは無事だ。閣僚も全員無事。だが…」
和久は駐車場に広がる死体の数々を見下ろす。それを見て、佐ノ介も何も言わなかった。
「わかった。ひとまず全員保護する。生き残りをここに集めてくれ」
11:45
数馬は裏口へ通じる道をゆっくり歩いていた。口からの血はすでに治まっていたが、体全身を走る鋭い痛みに数馬は苦しんでいた。
前の曲がり角から足音が聞こえてくる。姿はまだ見えない。数馬は拳銃を構えた。
「何者だ!所属を名乗れ!」
数馬は叫ぶ。すぐに答えが返ってきた。
「その声は数馬か!灯島師団の川倉竜雄だよ!」
竜雄の声だった。竜雄は周囲にいる仲間たちに声をかけると、角を曲がって数馬の元へ駆け寄った。
「無事でよかったよ、数馬」
竜雄はそう数馬に笑いかける。だが数馬は笑わなかった。
「生存者は」
「閣僚は全員無事。ここから他のみんなを探す。ひとまず他の生存者全員と合流しよう」
数馬に対し、竜雄は言う。竜雄は佐ノ介や隼人、狼介に軽く会釈すると、数馬の肩を担ぎ、そのまま他の生存者たちがいる駐車場へ歩き出した。
佐ノ介たち3人は他の生存者たちを探しに走り出す。数馬はそれを背中で見送った。
数分もしないうちに、数馬は他の生存者たちのいる駐車場へやってきた。
「…竜雄、これだけか?」
「あぁ…俺たちが着いた時には、もう…」
竜雄の言葉に、数馬は言葉を失う。数馬はそのまま国防軍の車両である装甲車の荷台席に座らされた。そこには、荒浜や波多野、和久といったメンバーも座っていた。
「すまんな、数馬。俺も生存者を探してくる」
竜雄はそう言うと、その場を走り去る。数馬はそれに対して力のない返事をするだけだった。
血だらけになった数馬の姿を見て、他の人間たちは何も言えなかった。彼がどんな死線を潜り、どれだけの体力を消耗したか、想像に難くないからである。
だが、波多野はそれでも話しかけた。
「重村訓練生」
数馬は波多野の声にゆっくり顔を上げる。数馬の顔は、主に口元が血に汚れていた。
「見たものを全て報告してもらえないだろうか」
波多野が言う。それに対し、思わず荒浜が止めた。
「波多野、やめろ。彼は」
「これは国家の存亡に関わる大事だ」
波多野は荒浜に対して鋭く言う。数馬はそれを見ると、姿勢を正し、報告を始めた。
「敵の数は40ほど。武装はAK。指揮を執っていたのは魅神暁広という男で…拳銃で撃っても死にませんでした」
数馬の報告を聞き、波多野以外のその場にいた人間たちは顔色を変える。だが波多野は冷静に質問を続けた。
「当たりどころが悪かったのか」
「いいえ。9mmで眉間を撃ちました。実際に命中もしました。ですが死にませんでした」
「では君はどうやって生き延びた」
「俺は…魔法が使えるので、それを使いました。赤黒いオーラで触れたものを消滅させる魔法です。それだけは魅神にダメージを与えられました」
数馬が淡々と報告する事実に、荒浜は顔色を変える。数馬が嘘を言っていないことなど、荒浜にはすでにわかっていた。
波多野は深くため息をつくと、呟いた。
「龍人、か」
波多野が言うと、荒浜が波多野を見る。
「波多野、それは…!」
「国家機密。ええわかっていますとも。だがこうなってしまった以上、彼らには話さなければならない」
驚く荒浜に、波多野は冷静に言う。荒浜は波多野の気迫に呑まれると、おとなしくなった。
「結論から言おう。魅神は龍人だ。そして、それを倒せるのはおそらく君だけだ、重村数馬」
波多野は数馬の目を真っ直ぐ見つめて言う。数馬はそれを正面から受け止めた。
「龍人、とは」
数馬が尋ねる。波多野は静かに答え始めた。
「太古の昔、地球を支配していたという種族だ。通常の人間の数倍の膂力と知能を持ち合わせ、さらに不老不死であったという。だが、その存在を公にすれば、その力を悪用するものが出てくる。だから我々は秘密裏に龍人を研究していた」
波多野の言葉に、数馬だけでなく、その場にいる全員が集中して耳を傾けていた。
「一週間前、北回道で龍人の研究を行っている龍観基地というところと連絡を取った。だが、連絡は取れなかった。おそらく魅神はここを襲ったのだと思う。もっと早く気づければよかったのだが、あいにく極秘の基地との連絡は最小限にしていてな」
「もっと早く気づいても変わらなかったでしょうね」
波多野の言葉に、数馬は相槌を打つ。波多野もそれに頷いた。
「とにかく、魅神は危険だ。奴は無関係な人間を殺すことに何の躊躇いもない。奴の生存は、この日本という国家の存亡に関わる。あいつを殺さねば、今日以上の死人が出る。重村、不老不死を殺せる、お前にしか頼めないんだ。あいつを、殺してきてほしい」
波多野は静かに、しかし熱く数馬に語る。数馬は波多野の目を見て答えた。
「やります」
数馬の目は本気だった。かつて波多野が見た、あの純粋な子供の目だった。
「ありがとう。無論単独でとは言わない。君が命を預けられる仲間を連れて行け。やつを倒し、生きて帰ってこい。これは、軍人としての任務だ」
「了解です」
波多野の命令に、数馬は静かに答える。数馬の返事を聞いて、波多野は安心したように微笑んだ。
「さて、和久」
波多野は次に自分の隣に座る和久の方を見て話しかける。
「まず、お父上のことは残念だった」
波多野はそう言って頭を下げる。それに対し、和久は首を横に振った。
「運がなかった、それだけの話です」
和久の父はこの駐車場で倒れた。和久は冷静を装っていたが、内心はそんなことではないというのを、波多野は察していた。
「それで、今辺りを見て何かに気づかないか」
波多野は和久に尋ねる。和久は波多野の言葉の真意に気づいた。
「環境大臣とその秘書がいませんね」
「そうだ。そして前回魅神が現れたのは、環境大臣が保有する土地の近く」
「魅神と環境大臣は手を組んでいて、魅神が首相を殺し、環境大臣がその椅子に座る、そういう作戦だったと言いたいんですね」
波多野の予想を、和久が先に口にする。波多野は我が意を得たりと頷いた。
「和久、お前に頼みたいのはこっちだ。おそらく奴は私に罪をなすりつけるだろう。だが、奴がこの事件に一枚噛んでるのは明らかだ。それをどうにかして明らかにしてほしい」
波多野の言葉に、和久は頷いていた。
「任せてください」
波多野から2人の人間への指示が済むと、佐ノ介と隼人と狼介が波多野たちの下へ戻ってきた。
「防衛大臣、報告します。施設内を調査したところ…生存者は…ありませんでした…」
そう報告する佐ノ介の声は苦しそうだった。波多野はそれを聞くと、瞼を閉じ、静かに頷いた。
「…ご苦労だった」
波多野のその声を聞くと、佐ノ介はその場を走り去る。波多野以上に堪えていたのは数馬だった。頭を下げ俯く彼は、無表情だった。
「死亡者61名…うち国防軍人が24名だってさ」
「警備にあたってたのは25人だろ?生き残ったのは1人…まるで死神だな…」
遠くからそんな軍人たちの会話が聞こえてくる。数馬はそれを黙って聞き流していた。
波多野は、そんな数馬の気を紛らわせるべく、数馬に話しかけた。
「重村、いつ出発する予定だ」
「明朝0800に灯島を出ます」
「わかった。よその部隊から人を引き抜くなら、私の名前を使え。許可証も出しておく。絶対にこの任務を成功させてくれ」
波多野が言うと、数馬は静かに頷いた。
「えぇ…今度は魅神にとっての死神になってやりますよ」
数馬は波多野の目を見て答えた。
数馬の目には、明確な殺意が宿っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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今後もこのシリーズをよろしくお願いします