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The Magic Order 0  作者: 晴本吉陽
1.少年たち
17/65

16.追跡者

残酷な描写が含まれています

苦手な方はご注意ください

 佐ノ介とマリは2人で周囲を警戒しながら人通りの少ないビルの合間を歩いていた。

 薄暗く、吹き抜ける風も冷たく、人の気配もないので気温以上に余計に底冷えするように感じられた。

「うぅ…」

「大丈夫か?マリ?」

「ごめん、少し寒いだけだから…」

「早いとこ佐藤さんの車に乗せてもらってあったまろう。さ、頑張ろう」

「うん!」

 佐ノ介に励まされて、マリも笑顔を見せながら頷き返す。足は震えていたが、佐ノ介に握られていた右手は暖かかった。

 冷たい風の吹き抜けるビルの合間は、あと少しで抜けられる。雲の合間から差すわずかな太陽の光が見えたその時、その通路の出口を塞ぐように、何かがそこに寝ているのが佐ノ介の目に入った。

「佐ノくん、あれ…」

「…犬?」

 佐ノ介はそれに気づくと、それから5mほどの距離で足を止める。確かにそれは黒色の毛をもつボクサー犬だった。首輪こそつけていたが、リードはつけておらず、前足を枕にして眠っていたかと思うと、佐ノ介たちの気配に気づいて4本足ですくっと立ち上がった。

 ただの犬ではない、佐ノ介はその犬から放たれる殺気に感づくと、いつでもマリを庇えるように身構えた。

「佐ノくん…!」

「マリ…こいつ、敵だ」

 佐ノ介の言葉に応えるように、犬は上を向いて遠吠えする。予想外の大音量に、思わず佐ノ介とマリは耳を塞いだ。

 その黒い犬は佐ノ介を睨む。その表情は獰猛さを隠そうとしなかった。


 睨み合った一瞬、黒い犬は走り出した。

 犬が宙を舞う。そのままその鋭い牙で狙ったのはマリの首元だった。

「!」

「やめろっ!」

 佐ノ介はすぐにマリに飛びつくとそのままマリを伏せさせることでマリを守る。佐ノ介の首の後ろをわずかに犬の牙が掠めたが、佐ノ介は気にせずその犬を見た。

 犬が振り向く。やはり鋭い表情のままである。佐ノ介たちを殺そうと言いたげな、どこか狂気を孕んだ笑み。佐ノ介はすぐにマリを立たせると、いつでも逃げられるように距離を取る。

 一方の犬もジリジリと佐ノ介と間合いを測って詰めていく。


 再び犬と佐ノ介の目が合った瞬間だった。


 佐ノ介は脇のホルスターから拳銃を抜いた。そのまま真っ直ぐ犬の眉間を狙って引き金を引いた。

 何度も銃声が響く。

 しかし犬はそのたびに佐ノ介の銃撃をかわしながら佐ノ介との距離を詰めていく。

「こいつ…!」

 佐ノ介が若干冷静さを失う。犬はそれを見逃さなかった。

 佐ノ介の手元が狂って外れた銃撃に対し、反撃と言わんばかりに佐ノ介の首元へ躍りかかった。

「!」

 佐ノ介はなんとか右腕で首を守るが、それによって逆に右腕に思い切り鋭い牙を立てられることになった。

「うぐぁあああっ!!!」

 信じられないような痛みが佐ノ介の右腕に走り、思わず右手から拳銃を落とす。構わず犬は佐ノ介の腕を食いちぎろうとしてくる。

「佐ノくん!!」

 もがく佐ノ介を助けようと、マリが絶叫しながら佐ノ介の落とした拳銃を拾う。

 すぐに狙いをつけるが、佐ノ介がもがいて動き回るせいもあり、なかなか狙いが定まらない。

 マリは一か八か腹を決めて引き金を引く。

 

 銃撃は佐ノ介に噛み付く犬に直撃した。

 佐ノ介は怯んだ犬を左手で殴って引き剥がす。

 路地に倒れた犬に向けて、マリは3連射を叩き込んだ。


 犬が何は言わず、血を流して動けなくなった。


「はぁっ…はぁっ…!痛てぇえ…!」

 その状況を見てひと安心した佐ノ介は思わず右手を抑えて声を上げる。服の上からでも血が滲んでいる様子を見て、マリは言葉を失った。

「佐ノくん!今止血するから!」

 思わずしゃがみこんでいる佐ノ介の下まで駆け寄り、マリは佐ノ介の服の右腕部分を破く。腕の上下で2箇所ずつ、小さくない傷ができているのが見えた。

 マリは自分の上着の袖部分を破くと、それで佐ノ介の傷を覆うように巻き付ける。

「動脈じゃなくてよかった…でも…痛てぇぇ…!」

「大丈夫だよ、佐ノくん…」

 マリが治療する間でも、佐ノ介は思わず悲鳴を上げる。マリも、佐ノ介の初めて見る姿に困惑しながら、治療していた。

「止血は終わったよ」

「…ありがとう…だいぶ良くなった…」

 佐ノ介と言葉と表情は一致していなかった。マリも不安そうな表情を消せないまま、佐ノ介を立たせて2人は一緒に歩き出した。


 光の差す道に出ても、人の気配はやはりない。佐ノ介は痛みを紛らわすためにマリに雑談を振った。

「ごめんな、マリ…犬は苦手なんだよ…ったく、いっつも俺はびびっちまって…」

「いいんだよ佐ノくん、私こそ、いつも佐ノくんに守られてばっかりで…今ぐらいは佐ノくんの役に立ってみせるから。だから無理しないで…」

 マリは佐ノ介を真っ直ぐ見つめながら言う。佐ノ介もマリの目を見返しながらうなずいて返した。

「にしてもあの犬…敵の軍用犬かな…」

「捕まってる時、桃が犬にやられたって言ってたから、もしかしたらそうかも」

「他にもああいう犬がいるのかね…楽しくなってきた」

 佐ノ介が皮肉っぽく言う。その目は当然一切笑っていなかった。

「早いところ公園まで逃げ切れるといいね…」

 マリが不安そうに言う。佐ノ介もうなずいて答えるしかなかった。



 佐ノ介とマリによって殺された黒い犬の死体に、金色に近い茶色の毛を持ったブラッドハウンド犬と、白いやや小柄なベルジアン・マリノアがやってきていた。

 彼らは黒い犬の死体を見ると、死体の頬を舐める。だが死体が動くこともなく、彼らは死体を見下ろしていた。

 そんな彼らを一喝する様に彼らの後ろから吠えたのは、銀色の毛をもつ狼の様な犬だった。この犬は他3匹のリーダーであり、他の犬たちはこの狼の様な犬に従う様に訓練されていた。

 銀色の毛の狼のような犬は、そのまま他の犬たちに何か指示を出すように吠えると、他の犬たちは走り出す。

 狼は一匹になると、黒い犬の死体を見下ろす。

 そして空を見上げると、誰に届くかもわからない遠吠えを空に放っていた。



 佐ノ介とマリは2人で街を歩き、誰にも見つからないようにとにかく人通りの少ない道を歩いていた。

 そんな中で彼らが見つけたのは、人が避難しきったドラッグストアだった。店員などがいる気配もなく、ここを通り抜けてもう一つの出口から出れば目的地までの距離は稼げる。

 2人はそんなことを考えながらドラッグストアに入った。

「佐ノくん、せっかくだからここの医療品少し買っていかない?」

「いや、俺も腕は痛いけどいいよ。もっと重傷の人が使うべきだし、お金ないから」

「…わかった。佐ノくんは真面目だね」

「マリも気遣ってくれてありがとう。さっさと抜けよう」

 2人は優しげにそんなやりとりをかわしながらドラッグストアの通路を歩いていく。


 そんな2人の外では、2人を追跡する金色の毛の犬と、白い毛の犬が様子を窺っていた。この二匹の犬はお互いに何か相談し合うと、ドラッグストアへ駆けていった。


 佐ノ介とマリはそのまま何も知らずに通路を進む。

 次の瞬間、電気で眩しいほどだったドラッグストアが一気に暗くなった。

「停電?」

「誰か敵がいるの?」

 佐ノ介とマリの疑問に答えるように、背後から何かの足音が聞こえた。

 凍った背筋を伸ばしながら、2人は振り向く。狭い通路の背後にいたそれは、身長こそ佐ノ介たちよりもずっと低かった。だが、佐ノ介たちを震え上がらせるには十分だった。

「また犬か…!」

 佐ノ介は思わず毒づいていた。

 金色の毛のその犬は、佐ノ介とマリを威嚇するように吠える。そのまま姿勢を低くして佐ノ介とマリの様子を窺っていた。

 佐ノ介とマリはジリジリと後ろへ下がっていく。犬もそのぶんだけゆっくり距離を詰めていく。

 佐ノ介とマリは一瞬目線を交わす。

 お互いにうなずき合うと、マリが拳銃を構えた。

 犬が走り出す。銃を持ったマリを優先的に排除しようと、銃口を見ながらマリの方へ走っていた。

 そこに反撃と言わんばかりに佐ノ介がすぐ横の陳列棚にあった柔軟剤のパッケージを投げつける。しかしそんなものは当たらず、犬はそこから飛び退き、すぐにマリの喉元を狙って飛びかかった。

 2人はその飛びかかりを冷静に姿勢を低くして避けると、犬と位置が入れ替わったような形になる。再び睨み合いになった。

 その沈黙を破るようにマリが拳銃の引き金を引く。

 犬もその場から一歩飛び退くが、マリが撃ったのは柔軟剤だった。

 柔軟剤のパッケージが破裂し、床に乳白色の液体が広がる。柔軟剤独特の匂いは、敏感なこの犬の鼻を突くには十分で、犬は思わず怯んでいた。

 そこを逃さずマリは銃撃を浴びせる。犬は勘でそれを避け、そのままマリに向けて直進する。

 柔軟剤で足を滑らせる犬を狙って銃撃するが、犬はマリに飛びかかることでそれを避ける。

「うりゃっ!」

 姿勢を崩した犬のジャンプは低かった。

 佐ノ介の右の回し蹴りが犬を叩き落とす。

 すぐにマリが犬に銃撃を浴びせる。

 犬は声も発さずにそこに倒れた。


「…危なかった」

 佐ノ介が呟く。マリも大きくため息を吐いた。

「この犬たちも、みんな悪意はないんだろうね…きっと飼い主に従って私たちを襲ってる…」

 マリが犬の死体を見つめながら呟く。

「それがこいつらの仕事なんだろうな。でも、こっちだってそうだ。マリを守って生きて帰る。そのために敵は倒す。悪いけど、俺は同情しないよ」

 マリの言葉に、佐ノ介は静かに返す。マリもうなずいた。

「わかってる。ただ…飼い主の指示ひとつでこうやって命を散らしてしまうんだなって」

「あぁ…だから指揮官は責任重大なのさ」

 佐ノ介は自分に言い聞かせるように言う。2人はその場を後にすると、レジカウンターを越えて職員用の出口から出ようと歩き始めた。


 カウンターを乗り越えると、すぐそこに職員用の部屋がある。私物が何やら散乱している様子から、慌てて店から避難したのだろう。

 構わず佐ノ介とマリはそこを進んでいき、部屋の1番奥に見える金属製の扉を目指した。

「これ以上襲われたくないね…」

「本当に」

 マリの言葉に佐ノ介もうなずく。マリがドアノブに手をかけようとしたその瞬間だった。


「待った!」


 佐ノ介がマリの手を止める。マリは少し驚いて佐ノ介の方を見た。

「どうしたの佐ノくん?」

「足下見て」

 佐ノ介に言われてマリは足下を見る。

 扉の下のわずかな隙間から水が少しこちらに溜まっている。

「なにこれ…?」

「これたぶん触るとマズいやつだよ。ゴム手袋取ってこよう」

 言うが早いか佐ノ介は引き返す。マリは逆に未だに佐ノ介の言っていることを理解しきれていなかった。

「佐ノくん、一体どういうこと?」

「たぶんだけど、あの扉金属製だろ?で、あの液体は水。しかも今この建物は停電してる」

「扉を触ると感電するようになってるってこと?」

「そう。読みが外れててくれると嬉しいんだけどね…」

 2人はそんな会話をしているうちにゴム手袋のコーナーにやってくる。2人は念入りに二重にゴム手袋を手に付け、さらに不恰好ではあるが大きめのゴム手袋を靴にも取り付けた。

 2人は再び例の扉までやってくる。

「俺が開けるよ」

 佐ノ介はそう言ってマリの前に立つ。

 そして覚悟を決めてドアノブを掴むと、ゆっくり前に歩きながら扉を開けた。


 扉を開けると、すぐ横の蛇口から水が大量に出ているのが見えた。その反対側では剥き出しになった電源ケーブルが水に浸っている。

 佐ノ介はすぐに電源ケーブルをどかして蛇口から出る水を止める。そのままマリを連れて水溜まりから抜け出すと、ゴム手袋を外し、靴に付けたゴム手袋も捨てた。

「佐ノくんの言ったとおりだったね…危なかったよ、ありがとう」

「でもまだ油断できないよ。これを仕掛けた奴がどこかにいる… 」

「佐ノくん…まさか…」

 マリが驚いたような表情で佐ノ介の背後を見る。佐ノ介が振り向くと、白い犬が牙を剥き出しにして佐ノ介とマリを睨んでいた。

「あの犬がこれだけのトラップを仕掛けたのか?」

「他に誰もいないから、きっとそうだよ」

「また犬が嫌いになりそうだ」

 佐ノ介は軽口を叩く。マリも、いつでも拳銃を抜き出せるように右手を懐に入れる。


 先に動いたのは犬の方だった。

 マリをめがけて走り出し、マリの首元に飛びかかる。

 マリは瞬時に姿勢を低くしながら犬と場所を入れ替える。

 そのままマリは犬のいるところに銃撃を放つが、犬はバックステップで距離を取る。

 そしてその口で電気が漏れている電源ケーブルを持った。

「嘘でしょ…あの犬、なにが武器になるのかわかってる…!」

 マリの驚きを無視して犬は駆け寄ってくる。飛びかかることは考えていないぶん、先ほどよりもそのスピードは速かった。

 犬が電源ケーブルを振り回す。マリはすぐにそこを飛び退いたが、犬は構わずマリにケーブルを振り回しながら寄って来ていた。ケーブルの先端は電気で光っており、当たればタダでは済まないのは一目瞭然だった。

「佐ノくん!」

 マリは持っていた拳銃を佐ノ介に投げつける。佐ノ介は左手一本でその拳銃をキャッチすると、伸びている電源ケーブルを撃ち抜いた。

 電源ケーブルから光が消える。犬も思わず動きが止まった。

 マリは覚悟を決めた。

 逆にマリの方から犬に近づくと、マリは一瞬で犬の首元を右肘で締め上げた。

「佐ノくん!!今のうち!!」

 マリは絶叫する。犬も、もがいてマリの顔や腕に噛みつこうと牙を振り回すが、マリは自分の体重を乗せて犬を地面に倒し、押さえつける。


 すぐに佐ノ介が走ってくる。


 犬の脳天に狙いを付けると、すぐさま引き金を引いた。


 銃弾は狙い通り一撃で犬の脳天を貫いていた。

 動かなくなった犬を見て、マリは腕を離す。自分の手は血でひどく汚れ、犬はどこともわからないところを見つめていた。

「…ごめんね」

 マリは小さな声で犬にそう言う。だが犬には聞こえていなかった。

「マリ…」

 佐ノ介が銃のマガジンを交換しながらマリの名前を呼ぶ。

 マリは静かに佐ノ介の方へ顔を上げる。

「行こう」

 佐ノ介が言う。彼の表情は既に情を切り捨てていた。しかし、マリにはわかっていた。佐ノ介が敵に情けをかけないのは、他ならぬマリのため。

「うん…!」

 マリもその覚悟を無駄にしないと決めた。最後までこの男のために生き、戦おうと、1人決意を固めると、佐ノ介の隣を歩き始めた。


 銀色の毛を持つ狼は、敵の匂いをたどって歩いてきた。だが、事態は彼の想像を越えていた。

 ドラッグストアの中に入ると、彼の部下の1匹が倒れていた。いくら頬を舐めてやっても、その茶色の毛の犬は動かない。

 狼はその場を後にする。ドラッグストアのレジカウンターを軽々飛び越えると、その先にあった開いたままの扉から外に出る。

 外には、また彼の部下が1匹倒れていた。整っていた白い毛並みは赤く染まり、目はうつろなまま、そこで息絶えていた。

 狼はわずかに目を閉じ、目を見開く。敵はハッキリとわかった。

 彼は獣。飢えた狼。散っていった仲間たちの仇を討つため、持てる力の全てを使って走り始めた。



 佐ノ介とマリは歩いた末に公園の近くまで来ていた。

「後は駐車場まで行くだけだ」

「頑張ろうね、佐ノくん!」

 2人は目を合わせてうなずく。いくつもの死闘を潜り抜けてきた彼らは早いところ逃げたかったのである。

 公園の敷地内に入ると、市民センターの横を抜け、広場と遊具置き場を抜けた先が駐車場である。

 佐ノ介とマリは周囲を警戒しながら市民センターの横を通り抜けた。

 目の前に砂利でできた灰色の広場が現れる。

 同時に、佐ノ介の優秀な視力はその広場にいる存在に気がついた。

「マリ…」

 佐ノ介はそれに気づくと、マリを守るように前に出る。その仕草で、マリも敵の気配に気がついた。

「佐ノくん…まさか…」

 マリが固唾を飲んで身構える。佐ノ介もうなずいた。

「…最後の敵、だろうね」

 佐ノ介は静かに呟く。


 それに答えるように、佐ノ介たちの敵、広場の中央に陣取る銀の狼は天に向けて吠えた。


 咆哮を終えた狼は、鋭い視線で佐ノ介とマリをジッと睨む。そして鋭い牙を見せながら左の前脚で何度も地面を払っていた。

「どうしよう佐ノくん…」

「やるしかないね」

 佐ノ介は怪我を負った右腕を庇うようにしながら左手一本で拳銃を構えた。

「合図したら市民センターへ!今だ!」

 佐ノ介は拳銃の引き金を引く。銃弾は寸分違わず狼の眉間を捉えたはずが、狼はわずかに体を伏せながら前に走ることで1発たりとも当たることなく銃撃を避けていく。

 マリはその間に背中を向けて市民センターの入り口へ全力で走る。

 狼は佐ノ介の銃撃を全て避けながら、マリを追っていく。

 マリが市民センターの入り口に差し掛かる。年季の入った自動ドアは、簡単には開かなかった。

「お願い、早く開いて早く、早く!」

 ゆっくりと自動ドアが開いていく。自動ドアが全開になると、マリは転がり込むように市民センターの中に入る。中は無人だった。

 姿勢が崩れたマリの背後から、狼の唸り声が聞こえてくる。マリが背中を見ると、狼が飛びかかってきていた。

「いやぁっ!」

 マリはすぐに横に飛び退いてそれを避ける。

「マリ!」

 佐ノ介が合流すると、すぐに狼に銃撃を浴びせる。しかしやはり狼は全ての銃撃を避けると、並び立った佐ノ介とマリの様子を窺うようにして睨み始めた。

「無事か、マリ?」

「うん…!」

 佐ノ介はマリを守るように前に立ちながら狼と間合いを取り合う。狼はやはり牙を剥き出しにして2人を睨んでいた。

「佐ノくん…こいつ、私を狙ってる」

「…そうだね」

「私が引きつけるから、その間に佐ノくんは駐車場まで逃げて!」

 マリの言葉に佐ノ介は言葉を失う。マリは続ける。

「このままじゃ佐ノくんもやられちゃうよ。あの犬、さっきまでのよりずっと強いから」

「でも」

「こんなところで佐ノくんに死んでほしくない、だから、私を囮にして逃げて、お願いだから…!」

 マリがわずかに目に涙を浮かべながら叫ぶように佐ノ介に言う。

 佐ノ介は思わず下を見る。そうして銃を握りしめ、わずかに声を発した。

「…わかった」

 佐ノ介はマリの覚悟を汲み取った。

「これから銃を乱射するから、その間に2階の図書室まで走って」

「うん」

「今だ!」

 佐ノ介は叫びながら銃を乱射する。同時にマリは走り出した。

 狼の方も走り出そうとするが、佐ノ介の銃撃が絶妙でスタートを切れない様子だった。

 狼が何度も走るのを躊躇う間に、佐ノ介もマリの後を追うように階段へ走り始めた。

 狼も追ってくる。それに対して佐ノ介も銃撃を浴びせながら逃げる。

「着いたよ!」

 マリの声が聞こえてくる。佐ノ介はそれを聞くと、2階の廊下を見る。突き当たりの図書室には、マリが入口近くに立っていた。

「佐ノくん、犬が入ったら扉閉めてね」

 マリが走ってくる佐ノ介に言う。佐ノ介は短く返事をすると、扉の陰に隠れていつでも扉を閉められるようにした。

 狼が廊下に現れる。

 彼の視界に、マリの姿が映った。

「さぁ…かかってきなさい!」

 マリは叫ぶ。


 それに応えるように狼は走り出した。

 

 マリは狼の動きをじっと見据える。

 今までの佐ノ介との思い出を振り返りながら、マリは覚悟を決めた。

(佐ノくんのためなら…!)


 扉が閉まった。


 だがマリのもとに狼の姿はない。


「え…?」


 マリはすぐに事態に気づいた。扉にしがみつくようにして扉の向こうにいる佐ノ介の名前を呼んだ。

「佐ノくん!?何してるの!?話が違うよ!」

 扉の向こうにいる佐ノ介は狼と睨み合いながら笑った。

「悪い、手が滑った」

「何茶化してるの!佐ノくん!お願いだから逃げて!あなたに死んでほしくない!」

「俺は死なない」

 佐ノ介は静かに答える。そのまま佐ノ介は狼に銃を向けた。

「マリ。愛してる。明日もマリといたい。だから俺はいま、命を賭ける」

「佐ノくん…」

「死なないために戦うのさ。わかるか、犬ッコロ?」

 佐ノ介はそう言って狼に向けて引き金を引く。狼は銃撃を避けると、憎悪にも似た表情を佐ノ介に向けていた。

「さぁ、ケリ付けようぜ、犬ッコロ」

 佐ノ介は左手一本で銃を構える。

 狼も佐ノ介の言葉に応えるように大きく吠えた。


 佐ノ介は拳銃の引き金を引く。やはり狼はそれをかわしてすぐさま佐ノ介の首元に躍りかかる。

 佐ノ介はすぐに姿勢を低くしながら狼と自分の位置を入れ替えた。

 狼の牙が佐ノ介の顔を掠める。佐ノ介の頬から血が滴った。

「こんなところじゃやってられねぇよな?ついてこい犬ッコロ!」

 佐ノ介は好き勝手言うと狼に背中を向けて階段へ走り出す。狼も吠えながら佐ノ介の背中を追った。


 不意を突いて走り出した分、佐ノ介の方が屋上に辿り着くのは早かった。

 佐ノ介は階段を上り切り、屋上への扉を無理矢理蹴り開ける。

 ほとんど同時に、佐ノ介の背後から佐ノ介の首元に狼は襲い掛かってきた。

「!」

 佐ノ介は瞬時に殺気を感じ取り、振り向いて狼の噛みつきを防ぐため狼の口元を抑えるが、勢いに負けて屋上に押し倒された。

「くっそ、やめろっ!」

 狼は容赦なく佐ノ介の喉元を食いちぎろうと何度も噛みつこうとするが、そのたびに佐ノ介は間一髪で首を動かしてそれを避ける。

 佐ノ介はその時、自分の腰辺りに拳銃が転がっているのに気づいた。だがそれを手に取れば片手で狼の口を抑える必要が出てくる。

(一瞬だ…!)

 佐ノ介は一瞬左手に力を入れて狼の口を上に逸らす。

 その間に右手を腰の拳銃まで滑らせ、握りしめると、狼の首を狙って銃の引き金を引いた。

 至近距離で銃口を密着させて撃った以上、避けることはできないはず。佐ノ介はそう思った。

 だがこの狼は違った。

 銃声が響くと同時に佐ノ介への攻撃をやめ、すぐに佐ノ介から飛び退いたのである。

 倒せなかったのは残念だったが、佐ノ介はすぐに狼から距離を取って転がり、立ち上がる。

 狼はその間に、どういうわけかその場に転がっていた鉄パイプを咥えていた。隣にあった建屋の壁にパイプを叩きつけると、先端の尖った断面が姿を現す。長さはおおよそ30cm。振り回されるだけで佐ノ介は近づけなくなるだろう。

「いいね…お互いに文明の利器は使ってこうじゃねぇか」

 佐ノ介は怪我をしていない左手で拳銃を持ち替えると、拳銃の弾が無くなっていることに気がついた。すぐに拳銃のマガジンを交換しつつ、狼に軽口を叩き始めた。

「と言っても、俺のはこれで最後だ。お互いこれで終わりだな」

 佐ノ介はリロードを終える。狼は身構えた。


 佐ノ介はすぐに銃撃を浴びせる。やはり狼はそれらを全てかわし、佐ノ介に飛びかかる。

 佐ノ介は先ほどまでと同様に避けようとしたが、鉄パイプを咥えている分があったので完全には避けきることはできず、鉄パイプの先端は佐ノ介の胸筋の辺りを切りつけた。

「くっ…!」

 佐ノ介は思わぬ痛みに体勢を崩す。

 狼は振り向くと、佐ノ介と睨み合った。

 佐ノ介は銃を構える。

 狼も身構えると、いつでも佐ノ介に飛びかかれるようにしていた。

(俺が撃った瞬間、こいつは俺の首をあのパイプで吹っ飛ばすんだろう…ここが、この一瞬が勝負だな…!)

 佐ノ介は覚悟を決める。狼の方も同じように考えていたようだった。

 

 お互いにジリジリと間合いをはかる。


 先に動いたのは佐ノ介だった。


 佐ノ介の銃声と足音が響く。

 狼は宙を舞った。


 狼と佐ノ介は背中を向け合う。


 狼は血の付いた鉄パイプを放り投げた。


「くっ…」

 佐ノ介が胸を抑えて膝をついた。


 狼は振り向きざま、佐ノ介の背中に躍りかかった。


 佐ノ介が振り向いた。


 銃口も狼を捉えていた。


 銃声が響く。


 狼は血を上げながら吹き飛んでいた。


「はぁ…はぁ…」

 佐ノ介は息を切らしながら狼の方を見る。自分自身の血溜まりに横たわる狼は、起き上がる気配を感じさせなかった。はずだった。


 前脚からわずかに狼の脚が動き出す。

 脚は地面を踏み締めると、狼は佐ノ介の方を向く。銀色の毛は、ほとんど赤く染まっていた。

 佐ノ介は何も言わず、銃も構えない。


 狼は天を見た。


 咆哮が辺りに響き渡る。


 それが止まったかと思うと、灰色だった空からわずかに光が伸びた。

 息絶えた狼を照らすように。


「…じゃあな」

 佐ノ介は銃をしまう。

 最後まで戦おうとした強敵に、両手を合わせると、佐ノ介は身につけていた上着を強敵に被せていた。

「佐ノくん…」

 屋上への入口から、マリの声がする。佐ノ介は振り向く。

 そのまま2人は、何も言わずに抱き合っていた。



 2人は市民センターを抜け、広場を突っ切ると、駐車場まで歩いてきた。

「安藤くん、遠藤さん、こっちよ」

 2人を見つけると、銀色のワゴン車の隣に立つ佐藤が両手を振る。2人は少し早歩きになって佐藤と合流した。

「良かった。あなたたちが最後だったの」

「すみません、遅くなっちゃって…」

「いいのよ、さ、早く乗って。帰るわよ」

 佐藤が心なしか安心したような声でマリと佐ノ介を車に乗せる。

 後部座席に2人を座らせると、佐藤は運転席の扉を開けた。

「出発…」

 同時に、佐藤は言葉を失った。

 後部座席でも、助手席から佐藤に向けてリボルバー拳銃が向けられているのが見えた。

「妙なことはしないでくれよ?安藤佐ノ介くんと、遠藤マリさん?」

 助手席から穏やかそうに語る声がする。佐藤は毒づいた。

「船広…!」

 佐藤の言葉に、助手席に座ったその男、船広はニヤリと笑った。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

次回もお楽しみいただけると幸いです

今後もこのシリーズをよろしくお願いします

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