其の四 細い戦場
エンは単身でサクのもとへ向かい、建造中の砦の傍で面会した。今後の方針を示し合わせるためである。まずは草原に現れた敵の軍勢に対し、サクにどのように対処するつもりなのかを尋ねた。
「こちらの軍勢は二百だが、砦の構築と黒井城側の警戒に百は必要だ。草原側に回せるのは多くて百までだな。出張ってきている敵が三百なら、草原で正面からぶつかるわけにはいかん。できれば手前のあの隘路で戦いたい」
カンの目算では草原に現れた敵勢の数はおよそ三百。数の不利を補うためにも、敵と草原にて正面からぶつかるのは避けたいというのがサクの意向であった。だが、未完成な砦に張り付かれての防衛戦も避けねばならない。砦が外から攻め立てられていると知れれば、城方が出てきての挟み撃ちに晒される展開が予想されるからだ。よって、先ほどエンたちが隘路となっている森道の両脇に伏せたのと同じように、サクもやはり敵が横に展開することができない森道での迎撃を思い描いていた。
「おめぇ達こそ大丈夫なのかよ。奴ら、使えんのか?」
「友と言ってくれたサクを欺くのは嫌だから正直に言うけどさ、あいつらとの連携は不可能だな。情けない話だけど……」
濃武の里の忍たちの関係が上手くいってないことはサクにも分かっていたので驚きはしないが、忍同士の痴話ゲンカのせいで期待した成果が出ないのは、雇い主のサクとしては苦情のひとつも言いたいところだ。それでもこの場で怒りをぶちまけることが事態の好転にはつながらないと判断できるようになったサクは、以前に比べて精神と器に広がりを持つようになってきている。
「仕方がない…… 手を貸そう。おめぇのやりたいことも教えろ。もしも里の全員を使えていたら、おめぇはどう動きたかった?」
こうして二人は、当面の敵への対応について連携できるよう示し合わせた。森道の仲間の元へ戻ったエンは、バジク組も集めてサクの意向を伝え、また左右の土手へと別れた。向かいの土手へと消えていくバジクたちの背を見ながら、カンがエンに囁く。
「アイツらはきっとまた、足並みを乱しますよ」
「分かってる。奴らとはもう連携しないから安心しな」
先ほどの戦闘で使用した弓矢を再作成して草や葉で隠す。日没までに出来るそれら最低限の防備を行い、森道から離れすぎない位置に身を隠した。この行動は雇い主からの命令として伝えてあるので、対岸のバジクたちも同じ行動をとっているはずだ。
その日の真夜中、仰向けに眠っていたユナは目を開いた。虫たちの声の中に人が草を踏むような音を感じたのだ。視界の先にある高い位置の枝葉の隙間から見える闇が薄い。月が出ているのだろう。
ユナは声を出さずにエンを揺り起こした。無言で目を開けたエンにユナは身振り手振りで状況を伝えようとした。相変わらずユナの手振りからは何も伝わるものは無かったが、こんな夜中に無言で何かを訴えているのだから、何らかの異変を感じたのだろうと察した。すぐにカンとシノも起こしたが、接近するその者を襲ったり捕らえたりはしない。エンたちはその者が、建造中の砦の方へと去るのを黙って見守った。
「あれは砦の様子を探りに向かった敵の忍だな。砦がまだ完成していないのと、守備兵も展開していないことを確認して戻ってくるはずだ。それを見送るまで俺たちは、このまま隠れて待機だぞ」
それから一刻ほど経った頃に敵の忍は戻ってきた。エンたちは身を隠したまま、それをやり過ごした。忍の報告を受けた敵の大将は、砦を完成前に潰しておくには今しかないと、準備を整えて進軍してくるだろう。
「シノ、お前は砦に走ってサク…… いや、安田さまに知らせてこい。カンは敵軍の様子を探ってくれ。恐らく忍の報告を受けて動き出すはずなんだ」
「「はい!」」
シノとカンがそれぞれ逆方向に走り去っていった。エンはカンの判断力を信頼して、敵の監視にはカンを行かせることが多い。裏を返せばユナとシノは何をしでかすか分からないため、単独で敵の前へ行かせるのは不安なのだ。
先に戻ってきたのはシノだった。それも後にぞろぞろと十人もの兵を連れている。
「お疲れさん」
「ちゃんと伝えてきましたよ。そうしたら、この人たちを連れて行けって」
シノが連れてきた兵たちの中には、サクの傍に仕えていた大助の顔も見えた。森道での戦闘に際しては、大助をはじめ弓をたしなむ者を数人回してもらえるよう、エンはサクに根回しをしていたのだ。そこにエンの姿を見た大助は、早速ぼやいてみせた。
「なぜ、われが忍の応援などに…… 作兵衛さまの命で来ただけだからな。調子にのって偉そうにするなよ!」
「分かりました。では、大助さまとお呼びすればよろしいですかな。ご協力の方、よろしくおたのみ申します」
気難しさを見せる大助に対して、エンは出来る限りへりくだってみせた。
空が白み始めた頃、草原方面からカンが戻ってきた。
「敵の軍勢が動き出しました。半数以上がこちらに向かってきます」
「分かった! シノ、もうひとっ走り頼む。安田さまに敵の襲来を知らせてくれ」
サクの部隊も今頃はこちらへ向かっているはずで、もしかするとすでに戦闘配備で敵を待ち受けているかもしれない。
やがてエンたちの土手からも敵軍が見えてきた。四列縦隊でこの森道に栓をするように進んでくる。先頭集団の数人は、矢弾の盾にするための板や竹束を担いでの行軍だが、その後ろに続く兵たちは思い思いの兵装となっており、統一感は無かった。
エンたちの潜む土手の下を通過してゆくそれら敵の先団を黙ってやり過ごしたが、敵の行軍はやがて止まった。敵先団の前にサクの部隊が立ちはだかったのだろう。
このような幅が狭い道を進む兵たちは、案外気が緩むことが多い。というのも、敵とぶつかっても戦えるのは先頭の数人だけで、後ろには味方がひしめいているものの、狭くて自由に動き回ることさえできない。ただ付いて歩くだけの状態となるためである。ましてや行軍が止まってしまうと、敵の姿も見えていないだけに、緊張よりも緩みの方が大きくなる者も少なくない。
『かかるぞ!』
身振りで仲間にそう伝えたエンは、固定した手製の弓へと繋がる細い縄を切った。弾かれるように十本の矢が草を貫いて土手の下へと飛び出していった。
「ぐおっ」
「うわ!?」
エンたちの正面の敵兵から悲鳴というより驚きのような声が挙がった。エンが草の隙間から土手下の様子をうかがうと、戦果として三名の敵兵に手傷を負わせていた。敵が密集しているおかげで、めくら撃ちでも誰かには当たるのだ。ただし、戦果は前回より多かったものの、この数の敵軍にとっては痛手ですらない。
「そっちに敵がいるぞ!」
そんな声が飛んだが、逆にこちらへ向けて弓を構える者はいなかったのでエンはホッとした。いたずら程度に即席の矢を射込まれただけでは、敵軍に動揺は生じない。案の定、対岸のバジク組からの追い打ちも無かった。一瞬の静寂の間が周囲を包む。
前後を味方に挟まれ、左右を土手に挟まれた身動きの取りにくいストレスの中で矢を受けた兵たちにとって、襲撃を受けたの緊張はすぐに怒りの感情へと切り替わった。
「そこの敵をぶち殺せや!」
兵の一人からそんな声が発せられると、我も我もと土手を這い上がろうとする動きを見せる者が現れだした。もちろんエンは、敵兵のこの動きを見ている。
エンは大助に合図を送ると、大助は身振りで味方を動かす。ほぼ等間隔で横並びとなった十名の弓兵が敵を視認できるよう草を割って前へ踏み出る。そして一斉に弓を放って退いた。
ほぼ至近距離から目視しつつの射撃である。外すものではない。土手に張り付いていた敵兵のうち十名が射落とされると、射られなかった者も慌てて土手を下りて味方の中に紛れるように戻った。
『これはただ事ではない!』
と、周囲の兵たちは共通の認識を持ったが、その上での兵たちの反応は様々であった。いきり立つ者、うろたえる者、威嚇する者、そして、それ以外の再び土手を這い上がろうとする勇敢な者たちに向けて、大助たち十名からの矢が再び飛んだ。
至近距離から致命的な矢を受けて土手を転げ落ちる仲間たちを再度目の当たりにした敵兵。ここにエンの想定を上回る混乱が発生した。
そんなエン組の潜む土手から少し南。サクの部隊と敵軍の先頭は、百歩ほどの間隔を空けて対峙していた。大型の弓でも持ち込まない限り矢の届かない距離である。ここは敵の方が意表をつかれた形になる。何せ明智軍の防備が整っていないという情報を基に進軍してきたにもかかわらず、明智の戦闘部隊が五列縦隊で整然と森道を塞ぐように待ち構えていたのだから。
戦闘員を散らして隠しておき、防備が整っていないように装う。敵の偵察を受けた後に集結して隊列を組む。そのタイミングはエンたち忍が敵方の忍及び軍勢を監視して伝える。サクとエンでそう示し合わせてこの状態を築いた。もちろんこのあとの動きも示し合わせている。
今回のような形で二つの軍隊が睨み合って膠着した場合、先に動く義務は攻め手の側にある。攻め手にとって『完成前の砦を襲って潰す』ことが戦略目標であり、これを達成することが勝利を意味するからだ。そのためには、目の前に立ち塞がる明智勢を突破するしかない。
ところが、ここで先に動いたのはサクの部隊だった。サクは敵軍の中に異変を見たのだ。大助たちを連れ出したエンが何かを起こすことはサクには分かっていた。それがあの異変の正体であれば、守るより攻めに転じるのは今だった。もともとサクは好戦的な性格なのだ。サクは自部隊を猛進させた。
ここで敵の先頭集団は狼狽する。明らかに後方で何かが起こっている状況で、前面の敵も向かってくるのである。
サク隊が敵軍の前に到達したとき、彼はかねてより自軍の兵に伝えていた戦術に沿って号令をかけた。
「左三列、突っ込めぇ!」
サク隊の右二列の兵が敵前で停止し、左三列がぶつかった。敵の構える盾を突撃隊の槍が弾き飛ばす。挟撃の恐れに動揺する敵兵に対し、サク隊には勢いがあった。やがて敵と最も接する第三列の勢いが落ちてきたが、左の土手沿いの二列はずんずんと敵軍に突き刺さってゆく。もしも上空から森道を見ることができたなら、まるでNの字を描くかのように、決して広くはない隘路で両軍は左右に押し分けるような状態となっていった。
そんなサクの部隊の先頭は、エン組が潜む茂みの前にも達していた。これにより、敵兵がすぐにエンたちの潜む側の土手を駆け上がってくる心配は無くなった。
ここでエンは弓兵たちに言った。
「ここから皆さんは、敵前に晒されている味方の先鋒を援護してください。彼らを守り抜けば、この戦闘で負けることは無い」
「おい貴様、勝手に命令するな!」
とつぜん味方の弓兵たちに指示を与えたエンに大助はカッとなって制止する。それでもエンは動じることもなく、弓兵たちに補足する。
「この指示は作兵衛どのと示し合わせてのもの。俺の独断ではありませぬので、皆さま心おきなくお力を発揮してくだされ」
サクの指示といわれると、大助は逆らうことはできない。それを見越して、エンは事前にサクのお墨付きを得ておいたのだ。面白くなさそうに仲間の弓兵に倣ってその場で戦おうとする大助を今度はエンが止める。
「大助さまはここではないですよ。あなたには俺と一緒に来てもらいます」
「何だと!? 偉そうに指図するな。我は貴様の命令などきかぬぞ」
「さっき言ったでしょ、これはサクと示し合わせてるの! 手柄を立てさせてあげますから、大助さまはついてきてください」
ムッとしながらも行かないとは言えない大助を確保したエンは、組員たちに簡単な指示を与える。
「シノとカンはこのまま弓兵の手伝い。一刻経っても俺が戻らなければ、以降はカン、お前の判断で動け。ユナは俺と一緒に来てくれ!」
「うん」
エンが自分だけを連れて行こうとすることに特別感を感じたようで、気を良くしたユナは笑顔で応えた。




