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The Magic Order 0  作者: 晴本吉陽
1.少年たち
22/65

21.黒い翼の天使

5月6日 6:00

 数馬は暗闇の中にいた。何も見えなければ、誰もいない。

「どこだ、ここ」

 数馬はただぼんやりとしながら呟く。いくら周りを見回しても、わずかな光も見えない。


 瞬間、数馬は背後から気配を感じた。その場から飛び退くようにしながら振り向く。

「誰だ」

「私だよ、重村数馬」

 低く響く男の声。靴音が徐々に数馬に近づいてくる。

 数馬には、暗闇でもその男の顔がはっきりと見えた。

「ヤタガラス…」

 数馬の目の前に現れた男は、半年ほど前、戦いの末数馬が殺した男、そして数馬の故郷を奪った黒幕であるヤタガラスだった。

「ってことは…ここは夢の中か」

「正確には、お前の心の中だ」

 数馬が言うと、ヤタガラスが訂正する。同時に数馬はそれを聞いて自虐的に笑った。

「真っ黒じゃねぇか、俺の心」

「そうだな」

 数馬の言葉に、ヤタガラスはニコリともせず答える。

 そのまま数馬とヤタガラスの間に沈黙が流れる。数馬はため息を吐くと、言葉を繋いだ。

「ヤタガラスさんよ、さっさと消えちゃくれねぇか?」

「そうはいかない。私を呼んだのは他でもないお前だからな」

「…なんだと?」

 当然数馬にはそんな記憶はない。

「何の話だ、ヤタガラス」

「とぼけるな」

「ボケちゃいねぇよ」

「なら問おう、重村数馬。お前はなぜ昨日暴れ回った?」

「洗柿の野郎が気に食わなかったからだよ」

「本当にそれだけか?」

「何が言いたい?」

 数馬がいら立ちながら尋ねる。ヤタガラスは数馬の目をジッと見ながら答えた。


「お前は何かと理由を見つけて戦いたかっただけじゃないのか?」


 ヤタガラスの言葉に、数馬は思わず目をわずかに逸らしていた。

「…違う」

「私の目を見て言ってみろ!!」

 ヤタガラスの怒鳴り声が響く。数馬は怯みながらももう一度ヤタガラスの目を見据えた。

「違う!俺はあの野郎が許せなかったんだ!」

「ならなぜ魅神を攻撃した!」

「敵の味方は敵だからだよ!」

「じゃあ玲子は!?」

「アイツだって同じだ!」

「違う!教えてやろう!お前は玲子と戦えた瞬間、『また』笑っていた!」

 ヤタガラスの言葉に、数馬は固まった。それを見たヤタガラスは数馬ににじり寄っていく。

「貴様は結局闘争本能から逃げられないんだ!」

「違う…」

「戦いが好きなんだよ!」

「違う…!」

「争いたくて、戦いたくて、その理由をずっと探してる!」

「違う!」

「お前は戦いの中でしか生きられないんだよ!!」

「やめろっ!」

 ヤタガラスが数馬の首を締め上げ、持ち上げる。数馬はもがくが、とても振り解けなかった。

「認めろ!重村数馬!お前自身の闘争本能を!そして捨てろ!平和に生きたいなどという仮面を!」

「違う…!仮面なんかじゃない…!」

「嘘を吐くな!」

 ヤタガラスは数馬を床に叩きつける。

「貴様は私と同類だ!戦いの中でしか生きられない、戦いを愛して止まない狂人だ!」

 ヤタガラスはそう言って腰からナイフを取り出す。

「受け入れろ!!」

 ヤタガラスが叫ぶ。

 鋭いナイフは数馬の心臓に突き立てられた。

「うぐわぁああああああ!!!!」







「!?」

 数馬は文字通り跳ね起きた。

 そしてまず自分の心臓を確認する。しっかりと動いているし、ナイフも刺さっていない。

「はぁっ…はぁ…」

 数馬は荒れた息を整える。額も背中も、冷や汗で濡れていた。

「…ホント、勘弁してくれよ」

 数馬は1人呟く。

 

 数馬がもう少し寝ようかと横になると、壁越しに隣の部屋がノックされる音が聞こえた。

 隣の部屋の扉が開き、すぐに閉まる音がすると、会話が聞こえてきた。

「佐ノくん、おはよう」

「おはよう、マリ」

「昨日は、大変だったね」

「…うん」

「女子の間でも、すごい言われようだった。『アイツ最低だね』とか、『暴力野郎』とか…私聞いてられなくて…」

「まぁ、事実なんで」

「そんなことないよぉっ、私知ってるもん、佐ノくんがなんの理由もなく他人に暴力振るう人じゃないって。佐ノくんが戦うのには理由があるはずだもん、いつもそうだったじゃん。今回だってそうなんでしょ?」

「…ごめん、武田さんに口外するなって言われちゃってて。理由は言えない」

「そんな…」

「しばらくは俺のこと、みんなと一緒にクズ呼ばわりしてて」

「イヤだよ!そんなの!佐ノくんには事情があったんでしょ?それなのに魅神とかが一方的に許されるなんておかしいじゃん!」

「マリ」

「こんなの絶対おかしいよ…!こんなの…!」

「マリ。そう言ってくれるだけで本当に嬉しい。だから泣かないで。俺のことを信じてくれるなら、今はみんなと話を合わせて」

「…じゃあ昨日戦った理由を教えて」

「マリ…」

「そうじゃなきゃ納得できないよ!」

「…秘密だよ?」

「うん」

「湘堂で逃げる時、洗柿が、竜雄の家族を盾にしたらしい。でもアイツ…全然悪いとも思ってなかった。それでついカッとなって…」

「そんなの全部洗柿が悪いんじゃん!なんで佐ノくんが悪く言われる必要があるの」

「いやぁ魅神が洗柿についたからなぁ。みんな魅神のことは簡単に信じるし。武田さんも、洗柿が悪いとは言いつつ、魅神がそれの味方しちゃったからチーム全体のこと考えて俺たちが悪いことになった」

「そんな…」

「わかってくれた?」

「わかんないよ…やっぱり悪いのは洗柿と魅神じゃん…」

「マリ」

「わかってる…佐ノくんがみんなのことを考えてそう言ってるのも。だから私はあなたの言う通りにする。けど…悔しいよ…魅神の何が正しいって言うの?ただ声が大きいだけじゃない…!」

「マリ。それ以上はダメだよ。俺、人の悪口言ってるマリは見たくない」

「…ごめん」

「いいよ、俺のことを思って言ってくれたんだろ?だったら謝らなくていい。むしろ、ありがとう。またマリに惚れ直しちまった」

「…もぅ!」

 

 壁越しに聞こえてくる佐ノ介とマリの会話。数馬は横になりながらぼんやりとその会話をひと通り聞いていた。

「佐ノはいいよな、わかってくれる女が居てよ」

 数馬はそうぼやきながら寝返りをうって机の上を見る。掛けられたホルスターに入っているのは、愛用の拳銃M92Fだった。

「俺には銃しか居ねぇや」

 数馬は自分しか居ない部屋の天井に呟く。もうひと眠りしようかと思ったが、起きることにした。

 ここで生活するようになった日から支給された濃紺のジャージに袖を通すと、冷水で顔を洗い、部屋を出た。

 いつもの朝食の時間よりも少し早いが、部活で朝練に行くメンバーたちのことも考えて最近は朝食の時間にある程度幅がある。そのため、数馬は朝食を食べようと部屋を出ていた。

 2階に差し掛かると、たまたま同じくらいのタイミングで起きたらしい良子がいた。

「よっす」

「うわ」

 数馬が陽気に挨拶すると、良子は嫌悪感を露わにした声を上げて数馬に背を向けて逃げた。

 数馬はひとつ舌打ちすると階段を降り、食堂に入った。

 お盆を持ち、素早く自分好みの食材を皿に盛り付けていく。

 食堂の誰もいない奥の席に1人陣取ると、一礼してから黙々と箸を動かし始めた。

「おい、聞いたか?昨日の話」

「あぁトッシーが言ってたやつか」

「ホントクズだよね、アイツ」

 遠巻きに、声をひそめて話すのが数馬にも聞こえていた。時おり視線も感じる。だが数馬は全てを無視してみそ汁をかっこんでいた。

「アイツさ、最初から人殺しをためらってなかったんだよね」

「え?まさか生まれついて人殺しってこと~?」

「マジかよ…」

 男子の声も女子の声も入り混じって聞こえてくる。構わず数馬は白米をかきこむ。

「昔からいつも暴力事件を起こす問題児だったじゃない」

「まぁそうだけど」

「人のさがは変わらないのよ。暴力的な人間は無抵抗の人間だろうと気に食わなければお構いなく殴る。トッシーの言う通り、あれはテロリストの同類よ」

「心音、後ろ!」

 淡々と持論を語る心音に、香織が青ざめた表情で叫ぶ。

 心音がゆっくりと振り向くと、数馬が心音の背後に立って見下ろしていた。

「おはようさん、学級委員殿」

「あら、おはよう」

 数馬の嫌味たっぷりの挨拶に、心音は無表情のまま挨拶を返す。周囲の全員の表情が固まり、次の瞬間に起きることを固唾を飲んで待ち構えた。

「面白いお話が聞こえたんですが、一体どなたのお話で?」

「あなただけど」

 数馬の質問に、心音は淡々と即答する。逆に周囲の子供たちの表情が青ざめていく。数馬が眉を大きく上げると、心音は食べ終えたお盆を持った。

「ほう。聞き間違いじゃなけりゃ、俺がテロリストと同じだって?」

「言論を尽くさず、気に食わなければ暴力による一方的な現状変更。ヤタガラスや火野、船広と一体何が違うの?」

「俺が殴るのは、俺の前に立った奴だけだ」

「ならあなたがどけばいいのよ、その人たちの前からね」

 心音はお盆を持って立ち上がる。そしてそのまま数馬に背中を向け、お盆を戻しに歩き出した。

 立ち尽くす数馬の様子を警戒しながら、他の子供たちも心音の後を追ってお盆を戻しに行った。

 心音は自分の席に戻る数馬を背中で見送りながら、1人呟いた。

「あなたは荒れ狂うだけの暴れん坊。私の創る世界には不要な人間」

「え?」

「なんでもない」

 心音の独り言は、誰にも聞こえていなかった。


 食事を終えた数馬は、部屋に戻ると椅子に座ってぼんやりと天井を眺める。

 数馬の部屋にあるのは元々置いてあった机と、ベッド、学校から支給された教科書とノート、そして拳銃。年頃の男子が好むゲームやマンガの類は貯金のために買っていなかった。

「…ったく、部外者が正義ヅラしやがってよ。俺がその気になりゃいつでも片手でその首へし折れるんだぞこの野郎」

 数馬は1人で愚痴を溢すと虚空に向けて右の拳を振るう。いつもの鋭い突きすら今日はキレがなかった。

「あーもうやめだやめ。気分転換にでも行くか」

 数馬はもう一度拳を虚空に振るうと、自分に言い聞かせるようにしながら部屋を飛び出し、あてもなくどこかへと走り出した。



8:00

 ぶらぶらと歩くこと1時間、数馬は誰もいない緑豊かな公園を見つけた。公園の入り口には「三丸公園」と書かれた看板がある。

「いいじゃん、うちの近所にもあったなぁ、こういう公園」

 数馬は1人懐かしさに浸りながら公園に入っていく。

 舗装された歩道は、木漏れ日が差していた。そして数馬は今初めてこの公園がかなり広いことに気がついた。しかし構わず数馬は奥へ奥へと進んでいく。

 歩道は緩やかな坂道になっており、歩いているうちに木漏れ日が明るくなったかと思うと、公園で1番の高台に来ていた。

「おー」

 ここからなら街を一望できる。数馬は初めて今自分の住んでいる街が確かに港町だったことに感動を覚えた。自分の昔住んでいた街にはない港や、そこから少し離れたところに立ち並ぶビル。何よりも海が朝日に照らされて美しかった。

「じゃ、やりますか」

 数馬は1人その景色に心を落ち着けると、周囲に誰もいないのを確認してから、体をほぐし始めた。



12:00

 暁広は昼食を取るために食堂にやってきた。隣には茜もいる。

 2人が食堂を見回すと、人がかなり少ない。いるのは吹奏楽部以外の文化部のメンバーばかりだった。

「みんな部活かぁ」

 茜が呟くと、暁広がそれに答えた。

「茜も何か入っても良かったんじゃないか?」

「うーん、まだ迷ってんだよねー」

 茜と暁広が話しながら食事を取って席に着く。

「トッシーこそなんか入れば良かったじゃん?」

「俺はここのリーダーだから。任務が第一だよ」

「真面目だねぇ」

 暁広が優しく微笑みながら言うと、茜もそれに微笑みながら呟く。2人は目線を交わして笑い合った。

「でもさ、リーダーって大変だね。重村みたいな奴とも仲良くしなきゃいけないんでしょ?」

 茜が暁広に尋ねる。暁広はそれを鼻で笑った。

「それがね、昨日武田さんたちと話したらわかってくれたよ」

「へぇ?」

「幸長さんと武田さんは全面的にあいつらが悪いって言ってくれた。しばらくはあいつらも訓練には顔を出さず、訓練の時間も俺たちのいない時間にずらしてくれるってさ」

「ここから追い出してくれれば良かったのに」

「安藤の射撃能力、重村の戦闘力、どっちも幸長さんとしては捨てたくなかったんだってさ。でももう俺たちがあいつらと関わる必要はない。奴らから謝罪の言葉はないけど、そこは大目に見てやろう。あいつら自分が正しいと思ったらテコでも動かないから」

 暁広はそう言って茜に笑いかける。茜も笑い返しながらうなずいていた。

「トッシーは大人だね」

「一番偉いのは圭輝だよ。理由もなくいきなり殴られて、殴ったやつからの謝罪もないのに平然としてる。それに比べてあいつらは…茜まで殴って…同じ人間とは思えないよ」

 暁広は憎悪の表情を隠そうとしなかった。そんな暁広に共感するように、茜もうなずいていた。

「ホント、ありえないよね、あいつら」

「あぁ…ああいう悪党は排除しなきゃいけないんだ…いつか、絶対に」

 暁広の眼差しは純粋だった。茜はその暁広の瞳に、静かに見惚れるだけだった。



13:00

「道に迷ったあああ!」

 数馬は公園から出て散歩すること3時間、完全に自分の居場所を見失った。

 周囲には見回す限りに立ち並ぶ背の高いビル。どこを行っても同じような景色ばかりで、数馬は完全に混乱していた。しかも周囲には誰もいない。

「来た道思い返そう。拠点出て左の方行って公園があって?公園出て右行って前行って戻って…」

 そこから先は何も思い出せない。

「ええいもういい!適当に歩いてやらあ!」

 数馬はそのまま勢いに任せて全速力で前に走り出した。


5分後

「どこだよここ…」

 数馬は息を切らしながら呟く。どうやらどこかのスクランブル式の交差点にやってきたようだった。

 歩行者用の信号は今ちょうど赤に切り替わったばかりだった。そのため数馬は膝に両手をついて息を整えていた。

 ありがたいことに、通行人は多い。うまく人の流れに乗ることができればそれなりのところにはたどり着けるかもしれない。数馬はそう思いながら息を整える。

 そんな数馬の隣に、明らかに身の丈に合わない大荷物を背負った老婆が立った。息を切らし、額には汗を浮かべている。数馬はそれを一瞬横目で確認し、すぐに自分の息を整えるのに集中した。

(この道どこに繋がってんだろうなぁ)

 数馬がぼんやりとそんなことを考えていると、数馬と同い年くらいの女子の声が聞こえた。

「あの、荷物、大丈夫ですか?よければ少し持ちますけど?」

 数馬が横目で確認すると、明らかに小柄な、数馬と同い年くらいの女子が先ほどの老婆に話しかけていた。

「いいのかい?」

「はい、ここの信号、青の時間が短いので」

 高く澄んだ女子の声が数馬の耳に残る。

「それじゃあ、少しお願いするよ。すまないねぇ、お嬢ちゃん」

 老婆はほほ笑みながらそう言うと、彼女に荷物を手渡す。

「はい、大丈夫…です…」

 女子の声にどこか苦しそうなものが混ざる。数馬はそれから目を逸らすようにして信号を見ていた。待ち時間を示す赤いゲージが、あと少しで無くなりそうになっていた。

「よっ…とと…」

「お嬢ちゃん、本当に大丈夫かい?」

「はい…っ」

 女子は荷物を抱えながら呟く。だが、その荷物はやはり彼女にも大きすぎた。

 信号の赤いゲージが無くなり、青色に変わった。

 女子は荷物の重さに負けて動けていない。

 瞬間、数馬は振り向いてその女子に声をかけた。

「貸しな」

 女子は戸惑いながら数馬を見る。言うが早いか、数馬は女子が抱えていた荷物をひとまとめにして肩に担ぎ上げた。

「ちょっと」

「盗みゃしませんて。さ、早いとこ渡っちまいましょう」

 女子と老婆が戸惑う中、数馬はニッと笑って言う。他に選択肢もないので、3人は横断歩道を渡り始めた。

「お兄さん、ありがとうね」

「いや、それはそっちの女の子に」

 老婆に言われ、数馬はすぐに言葉を返す。女子は少し驚いてから首を横に振っていた。

 数馬たち3人が横断歩道を渡り終えたのは、ちょうど信号機がまた赤に切り替わった瞬間だった。

「本当にありがとうね、2人とも」

 老婆は穏やかな笑顔で数馬と女子に言う。女子はいや、そんなことはと謙遜するのに対し、数馬は笑顔を見せて答えた。

「目的地までお持ちしますけど、どうですか?」

「もうすぐ近くだから大丈夫だよ。こんな見ず知らずのババアのために、ありがとうねぇ」

 数馬の言葉に、老婆は笑って答える。そのまま数馬から荷物を受け取ると、老婆はその荷物を背負って歩いて行った。

「それじゃあね。本当ありがとうねぇ」

「そちらこそ、お気をつけて!」

 老婆が歩いていく後ろ姿に、数馬は明るく声を張りながら手を振った。


 老婆の背中が小さくなると、先ほどの女子は数馬に声をかけた。

「ありがとう、重村くん。おかげで助かったよ」

 数馬は自分の名前を呼ばれたことに驚きながら振り向く。そして改めて女子の顔を見ると、見覚えがあるような気がした。

 赤い縁の眼鏡に、短い黒髪。そして派手ではないものの、優しさと落ち着きが感じられる穏やかな丸顔。

「おう!で…どちら様だったっけ」

 数馬は申し訳なさそうに笑いながら尋ねる。女子は穏やかな表情を暗くしながら答えた。

「同じクラスの木村きむら陽子ようこです。ま、どーせ地味な女なんで、忘れちゃってても仕方ないよね」

「木村さんね。そんないじけないでくれよ、覚えてないのは俺が寝てばっかなのが悪いんだからさ、ね?」

 どうにか陽子の機嫌を直そうと、数馬は明るい空気を作って言う。陽子もそんな数馬の様子を見て、少し元の穏やかな表情に戻ったようだった。数馬はそこに追い打ちをかけるようにして話し始めた。

「にしても、木村さんは勇気があるんだね」

「はぁ?な、何が」

 数馬がしみじみと言うと、素っ気ない空気を作ろうとしながら陽子は数馬から目を逸らし、眼鏡をかけ直す。数馬はそれを気にせず話し続けた。

「俺もさ、あのおばちゃんに気付いてはいたんだ。でも、見て見ぬふりしちゃってさ。木村さんはちゃんと手伝おうとしてたから、根っこが優しい人なんだなって」

「いや、そんな…」

 陽子は数馬の言葉に戸惑っていた。そして、陽子はなんとか自分の考えを話す。

「困ってる人がいたら、助けたいって思うでしょ…」

 陽子の言葉に、数馬は少し目を見開いた。言葉だけではない優しさを、数馬は目の前の女性から感じ取っていた。

「いいね、そういうの。俺は好きだよ」

「…」

 数馬の言葉に陽子の耳がわずかに赤くなる。そのまま陽子は腕時計を見ると、少しわざとらしく声を大きくした。

「あー、私、この後友達と出かけるから」

「おっと、引き止めてごめん。ささ、急いだ急いだ」

 陽子の言葉に対し、数馬は道をあけながら軽妙に言う。陽子は数馬があけた道を歩きながら、数馬に言葉を伝えた。

「ごめんね。本当にありがと」

「おう」

「重村くんも、いい人だと思うよ」

 陽子は数馬に背中を向けながら、少し振り向いて言う。数馬は言われ慣れていない言葉に、身動きが取れなかった。

「それじゃあね」

 陽子はそう言って足早に数馬の目の前から去っていった。

「木村、陽子、ね」

 数馬はその名前を忘れないように口にすると、そのまま駆け足でその場を去って行った。



19:00

「道に迷ったああああ!!!」

 日は沈み、月が高く昇っている。そんな夜の街を数馬は1人で歩いていた。また人の姿が見えない。

「ハラヘッタ…ツカレタ…ココドコ…」

 うわ言のように数馬は自分の脳内に浮かぶ単語を羅列していく。だが状況は一向に改善しない。なんとかして右足、左足と前に放り出すようにして歩いていく。

 数馬はどちらかというと精神的に参っていた。何時間も無駄に歩き回ることになり、それにより足も棒のようになり、体も重い。とにかく無駄が多すぎたのが数馬の心に響いていた。

「ったくよぉ…元はといえば全部洗柿の野郎が悪いんだよ…おまけに魅神もよぉ…疫病魅神め…」

 数馬は恨み言を並べる。だがそれでも何も変わらない。道を教えてくれそうな通行人もいなければ、数馬の拠点に直行できるような道もない。

「アー…ここで死ぬのかぁ…」

 数馬は心のどこかで希望を抱きながらも、思わず呟く。そのまま空を見上げると、今日は満月だった。

「お月様…助けてくれぇ…」

 数馬はもう何も考えず呟く。空高く輝く月は、ただ静かに数馬を見下ろしていた。

「もうダメか…」

 数馬がそう呟いた瞬間だった。

「…け!」

 どこかで聞き覚えのあるような人の声と、銃の作動音。

 一瞬で数馬の背筋が伸び、同時に姿勢が低くなった。

「賭けてみるか」

 数馬はひと言そう呟くと、そのまま物音の聞こえた方へ歩き出した。



「月が満ちる今宵、我らの力は絶頂に至る…さぁ、恐れ慄け!人間たちよ!そして讃えよ!我ら黒き天使の饗宴を!」

 少女は誰もいない月明かりの下、1人で叫ぶ。背中の黒い翼をはためかせ、右手に握ったレバーアクション式のライフルを振るうと、眼帯で隠した左目を抑えた。

「ふっふっふ…ほとばしるぞ、月の光よ!さぁ、我らに無限の力を与えたまえ!愚かな人間どもを罰するのだ!」

 彼女がそう言って顔を上げた瞬間、正面の草むらが突如としてガサゴソと音を立てて揺れ始めた。

「ひぃいいっ!?」

「あ、木村さんか、さっきぶり」

 草むらの中から現れた数馬は、平然とした様子で軽く言った。

「あ…あ…!」

 そしてそこにいた黒い翼の少女、木村陽子は、数馬のその姿に言葉を失い、自分の姿を隠そうとしたが、思考が追いつかず混乱していた。

「なんでわかったの!?」

「いや、特徴的な声してたし」

 陽子が思わず尋ねるのに対し、数馬は冷静に答える。陽子はそれに対してもまともに返事ができなかった。

「木村さん、それ…」

 数馬が陽子の方を指差す。

 陽子は自分の学生生活の終わりを感じ、必死になって拒否を始めた。

「ち、違う!いや、あの、これはその…!」

 そしてそのまま錯乱して数馬に銃を向けた。

「お、おのれ人間めぇっ!私の『魔導グリモワール悪夢ナイトメア』の前に…」

 陽子が口上を上げていると、数馬が平然と歩いて寄ってくる、そして銃身を掴むと、その銃を持ち上げた。

「へぇー、やっぱウィンチェスターの1873かぁ。よくできたエアガンだね」

「あぁっ、返して!私の『魔導グリモワール悪夢ナイトメア』!」

 数馬にそのつもりはなかったが、結果として陽子から銃を取り上げる形になっていた。小柄な陽子では、数馬が上に銃を持ち上げるだけで手が届かない。それでも陽子はなんとか取り返そうとジャンプしていた。

「いい造形だね。返すよ」

 数馬は満足いくまで銃を眺めると、すぐに陽子に返す。陽子も想像以上にすんなりと銃が返ってきたことに少し戸惑っていた。

「え?あ、どうも…」

「で、木村さん、その翼…」

「!!!!」

 陽子は数馬に指摘されて大慌てでそれを外そうとする。しかし数馬がその手を止めた。

「何するの!?」

「いや、そんな外し方したら壊れるよ?大事なものなんだろ?丁寧に外してやりなよ」

 数馬が説得すると、陽子も渋々ゆっくりと背中の黒い翼を取り外す。そして置いてあった肩掛けバックの中に丁寧にその翼をしまい込んだ。

「あぁもう…」

 陽子はそのまましゃがみ込むと、顔を隠す。すでに陽子の顔は耳まで赤く染まっていた。

「コスプレってやつ?」

 数馬は陽子の前にしゃがみ込みながら呟く。陽子は両腕で顔を隠しながらうなずいた。

「好きなの?」

 数馬の質問に、陽子はうなずく。やはり腕の中に顔をうずめていた。

「そっか」

 数馬は大人しくする陽子に対し、静かに言う。

 静まり返って固まった陽子の姿を見て、数馬は話題を続けた。

「何かのアニメ?」

 陽子は無言でうなずいた。

「ヒロイン?」

「主人公…」

「なるほど、似合ってたよ」

 数馬の言葉に、陽子はさらに顔をうずめる。陽子はそのまま弱々しく、くぐもった声で数馬に尋ねた。

「秘密にしてくれる?」

「そりゃもちろん」

 数馬は陽子の隣にしゃがみ込みながら答える。陽子は顔を上げた。数馬は陽子の表情を見る。昼に会った時にはどこか大人びてすら見えた表情が、今は弱々しく、小動物のようになっていた。

「ちょっと意外だったな。木村さんはそういうの嫌いなお堅い人かと思ってた」

 数馬が言うと、陽子は目を泳がせる。

「よく言われるんだよね、それ…でも、人なんて見た目じゃわかんないし、好みだってそれぞれじゃん。誰がどんなもの好きでも構わないし、いろんなその人もその人自身で、否定する必要はないと思うんだ」

「いろんなその人も、その人自身、か」

 数馬は陽子の言葉を繰り返す。数馬自身の状況を考えると、陽子の言葉は数馬に向けられているような気もした。

「重村くんだってそうでしょ?一見何を考えてるかわからないけど、でも、優しい人。それはどっちも重村くん」

「あれ、もしかして秘密バラされないためにおだててる?」

 陽子が静かに語ると、数馬は軽い雰囲気で茶化す。しかし、陽子は慌てて顔を上げて首を横に振った。

「違う!そんなんじゃ!」

「知ってるよ」

 数馬は、必死になる陽子の姿を見て静かに笑う。

「秘密は誰にだってあるもんだろ?」

 数馬がそう言うと、陽子は逆に尋ねた。

「重村くんにも、何かあるんだね」

「あぁ、方向音痴なんだ俺」

 数馬がしみじみと言う。陽子は大きな瞳をさらに大きくして数馬を見た。

「それが重村くんの秘密?」

「だっせえだろ?おかげでうろつくこと11時間…いい加減腹減って動けなくなりそうだ…」

 数馬が自虐的に言うと、数馬の胃袋が大きな音を立てる。

「大丈夫?ちゃんと食べないと死んじゃうよ」

「大丈夫、人間、意外と死なない」

「そんなの嘘だよ。生き物なんて、ホントに些細な理由で死んじゃうんだから。人間だって同じだよ」

「俺が死んだ方が都合いいんじゃない?」

「バカなこと言わないで、死んだ方がいい人間なんていないよ。ちょっと待って、今お母さんにごはんの余りがないか聞いてみるから」

 急いで携帯電話を取り出そうとする陽子の手を、数馬は慌てて止めた。

「ちょちょちょい待ってくれ。さすがにそれはまずいっすよ、ウチも飯作ってもらってるからさ」

「あ…でも迷子なんでしょ?」

「いや、駅の方角さえ教えてくれれば大丈夫」

 数馬は陽子を説得しようと、眉を上げて優しい顔を作りながら言う。

 陽子も数馬の表情に、携帯をしまった。

「駅は真っ直ぐ行った突き当たりを左だよ。ずっと行けば大丈夫」

「ありがてぇ」

「送ろうか?」

 ひと言礼を言ってから立ち上がる数馬に、陽子は背中から声を掛ける。数馬は笑顔を見せながら答えた。

「大丈夫、もう迷わない」

 数馬の表情は、どこか明るかった。陽子も、そんな数馬の表情に安心したような笑顔を見せた。

「わかった。気をつけてね」

「ありがとう、天使様」

「ちょっとぉ!」

「またな」

 数馬は少し陽子をからかうと、そのまま走り出す。陽子はそんな数馬の背中を、静かに見送っていた。

「…変な人」

 陽子は1人呟くと、小さく笑いながらその場を去った。



20:00

 数馬はようやく帰ってくることができた。風呂に入り、支給されていたもう1着のジャージに着替えると、食堂にやってきた。

 多くの子供たちは既に食事を済ませたようで、現在ここにいる子供たちのほとんどは部活帰りだった。その彼らも自分の分の食事は取っているので、今残っている食事は全てがほとんど1人分だった。

 数馬は取れるだけの料理を取り、余った白米も全てお椀に盛り付けると、自分の席を探す。竜雄と泰平のいる席を見つけると、数馬は足早にそちらに向かった。

「ちょりーっす、ここ空いてるかい?」

 数馬が竜雄と泰平に尋ねる。泰平は自分の隣の椅子を引き、数馬が座れるようにした。

「お、さんきゅさんきゅ。おっと、座るとき引くのはやめてくれよ?」

 数馬が軽い雰囲気で言うと、泰平はニヤリとしながら舌打ちする。数馬は眉を上げながら泰平が用意した椅子に座った。

 数馬の左に泰平がおり、正面に竜雄がいる。数馬はその状況を確認すると、一礼してから目の前の食事に手を伸ばした。

「数馬、昨日は」

「飯ウメェ!」

 竜雄がどこか暗い様子で話し出そうとした瞬間、数馬は明るい声で言う。竜雄は面食らってまばたきしていた。

「おい」

 泰平が言うと、数馬はすぐに謝った。

「あぁ、すまん竜雄。どうした?」

「昨日は本当にすまなかった…」

 竜雄が小さくなって謝る。数馬は平然とした様子で答えた。

「竜雄が謝ることじゃねぇよ」

「でも」

「ゼロヒャクで悪いのはあのデブだろ」

「だからこそ俺がキレなきゃいけなかった…なのに俺は怒りで動けなかった…そのせいで数馬と佐ノ介が割を食った…それは俺の責任だよ…」

 竜雄は静かに言う。数馬はそれに対して、首を横に振った。

「いや、ありゃ俺が暴れたかったのさ。竜雄が気にすることじゃない」

「佐ノ介もそう言ってくれたよ。でも」

「だったらこの話は終わりだ。いつかあのデブを地獄に落とす。それでいいだろう?」

 数馬はニンマリと笑って言う。竜雄は小さくなってうつむいていたが、顔を上げた。

「数馬がそう言ってくれるなら」

 竜雄の言葉に、数馬は笑顔を見せる。数馬はそのまま食事を続けた。

「それにしても、お前たちも派手に暴れたようだな。部隊はどこに行ってもお前たちの悪い噂でいっぱいだ」

「よりによってクラスの人気者を敵に回しちまったからな。さもありなんってやつ?」

 泰平の言葉にも、数馬は味噌汁をすすりながら明るく答える。泰平はそれを聞きながらパンをかじった。

「それともあれかい?泰さんも向こうに付くか?暴れん坊とお友達と思われちゃ嫌だろ?」

「残念ながら今さら友達を変えられるほど器用ではない」

 数馬の質問に、泰平はニヤリとしながら答える。数馬もそんな泰平に、笑顔を見せた。

「じゃあこれからもよろしくな、お2人さん」

 数馬の言葉に、泰平と竜雄は笑顔を作りながら答えた。

「あぁ」

「こちらこそ」



22:00

 食事を終えた数馬は、布団に入って目を閉じていた。

 再び朝に見たような暗闇が、数馬を包む。

「…またか」

 暗闇の中に1人立ち尽くす数馬は、ぼんやりと周囲を見回す。

「おい、いるんだろ、ヤタガラス。出てこいよ」

 数馬は暗闇の中に声を張る。

「ずいぶんとご機嫌だな、重村数馬」

 数馬の背後から響く低い声。数馬が振り向くと、ヤタガラスが立っていた。

「お前から私を呼ぶとは、珍しいじゃないか」

「まぁな。どうせ出てくるんだったら、こっちから行った方がいい」

 数馬の言葉に、ヤタガラスは片眉を上げる。

「で、出てきてもらったところ悪いが、今後は出てこないでいただきたい」

 数馬は一方的にヤタガラスに宣告する。ヤタガラスは腕を体の前で組んだ。

「ほう」

「たぶん、お前は俺の悩みが具現化したものなんだろうな。戦いたいって欲求と、平和に生きていたいって思いがぶつかってできた存在」

 数馬は自分の推理を並べる。ヤタガラスは黙ってそれを聞いていた。

「そこでよく考えたんだよ。何も、平和に生きたいのと戦いたいのって矛盾しねぇって。どっちかを否定する必要もないって」

「どうしてそう思う」

「『いろんなその人もその人自身』そう言ってくれた人がいてさ。この子だったら、きっと俺が平和のために戦った後も、俺のことを受け入れてくれる気がするんだよ。戦いたい俺も、平和に生きたい俺も、俺自身だから」

 数馬の言葉に、やはりヤタガラスは黙っているだけだった。そんなヤタガラスに、数馬は一歩踏み寄った。

「もう俺は迷わない。俺は俺が正しいと思ったもののために戦う。それによって平和を手に入れる。それが戦いと平和、両方を手に入れる方法だ」

 数馬は正面からヤタガラスの目を見据えて言う。

「てなわけで、もう悩んでないからさ、消えてくれていいぜ、ヤタガラスさんよ」

 数馬は軽妙にそう言ってヤタガラスに背を向け、手を振る。そんな姿の数馬を見て、ヤタガラスは高笑いを上げると、ひと言答えた。

「また会おう、重村数馬」

 ヤタガラスは黒いコートをたなびかせると、数馬に背を向けてから歩き出した。

「だからもう会わねぇって」

 数馬はヤタガラスの言葉に苦笑すると、上を見上げる。

 暗闇だった空間の天井には、満天の星々と、大きく満ちた月が優しく辺りを照らしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

次回もお楽しみいただけると幸いです

今後もこのシリーズをよろしくお願いします

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