待余さん、講師やめるってよ
私の会社は数か月に一回、講習をしてもらう時があります。
あまり書いて身バレするのも怖いので、具体的には書けませんがざっくりとした流れとしてはですね。
午前中は講師の方にうちの会社に来てもらって講習、午後から通常の仕事へ戻る、という日がたまにあるわけです。
その際に来てくれる講師は、私が入社してからずっと同じ方でした。
肩幅の広いがっちりとした体格に、日に焼けた肌。
講師ということもあり、はきはきと話すその姿は実に堂々たるものです。
離れたところにいてもしっかり聞き取れる、よく通る声の方でした。
そうですね。
この方は、待余さんとお呼びすることにしましょうか。
いえいえ、マッチョだからという安易な理由でつけているわけでは、……げふんげふん。
さて、待余さんは50代前半の男性です。
講習内において、誰に対しても(えぇ、もちろん社長にも)忌憚のない意見を言う場面を私は何度か見てきておりました。
それもあり、初めの頃は怖い方なのかなとちょっと思っていたものです。
さらに言えば、この講習は事務方の女性は不参加のものでした。
特に接点もないこともあり、私は入社してしばらくは待余さんとは話すこともなく、挨拶のみで過ごしておりました。
そんな私も、顔を合わせていくうちに話もするようになっていきます。
待余さんは講習のときはしっかりとした口調で仕事をされますが、ひとたび終わればざっくばらんな話し方になる人でした。
社長と豪快に会話をしているのを、いつも聞いては私はくすくすと笑っておりました。
そんな待余さんですがある日、講師をやめるという話を社長から聞かされます。
面白い話を聞かせてくれる方だったのに残念だな。
転職かな、と思いつつも退職理由を聞く機会もないまま、最後の講習の日を迎えます。
いつも通りに仕事を終え、講習が終わってから、最後の挨拶にと私たち女子事務員の所へと来てくれました。
待余さん「というわけで今日で最後でーす! お世話になりましたー」
とは「(軽い! 最後なのに軽いな)お、お疲れ様です。今までありがとうございました」
イチカ「おつかれさまでーす!」
イチカさん、相手に負けじと軽いですね。
そんなことを考えつつ、フユミはどう挨拶をするのだろうと私は視線を向けていきます。
フユミ「いやー、今日が最後なんですね。で? 何をして捕まったんですか? 何罪ですか?」
フユミさん、思った以上の重いパンチぶち込んできたー!
待余さん「ちげーよ! 何も悪いことしてねーよ!」
フユミ「え? 捕まるから辞めるんじゃないんですか?」
待余さん「血も涙もない扱いだな。社長はどんな教育してるんだよ」
社長「ははは~、フユミちゃんは本当に面白いこと言うね~」
自分のことを言われているのに、社長はのんきに笑っています。
待余さん「俺この会社で仕事するときにさ、結構いろいろきついことを社長に言ってきたのよ。あまりへこたれないのって、もともとの性格もあるだろうけど、絶対ここの事務員に鍛えられたからなんだろうなって思うわ」
ミオナ「そんな~。待余さんってば面白い冗談を言うんですね~」
いや、待余さんは多分、本気で言っています。
そして本気で、社長に同情している部分があると思います。
待余さん「俺んところさ、子供も全員自立したんだよ。だからこれからはもう、ゆっくりするって決めたから辞めるの」
社長「そうなんだ~。とりあえずこれからのんびりするってこと?」
待余さん「そうだよ。まずはゆっくりと船旅を二週間くらい予定してるんだ」
とは「わー、すごい! 二週間ですか! 船酔いとか大丈夫なんですか?」
いいなぁ、船旅かぁ。
豪華客船とか、人生で一度くらい乗ってみたいものだなぁ。
そんなことを考えている私の隣でフユミがにやりと笑います。
フユミ「二週間というと、結構な長旅ですね。ところで相手はカニですか? マグロですか?」
待余さん「ちげーよ! なんで旅行って言ってんのに、遠洋漁業に行く話を進めてんだよ」
イチカ「えー、カニがいいなぁ私」
待余さん「カニ捕らねーよ。俺が乗るのは漁船じゃなくて客船だからね。なんなんだよこの会社は!」
すみません、私も今、心からそう思いました。
そして待余さん、的確なツッコミ本当にすごいと思います。
社長「ははは~、みんな本当に面白いこと言うね~」
ミオナ「ふふふ~、本当にそうですね~」
待余さん「本当にすげぇよな、この会社は。……本当にな」
遠い目をしながら、でもちょっと待余さんが嬉しそうに見えるのは私の気のせいではないでしょう。
楽しそうに笑っている皆を見て私は思います。
――弊社、社長のメンタル対策は今日もばっちりのようです。




