カナリアは今日も囀る
カナリア・ミュリーはあまり目立たない少女だった。
特別美人という訳では無いが、不細工と言う程でもない。身長は十人並で、服や靴のサイズだって人とそう変わりがない。
どこにでも、これくらいの女の子は居るな、と思わせるような、目立たない少女だった。
カナリアは、人の話を聞くのが大好きだ。
自分とは違う人間の視点から、違う思考から汲み上げられる新鮮な話題。それを聞いた誰かが、また違う言葉を注ぎ込み、何時しか大きなうねりを生み出す。
それは波のようで、実像のない大魚だった。背びれも尾ひれも、あるいは髭さえついて、時に龍にまでなってみせる。
噂話、と形容されるそれが、堪らなく好きだ。
だからカナリアは、色んな人々の間を飛び回って、そっと耳元で囀ってみせる。
あの人のあの話はもうお聞きになりました?
ねぇ、あの方ってこう話されてるのですよ。
知ってました?少し前からこんな話が。
くすくすころころ笑いながら、囀ってみせれば誰も彼もが口を開く。
カナリアは人から聞いた話を、また別の人に話すだけだ。自分がどう思ったとか、そんなことは絶対に口にしない。ただ、人から人へ伝えるだけ。
そうしたら、あまり目立たない容姿のカナリアの事は、大して記憶には残らないのだ。ただ、誰かからそう聞いたという記憶だけが残る。
話題性に富んだ、刺激的な話題は避けるのもポイントだ。ある程度耳に馴染んだ話を、そっと流すのが大事なのだ。
だって、新たな話題は印象に残りやすい。そうすると話をしたカナリアの事までがはっきり記憶に残ってしまう。それではいけない。
カナリアは、あまり印象に残らない、目立たない少女で居たいのだ。
けれども、どうしてもそうはいかない時もある。
例えば、どこかに漏れれば一大スキャンダルになるような、刺激的どころではない話題を得てしまった時、とか。
「第一王子殿下が、婚約破棄を考えているらしいんです」
彼の方が、婚約者でもない女性を侍らせ、社交の場に連れ回している事は誰もが知っている事だ。
だが、その女性は所詮男爵家の次女。筆頭侯爵家の令嬢である婚約者を捨ててまで、選ぶ利があるとは到底思えない。
しかし。しかし、だ。もしそれが本当ならとんでもないことだ。
静かな水面に投じられた、小さな一石。波紋は広がり、水面下ではこれはうまい餌なのではと騒めきだす。
泳ぐものたちは我先にと喰らいつき、先達を押し退け、利を奪い合っては疲弊していく。
その間に眺めるばかりの小鳥達が、あちらこちらを飛び回っては面白おかしく囀るのだ。
ああ、こんなに愉快なことがあるだろうか!
カナリアはうっそりと笑う。もう誰も彼も、それを投じたのが彼女だなどと、記憶の片隅にも残っていない。
波紋は消えない。それどころか、飢えたものたちが立てた飛沫で更に広がって、最早荒波のように大きくうねっている。
それは大きく、大きく、全てを呑み込むほど大きくなって。
迎えた運命の日。
舞台に躍り出た、哀れでなにも知らない第一王子殿下は、あっという間に飢えたものたちに喰らい尽くされ、何も残りませんでしたとさ。
ああ、それでも止まらない。飢餓が満たされるまで終わらない。
自然界も貴族社会も、全ては弱肉強食だ。隙を見せた弱者から喰らい尽くされて、骨すら残らず消えていく。
いずれは飢えた大魚ですらも、もっと大きな何かに喰われてしまうのだろう。
カナリアは笑う。面白くって仕方がなかった。
たった一羽の囀りが、こんな大きなうねりを生むなんて!
水の中で繰り広げられる、喰って喰われての大惨事すらも、外から眺める小鳥には関係の無い事だ。
けれどもどうして、なんて愉快な事だろう!
ただ、聞き耳を立てる人々の耳元で、望むように囀ってみせただけだというのに!
第一王子殿下は廃嫡され、やってかやらずかも分からぬまま、あれよという間に罪に罪を重ねられ、処刑台の露と消えた。
婚約者であった侯爵家の令嬢も、家の暗部だと暴き出されたものによって排斥されて、今では行方も知れない。
王子を誑かした男爵家の次女は早々に逃げ出して、逃げ遅れた家人のみが処断されている。彼女もまた、行方は知れない。
王家に残るは側妃の産んだ第二王子と、正妃の産んだ第一王女だけ。高位貴族は派閥に分かれ、各々の推す者を王座につけようと熾烈な争いを繰り広げている。
蹴落とし、蹴落とされ、足を引っ張り、切り捨てられて。
政争は終わらない。天秤は揺れるまま。どちらか片方が消えるまで、あるいは両方が皿から消えてしまうまで、止まらない。
カナリアの家は、そんな政争などとは縁遠い、辺境地の弱小貴族家だ。
もっと言うなら、第二の王家とまで呼ばれるほどに力を持つ辺境伯家の、広大な領地のごく一部を管轄とする、言わば領主代理。
貴族家と言うよりも、地方役場の役員といった所だろうか。貴族としての籍は、お情けで与えられているようなものだった。
けれども、貴族だ。カナリア・ミュリーは貴族家の娘であった。
だからこそ、社交の際には招待を受けることもあったし、代理として招待をすることさえあった。辺境伯家の令息と年齢が近かったお陰もある。
そうした社交の場で、談笑する人々の輪にそうっと交じって、訳知り顔で話の種を放り込む。
すると小鳥たちは大喜びでそれを啄むし、波紋が広がるのに魚たちは目を光らせる。カナリアは楽しくて仕方がなかった。
自分の関わりの無いところで、騒ぎが広がる。
笑い泣き怒り、惑い、焦り、憎み、愛する。それはどれもが群像であるが故に、娯楽たり得るものだった。
だから今日も、カナリアは囀る。
誰かの耳元で、誰かの望んでいたことを。それはきっとまた新たな波紋を生んで、大きなうねりとなるから。
きっと、それはカナリアの楽しみとなってくれるから。
カナリアは今日も囀る。
カナリアには姦しいとか、密告者という意味があるそうな。
噂好き・おしゃべりな女性は小鳥に喩えられがちですね。