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The Magic Order 0  作者: 晴本吉陽
2.信念
32/65

31.交錯

2025年 5月4日 19:00 灯島市 波多野オフィス


 数馬たちが離島で訓練している頃、ここでデスクワークをしていた堀口和久はひとつの違和感を覚えていた。

「飛鳥、武田さんから連絡あったか?」

 和久はデスクに並ぶ大量の資料と格闘しながら尋ねる。すぐに飛鳥は連絡用のパソコンの履歴を確認するが、武田から届いたものは5月1日のものが最後だった。

「ない、ね」

 飛鳥の答えを聞き、和久は首を傾げた。

「妙だな。武田さんは定時連絡は欠かさない人だ。それが3日続けて来ないとなると…」

 和久の脳裏に嫌な予感がよぎる。すぐに和久は立ち上がると、飛鳥に命令を下した。

「飛鳥、武田さんのビルを調べてくれ。何か嫌な予感がする」

「わかった。桜も連れてくから、ここはお願いね」

「おう。何かわかったらすぐに連絡をくれ」

 飛鳥は和久の指示を受けすぐに立ち上がると、走り出す。

 和久は連絡用の携帯を手に、飛鳥を見送った。



19:30

 飛鳥の運転する軽自動車は、武田が寝泊まりするビルに辿り着いた。

「久しぶりだな~…」

 飛鳥の隣で、桜がそう呟きながらシートベルトを外す。その間に、飛鳥は銃の手入れとライトを用意していた。

「武田さんは夜は電気をつけない人なの?」

「ううん。だから、何か起きてるのは間違いないと思う」

 飛鳥の質問に答えながら、桜も自分の装備を整える。

 2人は車を降りると、ビルの入口を開ける。

 外から見える通り、ビルの中は真っ暗だった。2人は持っていたライトで辺りを照らしながら、銃を構えつつゆっくり辺りを調べる。

「少し前に同窓会があったはず。食堂を見てみたいんだけど、いい?」

「任せる」

 桜は提案し、飛鳥は桜を先に行かせる。2人は変わらずゆっくりと慎重に歩いていた。


 食堂の前の廊下に差し掛かると、桜の足下に何かが当たったのに気づいた。

 桜は足下を照らす。彼女の足に当たったのは、ショットガンの空薬莢だった。

「12ゲージショットシェル…」

 桜はその空薬莢を拾い上げながら呟く。同時に、飛鳥は食堂をライトで照らした。シャンデリアらしきものが落ち、並んでいた机や椅子も荒れた様子でひっくり返ったり、壊されていたりしている。

「これがデフォルト?」

「そんなわけ。もっと綺麗だったよ…誰かに襲撃されたのか…」

 飛鳥の質問に、桜は答える。2人はより一層気を張ると、飛鳥は連絡用の携帯を手に取った。

「和久、飛鳥です。武田さんのビルは何者かの襲撃を受けた様子、おそらく生存者は望めない。どうぞ」

「了解した。ひとまず調査を続け、武田さんを見つけてくれ。オーバー」

 飛鳥と和久は会話を終える。

 飛鳥は桜と顔を見合わせると、再び歩き始めた。

「桜、武田さんがいた可能性が1番大きいのはどこ?」

「最上階だよ」

「行きましょう」

 2人は階段をゆっくりと上り始めた。

 階段を照らしてよく見ると、僅かに血の痕がある。死体を運び出す時に溢れたであろう血で、引きずったような跡ではなく、点で残っている。

「この様子だと…同窓会に参加したみんなが心配だな~…」

 桜はそう呟きながら階段を上る。飛鳥も桜の心情は想像するしかなかった。


 最上階にやってきた2人は武田の自室兼仕事部屋の扉を開ける。

 やはり部屋は真っ暗で、2人が持つライトだけが部屋を照らしていた。

 ここの部屋は荒らされた様子はない。空薬莢が散らばっている様子もない。それが却って不気味だった。

 2人はゆっくりと前に進む。

 床を下から上へなぞるようにして照らし出すと、机の横に誰か倒れているのが見えた。

「武田さん!」

 それに気がついた桜は倒れている武田に駆け寄る。飛鳥は武田を照らしたが、一見武田に外傷があるようには見えなかった。

 桜は武田の首に指を当てる。すでに冷たくなった武田の体には、脈がなかった。

「…死んでる」

「でもどうして。傷なんてどこにもない。銃を持っている人間がそれを使わないで殺すなんて」

「わからないけど、一旦和久に連絡した方がいい。お願い」

 桜の指示を受けて飛鳥はスマホで和久に連絡を入れた。

「飛鳥です。武田さんを発見。死んでます。どうぞ」

 飛鳥からの連絡を受け、和久はわずかに唸ってから答えた。

「わかった。何か他に情報はあるか?どうぞ」

「一応わかる限りの情報を伝える。武田さんに目立った外傷はなし、しかし建物内に12ゲージショットシェルの空薬莢が落ちていた。武田さん以外の生存者は死体すら発見できなかったので、おそらく殺された後連れ去られたものと思われる。武田さんの硬直度合いからおそらく死亡してから24時間は経過している。これが今わかる限界ね。どうぞ」

 飛鳥から聞こえてくる情報を細かくメモしながら和久は頷く。ひと通りメモを終えると、和久は一度状況を整理しながら返事をした。

「わかった。一度撤収してくれ。俺は波多野さんに連絡しておく。またオフィスで会おう。オーバー」

 和久の言葉を聞いて、飛鳥は通話を切る。

 桜と一度目を合わせると、武田の死体をそのままにしてその場を立ち去った。


 ビルを出て車に乗り込むと、桜は同窓会に参加したはずのメンバーに片っ端から連絡を入れ始めた。

 桜の様子を横目で見ながら、飛鳥は運転しながら尋ねる。

「お仲間と連絡は取れた?」

 桜は首を横に振った。

「誰とも取れない。一番連絡取りやすい人とも何も通じない。多分だけど今回の犯人は、私たちの知り合いの中にいるかもしれない」

「…元味方同士で殺し合うかもしれないわけね。世知辛いこと」

 桜の言葉に、飛鳥は呟く。飛鳥に言われるまでもなく、桜の目は覚悟を決めている表情だった。


 波多野のオフィスに戻ってきた飛鳥と桜は、すぐに和久と状況確認を始めた。

「武田さんから最後に連絡があったのは5月1日。そこから今日まで何かあったか?」

 和久が尋ねると、桜がすぐに答えた。

「5月2日に元GSSTのメンバーたちを集めた同窓会がありました」

「その会場になったであろう食堂には、ショットガンの空薬莢が落ちてた。おそらく、同窓会の参加者の中に犯人がいる」

 桜の言葉に飛鳥も付け加える。和久はそれを聞いて次の質問を投げかけた。

「同窓会の主催者は」

 桜が硬い表情で答えた。

「魅神暁広」

 和久はそう言われると、脳裏にある暁広の顔を思い浮かべた。誰にでも好かれそうな爽やかな笑顔、だからこそ非常に警戒したことを、和久ははっきりと思い出した。

「魅神の所在は?」

 和久は尋ねる。しかし、桜も飛鳥も答えることはできなかった。

 同時に、和久の第六感が強く和久に訴えかけていた。和久はそれに従った。

「魅神は恐らく何かを知っているはずだ。探し出せるか」

 和久は飛鳥と桜に尋ねる。飛鳥は引き締まった表情で頷いた。

「任せて。やってみせる。ね、桜」

「もちろん」

 桜も真剣な表情で頷く。和久は2人を信頼することにした。

「波多野さんが戻ってくるのは7日だ。それまでにできるだけ多くの情報を集めてくれ。2人とも頼んだ」



翌日 5月5日 朝8:00

 とにかく情報を集めるため、桜と飛鳥は灯島駅前の交番にやってきた。

 今ここに駐在しているのは2人の女警官、マリと玲子だった。

「いらっしゃい。2人とも私の結婚式以来だね」

「白無垢も似合ってたけど、マリは警官の服も似合うね」

 マリが穏やかに挨拶すると、飛鳥が事件の重大さを匂わせないように軽く答える。そんな飛鳥の配慮を気にせず、玲子が単刀直入に切り出した。

「それで?何の用?ここに来たってことは何かヤバいことが起きたんじゃないの?」

 玲子の質問に、思わず飛鳥は桜の方を見る。桜は全てを察し、玲子にこれまでの経緯を話し始めた。

「この間、GSSTの同窓会があったじゃない?」

「あったわね」

「あれで…武田さんたちが殺された」

 桜の言葉に、玲子とマリの表情が鋭くなる。桜はそのまま続けた。

「同窓会に参加した人たちとも連絡が取れないの、何か知らない?」

「全部今初めて知った…だから何も…」

 マリが申し訳なさと無念さを隠しきれない様子で呟く。すぐに飛鳥が次の質問を投げかけた。

「じゃあ、魅神の居場所は知らない?同窓会の主催者は魅神だった、絶対魅神は何か知ってるはず」

 飛鳥の質問に、マリと玲子は申し訳なさそうに顔を背ける。それを見て飛鳥も追求はしなかった。

「…そうよね」

「ごめんね、役に立てなくて」

 マリが謝る。しかしすぐに飛鳥はそれを否定した。

「気にしないで。私たちがなんとかすることだから」

「そんなことない。この街の安全を守るのは私たち警官の仕事よ。何かあったらすぐ呼んで」

 飛鳥の言葉に玲子が言う。飛鳥はマリと玲子の表情を見て頷いた。

「それじゃ、行こうか飛鳥。お邪魔したね、マリ、玲子」

 桜はそう言って飛鳥を連れて交番を出る。飛鳥もそれに従って大人しく交番を出て周囲を見回した。

「とりあえず、魅神が隠れてそうな場所を片っ端から探索するしかないわね」

「結局力技か〜。ま、しょうがないか〜」

 飛鳥の呟きに、桜が便乗する。2人はそのままゆっくりと歩き始めた。



 そんな飛鳥と桜の姿を、心音の親戚が所有する洋館の一室で竜はモニター越しに見ていた。竜は洋館内で通話できる内線に手を伸ばすと、暁広に報告を始めた。

「トッシー。昨日武田を見つけた2人、お前のことを探してる」

 竜の報告に対し、暁広は冷静に一蹴した。

「構うな、竜。そんなことよりも、人質をしっかり見張っていてくれ」

 暁広の指示を受けると、竜は静かに、了解した、と答え、モニターに表示される映像を切り替え、閉じ込められた部屋の扉を叩き続ける元級友たちの姿を見ていた。



20:00

「無理だ。この街、広すぎる」

 12時間乗り回した車内で、飛鳥が呟く。桜も疲れ果てた様子で飛鳥に賛同していた。

 2人は車を端に寄せると、車から降りて天を仰いだ。狭い車内に押し込められて縮こまった体を、思い切り伸ばしていく。

「あれだけのことをして、大半の死体も持ち帰ってるんだからこの街のどこかにはいると思うんだけどなぁ」

 飛鳥はそう言って体を前に倒し、腰を伸ばす。一方の桜は腕を上に伸ばし、背伸びをしていた。

「言っても今日探索したのは西半分だったから。明日東半分を調べればいいよ」

「でも今日みたいにやってたんじゃ、とてもじゃないけど無理だよ。何か手がかりはないものかしらね」

 飛鳥は桜に愚痴をこぼすようにして呟く。桜は伸びを終えてひと息ついてから首を横に振った。

「警官のマリたちが何も知らなかったんだから、たぶんもう…」

 桜が飛鳥に答える。しかし飛鳥はそれには興味なさそうにして道端に視線を送った。そして飛鳥は向こうから歩いてくる知り合いに手を振った。

「おーい!陽子ー!」

 飛鳥はそう言って声を張る。桜も見てみると、スマホをいじっていた陽子が立ち止まって飛鳥の方へ顔を上げた。

「あ、飛鳥に桜。久しぶり」

「久しぶり〜マリの結婚式以来だね〜」

 陽子の言葉に、桜が挨拶する。陽子は珍しい組み合わせに首を傾げた。

「2人は何してるの?仕事帰り?」

 陽子の質問に飛鳥と桜は言葉を選び始めた。

「まぁそんなところかなぁ〜。陽子も仕事帰り?」

「そうだね」

 桜が当たり障りなく答える。そんな様子を見て、飛鳥は思い切って尋ねた。

「ねぇ陽子、なんか最近変な噂とか聞いてない?」

「変な噂?どんな?」

「不審者情報。陽子、学校の先生でしょ?なんか入ってない?」

 飛鳥の言葉に、陽子は一瞬考え、何か思い出したように話し始めた。

「そういえば、虚山うつろやまの方で怪しい集団が出たとか出ないとか聞いたよ」

 陽子から情報を聞き、飛鳥と桜は状況を整理する。

「虚山…灯島と隣の街の境にある山だね」

赤葉もみじ環境大臣の別荘があるって噂だけど…」

「2人とも、何を話しているの?」

 陽子は目の前の2人の会話が理解できず、思わず尋ねる。陽子に尋ねられると、飛鳥と桜は陽子を巻き込むまいと話を切った。

「いや、大したことじゃないよ」

 飛鳥はそう言って微笑む。桜もそれに賛同して頷いた。

「それじゃあ虚山、行こうか、飛鳥」

 そのまま車に乗って立ち去ろうとする桜と飛鳥に、陽子は少し忠告するように声をかけた。

「待って、虚山は遠いよ。こっちから行くの大変だし、2人ともあっち行ったことないでしょ?カーナビも利かないし、ネットの地図も私有地だから全然書いてないし…私が案内したほうがいいんじゃない?」

 陽子の提案に、飛鳥と桜は陽子に背を向けて相談を始める。

「どう思う?」

 桜の質問に対し、飛鳥は少し考えてから話し始めた。

「マズくなったら逃しましょう」

 飛鳥に言われると、桜は静かに頷いた。

 2人は振り向き、明るい表情を作った。

「それじゃあ、案内してくれる?」

 飛鳥に尋ねられると、陽子は穏やかに頷いた。

「うん。あ、いや待って、今から?」

「いやいや、今日はもう遅いから。明日でいいよ」

 慌てて質問する陽子に、桜はやんわりと言う。陽子も安心したような表情を見せた。

「じゃあ、明日の夜7時に駅前でいい?」

「うん。よろしくね」

 陽子の提案に、飛鳥と桜も頷く。3人は別れの挨拶を交わすと、それぞれ自分の帰路についた。




翌日 5月6日 19:00 灯島駅前

 飛鳥と桜は、再び軽自動車に乗って和久と連絡を取っていた。

「飛鳥です。目ぼしいところはひと通り調べましたが、魅神の痕跡は発見できず。これから最後のポイント、虚山を探索します。オーバー」

 飛鳥が助手席で通話を終えると、桜は車を止める。スライド式のドアを開けると、陽子が後部座席に滑り込むようにして腰掛けた。

「お疲れ様です」

「お疲れ様〜。仕事終わりにありがとうね」

 陽子の挨拶に、桜も穏やかな物腰で挨拶を返す。桜はそのままゆっくりとアクセルを踏み、3人が乗り込んでいる自動車は走り始めた。

「虚山まで案内するけど…2人とも、どうして虚山まで行くのか訊いてもいい?」

 陽子は気まずそうに2人に尋ねる。飛鳥と桜から返ってきたのは沈黙だった。

「…ごめん。ちょっと言えないんだ。だから、虚山まで案内してもらったら陽子は引き返して」

 桜が申し訳なさそうに言う。陽子はそれを聞いて、息を飲んだ。

「それって…この街でまた何かが起きているの?」

 陽子の言葉に、飛鳥と桜は答えられない。2人の様子を見て、陽子は静かに俯いた。

「...ごめんね、陽子」

「大丈夫…危なくなったら逃げてね。命より大事なものはないから」

 陽子に言われると、飛鳥は笑う。

「ありがとう。あなたこそ、教え子さんたちに悲しい思いをさせちゃダメだよ?私たちは言われなくても逃げるから」

 飛鳥の言葉に、陽子は唇を結んで頷く。車は静かに走っていた。



19:15

 15分ほど自動車を走らせ、3人は人気ひとけのない住宅街にやってきた。

 自動車を近くの駐車場に止め、3人は車から降りる。

「虚山に行くんだったらこの住宅街を抜ける必要があるよ」

「車は通れないから歩きだね」

「ここ、治安悪いから気をつけてね。山の入り口まで案内するよ」

 陽子がそう言って2人の前を歩き出す。明かりのほとんどない家と家の間の路地を、3人はゆっくりと歩き始めた。

「陽子、入り口までどれくらい?」

「15分くらい歩くことになると思う。結構入り組んでて複雑なんだよね」

 3人は会話を続けながら前に進んでいく。

 街灯もほとんどない。飛鳥と桜は持っていた懐中電灯を取り出し、道を照らし出す。

 彼女たちが照らしている曲がり角に、人影がちらついた。

 陽子の後ろにいた飛鳥と桜は、すぐに陽子の前に出ると、いつでも陽子を逃がせるような状態になった。

「陽子」

 飛鳥が低い声で陽子の名前を呼ぶ。陽子はその声で、これから起きようとしている事柄が普通ではないことを察した。

「珍しいな。ここに人が来るなんてな」

 飛鳥が照らすその人影から、男の声がした。

 3人の女たちはゆっくりと後ずさる。

 その通路の陰から現れ、飛鳥のライトに照らし出されたのは、魅神暁広その人だった。そしてその後ろから次々と彼の取り巻きの男たちが現れる。

 只者ではない空気感と、凶悪な目つきから穏便な話し合いは望めそうになかった。しかし、飛鳥は一応任務として彼らに話しかけた。

「魅神暁広ね。武田徳道の殺害容疑でご同行願います」

 飛鳥は堂々と言い切る。その間に、桜と飛鳥は敵の人数を確認していた。

(…8人か…これは…)

 桜と飛鳥は一瞬目線を交わして作戦を一致させる。それを気にせず暁広は飛鳥の言葉を鼻で笑い飛ばした。

「あなた、人を殺したの…?」

 陽子が恐怖にも似た表情で暁広に尋ねる。暁広は自分よりも小柄で飛鳥の背中に控える陽子を見下ろすと、ニヤリと笑った。

「だとしたら、なんだ?正義を成すためなら、悪は排除しなければならない。それだけの話だ」

 暁広はニヤリとしながら言い切る。陽子はそんな暁広の姿に改めて恐怖と狂気を感じた。

「その発言はあなたが武田さんを殺したということでいいのね?」

 飛鳥は言質をとったと言いたげに聞き返す。暁広はやはり平然とした様子で言葉を返した。

「好きにとればいい。これも正義のためだ。世界中の誰もが平等かつ平和に生きられる世界、それを実現する第一歩。お前たちも共に戦わないか」

 暁広はそう言って目の前の3人へ手を伸ばす。その暁広の背後で、暁広の仲間たちは手元を隠しながら武器を用意していた。

 一方の桜と飛鳥も、一瞬目を合わせてから覚悟を決めた。

「さぁ、答えろ」

 暁広が低い声で脅す。それに対し、飛鳥は声を張って答えた。


「これよ!」


 飛鳥は腰に提げていた煙幕をその場に叩きつける。

 灰色の煙が辺りを包む。その間に、飛鳥は陽子の手を引いて走り出し、桜もその隣を走った。

「後で車で合流しましょう!」

 飛鳥はそう言って桜と別れて行動する。桜はその間に腰のスマホを取り出し、警察であるマリと玲子に電話をかけていた。

 一方煙の中に残された暁広は、少し面倒くさそうにため息を吐くと、すぐに仲間たちにアゴで指示を出す。茜以外の6人の男たちが、飛鳥たちの後を追い始めた。少し遅れて暁広と茜も歩き始める。ゆったりとした足取りは、暁広の自信の現れだった。


 そんなことは知らずに、飛鳥と陽子は自分達の背中を気にしながら狭い道を走り続ける。一見誰も追ってきているようには見えない。だが、そんなわけはないということを、誰よりも2人は理解していた。

「何かあったら私を置いて全力で逃げてね、陽子!」

「そんな!」

「約束して!」

 走りながら飛鳥は鬼気迫る表情で陽子に言う。陽子はそれに押されて、わかった、と答えていた。

 飛鳥の足が止まる。同時に、陽子の足も止まった。

「何、どうしたの?」

 陽子が息も絶え絶えになりながら尋ねる。飛鳥は陽子を庇うようにしながら自分の頭上を見回していた。

「…来る」

 飛鳥の言葉に、陽子も身構える。


 瞬間、飛鳥は咄嗟に陽子を庇って覆いかぶさりながら横へ跳んだ。そうしなければ頭上から降ってきた浩助の一撃を避けられなかっただろう。

「…避けたか」

 浩助は持っていたサバイバルナイフを持ち直す。飛鳥はそれに構わず、陽子の手を取って立ち上がると、浩助と反対側へ走る。

 曲がれる通路に差し掛かった瞬間、2人の足元に銃撃が飛んでくる。正面から現れたのは、サブマシンガン(UZI)を構えている圭輝だった。

「陽子、約束守ってね」

 前後から挟まれた飛鳥と陽子。飛鳥は覚悟を決めると、そう言って陽子を敵のいない方の通路へ押した。


 銃声が聞こえる。

 しかし陽子はそれを聞こえないふりをしながら全力で走り続ける。


「なんで…なんでこんなこと…!」


 陽子は必死に涙を堪えながら走る。入り組んだ道を必死に見回しながら、左へ曲がり右へ曲がり、ようやく陽子は大通りに出られる道まで辿り着いた。

(やった、逃げられる!)

 陽子がそう安堵したのも束の間だった。


「捕まえたぜ!!」


 背後から聞こえてくる邪悪な男の声。


「いやぁあっ!!!」


 陽子は自分の体が、抵抗できないような力で背後へ引きずり込まれているのを理解した。

 必死に振り解こうとするが、それを無理やり押さえつけられ、何もできないまま大通りの光が遠ざかっていく。

「離して!やめて!!」

 いくら陽子が叫んでも、何も変わらない。光はついに見えなくなり、陽子は誰にも見えない路地の影に放り投げ捨てられた。


 陽子が顔を上げると、4人の男が自分を見下ろし、取り囲んでいた。相手のことを考えない強力なライトで、陽子の顔を一方的に照らし出す。陽子は手で光を遮るが、それでも男たちの顔は認識できなかった。

「こいつ、どこかで見たことあるんだよな。なんだっけ?」

 陽子が緊張で肩で息をしているのに対し、陽子を無理矢理ここへ連れ去った人間の1人、流が軽い空気で言う。だが、陽子は流から自分に向けられている敵意をはっきりと感じ取っていた。

「灯島中の目の前に住んでた、木村陽子だな」

 星が流の質問に答える。陽子は自分の素性がバレていることに恐怖を感じる暇もなかった。

「ふん。美しくない女だ」

 光樹がそう言って陽子の髪を掴みあげ、顔を照らす。陽子は痛みと恐怖で涙が出そうなのを必死に堪えていた。

「でもよ、よく見たらケツもおっぱいもデケェし、どう見ても処女っぽいじゃん。穴にはちょうど良さそうだぜ?」

「流、俺たちの任務は口封じだ!早く終わらせよう!」

 流の言葉に対し、興太が言う。

 陽子はこれから自分の身に起こるであろうことを想像すると、陽子は必死にもがく。だが、光樹の力は強く、陽子は振り解けなかった。

「誰か…!誰か…!!助けて…!!」

 陽子は必死に叫ぶ。しかし、叫べば叫ぶほど光樹の力は強まり、余計陽子は抜け出せなかった。

「みっともない…貴様の行動は人間讃歌の真逆だな!」

 興太はそう言って陽子の頬を平手打ちする。

 陽子の瞳に涙が滲む。

 陽子は俯きながら声を発した。

「…殺さないでください…」

「なんだって?」

「…殺さないでください…!お願いします…!言う通りにします…だから…!」

 陽子はすでに泣いていた。恥も外聞も捨て、陽子は必死に命乞いをしていた。

 星が無理矢理顔を上げさせる。恐怖と絶望に満ちた陽子の顔を見て、星は聞き返した。

「言う通りにする?」

「…はい、だから…!」

 陽子が次の言葉をつなげようとした瞬間、星は陽子の顔を殴りぬき、その場に倒した。

「じゃあ死ね」

 星の目は冷徹だった。

 星の右手に光るナイフが、陽子の目にもはっきり映った。

「い…い…いやぁああああ!!!」


 絶望し切った陽子の悲鳴が辺りに響く。






「おい、何やってんだ」


 星のナイフが彼女の胸元を貫こうとした瞬間、1人の男の声が聞こえてきた。

 陽子にはこの声に聞き覚えがあった。鋭さの中に、陽子が確かに愛した優しさのある声だった。

 陽子は涙で染まった瞳を、5人目の声の方に向ける。

 滲んだ視界であっても、彼女はその5人目を見間違えなかった。


「数馬…!」


「ちっ、なんだテメェ?とっとと失せろ」

 流が数馬を睨みつけながら言う。数馬はそれに対して怯むことなく言い返した。

「そうさせてもらうぜ、その女を助けたらな」

 数馬はそう言うと目の前に立っていた流を横に突き飛ばしてから、姿勢を低くしつつ一気に陽子を刺そうとナイフを構える星の懐まで駆け寄った。

(速い…っ!?)

 星は逆手に持っていたナイフをそのまま数馬に振るう。

 しかし数馬はそれを食らう前に、目にも止まらぬ速さで右手で星の顔面を殴り抜いた。

 星がダウンすると、数馬は倒れている陽子に駆け寄る。しかし、同時に興太も陽子を踏み殺そうと陽子の方へ駆けていた。

 数馬はそれに気がつくと、陽子と興太の間に割って入る。そして走ってきた興太の勢いを逆に利用し、右ストレートを興太の顔面に叩き込んだ。

「数馬、後ろ!!」

 陽子の叫びを聞いて、数馬は振り向く。

 見ると、光樹が数馬の背中にナイフを突き立てようとしていた。

 数馬は光樹の手を受け止め、お互いに押し合いになる。だが、光樹のナイフは徐々に数馬の首元に近づいていた。

(なんだ…このクソ馬鹿力は….!普通の人間とは思えねぇ…!)

 数馬は押され気味だった。

「死ね、醜い悪人め!」

 光樹がそう言って腕の力を強める。

 瞬間、数馬は自分の腕の力を抜いた。

 ナイフが数馬の首へ降りてくる。

 数馬はそれを間一髪でかわし、光樹の背後を取った。

 勢い余った光樹を蹴り倒すと、光樹の握っていたナイフは光樹自身を刺していた。


「おい、大丈夫か!」

 数馬はそう言って陽子に手を伸ばす。陽子はその手を取って立ち上がった。

「よし、逃げよう」

「逃がすかよ…この野郎…!」

 数馬の言葉に、悪態を吐きながら流が立ち塞がる。流の隣には、星も興太も、そしてナイフが体に刺さっていても血の一滴も出ていない光樹が立っていた。

「俺たちは正義のために戦ってる…こんなところで邪魔されてなるものか!」

「男4人で無実の女リンチして『正義のため』とは恐れ入ったぜ。そんな正義なんざクソくらえだ!」

「馬鹿な男だ」

 興太の言葉に数馬が啖呵を切ると、星がそれを鼻で笑い飛ばす。実際、数馬の逃げ道は4人の屈強な男たちに塞がれ、一見して不利なのは間違いなく数馬の方だった。だが数馬は一切怯まなかった。

「はっ、4人程度で俺に勝てると思ってるテメェらの方が大馬鹿だよ!」

「口先だけの挑発だな。虫の最後の抵抗のようで美しさのかけらも無い」

 数馬の狙いを見透かした光樹が冷静に言い放つ。数馬は思わず目を細めた。

 数馬は自分の背中にいる陽子を一瞬見る。数馬はそこで彼の影で震える女が陽子だとはわかっていなかったが、どんな手を使ってでも助けようと心に決めていた。

(さて…助けられるか…?)

 じわじわと4人は数馬と陽子を壁へ追い込んでいく。

 数馬は目の前に立ち塞がる男たちを睨みながら陽子の手を握り、奥歯を噛み締める。そして1人で覚悟を決めた。

 

 そんな瞬間だった。


 徐々にパトカーのサイレンの音がこちらに近づいてきているのがわかった。数馬と陽子を囲んでいる4人はその音に思わず顔をそちらに向けた。

 数馬はその一瞬を見逃さなかった。

「ドケェッ!」

 数馬が左足で真っ正面にいた流の顔面を蹴り飛ばす。

 流が倒れ、道ができたところを、数馬は陽子の手を引きながら走り出した。

「逃さんぞ!」

 興太が横を抜けようとする陽子の腕を掴もうとする。それに気づいた数馬は、陽子の手をさらに引き、陽子1人を前に放り出す。

「先に逃げろ!!」

 数馬は陽子1人を逃してその場に立ち止まり、再び敵4人の方へ振り向く。陽子は一瞬姿勢を崩すと、全力で走り出した。

 数馬はニヤリと笑うと、両方の拳を構える。そして背筋を伸ばすと、あらためて啖呵を切った。

「死にたいやつからかかってきな!」



 数馬のおかげで窮地を脱した陽子は、ようやく大通りに逃げてきた。

 陽子のすぐ目の前に、パトカーが止まる。車から急いで降りてきたのは、マリと玲子だった。

「マリ!玲子!!」

 陽子は2人の姿を見て絶叫する。息も絶え絶えにマリにしがみついてくる陽子の姿を見て、マリは冷静に尋ねた。

「陽子、落ち着いて、どうしたの?」

「か、数馬が、数馬が、死んじゃう!」

 陽子が必死に叫ぶ。マリと玲子は目を合わせた。

「通報してきたのは桜だったはず…数馬もいるの?」

「飛鳥も!飛鳥も危ないの!お願い早く!」

 玲子の疑問に、陽子は構わず声を上げる。マリは陽子の肩を持って落ち着かせる。

「わかった。怖かったよね。もう大丈夫。数馬のところまで案内してくれるかな?」

「うん、こっち!」

 マリの言葉に、陽子が走り出す。マリは頷くと、陽子の背中を追う。

「マリ、私は桜を探す」

「お願い!」

 玲子とマリは短くやりとりを交わす。

 玲子はマリと別方向へ歩き出すと、支給品ではない私物の拳銃(M500)を抜き、握りしめた。



 数馬はその間、4人を相手に互角に殴り合っていた。ここまで数馬は一撃たりとも敵の攻撃を食らわず、1人1人の攻撃をいなしていた。

「どうした!殴れるのは女だけか!」

 数馬は再び挑発する。だが、状況としては四方から囲まれている数馬の方が圧倒的に不利だった。

 数馬の背後に倒されていた星が、ナイフを腰に構えて数馬に駆け寄る。

 足音に気づいた数馬は、咄嗟に振り向いて自分にナイフが刺さる前に星の腕を受け止めた。

「おっ、いいパワーじゃん?」

「今だ!殺せ!」

 余裕を見せる数馬に対し、星が叫ぶ。それに応えるように、数馬の背後の光樹がナイフを抜いた。

(これは…)

 数馬が覚悟を決めた瞬間、光樹が突っ込んでくる。

 数馬は咄嗟に手を離し、横へ転がる。

 光樹と星は勢い余ってお互いをナイフで刺し合う。だが、2人とも痛がるような素振りも見せず、ナイフを即座に抜いた。

「なんだァ…?」

 数馬は異様な光景に息を飲む。だがそんなことをしている場合ではなかった。

 数馬の背後から興太が数馬の後頭部を殴りつける。

「!!」

 鈍い痛みが数馬を襲い、思わず数馬は片膝をつく。すぐに興太は数馬を羽交締めにした。

「さっきの礼だ!」

 身動きが取れない数馬の顔面に、流が右フックを叩き込む。数馬の口からわずかに血が吹き出た。

「…へっ、女の子みてぇなパンチだな」

 数馬は殴られてもなお軽口を吐く。だがすぐに流が怒りに任せて数馬の顔面をもう一度殴り抜けると、数馬の腹にも渾身の一撃を叩き込む。

「ぅぐぁ…っ…!」

 思わず数馬の表情が歪む。しかし、すぐに数馬は流に対してニヤリと笑った。

「…失礼、赤ちゃんパンチだった」

「いい加減にしろよ、ボケが!」

 流はもう一度数馬を殴る。そのまま星からナイフを受け取ると、握りしめて構えた。

「ほっとけば良かったのによ!本当に馬鹿な野郎だぜ!死ね!」

 流がそう言ってナイフを振り上げる。

 数馬もそのナイフをじっと睨み、覚悟を決めたその瞬間だった。


「警察です!動かないで!」


 辺りにマリの声と、銃を構える音が響く。それによって数馬を襲っていた4人は振り向く。その隙に数馬は羽交締めを振り解き、マリの方へ転がり込んだ。

「ちっ、逃げるぞ」

 マリの顔を見るなり、星は他の仲間たちに指示を出す。言うが早いか、彼らは大きく膝を曲げ、空中へ飛び上がる。マリが呼び止める間もなく、彼らは住宅の屋根の上を走っていくと、夜の闇に姿を消した。

「なんなのあれ…」

 マリは信じられないものを見る様子で言葉を漏らす。その間に陽子は、倒れた数馬の元に駆け寄った。

「数馬、数馬、しっかりして…!」

 陽子の悲痛な声に気づくと、マリも数馬の元に駆け寄る。数馬の顔を上げさせると、数馬の顔はボロボロだった。

「数馬、大丈夫?私がわかる?」

「顔が3つあるやつなんて知り合いにいねぇよぉ…」

 数馬の視界は殴られたせいで歪んでいた。そのため、数馬の目に映るマリの顔は3つぼんやりと映っていた。

「…一応大丈夫そうね。陽子、私、飛鳥を探すから、数馬をよろしく」

 マリはテキパキと指示を出す。陽子が数馬に肩を貸して数馬を立たせたのを見ると、マリは1人走り始めた。

「待ってくれ、他に困ってる奴がいるなら、俺も助けに…」

 陽子に自分の体重の半分を預けながら、数馬はマリの背中に声をかける。そのまま走り出そうとしたが、陽子がそれを止めた。

「だめだよ、その体じゃ…今はひと休みしなきゃ…」

 陽子に説得され、数馬は悔しそうに奥歯を噛み締める。陽子はそんな数馬の表情を見上げると、申し訳なさそうに言葉を発した。

「ごめんなさい…私が巻き込んじゃって…」

 それに対し、数馬は微かに笑った。

「気にするなよ。俺が勝手に首突っ込んだだけだ。それに、知らない人でも困ってたら助けたいだろ?」

 数馬の言葉に陽子は俯く。数馬が陽子自身に気づいていなかったことと、数馬の優しい気持ち、そして過去に自分が数馬に向けた言葉を思い返して、陽子は自分の胸が締め付けられるような思いがしていた。

 瞬間、陽子に体重が強くかかる。見ると、数馬が意識を失い、陽子にそのまま体重を預ける形になっていた。

「数馬!?」

 不安になった陽子は数馬の口元に手を当てる。どうやら息はあるようだった。

「…よかった、急ぐからね」

 陽子は1人そう言うと、足を早めた。




 その頃、マリは不穏な物音のする方へ駆けていた。刃物と金属がぶつかり合うような音と、男と女の声。マリが道を曲がると、そこでは飛鳥が何者かと格闘していた。

「動かないで!警察です!」

 マリが拳銃を構えながら声を張る。すると、飛鳥を襲っていた人影たちは、星たちと同じように大きくジャンプして家屋の屋根に上り、その場から逃げていった。

「はぁっ…はぁっ…」

 飛鳥が息を切らしながら膝をつく。彼女の右手には、傷だらけになった警棒が握られていた。

「飛鳥、大丈夫?」

 マリは飛鳥に駆け寄って声をかける。飛鳥はマリに気づくと、一瞬警棒を向けたが、すぐにしまい込んでため息をついた。

「マリか。来てくれてありがとう。私は大丈夫」

 マリは話を聞きながら飛鳥を立たせる。飛鳥はそのままマリに質問を続けた。

「桜と陽子を見なかった?」

「陽子は助けたよ。桜はまだ」

 マリの返事を聞いて、飛鳥は険しい表情を隠せなかった。

「わかった。桜を探すの、手伝って」

「もちろんだよ」

 飛鳥はマリの返事を聞くと走り出す。マリも飛鳥の少し後ろについていくようにしながら走り出した。



 その頃、桜は身を隠しながら大通りに逃げる機会を窺っていた。

 常人よりも優れた聴力を持つ彼女は、じっと息を殺し、物陰から追跡してくる人間の足音などに耳を澄ませていた。

(聞こえる…足音2つ…ずっとこの辺りをぐるぐるしてる…これじゃあここから離れられない…)

 桜は慎重を期して敵がこの辺りから去った後にここを離れようと考えていた。しかし、敵は桜の逃げ道のすぐ近くを巡回しているため、逃げようにも逃げられる状況ではない。

 桜は自分の腰の拳銃(PPK)に手を伸ばす。すでに弾が装填されていることを確認すると、最悪強硬手段に出る覚悟を決めた。

 その瞬間だった。

(足音が変わった…?2人とも遠ざかっていってる…)

 桜の耳には、先ほどまで一定のパターンだった足音が変化して聞こえた。桜はこれが最後のチャンスだと思うと、夜の闇に紛れるように、姿勢を低くしながら走り始めた。

(ここから大通りはそんな遠くない…私の足なら2分で逃げられる…!)

 桜はそう思いながら足音と自分の息を押し殺し、入り組んだ道を走る。

 最後の角を曲がり、大通りの街灯の光が見えた。

(ここまで来れば…!)

 最後の一直線を桜は走る。あと数mで脱出できると思ったその矢先、街灯の光は1人の男の影に遮られ、桜は足を止めた。

「怖がるなよ、桜。俺たちは仲間だろう?」

 魅神暁広は桜の前に立ち塞がり、そう笑いかける。爽やかで甘いマスクの笑顔。だが、桜にはその笑顔に秘めた邪悪さがありありと感じられた。

 桜は右手に握った拳銃を構える。暁広の眉間を真っ直ぐ狙った。

「武田さんを殺して、みんなをどこにやったの?あなたの目的はなんなの?」

 桜の質問に、暁広は静かに微笑むだけで答えない。桜は引き金に指をかけ、力を込めた。

 彼女が引き金を引き切ろうとしたその時、桜の右手が後ろから強い力で掴まれ、引かれる。彼女が抵抗する間もなく、桜の右手首に膝蹴りが叩き込まれた。

「!!」

 激痛のあまり、桜も拳銃を落とす。その隙に、あっという間に桜は羽交締めにされ、身動きが取れなくなっていた。

「相変わらずいい動きだね、茜」

「当然じゃない」

 桜を羽交締めにしているのは茜だった。桜は、茜の腕力に勝てず、とても振り解けないことを確信した。

「茜…!なんでトッシーを止めないの!彼は間違ってる!」

「何を言ってるの桜?トッシーは正義だよ。彼こそが本当に平等な世界を作れる。それだけの力を持ってる。それなのに私を選んだくれた。だから私はトッシーに尽くすって決めたんだよ」

 茜はそう言ってより強い力で桜を拘束する。その間に、暁広は右手に歯車を発現させていた。

「桜、君もこれで理解できるよ」

 暁広はそう言って桜に近づいていく。桜は必死に身をよじるが、茜の腕力によって、桜は逃げられなかった。

「何をするの…!?離して…!やめて!」

 桜は蹴りで暁広を引き離そうとするが、全て軽々と払い除けられ、あっという間に暁広は桜の目の前にやってきた。

「嫌…!嫌ぁああっ!!」

 桜が悲鳴を上げるのも虚しく、暁広の歯車は桜の胸に溶け込んでいく。

 初めは悲鳴をあげていた桜も、そのうち意識を失っていた。

「最初からトッシーの言う通りにしてればいいのに」

 茜は自分の腕の中で意識を失っている桜の顔を見て言う。暁広は首を横に振った。

「仕方ないよ。正しい行いは、初めは受け入れられないものさ」

 暁広の言葉に、茜も頷く。

 そんなのも束の間、暁広の背後から拳銃を構える音が響いた。

「灯島市警よ!大人しくしなさい!」

 暁広はその声の方にゆっくり振り向く。

 彼の目の前には、普通の警官が絶対に持たないであろう大型拳銃(M500)を構えた玲子の姿があった。

 玲子も、目の前の光景に、思わず息を飲んだ。

「トッシー…何をしているの…?」

 茜が気絶した桜を抱え、暁広はその隣で玲子を見ている。玲子はそんな光景に、何をするべきかを見失いそうになっていた。

「やぁ玲子。久しぶり」

「トッシー、質問に答えて。一体桜に何をしたの」

 玲子は緊張した様子で拳銃の撃鉄ハンマーを起こす。引き金を引けばいつでも大口径の銃弾で暁広を貫く用意はできていた。だが暁広は笑顔を崩さない。

「仲間になってもらったのさ。玲子、お前も俺たちの仲間にならないか」

 暁広の言葉に、玲子は指に力を入れる。構わず暁広は話を続けた。

「今の世界は、少数の人間が私欲のために多数の人間から全てを巻き上げている。どうしてそんなことが起きていると思う?少数の人間が力を独占しているからだ。玲子、正義感の強いお前なら、わかるだろう?そんなことは間違っているって」

 暁広は玲子に語りかけながらゆっくりと歩み寄る。玲子もそれに合わせてゆっくりと後ずさった。

「近づかないで…!それ以上近づいたら…!」

「撃つ?」

 暁広は悲しげな表情で玲子の拳銃の銃口を握りしめ、自分の心臓に突きつける。暁広は、玲子の怯えた表情をはっきりと見ていた。

「玲子…お前ならわかってくれるだろう…?俺のことをずっと愛してくれたお前なら…」

 暁広の言葉に玲子は全ての力が抜ける。暁広はそのまま玲子を抱きしめると、彼女の耳元に囁いた。

「本当はお前が好きだったんだ。俺はお前が欲しい」

 暁広の妖しい囁きに、玲子は涙目になりながら拳銃を落としそうになる。

 暁広は追い打ちと言わんばかりに、優しく玲子の唇を奪った。

 玲子は拳銃を落とす。

 暁広が唇を離すと、玲子は涙目になりながら暁広を見上げていた。

「トッシー…」

 玲子がか細い声で暁広の名前を呼ぶ。暁広は玲子に微笑むと、手を離した。

「じゃあな」

 遠くから聞こえてくる足音から逃げるように、暁広と茜はその場を去る。玲子はその場に立ち尽くすことしかできなかった。


 桜がうめき声をあげながらゆっくりと起き上がる。その声で玲子はようやく我に返った。

「桜!大丈夫?」

 落としてしまった拳銃を拾い上げてから桜に近づく。桜は頭を抑えながらゆっくりと起き上がった。

「…いたた…」

「無事そうね。よかった」

 玲子が安堵のため息をつくと、遠くからマリの声が聞こえてくる。玲子は桜を立たせて大通りに出ると、走ってきたマリと飛鳥に手を振る。4人は合流すると、状況を確認し始めた。

「玲子、桜、無事だったんだね」

「敵は、どうなった?」

 マリと飛鳥が尋ねると、桜が答えた。

「上手く撒けたみたい」

 飛鳥はその言葉に疑問を持たず、頷いた。

「だったら早く逃げよう。いつ向こうが体制を立て直してくるかわからないし」

 マリがその場を仕切る。その場の全員は、マリの言葉に従ってマリと玲子の乗ってきたパトカーへ走り出した。


 

 一方、暁広たちは山を登って自分達の拠点へ戻ろうとしていた。

「すまない暁広、あの女、取り逃した」

 暁広の隣を歩く星が言う。圭輝も申し訳なさそうに顔を背けながら毒づいた。

「警察が来るとはな…」

「気にするな」

 暁広が穏やかな表情で言う。状況としては失敗にも等しいが、それでも暗くなっていない暁広の姿に興太は疑問を覚えた。

「トッシー、いいのかこれで?」

「優秀な手駒がふたつ増えた。ここで目撃者を殺せなかったことを帳消しにしてお釣りがくる」

 暁広が言い切ると、他の仲間たちは感心したように暁広を見た。同時に、暁広の隣を歩いていた茜が暁広の脇腹を小突いた。

「悪い男だよねー、トッシー。あんなこと言って玲子を騙して」

 そう言う茜の表情は満面の笑みで、玲子のことを心から馬鹿にしているようだった。

「えぇ?最初から玲子が好きだった?私に告白したのはトッシーの方だったのに?玲子のことが好きなんてありえないのにね?ふふふ….ははは!」

 茜は暁広の声真似をしながら大笑いする。暁広も初めは笑いを堪えていたが、我慢しきれず茜の肩を抱いて一緒になって笑い始めた。

「やめろよ茜、あの女、馬鹿なんだよ」

「あー、ひっどーい」

 暁広の言葉に、茜もわざとらしく言う。薄暗い山道に、2人の笑い声だけが響いていた。



 マリの運転するパトカーは、飛鳥の指示で波多野のオフィスへ向かっていた。助手席に気絶した数馬が座らされ、それ以外の4人は後部座席に並んで座っていた。

 後部座席で4人が雑談する中、数馬は頭を抑えながら目を覚ました。

「…っ…ここは…?」

「あ、数馬、目、覚めた?」

 運転しながらマリは数馬に声をかける。数馬は頭を軽く振りながら答えた。

「あぁ…ついに捕まったのか…」

「違うよ。殴り合って気絶してたでしょ?」

「…そうだな。助けてくれてありがとう」

「礼は私じゃなくて陽子にね」

 マリはニンマリと笑いながら数馬に言う。数馬はマリの言葉がよく理解できず、マリの方を見た。

「え?」

「あ、気づいてなかった?数馬が助けたの、陽子だよ?」

「えぇ?」

「後ろにいるよ」

「えぇぇ?」

 数馬はマリの言葉を確かめるべく後部座席を見る。見える視界から順に玲子、桜、飛鳥、そして数馬の真後ろに陽子が小さく座っていた。

「あ、どーも」

「…どーも」

 数馬と陽子は気まずそうに会釈する。

 そんな空気を断ち切るように、マリがブレーキを踏むと、数馬は大きく姿勢を崩した。

「おわぁっ!?」

 数馬は慌てて助手席に座り直す。間も無く車はビルの前に止まった。

「お待たせ、到着でーす」

 マリがそう言うと、玲子が車のドアを開ける。それに従って桜と飛鳥は車を降りた。

「みんな、本当にありがとう。巻き込んでごめんね」

 飛鳥が言うと、マリと玲子は大丈夫と軽く答える。一方の数馬は1人だけ声を大きくした。

「おーい、あいつらなんだったんだ?」

 数馬の質問に飛鳥と桜は申し訳なさそうに顔を背けた。

「ごめん、仕事のことは言えないの。許して〜」

 桜はそう言って頭を下げる。数馬はそれ以上聞くのをやめた。

 桜と飛鳥はそのままビルに入っていく。玲子がパトカーのドアを閉めると、マリは再び車を走らせ始めた。

 広くなった後部座席でも、陽子は小さくなっていた。不安そうな表情で、窓の外を眺めていた。

 マリはミラーでそんな陽子の様子を見ると、明るく声をかけた。

「じゃあ陽子、家まで送ろっか」

 陽子はマリの言葉を聞いても、暗い表情をしていた。

「どうしたの陽子、助かったんだからもっと明るくしなよ?」

「あいつら私の家知ってる…殺される…!」

 陽子は恐怖で消え入りそうな声で叫ぶ。実際に殺されかけた陽子の恐怖は生々しかった。

 そんな陽子の様子を見て、数馬も玲子も重い表情をする。だが、マリは少し微笑むと、明るい空気そのままでハンドルを切り、陽子に話しかけた。

「じゃあさ、陽子。数馬の家でしばらく寝泊まりするのはどう?」

 マリの提案に、思わず数馬も陽子も声を上げる。玲子はそれに対し、冷静に賛成していた。

「確かに。独身者の女性よりも、男性と同居している女性の方が犯罪に巻き込まれる確率は低いから、アリかもね」

「え、でも、数馬の家ってそんな」

 陽子が思わず慌てる。だが、マリは安心して微笑んだ。

「大丈夫だよ。隣に私も住んでるから。数馬が変なことしたらすぐに呼んでくれていいよ」

「そういうことじゃなくて…数馬はいいの?」

 陽子は気まずそうに尋ねる。数馬は目の前の会話の展開の早さに目を回しながら流されるように答えた。

「え、あ、いや…陽子が嫌じゃなければ…」

「じゃ決まりだね」

 マリが一方的に話を決める。数馬と陽子は気まずそうにしながら頷いた。

「いいじゃない。数馬だって怪我の介抱してくれる人が欲しいし、陽子は守ってくれる人が欲しいでしょ?じゃあいいじゃん。何事もやってみてから悩めばいいんだよ」

 マリがそう言って笑いかける。

 車は夜の街を静かに走っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

次回もお楽しみいただけると幸いです

今後もこのシリーズをよろしくお願いします

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