番外編:胃カメラをのんでみよう
皆さま、こんにちは!
先日、会社の健康診断にて、見事に『要精密検査』という欲しくもない招待状をいただいたとはです。
なにやら膵臓がよろしくない数値を出していたので、お世話になっている胃腸科へと行ってまいりました。
血圧を測る際に座った椅子の高さの目測を誤り、想定していたお尻の感覚の違いに朝一でおたけびと血圧を上げたり。
その後のCT検査を受け終わった後に、技師の方からですね。
「確かに、『腕をバンザイして』って言いました。でもね、そこまで力いっぱい伸ばさなくていいんですよ」
と無駄に腕と再び血圧を上げたりしながら受けた再検査。
結果としては、ある程度の数値は確かに高かったものの、すぐに容態がおかしくなるものではない。
健康維持を頑張っていこうね、という結論で終わることが出来ました。
ホッとした私に、担当してくれた院長先生が笑顔と共に告げます。
「とはさんね、前に胃カメラ受けたのが三年前なの。そろそろやってほしいなぁ」
……そういえばそうだった。
というわけでさらに後日、受けてまいりました胃カメラ検査。
痛いのが嫌いな自分は、全身麻酔にて行う方法でいつも検査をしております。
ところで、この全身麻酔。
最初は点滴からのスタートなんですね。
その準備のため、ベットに仰向けに横たわった私の腕を、看護師さんが持ち上げていきます。
担当してくれたのは、気さくで可愛らしい女性の看護師さんでした。
「ふふふ、キュートな方だな。ラッキー」
などとおっさんのようなことを思いながら、私は看護師さんに身も心もゆだねていきます。
何気ない会話を二人で続けていると、「あれ、ないなぁ」と看護師さんが呟きます。
点滴を刺すのにちょうどいい血管が、どうやら私には無いようなんですね。
看護師さんいわく、肘を曲げる部分にならば、太い血管がある。
けれども、後の検査のことを考えると、できればそこは避けたいとのこと。
そんなわけでさわさわと、看護師さんは私の腕を触りながら血管を探していきます。
ところで普段の自分は、いい血管だけでなく、人との触れ合いがないのですよね。
えぇ、そうです。
私にあるのは、ばっさばっさと容赦ないコメントで、『撫でる』ではなく『斬りつけてくる』同僚くらいしかいません。
そんな人の優しさに飢えていた私は、彼女の穏やかな触れ方に、軽く感動を覚えながら話を続けていきます。
「私の腕って、なかなかいい場所がないのですね」
「大丈夫ですよ。私、こうやって血管を探すのが大好きですから~」
優しい方だ。
同僚たちに爪のあかをテイクアウトでお願いしたいくらい、良い方ではないか。
話をしながら、ぐっと腕を押さえてみたり、するすると腕の上をなぞってみたり。
しばらくそうしていた看護師さんでしたが、本当に見つからないようです。
とうとう私の腕をぱん!ぱん!と叩いて血管を探し出し始めました。
……痛い。
正直、ちょっと痛い。
でも血管が出ていない自分が悪いのだ。
そんな申し訳なさから、私は看護師さんにこう伝えたのです。
「いや~、うちの血管がどうもすいません」
鼻で笑われました。
そしてすぐさま、あれほど避けたいと言っていた、肘の内側の太い血管に、ぶすりと点滴の針が刺されました。
……どうやらかなり、つまらなかったようです。
己の言動を反省をしている私の乗ったベットが、検査室へと運ばれていきます。
引継ぎが行われ、別の看護師さんから胃の中の泡を消す薬と喉の麻酔の薬と飲まされます。
薬なので当たり前ですが、どちらもたいへんに不味いです。
泡を消す薬は甘ったるく、喉の麻酔に至ってはただただ不味い。
しかも喉の麻酔は、三回も飲まされるんですよ。
一回、また一回と飲むごとにだんだん麻酔が効いてきます。
つまり飲み込むという行為が、大変にやり辛くなるわけですね。
普段なら、何気なく行っているつばを飲み込むということ。
これが次第に難しくなってくるわけです。
口にくわえたマウスピースを、テープで固定され、私は横向きに寝かされました。
「はーい。今、点滴の方にも麻酔入れましたからね~」
看護師さんの言葉にうなずきながらも、私は口に力を入れることに気を取られていました。
体勢的につばが飲み込みづらく、口から出てしまいそうになっていたのです。
とはさんね、これでも女性なのですよ。
一応ですが、恥じらいはあるんです。
そうですね、大きさにしたらマイクロチップ並みの。
あるいは同僚たちからの「大丈夫、騙されたと思ってやってみてよ!」といわれた時の信頼度位の。
本当に、ごく小さいものですがあるんです。
そんな、なけなしのプライドで思うのは、口からつばがこぼれるのは阻止したいということ。
なんとか食い止めようと、私は鼻呼吸に切り替えることにしました。
――それが、さらなる悲劇を呼ぶとも知らずに。
大きく鼻から息を吸い、すーっと鼻から息を出す。
しんとした検査室で、それは鳴り響きました。
高めの「ぷひょ~」という音が、私の鼻から奏でられていきます。
そうです、鼻笛です。
私の視界に映る看護師さんは、背中を向けているので表情は分かりません。
わからない方が幸せなこともある。
私はあの日、心からそれを知ることになりました。
しかしながら、感傷に浸っている場合ではありません。
私には一刻も早く、この『ノーズホイッスル』を止める必要があるからです。
鼻呼吸をやめれば、この悲劇は終わらせることが出来る。
それは十分に理解していました。
でも今、口から呼吸したら、確実に『よだれがだらりんコース』へと突入するということ。
わずか数秒の間にそれらを考え、天秤にかけた私は賭けに出ることにしました。
口呼吸を諦め、思い切り鼻呼吸をして、音すらかき消そうとしたのです。
結果それは吉と出ました。
いい勢いで出された呼吸により、無音まではいかないまでも笛が鳴ることはなかったのです。
勝利の美酒ならぬ、勝利のよだれを口に湛えながら、私は自身の選択を一人褒めたたえました。
ふふふ、私こそ神に愛された女。
ホイッスルごときに屈する女ではなくってよ!
そんな余計なことを思った罰が当たったのでしょう。
神様は、私の心の声が気にいらなかったご様子。
そう、強く出した呼吸とうぬぼれというものは、いつかは終わるものなのです。
終わりがけの弱くなった呼吸でそれはあらわれました。
「……ぴっひょ」
さっきより少し高めな。
頼りなげな乾いた音が静寂を破り響きます。
恥ずかしさで、もう看護師さんの背中すら見ることが出来ません。
私の頭の中には、「よだれ、ホイッスル、どうする」という単語が交互に生まれゆくのみ。
後半の韻を踏んだ言葉遊びの余韻に浸ることもなく、気が付けば私は病院の天井を見上げていました。
それにより、検査が無事に完了した事、そして……。
――終わったのだな。
いろんな意味でその言葉をかみしめながら、私は静かに目を閉じました。
また数年後、私は胃カメラの検査を受けることになるでしょう。
その時には必ず、鼻をかんでから受けるんだ。
淡い暗闇の中で、私はそう強く誓うのでした。




