高位天使はなぜか貧乏くじを引きました
ゆるっと楽しんで頂ければ幸いです。
「――――ほら、さっさと出せ」
「おま…!本当に人間か!?」
「どう見ても人間だろう」
―――――いえ、普通の人間は悪魔や魔王や魔物を魂だけの状態で倒したり出来ないものなのですよ。
「「お前が人間なはずあるかぁぁ!!」」
悲鳴を上げたのは魔王(冥界の魔物を統べる王)と冥王(主に死者の行く末を決める王)の二柱。その他は死屍累々。よくぞここまで暴れてくれたと言う程に冥界の幹部連中の状態はよろしくなかった。……死者の看守の様な役割を果たす者達を残している辺り唯の人ではないだろう。暴れてはいるがその他の混乱は見られない。魂魄という状態でこの人間冥界を破滅寸前に追い込んでる…
「…あ、大天使様、このニンゲン何とかしてください」
「………や、人間なのに冥王と魔王、その他の幹部や伝説の魔物をのしてるの?おかしくね?」
外面用のしゃべり方してられないくらい、自分も動揺してるらしい。いやいやいや、戦闘能力そこそこあるけど、冥王や魔王が勝てないのに勝てる気がしませんけど!?
「だから天界にSOS出したんです。大天使様でしょう?何とかしてください」
――――いやいや、天使だからって何でもできる訳じゃないのよ?
ちょっと服がボロになっている書記官らしき冥界の官吏に手渡された書類には『桔梗の宣誓紋あり』『妻が流行り病で死亡。葬儀を終えた後、自殺』の文字。
「………もうさ、大人しく転生門潜らせちゃえば?あのなりであれだけ暴れられたんなら、最盛期なんてそれこそ神クラスじゃん?そのま転生させてもそこそこの人間になれるって」
「そりゃあ、人の世で『聖女』と呼ばれた方の夫君ですから唯の人間な訳はないんですよ。リリアーナ?でしたっけ最近になって天寿をまっとうされた…」
「それこそ宣誓の女神のお気に入りだった訳か…」
……その言葉に興味を惹かれ、書類を熟読する。その間もやたらとえぐい悲鳴が響いて来ているが、まぁ、がんばれ戦闘用員達。なるほどなるほど。宣誓の女神のお気に入りの夫婦。―――ということは、あの男の方も大人しく天寿をまっとうしてくれればすぐに来世で逢えただろうに。
「あのぉぉお!もと皇国宰相さまー?天界の者ですー!!殴り合いではなくて話し合いしましょー!」
「―――――黙れ。リリアーナのところに連れていけ」
とりあえず、声を掛けたら魔物を締め上げている状態で睨み付けられた。………うっわ。血だらけなのに美しいとか、魔王より魔王らしいんじゃねぇか、あいつ。顔に刻まれた皺すらその美貌に深みを与えただけとか、何あれ。高位の神々以外でそんな印象を持つなんて生まれて初めてですけど!?
『冥界が騒がしいからちょっと見てこい』と上司に言われたが、完全に貧乏クジだ…なんだこの威圧感のある人間…魂?――――通常、天界、魔界の者達は位が上がれば上がる程に造作が美しくなっていく。人間は死後、魂が最も生命力に溢れた時期の姿になれるまで様々な試練をくぐり輪廻転生の扉を潜るのが常である。が―――見たところなかなかの年寄りなのに美しいとはどういう人間だったのか。
「―――リリアーナならもうそろそろ転生門に行くだろう。生前の行いも素晴らしく女神のお気に入りだ………って…あっぶね!!」
「お前、天使だろう?6枚羽根ってことはそこそこの地位だな。天界への門を開けろ」
「いやいやいや!ダメだよ!あんた自殺だろ!?」
大人しく罰受けてよ!頼むから!!…胸ぐら掴み上げられて抵抗できないとかあり得ない…一応、天界戦士なのに。何なの、このとんでも魂だけ人間。
「リリアーナのいない生に未練はないが、転生するのもさせるのも嫌だ」
「お前ね、どんな反則な盟約?契約結んでんの!?強すぎじゃね!?」
「盟約も契約もリリアーナ以外とは結ばない。私は未来永劫、例え魂が同じでもリリアーナ以外とは一緒にならない。さぁ、リリアーナの所に連れていけ」
「話が通じねぇな!?――――おい、誰か女神連れてこい!それかリリアーナ本人に何とかしてもらえ!!」
俺には無理だから!!冥界の王も、魔王も何で土下座な訳!?あんたら序列は神だろ!?俺、天使よ?おかしくね??あんたらが何とかしてくださいっば!!
「―――――という訳で、天界に連れて参りました…」
ええ。はい。冥界の混乱は半強制的に治まりましたが、根本的解決には至っておりません。……主宰神を除く主要な神々の前に連れて来たコイツを見た瞬間、誰かが転生門に走っていった。
「「「「やっぱりこうなったか…」」」」
「さぁ、リリアーナを出せ」
神々がコイツを見た表情は、呆れ、感心、憧憬が入り雑じった複雑なものだった。神をも畏れぬって言葉、コイツの為にあるんじゃないか。
「あのさ、神々の前でふんぞり返らないでくれないかな」
最上礼とまではいかずとも頭を下げた状態でいる大天使に対して『リリアーナ』しか言わないヴィクトールは、仁王立ちである。死者の纏う白い服が高貴な物に見えてしまうから不思議である。
「――――――あなたはまた…落ち着いてくださいと何度も申し上げているでしょう?!」
怒声とともに現れ、ふんぞりかえるヴィクトールの後頭部を背後から叩き、膝裏に蹴りを入れて強制的に跪かせた人物もこれまた大層美しい美少女だった。
「リリアーナ・ローゼン・フォン ・アセトフェインで御座います。此度の騒動の一端は不甲斐なきわたくしに御座います。どうか神々に起きましては夫に寛大なるご処置を…」
―――――こりゃ、追いかけたくなるわ…。
それほど天使の目から見ても美しかった。見た目は少女から女性へ変化する頃特有の危うげな色香があるが、造作も凛として美しい。何よりも本来の魂が清らかで美しいのだろう。多少穢れていてもおかしくはない出自だろうに、そんなことは全くない。
「……っ、リリアーナっ!!」
細腕で倒されたヴィクトールは、しばし呆然とした様だったがすぐに我を取り戻して件の『リリアーナ』を腕の中に閉じ込めた。……見た目10代後半の娘さんに対して老齢の美丈夫が相手の恋人同士の構図は、些か禁断の薫りが漂う。
「……わたくし死後数日まで『お宅の旦那さん何とかしてください』と聞くなて思わなかったのだけれど、何をなさいましたの?」
「だって、リリアーナがいないんだもん」
「『だもん』じゃありませんわ!まったく、50年以上一緒におりましたが、そういう所は全然変わりませんのね!!」
腕の中に取り戻した愛しき存在を撫で回しキスをしまくるヴィクトールを押し退け怒鳴り、捕まっては深く口付けられて息も絶え絶えになるリリアーナを見て天界の神々は、生前の皇国民と同じ事を思った。
((((リリアーナさえ居れば世界平和は保たれるのでは…?))))
その為に理を特例で変えたとしても問題ないだろう。………死した魂で冥界の主要なメンバーを瀕死に追いやった時点で理の外にいそうな人間であるし。
―――――何か、神々が視線だけで会議なされている…。
横ではイチャイチャ(リリアーナからすれば甚だ不本意)する傍迷惑な人間カップル、眼前には決して逆らってはならぬという神々達。名指しで騒動の鎮圧を命じられたのに完遂できていないので、逃げ出すわけにもいかずに視線だけで会議する神々をある意味堂々と観察し始めた時だった。
「………おい、天使。リリアーナに言ってくれ」
「!な、なにをだ?」
不意打ちで声をかけられてビビった大天使に、先程よりやや若返った感のあるヴィクトールが平然とのたまった言葉を辟易しながらも反芻する。
「冥界の面子に迷惑なんか掛けていないよな?」
「……………………………。そうだな…メイワクは掛けてないんじゃないか…」
生命の危機は感じさせていたと思うが。てか、リリアーナさん大丈夫かよ。顔真っ赤ですけど…
ナニをどうされて真っ赤なのかは追求してはいけない。したら最期である。
「―――――おい、人間」
不機嫌な声に、ヴィクトールは視線だけを神々に投げた。
「あぁ?」
濁点付いてる。その返事、絶対濁点付いてる。人間のチンピラと変わらない反応じゃねえのか!いやいや、神様方、それだけで怯えちゃだめじゃないですか?大丈夫ですか。この先。
「コホンコホン………あのーじゃな、貴殿らさえ承諾してくれればほぼ未来永劫二人で存在し続けられるがどうする?」
「――――――神よ。どんな高位かは知らぬが、リリアーナさえ居れば良い私にそれを聞く意味があると思うのか?」
「ないの。だが、リリアーナは?」
「……詳しく、お聞かせ願えますでしょうか…?」
潤む瞳と掠れた声にたっぷりと色香を含ませた返答に釣られてうっかりリリアーナを見てしまった大天使の頬が上気する。
「――――おい、見るな。減るだろう」
沸点のやたら低いヴィクトールは、その様子を見て再びリリアーナをしっかりとその腕の中に抱き締めて大天使を踏みつけだした。
「……ちょっと大人しくしてください」
ポカポカ美形胸元を叩く。大したダメージにはならないだろうが、踏みつけるのは止めてくれた。……まったく、宰相時代の落ち着きと思慮深さは何処へ置いてきたのだ。慣れたはずのリリアーナですらやや疲れてきた。
「―――――二人まとめて精霊となってわたくしの眷属になりなさいな」
いっそヴィクトールを気絶させてみようか、などと物騒な思考がリリアーナによぎった時、妙な緊張感に包まれた場所へ妖艶な美女が現れた。
男ならば見惚れずにはいられない美貌と柔らかそうな曲線と悩ましい腰を極限まで露出させ長い髪が肢体を更に艶やかに彩る女神の登場に、ヴィクトールも暴挙を止めた。
「女神よ。それは何ゆえか?」
真正面から美しい女神を見つめてもなお、リリアーナと接するような甘さや熱情を感じさせないヴィクトールに、大天使だけではなく神々も感心する。徹頭徹尾、『リリアーナ』以外の女はいらぬと見えた。
「とんでも魂さんには教えてあげないわ。………さぁ、さ。これを飲んでくれるかしら。わたくしの血なのだけどね?―――あぁ、あなたの血も混ぜましょうか?」
「………宣誓の、なぜ我も」
女神に名指しされ誘うように華奢な手を伸ばされた男神は、どことなくヴィクトールと似たような雰囲気を纏っている。
「戦の……というか、此処にいないあなたの兄神の気配がするのよね。この男」
「兄上の!?」
「だから、眷属にするにはあと一柱の力も借りたいの…ダメ?」
「……っ、ダメでは…ないが」
戦の神は普段は思慮深く、それでいて琴線に触れると途端に残忍になると伝えられている。成り立ちが成り立ちであるがゆえに巌のような大男であるが、むやみやたらに暴れたりしない分、女神からすれば比較的御しやすい神でもあった。
『戦の』と言われた神の兄ということは……創世記を一生懸命に思い出したセレーナは、ヴィクトールの人外さの謎の一端を見つけた気がした。それは大天使も同じだったらしく、剣呑な表情で騒動の発端を見る。
「――――おまえ、創生神さまの加護があるのか」
「加護を受けた記憶はないがな。『ある』といえば『ある』んじゃないのか」
ぎゅむぎゅむと再び踏まれていた大天使の言葉に、ヴィクトールは難しく考え込む。
「『加護』持ちの魂は肉体を離れて尚、強い。……創生神様の加護持ちが、魔術師と宣誓して結婚し、わたくしの加護も得た」
「二重の加護持ち……だから、冥王や魔王も敵わなかったのか」
「―――生まれついてのスペックからして人離れしてたんじゃないのか」
「他世界でいう『ちーと』ってやつかの?」
さわさわと神々が呟いていく。
………スペックが人離れしていたのは否定できないかも。腕に囲われたリリアーナすら、自身の夫の能力値を全て知らずにいたような雰囲気がある。
「そうよ。それにね、『この二人離すととんでもない事象がおこるからなるべく離しちゃダメよ』って時のが冥界のに助言してた筈なんだけど…リリアーナ連れてきちゃうし」
「―――女神よ。それはどういうことか」
悩ましい溜め息に、再び不穏な気配を纒だした夫をとりあえず放置して女神と向き合う。場合によってはまた冥界に報復に向かいそうな勢いである。
「此方の事情よ。貴方には関係ないわ―――それで?飲むの?飲まないの?」
盃を掲げて、問う女神の隣へ来た男神が人差し指を翳し何かで切った指から血を垂らし終えたところだった。
「……女神の眷属になる、ということはわたくし達は女神様のしもべと言うことですか?」
「厳しく縛り付けるつもりはないわ。貴方達とっても楽しそうだからそばで見ていた方が退屈しなくて良さそうだし。安心していいわよ。精霊ということは、下界にも行けるしこの世の理から外れたり、無益な殺生以外はほぼ何しても良いから」
ふふふ。と微笑む女神のいと美しさに騙されそうになるが、リリアーナは少し考える素振りをしてからその盃を受けた。
「……まて。先に私が飲む」
「―――ですが…」
「盃の中身を二人で飲めば良いのだろう?」
「まぁそうだけど…なにを」
女神の返答を聞く前に、ヴィクトールは盃をの中身を全て煽り、次いで妻の頤に指を掛けててく口付けする。
「…んぅ」
「あらぁ、熱烈」
「………。っ、〜〜いい加減になされませ!!」
喉が嚥下してもなお、なかなか離れなかったヴィクトールを張り手打ちしたリリアーナの声がほんの少しだけ低い。凛と響く優しい声音をしている彼女は藍色の髪と淡い水色の瞳はそのままに、そしてお騒がせじじぃは……大天使は踏まれた状態から何とか起き上がり視線を巡らせる。
――――あれ?髪が黒くなった以外に、なにも変わってな…
「………はぁぁぁあ?おま、おまえ俺より美形とか、ふっざけんなよ!?」
「……何のことだ」
艶めく薄氷のような水色の髪に、紫の瞳は周囲の皺が無いせいか宝玉の如く輝いて見える。均衡のとれた長身は戦士のそれよりも華奢だが、しなやかな筋肉がその身を覆っていて、貧弱さはない。不機嫌そうに大天使を見るその表情でさえ、目を奪われる程の美形。……声も低すぎず心地よい響き。何をしても目を奪われるそれこそ神に匹敵する美貌の男。
「じじぃ姿でさえ容姿が規格外だとは思ってたが、『何のことだ』じゃねぇわ!」
何だ!そのとんでも若返り美形は…!
「……肉体の最盛期に見た目の年齢を合わせたの。そんなに年の差はなさそうね?」
リリアーナの最盛期といえば、丁度ヴィクトールに求婚された辺りか。それと同じ程の年齢かやや年上に見えるだけのヴィクトールの姿に、リリアーナも思わず食いついた。……結婚当初から彼の方が年上だったのだ。記憶にあるヴィクトールより若い姿にリリアーナも食いついた。
「……旦那様、かっこいい…」
肖像画など描かせない自分の旦那の若かりし?姿にすっかり骨抜きにされてらしい。蕩けるような笑みを浮かべて再び二人だけの世界でイチャイチャしだした。
「――――女神さま、この眷属にした夫婦をどうするおつもりですか」
独り身には目の毒だろうな。享楽的な所のある天使が多いが、ここまでイチャイチャされると流石にうざったいのでは。
既に(主に夫側のせいで)痛い目を見た大天使の視線は遠いどこかを見ていた。
「特に何も。この子達の信念の赴くままに行動させれば良い方向にむかうもの―――皆様もそれでよろしい?」
「「「「異論はない」」」」
神々の言葉に現実へ帰って来た大天使は、おずおずと進言する。
「あのですね…些末な者の戯れ言なのですが………創生神様は何処へ?」
――――大天使の呟きは、おおむね神々の意見とも一致する。…姿の見えない創生神、絶対都合悪くて隠れてる。
元を正せば規格外の男へ加護を与えていたせいで人外(下手したら冥界も魔界も滅びるレベル)のとんでも野郎が何の因果かできあがってしまったわけで。
「視てはいるでしょうね。何も言ってこない所を見ると異論はないものと思われますし、良いのではないですか」
弟神に当たる戦の神は、兄の性格的に何か隠されている気がしてはいたが、この場が落ち着くのであれば何でもよかった。
冥界やいまこの場でのヴィクトールの自分に対する扱いに雑言を浴びせる大天使を他所に、女神と精霊に生まれ変わったお騒がせ夫婦は、その身に纏う衣をあれやこれやと話続けていた。
「んー。やっぱりリリアーナはこう、フリフリよりもしっとり系よね?」
「………俺は着れれば何でも良いのですが」
「―――貴方はまたそんな事を…」
「……出来ましたら『魔術師のローブ』が一番しっくりくるのですがいけませんか?」
「ダメじゃないけどねぇ…こう、精霊っぽくしてくれない?一応見た目の印象って大事でしょう?」
「精霊っぽいとはなんだ。どうせ100年も経てばいまの普段着も昔の衣装になるのに」
「……ですが、今の服を着て下界で目撃されたら成仏しそこねた悪霊扱いされそうですわね…」
「死に装束ですもんね。それ」
…………。
ヴィクトールはともかくリリアーナも既に順応している辺り、なかなかに強い心臓をしている。
「「「「宣誓のとりあえず解散して良いか」」」」
「……ん?あぁ、とりあえず全部終わったものね!大丈夫でしょ?」
何かあれば宣誓の女神と戦の神が何とかするだろう。………精霊は基本的に自由に生きているものだが、自由にさせ過ぎてはいけない部類のとんでも精霊である。
「いーい?貴方達に破ってはいけない事を彼処にいる大天使が教えます。ちゃんと話を聞くのよ?」
じゃ、私は野暮用があるから。
宣誓の女神や他の神々がいなくなると、お騒がせ夫婦と取り残される形になった大天使。とりあえずサラサラと状況を説明して終わらせる。妻はきちんと聞いていたが、夫の方が聞く気ゼロ。
「……リリアーナさん、本当に頼みます。それ、ちゃんと抑えてね」
手綱を離すと途端に暴れだすから。踏みつけられた大天使が立ち上がりとりあえず身なりを整える。
「――――ええ。もう慣れておりますわ。ところであなた?物騒なお顔をされていますよ」
「………いや、宣誓の女神が『冥界の神に忠告していた』ようなことを言っていたからな。人の話はちゃんと聞けともう一度報復に行こうかと」
「!?」
まだ足りないのか!?あれはただ暴れていただけだろうが、今回は『報復』と言った。言ったからには全力で叩き潰しそうで恐ろしい。冥界の均衡図が崩れてしまう。
「……もう、貴方は本当に落ち着いてくださいませ。いけませんわそんなこと」
「しかしだな」
「――――『自害だけはなさらないでね』とお約束しましたのに、破ったのはどなた?」
病床で、自分の命が消える瞬間に合わせて己の喉を掻き切ろうとする夫との最期の約束。傍にいた孫や息子や娘達にも誓わせたはずなのに。
「…………………………」
黙りこくったヴィクトールに、『最後の理性』は畳み掛ける。
「『きちんと天寿をまっとうする』と、病床のわたくしめにおっしゃったことは嘘だったのかしら?まぁ、ここにいるという事は嘘なのでしょうね」
穏やかで、優しく響く声が怒れるでもなく事実だけを述べる。恋しくて恋しくて堪らなかったリリアーナの静かな言葉に流石のヴィクトールも暴走をやめた。
「……………リリア」
「はい。あなた」
「すまない」
穏やかな表情で静かに怒っていたであろうリリアーナは、悲しいような表情を一瞬だけ見せて、微笑んだ。
「仕方のない人……きっと、あの子達それぞれが自分を責めてるわ」
「――――いや、呆れていると思う…」
「またそんな…」
すべらかな髪を指で弄んで、柔らかい唇をはもうとした時、おずおずと数歩離れた後ろから申し訳なさそうな声が響いてくる。
「あのー、すまんが俺もいるんだけど?」
「まだいたのか」
愛しの妻との時間を邪魔されて不機嫌を隠そうともしないヴィクトールからリリアーナもやや距離をとる。……このまま流されかねないが、とりあえず何が起こったのかの把握も済んでいない。
「『いたのか』じゃねぇわ!お前ら二人、どんだけ騒がせればいいんだよ!?話を聞け話を!!」
――――どれだけ叫んでもきっと誰の手助けも得られないんだろうな。とは理解しているが、叫ばずにはいられなかった。
「わかった。何だ」
「―――――もうおまえ、本当にさぁ…」
ぐったりとした様子の大天使は、心なしか色艶が褪せていた。…疲れているのかな。リリアーナは、夫が起こしていたアレコレを詳しくは教えてもらえていないので想像の範囲でしか推し測る事はできないが。
「ヴィクトール・セイン・フォン・アセトフェイン、あなた大天使様がやつれるくらい何をしたの?」
「――――コイツには何もしていない」
会って数秒で胸ぐら掴み上げられて、天界では足蹴にされて踏まれたんだが。……『なにもしていない』部類なのね。そうなのね。
「まぁ、長くなるが聞いてくれ」
もう、突っ込み疲れた…萎れた声でそれでも女神からの指令はこなした。途中、リリアーナは質問を挟みながらも優等生な態度だったが、ヴィクトールは妻を膝にのせて座り込み、聞いているのかいないのか、大天使からは分からない。
「―――とりあえず、概要はそんな感じだ。女神様からも言われたし、上司が戦の神に当たるので同僚同士という事でよろしく」
「はい。これからよろしくお願い致します」
綺麗な所作で挨拶をくれるリリアーナに対して、やはりヴィクトールはふんぞり返ったままだった。リリアーナの非難の視線も何のその。彼は我が道を進んでいく。
「じゃあ、私はちょっと冥界に行ってくる。リリアーナ、いい子で待っていてね?」
「あなた、ダメですよ」
口付け1つで逃亡しようとしたヴィクトールは、瞬間的にその場に縫い付けられる。拘束の魔術の応用だろうか。
「『わかった』っつって納得はしてねぇのか」
呆れた大天使の言葉に、ヴィクトールは至極真面目に頷いた。
「やはりリリアーナに関する事は許せん」
「お止めください。怒りますよ」
「……怒ったリリアーナも凛として美しいが、出来たら笑顔が見たいな」
――――息をするように妻を口説き出すヴィクトールは無視しよう。突っ込み疲れた大天使は、対ヴィクトールへの会話窓口をリリアーナに認定した。
「それより、リリアーナさんはもう精霊の力を使いこなせるのか」
「イメージで使うのならおおよそは。ただ出力の抑えはまだまだですわね……ダメですよ?大人しくなさって」
逃走しておそらく冥界に報復に行こうとしたヴィクトールは、リリアーナに大人しく捕らわれる。魂だけで神の拘束を掻い潜っていたのなら敢えて捕まっている可能性の方が高い。
――――どれだけ伴侶が好きなんだか…
困らせて、自分だけに意識を向けるように独占する。子供と変わらない。……難儀な性格をしているが、色々と思惑があって二人とも精霊にされたのだろうからこれからが大変そうである。
ひとまずどうにかして冥界の事を忘れさせようと、大天使も『天界のとっておきデートスポット』をヴィクトールへ教えたりして意識を逸らす努力をした。……そのせいで天使のみならず、神々までもがリリアーナとヴィクトールの夫婦の様子を聞いてくるようになるとは、この時はまだ思いもしなかった。
――――天界の片隅で、リリアーナとヴィクトールが大天使を困らせていた頃、宣誓の女神ことアイトはこの騒動の一番の原因と対峙していた。
「………あなた様は何をなされた」
「―――知っているから来たのだろう?」
気だるげな表情、物憂げな瞳。生まれたときから既に雄々しく美しく気高い存在である神は、紫電の瞳を楽しげに輝かせてアイトを腕の中に閉じ込めた。光輝く太陽光のような金髪が肩口で揺れる。
「………あの者、魂から直接あなた様の気配がするのです。おかしいでしょう?」
本来ならば『加護の』気配がするだけのに。ヴィクトールからは神そのもののような気配がしたのだ。
僅かなぬくもりにすがるように、アイトもその細腕を広い背に回した。逞しいその胸に抱かれながら紡ぐ言葉は、時折その薄い唇に食まれてしまう。
「―――――お前以外に気付いたものもおらぬだろう。戦のの血を混ぜたのは正解だったな……アレなら間違いなく冥界のは手を出せない」
戦が起これば冥界は死者で溢れる。故に、戦のが何処ぞで大量虐殺を目論むことがないように一番気を遣っているのは冥界の神々。一応の眷属とはいえ、戦の血を受けたあのお騒がせ夫婦へ何かしてくる事を面倒事は御免被る性格の冥界の住人達がするはずがない。
「わたくし、あなた様のそういう周到なところが気に入らなかったりするのだけど」
「…………そう言うのが分かっていたから、黙っていたのに」
あれは己の恋心そのもの。神として抱いてはならぬもの。
焦がれて、執着して、愛して、独占する。
ただ切り離しただけなら、孤独に耐えられずに闇の存在にしかなり得ない厄介なモノ。
それを受け入れただけでなく、愛情を返してきたのだからその存在から離れられる訳がない。彼が『自殺』に至るまでの全てを知っているから、尚更。指通りの良い薄い銀のアイトの髪を弄びながら微笑む。……たったそれだけで、陽だまりの中で微睡むように心地よい場所。
時に何よりも厳しいその神が、常に孤独をもて余していたのを知っている。だから、アイトも他の神々の前では深く追及しなかった。
「……きっと退屈しなくていいわよ。あの二人、さっそく大天使に懐かれているし」
「いや、あれはそういう類いではなさそうだが…」
どちらかというと世話好きの大天使が放っておけないのだろうな。
互いに唯一を決められない運命の神同士、その感情を言葉にはしないけれど。
「……見ていて飽きない存在というのは、存外楽しいものだな」
「ふふ…穏やかにゆるやかに過ごすのもつまらないものだもの」
あの夫婦はきっと、仄かな願望の形。
「……だが、少々加護が強すぎたか」
「――――大丈夫よ。人の世で『皇国の慈悲』だった子が傍に着いているから」
「…………」
そうは思えない。その言葉を寸での所で飲み込んだ創生神が、己の一部だった魂の規格外さにアイトと共にため息を吐くことになるのは、そう遠くない未来―――――。
大天使さま、名前考え付かなかった…申し訳ない。