アベル
よろしくお願いします。
アベルは小柄な少年だった。体も弱かった。しかし腕白で、小さな頃はすぐに息が上がろうと、熱が出ようとも、外で街の子供たちとよく遊んでいた。
親にあまり構われずに育っていたが、あまり気にしていなかった。ずっとそれが当たり前の環境だったから。
小柄故に友達におもちゃを取り上げられることも多かった。しかし、それもあまり気にしていなかった。お気に入りのおもちゃを取られた時には頭を使った。体格のいい友達に立ち向かうことは無かった。代わりにすぐに家に帰り、友達のお母さんに『おもちゃを貸してあげたので、明日返してください』と伝えに行った。
体にも環境にも恵まれなかったが、工夫して過ごすことを覚えた。
父親と認識しているおじさんに屋敷に連れて行かれた日。母親はいつの間にか帰ってしまっていた。ヴィルヘルムの方の母親も怒って出かけてしまったようだった。
父親はアベルを連れて部屋を案内した。案内された先は子供部屋。それも、十二歳のアベルよりももっと小さな子の為に用意された部屋に見えた。
(これってもしかして…。)
そう。ここはリヒターの部屋だった。亡くなった(と思っている)息子の部屋を隠し子に使わせようとする神経が、アベルには全くわからなかった。
「ここを使いなさい。」
そう言って父親はどこかへ行ってしまった。
誰もいない他人の家に一人きり。アベルは所在なげにするしかなかった。
ヴィルヘルム達の母親アリサは怒っていた。息子を追い出し、愛人を連れ込む夫に。しかも隠し子まで連れて来ていた。全く隠せては居なかったのだが。
家に帰りたいとも思えず、数日知人の家に泊まっていた。久しぶりの我が家の戸を開ける。物音のしない真っ暗な部屋の中。そこに動く影があり心臓が止まりそうになった。
(そう言えば、あの二人が連れていた子供。勝手に家に出入りしているのかも知れない)
「出てきなさい。」
動く影はあの時の子供だろう。怒りが再燃するのを抑えつつ、そう命令した。
薄暗い階段下に無造作に置かれた箱。その後ろからひょこっと顔を出したのは、やはりあの時の子供。こんな所でコソコソと何をしていたのか訝しむ。
とは言え相手はまだ幼い。怒りをぶつけまいと自分を抑えていた。しかし、子供が手に持つものを目にして、体温が急上昇するのを感じた。
(あれは、リヒターの…!)
アベルが手に持っていたのは、リヒターの部屋にあった壊れたおもちゃだった。木製の馬で、脚がバラバラに動くようになっている仕組み部分が壊れていた。十二歳になるアベルにとってはいささか低年齢向きすぎるものだったが、置いていかれたアベルはこの数日、いかんせん暇すぎた。
薄暗い部屋。勝手に電気をつけるのも憚られた。センスよく飾られたリヒターの部屋で、その壊れたおもちゃだけ浮いていて、何だかとても気になったので、それだけ手にして部屋を出る。
亡くなったはずの息子の部屋に隠し子が居るとか嫌だろう。そう思い、場所を移動するが、どこにいても居心地が悪い。どの部屋も誰かの存在の匂いがする。
仕方なく、誰も使っていなさそうな階段下の物置場で、明り取りの窓から入る光を頼りにおもちゃを直していた。
何日か経ったころ、誰かが帰ってきた。多分ヴィルヘルム達のお母さん。
出てきなさいと言われたので、抗う理由も特になく、顔を出す。手に持つおもちゃの馬に目を留めたヴィルヘルム母は、『リヒターの…!』と言ったあと、脚の部分が直っていることに気がついたようだ。薄暗いのによく見えたなと思った。
ヴィルヘルム母は、馬のおもちゃを凝視したまま固まっていた。
「あの子、ヴィルヘルムはそういうの直せない子だったのよ。リヒターは得意だったわ。」
そう言ってから、深いため息をついて、天を仰ぐ。しばらく目を瞑ったかと思ったら、
「こっちに来なさい。ご飯にするわよ」
と言った。
アリサはこの子供、アベルが馬のおもちゃを直したのを見て、リヒターのことを思い出していた。ヴィルヘルムが壊し、リヒターが壊し、家の中のものはよく壊れていたが、その度リヒターがどうにかして直していた。
成長を見ることができなかったリヒターをアベルに重ねてしまった。そうしたら、ふっと怒りが消えた。悪戯をしたあとのリヒターはよく、『何もしていないよ』と平然とした顔でいたものだが、アベルも平然とした顔をしていた。
そう。アベルは何もしていない。子供に罪はない。
とりあえず、子どもにはご飯だ。
聞くと、アベルはこの数日、ポケットに入れてた乾パンを食べていた飲みだったという。
「お水も飲んだよ!」と言うが、そういう問題ではない。この子はきちんと養育されていない。真面目なアリサの血が騒いだ。問題は山積みだが、とりあえずアベルの面倒はしっかり見ようと腹をくくった。
アベルは、誰かにここまでちゃんと見てもらったのは生まれて初めてだった。気まぐれにお菓子をくれる大人はいたが、アリサは『大きくなれないよ』と、将来も考えて面倒をみてくれる。
『ありがとう。』とお礼を言うと、『あなたは気にしなくていいわ。それよりヴィルヘルムと仲良くしてやって。』と言った。『あの子、寂しがりやだから。』とも。
アベルがヴィルヘルムに執着する理由はここにあったのかもしれない。
エドガーが、部下達に『隠し子を奥さんにみさせるなんて鬼畜だ』と責立てられ、託児所代わりに騎士団に連れて行くまでの一週間。
アベルは初めて充足した日々を過ごしていた。
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