表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Magic Order 0  作者: 晴本吉陽
2.信念
31/65

30.ある兵士の日常

2025年 5月3日 灯京都 大鷺島 7:00


 日本に新たに創設された国防軍、その中の師団のひとつ、灯島師団の訓練部隊は、現在訓練のために本来基地のある首都圏から大きく離れた孤島に船に揺られてやってきていた。

 ここにいるのは50名、ただ1人を除いて入隊して1ヶ月ほどの新兵ばかりだった。

 そのただ1人である、重村数馬は複雑な表情をしながら50名の前に立ってこれから行われる訓練内容を説明している飯田大佐を見ていた。

「これより3日間で、指定されたメンバーと共にこの島を踏破してもらう。どのようなルートを活用しても構わない。1 番に目的地に辿り着いた最優秀班には、波多野防衛大臣から直接賞状を授与される。各自最善を尽くすように!解散!」

 飯田大佐がそう言って整列していた訓練生たちの前から去っていく。訓練生たちを乗せてきた巡洋艦に1人乗り込むと、その手すりに寄りかかって訓練生たちを見下ろした。

 訓練生たちはそれぞれ自分の班員たちと合流し始める。それは数馬も例外ではなく、支給された20kgの荷物を背負って他の仲間たちのもとへ歩き始めた。

 5人1組の班で、すでに数馬以外の4人は揃っていた。男が3人、女が1人。男3人は数馬よりも体格がいいのが一目でわかった。

「おはようっす。遅くなりました、重村です。どうぞよろしく」

 数馬は明るい声で4人に挨拶する。4人は不思議そうな目で数馬を見てから、数馬を輪に加えた。

「もしかして、去年上官を殴ったって噂の重村?」

 数馬の隣に立った男の1人が数馬に尋ねる。その胸元には、「永戸」と刺繍が入っていた。

「あー…悪い噂は広まるもんだな」

 数馬は否定できずに苦笑いする。永戸は歓迎するような空気だったが、女と男の1人は数馬を敬遠するような空気を出していた。

「先輩の安藤さんと知り合いで、噂は色々聞いてました」

「佐ノ介か。余計なこと吹き込みやがって」

 永戸の言葉に、数馬はにこやかに笑って答える。そんな間に、申し訳なさそうに1人が咳払いする。数馬は申し訳なさそうに少し頭を下げると、咳払いをした男の方を向いた。

「今回班長をやらせてもらう、桜木です。先輩かもしれませんが、今回は僕の指示に従ってもらいます」

「もちろん。それと、先輩って呼び名はやめてくれよ」

 数馬は照れ臭そうに笑って答える。桜木は穏やかに笑って頷いた。

「おい、さっさと進もうぜ。さもないと1番を取り逃す」

 少し強い口調で、さらに別の男が提案する。数馬が目をやると、彼の胸元には「塚崎」と刺繍が入っていた。桜木も頷いた。

「そうだな。じゃあルートを決めよう」

 桜木はそう言ってリュックを下ろして地図を広げる。全員その場にしゃがみ込むと、地図を見下ろした。

「俺たちがいるのはこの東の海岸、目指すのは西の海岸」

「ルートは二つ。密林の中を突っ切る最短ルートか、南の海岸沿いに行く迂回ルートか」

 桜木と塚崎が言葉を交わす。数馬はそれを遠くから見守っていた。

「1番を目指すなら、密林を突っ切るべきね。海岸沿いに行くなら120km歩くところを、密林なら70kmで済む」

 ここまで話していなかった唯一の女が提案する。数馬が胸元の刺繍を見ると、彼女の苗字は「石原」だった。

「そうだな。2日で70km、俺たちならなんとかなると思う。やってみよう」

 桜木が言うと、その場にいた全員が頷く。桜木がリュックを背負い立ち上がると、全員同じようにしてリュックを背負って立ち上がると、正面に見える密林に向けて歩き出した。



 密林の中に入ると、日が高く昇っているにもかかわらず、夕方のような薄暗さだった。

 地面はぬかるみ、湿度も高く、さらに倒木なども多く簡単には歩きにくい。そこに20kgの装備もあるため、普通の道を70km歩くのとは訳が違っていた。

 湿った空気のせいで体の内側から絞り出てくるような汗を拭いながら、数馬たち5人は歩いていた。

 数馬は先頭を歩く塚崎の隣を歩いていた。塚崎の表情にも僅かに疲労が見えてきている。数馬はそれに気づくと、軽い空気で塚崎に話しかけた。

「塚崎くんよ、そんな一番なりたいか?」

「…なんです?」

「ただの好奇心だよ。教えてくれよ、なりたいのか、一番?」

 数馬が明るい調子で尋ねると、調子を狂わされたような様子で塚崎は面倒臭そうに答えた。

「…それは、まぁ」

「あれか?防衛大臣からの賞状が欲しいのか?」

「それがあればそれなりに昇進しやすくなりますからね」

「真面目だなぁ」

 心の底から感心したような声をあげる数馬に、塚崎は耳を疑った。

「たいていの人はこれを聞いてそうは言わないんですが」

「まぁ、それはみんなも真面目だからだろうな。俺は未来なんか考えないタイプだから、塚崎くんみたいに真面目に未来を考える奴は尊敬してるよ」

「嫌味ですか?」

「事実だよ。じゃなかったら上官なんて殴らない」

 自分への警戒心を解かない塚崎に、数馬は自虐を交えて雑談を進める。なんとなく数馬という人間を理解し始めた塚崎は、数馬の言葉に小さく笑って答えた。

「せいぜいウチの班長は殴らないでくださいよ」

「善処します」

 塚崎の言葉に対し、数馬は冗談めかして答える。数馬はそのまま声を上げて笑ったが、塚崎は気難しそうな表情で頭を抱えた。

 数馬と塚崎が雑談を交わしていると、後ろから女の悲鳴が聞こえてきた。2人が慌てて振り向くと、石原が湿った斜面に足を滑らせて転倒したようだった。

かえで、大丈夫か?」

 すぐに隣にいた永戸が手を差し伸べる。しかし、石原はその手を取らずに立ち上がった。

「大丈夫、みんなの足手まといにはならないから」

 石原はそう言ってどんどんと前に進んでいく。数馬と塚崎の間を通り抜け、他のメンバーも置いて進もうとしていた。

「桜木班長、提案」

 そんな様子を見て数馬は手を上げて石原にも聞こえるように声を発する。石原も足を止めて数馬の方へ振り向いた。

「ここでひと休みしねぇか?」

 数馬は明るい声と表情で言う。その提案に、塚崎が真っ先に食ってかかった。

「何を言ってるんです、まだ歩き始めて4時間、こんな密林じゃ夜は歩けないことを考えたら、このペースだって遅いくらいです。休憩なんかしてる場合じゃない」

「何をおっしゃる、世間はお昼時ですぞ?」

「真面目にやってください」

「だったら班長に決めてもらいましょうぜ?」

 数馬はそう言って桜木の方を見る。そのまま数馬はおどけたような言い方で桜木に頼み始めた。

「頼むよ桜木くん、俺おっさんだからさ、船に揺られて疲れちゃったんだよねー。だからさ、ここらでバシッと腹ごしらえ、いっとかない?」

「桜木、わかってるだろう?俺たちは1番になるんだ、こんなところで休んでる場合じゃない」

 すぐに塚崎も桜木を説得し始める。

 桜木は僅かに考え、決断した。

「一旦休もう」

 桜木が言うと、数馬はすぐにリュックを下ろす。塚崎と石原も何か言いたげだったが、数馬に続いてリュックを下ろした永戸と桜木を見て何も言わずにリュックを下ろした。


 数馬はすぐに倒木に腰掛け、リュックから携帯食料の缶詰を取り出す。楽しそうに缶詰の中の食事を頬張る数馬の表情を見ながら、塚崎は全員に聞こえるように石原に言った。

「石原、先輩と桜木はお前に気を遣ったんだからな。次足手まといになるようなことがあったら置いていくぞ」

 塚崎の言葉を聞いて、石原は言い返そうとしたが言葉を飲み込む。しかし、石原以上に永戸は頭に来たようで、立ち上がって塚崎に食ってかかった。

「おい塚崎、その言い方はないだろ!楓はただ転んだだけじゃないか!」

「疲れてたからだろ?体力がなかったからだろ?きっとまた似たようなことが後半で起きるさ。そんなことされたら一番にはなれない、だったら置いてくだけだ」

「そんなのダメに決まってるだろ!」

「やめて永戸!」

 石原が悲痛に叫ぶ。彼女は俯きながら話し始めた。

「塚崎の言う通りだよ。私は疲れてた。体力にも自信がある訳じゃない…私のせいで1番になれないなら、私のことは置いていくべきだよ」

 石原にそう言われると、永戸も何も言えなかった。

 すぐに石原は数馬と桜木の方を向いた。

「先輩、気を遣ってもらってありがとうございます。今後は私のことを気遣って休まなくていいんで」

「別に。俺が腹減っただけだよ」

「そういうの、いいんで。桜木も、先輩が気遣って休もうって言っても、気にしなくていいから」

 石原は淡々と桜木に言う。石原の悔しさが言葉の端々から溢れているのが伝わってくるのが、桜木には辛かった。

 班全体の空気が悪くなったのを見て、数馬は話し始めた。

「『国防軍に必要なのはどんな人材だと思う?』」

 突然発せられた数馬の言葉に、全員戸惑うように数馬の方を見る。数馬はその視線を確認してから話を続けた。

「『国防軍にただ喧嘩が強いだけの奴は要らない。必要なのは、規律を守り、協調性のあるやつだ』」

「え?」

「『たとえば災害救助などで世界に出た時、俺たちはいわば日本代表になるわけで、日本代表として無様を晒すような奴を、国防軍は求めていない。うまくいかないやつとでも、折り合いをつけられる奴を国防軍は求めているんだ』」

 数馬の言葉に、その場にいた全員が真剣に耳を傾ける。数馬はそれを見てニヤリと笑った。

「って、俺が上官をぶん殴った時にお叱りを受けた」

 数馬はそう言って声を上げて大笑いし始める。初めは数馬1人で笑っていたが、堪えきれなくなった永戸も一緒になって笑い出すと、桜木も腹を抱えて笑い出す。石原も口元を押さえていたが、ついに我慢しきれなくなると吹き出したように笑い出し、塚崎も一瞬呆れたような表情を見せたが、最後には笑い出していた。

 数馬は空気が軽くなったことに安堵すると、缶詰に入っていた最後の米の塊を噛み締め、空き缶をリュックにしまった。

「とまぁ、これが国防軍でうまくやるコツっすよ。気に食わないから消えろとか、そうやってたら上手くいくものも上手くいかない訳ですわ」

 数馬の言葉に、塚崎が俯く。そして次の瞬間には石原の方に向き直っていた。

「すまなかった」

 塚崎が頭を下げる。石原は遠慮がちに首を横に振った。

「ううん。私が同じ立場だったら、もっと酷いこと言ったと思う。だから気にしないで」

 穏便に塚崎と石原の会話が終わったのを見て、数馬は1人にこやかに笑っていた。同時に、数馬の中で疑問だったことを尋ねるチャンスだと思い、彼らに尋ねた。

「もしかして、みんなやっぱり一番になりたい感じか?」

 数馬が尋ねると、他の4人はお互いに顔を見合わせてから頷いた。

「あ、みんなそうなの?どして?」

「先輩方からよく聞くんですよ。現在の佐官クラスの人たちのほとんどはここで優秀な成績を取っていたって」

「なるほど、エリート認定されたいのか。でも、そんな出世してどうしたいんだ?出世なんて敵が増えるだけじゃねぇの?」

 数馬の質問に答えた桜木に、数馬は改めて質問する。数馬の言葉に初めに答えたのは塚崎だった。

「それでもいいです。敵はいつでもいますから」

「どういうことだ?」

「俺の故郷はいつも支鮮華の領域侵犯に怯えてた。支鮮華と親しい政治家たちはそれを黙殺してきた。俺が国防軍の幹部になれば、故郷を脅かす奴等を許しはしない…」

 塚崎の表情は険しかった。その表情に、数馬は塚崎の本気を垣間見た。

 塚崎が話し終えると、石原が続いて話し始めた。

「私は、国防軍の世間の印象を変えたいと思ってます。災害救助に、領域侵犯への対応、命懸けで働く自衛官たちに対し、マスコミは人殺し呼ばわりしたりして、印象を悪い方へ操作する。それを変えたいんです」

 石原の言葉に、その場にいた全員が共感したように頷く。数馬はそれを見て、みんな同じような理由かと思ってそのまま話題を振った。

「桜木もそういう理由なのか?」

「いや、自分はそんな立派な理由じゃありません。ただ、女手一つでここまで育ててくれた母に、いいカッコ見せたいと思いまして」

 数馬は桜木の曇りのない表情を見て、思わず目を逸らす。数馬と同じように、永戸も気まずそうに笑いながら片手で頭を押さえた。

「参ったな…先輩、俺のはみっともないから言わなくていいすか?」

「あぁ、無理には聞かないよ」

 理由を話したがらない永戸に対し、数馬も聞き出そうとするのをやめる。そして、話をしてくれた他の3人に数馬は穏やかな表情で礼を言った。

「みんな、教えてくれてありがとう。聞けてよかった。みんな、真面目なんだな」

 数馬に言われると、三者三様の表情を見せる。数馬は腕時計に目線を下ろしてから、桜木の方を見た。桜木もそれに気がついて腕時計を見ると、立ち上がった。

「さ、出発しよう!」

 桜木はそう言って立ち上がると、リュックを背中に回す。桜木に続いて他のメンバーも全員リュックを背負うと、立ち上がった。



19:00

 太陽が沈み、すでに辺りは真っ暗になっていた。

「おーい、ひと休みしようぜ」

 数馬は平然とした様子で提案する。それに対して、塚崎は汗を拭いながら言葉を返した。

「何を言ってるんです、まだ1900(ひときゅうまるまる)で、しかも25kmしか進めていません。あと10kmは進まないと」

 塚崎が訴えるが、それを抑えたのは桜木だった。

「やめよう」

「桜木、このままじゃ他の連中に置いていかれるぞ」

「しかし、装備品の都合上、ライトを使用できるのはせいぜい6時間だ。日が出てないんじゃ進む方角も分かりにくく、遭難する可能性も上がる。みんなの体力とも総合して考えれば、ここで休むべきだ」

 桜木が言うと、塚崎も言いたいことをグッと飲み込んで賛成した。桜木の発言が理に適っていると思ったからである。

「決まりだな。じゃ、テントの設営はやっとくよ」

 数馬は議論の流れを見ると、リュックを下ろしてその中からテントの設営のための道具を取り出した。

「分かりました。それじゃあ、自分と塚崎で水を取ってきます。石原と永戸は先輩を手伝うなり、周囲を偵察するなりして待機しててくれ」

 桜木が指示を出しながら、塚崎と一緒に近くの川へ歩き出す。

 残された永戸と石原を見て、数馬は指示を出した。

「じゃあ永戸、テントの設営手伝ってくれ。石原は一応火を起こしておいてくれないか」

「わかりました」

 数馬に返事をすると、永戸は数馬の方へ駆け寄り、石原はテントから少し離れたところで枯れ木を集め始めた。

 テントを張るために金属製のポールをインナーテントに差し込みながら、数馬は永戸に雑談を振った。

「おい、永戸、石原の下の名前、楓って言うのか?」

 数馬はニヤニヤしながら永戸に尋ねる。永戸は少し数馬の表情に気味悪そうにしながら頷いた。

「そうっすよ、何ニヤニヤしてんです?」

「あぁ、失礼。で、仲良いのか?」

「フツーっすよ、フツー」

「んだよ、つまんねぇなぁ」

 数馬は永戸に文句を垂れながら、テントを立たせる。

 ポールとテントを接合しながら、数馬は永戸に質問を続けた。

「高校の同期とかか?」

「まぁそうっすね」

「惚れてるのか?」

「へぇっ!?」

 数馬の質問に対し、永戸が思わず奇声を上げる。

「ほれほれ、手を止めるな」

「すんません」

 数馬は冷静に永戸に指示をしながらテントの設営を続ける。

「で、質問の解答は?」

 数馬は改めて永戸に尋ねる。永戸は困ったような表情をしながら黙って作業を続けていた。

「なるほど。お前が1番を目指す理由はそれか」

 数馬は沈黙を続ける永戸を見て1人納得する。永戸は作業をしながら話し始めた。

「あいつ、昔っから上昇志向ってのが強くて。でもその分なんでも1人で抱えがちなんすよ。だから、せめて俺はあいつの隣で支えてやりたくて」

 数馬はそれを聞きながら、テントの固定用の杭を永戸に手渡す。永戸には数馬の穏やかな表情を見ながら尋ねた。

「先輩は笑うっすか?」

 数馬は首を静かに横に振った。

「全く。そういう理由は好みだからな」

 数馬はそう言って微笑む。永戸はそれを見て照れ臭そうに笑った。


 数分後、桜木と塚崎が戻ってくると、すでにテントが設営され、焚き火の赤色がほのかにあたりを照らしていた。

「ぃよう、おかえり。早速あっためて飲めるようにしようぜ」

 数馬が焚き火の隣に座りながら桜木と塚崎を急かす。桜木と塚崎は、支給された空き缶いっぱいに汲んできた水を、焚き火にさらした。

 グツグツと水が温まっていく音を聞きながら、数馬は桜木に尋ねた。

「今日はここで休むとして、見張りどうする?」

「見張り?」

 尋ね返してきた桜木に対し、数馬はあぁ、と何かを思い出したように話し出した。

「君たちの代はいないのか、問題児」

「え?」

「いや、他の班に嫌がらせをするような問題児がたまにいるんだよ。もっとエグい話をすると、女性隊員を狙って襲う奴もいたらしい」

 数馬が話をすると、その場にいた全員が信じられないと言わんばかりに息を飲む。特に石原は嫌悪感からか自分の服の袖を固く握りしめていた。

「そういう事件を起こさないためにも、見張り役が立っとけって、俺たちの代は言われた」

「そうだったんですか」

「でも、こういうのは言い出しっぺがやるべきだな。今夜は俺がやっとくよ」

 数馬は桜木にそう言って笑いかける。だが、すぐに永戸も手をあげた。

「俺もやります」

「お、いいのかい?」

「はい、もちろん」

 永戸の言葉に、数馬は桜木を見る。桜木は頷いた。

「2人に任せます。うまいこと交代しながらやってくれ」

「よっしゃ。永戸、俺今から寝るから先見張りよろしくな。日付が変わったら起こしてくれ」

 数馬はそういうと、その場から立ち上がり、テントへ入っていく。

「あ、そうだ、出発は何時で?」

「明朝0600(まるろくまるまる)で」

「分かりました、おやすみなさい」

 数馬は話し終えると、靴を脱いでテントに入る。そんな数馬の様子を見て、永戸は尋ねた。

「晩飯いいんですか先輩!」

「良い子は寝る時間なんで」

 数馬は永戸の質問に冗談めかして答えると、そのまま寝息を立て始める。その場に残された数馬の後輩たち4人は、数馬の行為を見て不思議なものを見るような目をしてから焚き火の方を見た。

「不思議な人、だね」

 石原が静かに呟く。他の3人も否定せずに静かに頷いていた。

「悪い人には見えないんだけどな。どうして上官を殴ったんだろう」

「さぁな。隠してるだけで実は性根がねじ曲がってるのかもしれんぞ」

「塚崎、お前まだ信じてないのかよ」

 男3人の会話が数馬の耳にも聞こえてくる。数馬はそれに反応することなく、静かに目を閉じた。


23:55

 焚き火はすでに消え、食事などを済ませたセットもすでに片付けてある。永戸はそんな暗闇の中で1人テントの周りを見張っていた。

 ふと腕時計に目を下ろすと、その針は12:00を指していた。

 永戸は数馬を起こそうとテントの方へ歩く。しかし、永戸がテントを明よりも先に、テントの入り口が開くと、すでに準備が出来上がっている数馬が現れた。

「よ、お疲れさん。ゆっくり休んでな」

 数馬が永戸に声をかけると、永戸も静かに会釈する。

 そのまま数馬と入れ違いにテントに入っていく永戸に、数馬は小さく「彼女を襲うなよ?」と冗談を告げて、1人暗闇の中に立った。

 ぼんやりと暗闇の中を見る。視線の先に、先行した班の焚き火の赤色が見える。

 数馬は上をみる。これほどの静寂ならば、星空のひとつでも見えそうなものだが、昼でも薄暗いこの密林に、星の光は入って来ず、実際木々の枝に遮られて何も見えない。

 数馬は次にテントを見た。3人の寝息に加えて、永戸の寝息も聞こえてくる。

「未来、か」

 真っ直ぐに自分の将来を描く彼らの姿は、数馬にとって眩しく見えた。

 数馬は懐の拳銃(M92F)を服越しに触る。法に触れてはいるものの、弾を抜いてあり、誰にも見つかっていない数馬の私物の拳銃である。数馬はそれを撫でながら物思いにふけっていた。

(俺があまり口出ししすぎるのもダメだとは思うが…あいつらがもし本当に夢を叶えたなら…新しい形の国防軍が生まれるかもしれないな。俺みたいな人間にも…居場所ができるかもしれない…)

 数馬の脳裏に、かつて殴り抜いた上官の顔がよぎる。しかし、それを振り払うと、数馬は前を見た。

「…やりますか」

 数馬はひとつ決意をすると、改めて前を見る。先行していた班の焚き火が消えたのがわかった。

「よく寝てろよ」

 数馬は1人静かにそう呟いた。




翌朝 05:30

「朝だぞぉお!!」

 数馬がテントで寝ている後輩たちを起こすために声を張る。あまりの大音量に、思わず彼らも慌てて体を起こした。

「おはようさん!よく寝たかい?」

「…クソうるさいっすね、先輩」

 塚崎が悪態をつきながら目を擦る。数馬はそれを高笑いで受け流した。

「あの後ずっと見張ってたんすか?起こしてくれればよかったのに…」

「ま、タイミングと噛み合いだから気にすんな」

 申し訳なさそうにする永戸に、数馬は笑って答える。

「さ、早く行こうぜ、じゃないと俺がテント畳んじまうぞ!」

 数馬はそう言って入り口から姿を消す。テントの外から物音が聞こえてきたことから、数馬が本気なのを察した彼らは慌てて寝袋を畳み、自分の荷物をまとめてテントの外へと出た。


 テントを畳み終えた数馬たちは、忘れた荷物などがないか点検する。

 改めて点検を終え、出発しようとする桜木たちに、数馬が手を挙げた。

「なんです、先輩」

「お前たち、勝ちたいんだよな?」

 数馬は尋ねる。他の4人は不思議そうに顔を見合わせてから答えた。

「当然です」

 数馬はその4人の表情を見て頷いた。

「わかった。だったら、俺に指揮を任せてくれないか」

 4人には意外な発言だった。しかし、数馬が安い思いつきで動いているわけでないことは容易に察せられた。

「どういうことです」

「君たちの熱意に、俺なりに応えたいと思ったのさ。俺は1度これを経験してる。任せてみてはくれないか」

 昨日の数馬からは想像もできないような真剣な表情に、4人はどよめいたが、すぐに桜木は頷いた。

「お願いします、先輩。信じてますよ」

 桜木がすぐにそのような態度を取ったので、他の3人もそれに従う。数馬はそれに対して、ありがとうと答えると、全員の先頭を歩き始めた。

「それで、どういう作戦なんです?」

 歩きながら塚崎が尋ねる。数馬は塚崎に背中を向けて前に進みながら答えた。

「1500(ひとごーまるまる)まで前進し、そこで休息。その後夜間に進み明朝に目的地に辿り着く」

「なんだって!?」

 塚崎は驚きを隠せなかった。

「わかっているんですか!夜間は進めない!方角がわからなくなるし、ライトの連続使用だってそんな長時間はできない!仮に4時間休んで19時に出発しても、ライトが使用できるのは深夜3時まで、そこから先は真っ暗で進めはしない!」

「その通り」

「じゃあどうして!」

「まぁまぁ、信じてくれや」

 熱くなる塚崎に対し、数馬は軽い空気で受け流す。塚崎はそのまま桜木にも食ってかかった。

「おい桜木!この男を信じるのか!」

「信じる。俺にはここから正攻法で1番になる方法が思いつかない。だったら、俺はこの人を信じてみたい」

 桜木は塚崎に言う。塚崎は未だ不満そうだった。

「班長命令だ!重村さんに従え!」

 桜木は強い口調で塚崎に言う。塚崎は不満そうな表情をグッと飲み込み、静かに声を発した。

「…了解」

 塚崎がそう返事をしたのを聞いて、永戸と石原はお互いに顔を見合わせ安堵する。数馬も、班が一枚岩になったことにニヤリと笑い、全員に告げた。

「塚崎が熱くなるのは、それだけ本気ってことだ。俺だってわかってる。大丈夫、期待には応えてみせる。今は俺を信じてくれ」

 数馬は真剣なトーンで言う。彼の眼差しに、並外れた本気度を感じると、後輩4人は一層気を張った。



15:00

 ある程度開けた地形にやってくると、数馬はリュックをそこに下ろし、テントの設営を始めた。

「テント組むぞ。石原、永戸、焚き火を。桜木は水、塚崎は俺とテントだ。準備できたやつから飯食っていいぞ!」

 数馬はテキパキと指示を出しながらテントを組んでいく。塚崎も数馬を手伝いながら、数馬に尋ねた。

「現在我々がいるのは45km地点。日没を18:00とすればあと5kmは進める。そうすれば明日の夕方ごろには目的地に着ける。なぜそうしないんです」

「今休んどけば明日の朝に着けるからな」

 数馬の言葉に、やはり塚崎は理解できない様子で頭を抱える。そして塚崎は数馬のことをジッと睨んでいた。


 テントの設営が終わると、全員で早すぎるくらいの夕食を食べる。その間にも、遠巻きに他の班の足音が聞こえてくる。自分達が追い抜かれているのだと思うと、後輩4人は不安そうな表情をしたが、数馬は全く平気な表情だった。

「食い終わったら全員すぐ寝てくれ。俺が見張りをやる。タイミングになったら起こす」

 数馬はそう言うと、食べ終わった空き缶をリュックに詰める。そして近場の木に寄りかかると、周囲を見回し始めた。

 そんな数馬の様子を見ながら、塚崎は永戸に近づき、小声で話し始めた。

「あの人、俺たちを負けさせようとしてるんじゃないのか?」

「まさか」

 塚崎の言葉に、永戸は簡単に言い切ると、食べ終わった缶詰をリュックに入れ、テントに入っていく。桜木、石原と、次々とテントに入っていくのを見て、塚崎も焚き火を消してからテントに入った。

 数馬は一連の流れを見ると、改めて周囲を見張る。やはり他の班は順当に先に進んでいくのが聞こえてくる。それを聞きながらテントの入り口が向いている方向も確認すると、1人静かに目を閉じた。


20:00

「起きろ、時間だ」

 テントの入り口を開け、数馬が後輩たちを1人1人ゆすり起こす。

 後輩たちはすでに準備ができていたリュックを背負ってテントを出ると、数馬はテント一式を畳み、自分のリュックに突っ込んでいく。

「桜木、ロープで全員の体をつなげ。はぐれないようにするんだ。それと、全員ライトを出せ」

 数馬が手短に指示を出し、その間にテントを畳む。桜木は指示通り全員の体をロープで繋ぎ、数馬が先頭になるようにした。

「よし、いくぞ」

「でも方角はどうやって」

「あれだ」

 数馬が指を差す方角には、赤く揺らめいている炎があった。

「あれは…!」

「先に行った班の焚き火の光だ。あれを目印にすればおおよその方向はわかる。夜間でも進めるってわけさ」

 数馬のアイディアに、思わず全員言葉を失う。数馬はそれを気にせず、腕時計を見た。

「ライトもなんとかなりそうだ」

「でも6時間で目的地には行けないですよ」

「確かにな。だがそれはライト1個の話だ。5人で2つのライトを順番に使えば、12時間は持つ」

 数馬の言葉に、反論していた石原も気付かされたように言葉を失う。桜木が集めたライトを、前から3番目の永戸と、一番後ろの石原が受け取り、足元を照らす。これと先に進んでいた班の焚き火の光により、昼間と同じように動けるようになっていた。



 数時間歩いていくと、目印にしていた焚き火の光を遠巻きに通り越す。すでに焚き火の光はもう見えない。しかし、彼らはすでに方角を把握しているため、足元さえ照らせば問題なく前に進める状態だった。

「全員追い抜きましたね」

 塚崎が勝利を確信したような表情で言う。士気が高くなっているのを感じた数馬は、あえて尋ねた。

「こっからゴールまで歩く。全員行けるな?」

 数馬の質問に、全員一斉に「おう」と答える。数馬はそれを聞いてわずかに足を早めた。

 


 さらに数時間歩くと、数馬たちの足元を照らすライトが消えた。

「桜木、ライトの交換を」

「了解」

 指示を受けた桜木は、しまっていたライトを点灯させて配る。ライトを受け取った永戸と石原はそれぞれ自分の少し先の足元を照らしていた。

 目的地まで12km。



 徐々に太陽が昇り始めると、辺りが薄明るくなってくる。同時に、ライトが弱まりつつあった。

「先輩、ライトが…」

「大丈夫だ、あと少しで着く」

 ライトのバッテリー残量を見て不安をみせる石原に対し、数馬は前へ進みながら答える。数馬の答え方に、改めて他のメンバーは数馬への信頼を強めた。

 ライトが消える。しかし、数馬は足を止めず、ロープで繋がっている仲間たちを前へ前へと引き連れた。

「先輩、木が!」

 数馬のすぐ後ろにいた桜木が声を張る。彼が言う通り、徐々に目の前の木々の数が少なくなり、砂浜がわずかに見えてきた。

「あと少しだぞぉ!」

 数馬が声を張る。後輩たちも、それに対しておう、と声を張った。



08:00

 明るくなった砂浜のすぐ近くに、国防軍の巡洋艦が停泊していた。数馬たち訓練生を乗せてきた船であり、そこから彼ら訓練生を率いる灯島師団の飯田大佐は訓練生たちのゴールの砂浜を見下ろしていた。

「飯田、おはよう」

 そんな飯田の後ろから、波多野が声をかける。飯田は振り向いて敬礼してから答えた。

「波多野防衛大臣、おはようございます」

「今年もこの時間に着くやつがいると思うか?」

「毎年賢いやつはいるものですから」

 波多野の質問に、飯田は答える。波多野は納得したように頷き、密林から砂浜に現れた班を見てニヤリとした。

「なるほど、お前の言う通りだな」

 波多野に言われると飯田は振り向く。飯田もニヤリとすると、手元にあったバインダーを手に持ち、船から降りてその班員たちに向き合った。


「お前たちは…7班の桜木班だな。おめでとう、1位だ」


 飯田の言葉に、班員たちは喜びの笑みや声を交わす。数馬は後輩たちのそんな姿を見て、遠巻きに微笑んでいた。

「重村、お前の入れ知恵だな?自分がやられたやり方を後輩に教えるとはな」

 飯田は数馬にそう言って笑いかける。後輩たちは全員驚いたように数馬の方を見た。

「え、重村先輩が思いついたんじゃないんですか?」

 桜木の質問に、数馬は頷いた。

「実はな、去年これで俺たち2位だったんだよ。最初の桜木たちみたいに昼間に進めるだけ進むやり方してたら、このやり方やった奴らに負けちまってさ。だから俺としては教えたくなかった」

 数馬の言葉は嘘ではなさそうだった。だからこそ後輩たちも数馬の言葉に耳を傾けていた。

「まぁでも、それでもそのおかげでお前たちが1位になれたから、去年の負けは活かせたかな」

 数馬はそう言ってニヤリと笑う。数馬の態度や言葉に、改めて後輩たち4人は頭を下げた。

「ありがとうございました」

「よしてくれ、同期なら助け合うのが普通だろ?」

 礼を言う4人に対し、数馬は冗談めかして言う。それに対して、永戸が茶化して答えた。

「そーっすね、先輩!」

「だーから、先輩と呼ぶな!あ、でも、悪くねぇかも」

 数馬の冗談に全員穏やかに笑い合う。

 飯田と波多野は、若者たちの笑顔を遠くから見守っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

次回もお楽しみいただけると幸いです

今後もこのシリーズをよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ