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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第九章 【忍道】
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其の三 丹波国

「とにかく急げ! ここだけは全力で駆け抜けるのだ!」


 砦の建造予定地点までの道のりにおいて、敵からの数に任せた迎撃を受けるとすればこの地しかない。工兵に限らず、見張りの兵以外の全員が全力で荷駄を押した。


 ここは丹波国。目の前には草原が広がっている。明智本隊から預かった百人の工兵は、目的地までは彼らが砦の構築を行うための資材を積んだ荷駄を引いて進軍している。そんな工兵の護衛を務めるがサクの率いる兵たちで、これも兵数は百である。単純に数を戦力と考えたなら、同数の二百以上で迎え撃たれればひとたまりもない。その場合、文字通り荷駄が戦闘のお荷物となる上に、サクの部隊には地の利も無いのだ。

 やがて、草原の果てが近づいてきた。


「あの道じゃ! あそこまで全力で押せ!」


 サクの檄が飛ぶ。


「戦闘隊五十づつで荷駄隊の前後を挟み、森道へ入るぞ!」


 そういってサクは前衛を率いて森道へと進んでいった。エンたち忍もこの前衛と共に進む。駆け込んだ森道は、大人五人が横並びで歩けるほどの道幅があった。


「隘路だな。まだ油断するなよ」


 そうサクが警戒するように、森道の両側は上りの傾斜になっており、大人の背丈にして一人半ほどの高さの土手となっている。そんな土手の上は草木の茂る森だ。土手は手をついて草を掴めば這い上がることもできる高さだが、確かにサクの言うように隘路ともいえる行軍には不利な地形を進んだ。


 いまや都をも支配する巨大な勢力の威勢を見せつけるかのように、京から全軍で丹波国へと踏み入った明智の軍勢は、丹波中央あたりで三つの隊に分散した。抵抗勢力の拠点である黒井城の攻略のため、明智軍は城の周囲に数個の砦を建造して城を囲み、交通を遮断して敵を孤立させる方針を立てている。その中でサクは、黒井城から北方面への砦の建造と守備を任されていた。


「囲んで干上がらせれば、春までには城内の食料も尽きて落城することになると、大殿は申しておられた」


 出陣の前、サクはこの作戦の戦略目標をそう語っていた。明智の殿がそう分析しているのであれば、それは城の備蓄や敵兵力の試算に基づいての見解なのであろう。要するに春まで堪えろということである。たとえ画餅であろうとも、そのようにお仕事の終わりまでの道筋を描いておいてくれることは、エンたちにとっても働き易くて結構なことだ。


 明智さまは丹波の国人から見れば他国勢力である。当然ながら、明智勢の丹波進攻に同調しない丹波国人は大勢いる。現在展開しようとしている黒井城攻めにおいても、他の丹波国人が城方への来援として挙兵し砦の建造の妨害に出る可能性は大いに考えられる。サクの部隊は工兵たちが北の砦を建造する間、砦に近づく敵を食い止める。そして砦が完成した後はそこに籠もって、敵を迎え撃つことを命じられているのだ。


「ここです」


 案内役の言葉に行軍が止まった。草木以外に何も無いその場所が、サク隊が目指してきた目的地だという。工兵の頭が示したその場所の手前で隘路は終わっており、ただの森道に沿った場所だった。草原から南西に向けて伸びていた森道がこの地点で折れて南への道になる。その先が黒井城だ。

 砦というものは城ではない。今回のような場合はあくまで一定の期間、黒井城への交通を遮断し、そして襲撃に対する防備となる、その二点が機能すればそれでよいのだ。

 工兵たちはまず、最も可能性の高いであろう黒井城側からの攻撃に備えた防備の構築に追われることになる。その間エンたち忍は、防備が後回しとなる草原側の警戒にあたることとなった。


「大丈夫かよありゃ。木を切り払うところから始めてるぞ。何日かかることか」

「チンタラやってる間に敵が攻めてきても知らねぇぞ」


 バジクとテツがそんな陰口をたたく声が聞こえたが、これについてはエンも同じ思いであった。

 濃武の里の八名は、持参していた忍装束に身を包んだ。此度は人の中ではなく、自然の中に溶け込むことが重視される任務であるためだ。多少の個人差はあるが、冬の寒々しい木の幹や乾いた土に近い茶色の装束を着る者がほとんどである。ユナの装束が最も薄い、白樺のような色だった。しかし、そんな忍たちの中に一人、茶色という枠からはみ出した焼きたてのレンガのような赤い装束の者がいた。シノだ。


「お前…… 何でそんな赤いのを着てるんだ?」


「えへへ、カワイイでしょ?」


「カワイイ? 何だそりゃ」


 忍でありながら、敵に察知され易いというリスクを冒してまであえて選択する『カワイイ』という理由がエンには何のことなのか解らない。


「え~ それはですね、心の訴えですよ。カワイイものを見ると、心が「カワイイ!」って躍動するんです。先輩は知らないんですか?」


 説明されてもなお、エンにはこの女子が何を言っているのかが解らない。エンは組内で最もものを知ってそうなカンに問いかける。


「なぁ優等生、お前には『カワイイ』が分かるか?」


「いえ……」


 見ればそのシノの赤みがかった装束は、肘の辺りが少し綻んでいる。どうやら今回初めて身に着けたものではないと推測ができる。


「今までそれを着て、組の者に咎められはしなかったのか?」


「これは『私らしさ』ですから、言われてやめるわけにはいきません」


 また知らない言葉が出てきた。


「その『私らしさ』とやらには、どんな効能があるんだ?」


「やり甲斐ですよ。なんだかこう、やる気が湧いてくるじゃないですか、華やかさがあると」


 もはや感性で行動する者に感覚で語られても、常人には理解が追いつかないのだが、過去にシノと組んだ者たちもこのように煙に巻かれたのだろうか。


「まぁいいけど、敵に狙い撃ちされても知らないからな」


「そのときは先輩が守ってくださいね」


 そんな手に余る要求を屈託のない笑顔で言ってのけるシノに呆れたエン。

「どうだろうな。赤い人を守るってのには、やり甲斐とやらは感じないなぁ」

と、軽く流しておくのだった。


 こうしてエン組とバジク組は、砦建造場所から先ほどの草原への中間あたりまで森道を引き返すと、左右の土手へと別れて上った。そこで森道を見張ることのできる場所を見つけ、エンは組員たちに方針を伝える。


「じっとここで息を潜めたまま、来るかも分からない敵を待ち続けるってのもつまらないからね、敵をここで少しでも足止めできるように仕掛けを作っておこう」


 エンが木の枝にツルを張って簡易の弓にすると、それを見本に皆で手分けして、同じような弓を十ほど作成した。次にエンは砦のサクのもとへ走り、矢尻をかき集めて戻ってきた。この矢尻になるべく真っ直ぐな枝を添え木のように括り付けることで、即席の弓矢に仕立て上げたのだ。


「私たち、この弓矢で戦うの?」


「いや、俺たち素人が狙ったって当たるもんじゃないからな、固定して射ることにするよ」


 固定した弓の玄に細い縄を括り付けて縄を引く。縄を手放せば、弓から矢が放たれるだろう。同じようにして五ヶ所に固定した弓それぞれに繋いだ縄を引いた状態で一つにまとめて木に結んだ。この木に結んだ縄を切れば、一度に五つの固定された弓から矢が放たれる仕掛けだ。

そんな仕掛けの完成を見たエンは対岸の土手へ移動し、バジクと示し合わせを行った。その内容は、エンたちと同じようにバジクたちの側でも土手下に現れる敵に向けての仕掛けを用意しておくこと。そして敵軍がやって来た際には、まずエン組が仕掛ける。そうすることで敵の注意がエン組のいる方の土手へと向いたところでバジク組からも攻撃を仕掛けるといった手筈だ。こうすることで敵を足止め、あわよくば撃退まで出来るかも知れない。

 面白くなさそうにエンの説明を聞いていたバジクの口から発せられたのは、「分かった」のひと言だけだった。



 何事もなく、数日が過ぎていった。

 日に二度、草原側の様子を砦のサクへ報告するようにした。特に事情のないかぎりは、組長のエンとバジクが交互にその任に当たった。一対一でエンの報告を受ける時のみ、サクは友としてエンに接した。


 その日もエンはサクのいる砦の陣へと赴いた。サクの隣に若い男が立っていた。その顔には見覚えがある。京からの出発以来、常にサクを護衛している兵で、毎日エンがサクに面会するときにも遠巻きに見張られている視線は感じていた。サクはこの日、その者をエンに紹介した。


「此奴は大助という。いつも儂について回ろうとするでな、殿の命で此度の遠征からは儂の傍に配されたのじゃ。今後、エンとは顔を合わすことも多かろうて、紹介しておく」


 大助と紹介されたその男は、一瞬ジロリと睨むようにエンを見てから少し頭を下げて言った。


「よろしくたのむ」


 忍への挨拶が不服だと顔に書いてある。まるで初めて会った頃のサクだな、と思いながらエンも挨拶を返した。


「こちらこそ、よろしくおたのみ申します」


 にこやかな忍もまた気に入らなかったのか、大助はもうエンとは目を合わせなかった。そんな様子を見ながらサクは紹介を続ける。


「剣の腕はまだまだだが、弓の方はその辺りの大人よりもよほど上手じゃ。気にかけてやってくれ」


「頼りにさせてもらいますよ」


 大助はもう何も言わない。やれやれといった表情のサクにこの日の報告を行い、エンは森道の持ち場へと引き上げた。



「ついに草原に軍勢が現れた!」


 草原の見張りに当たらせていたカンが、慌ててそう駆け込んできた。今日になって正体不明の軍勢が出現し、草原に陣取ったのだという。


「そうか…… 敵が来たか」


 岐阜のお殿様に対しては宇津や内藤といった丹波国人が早くから反抗的な姿勢を示していたので、恐らくそのいずれかの軍勢と推測される。


「シノ、お前はこの事を砦の安田さまに伝えてきてくれ。カンは疲れているところを悪いが、戻って軍勢を見張ってくれないか。そして、敵がこちらに来るような動きを見せたら教えてくれ」


 安田さまとはもちろん安田作兵衛ことサクのことである。エンは此度のお仕事に携わって以来、シノたち後輩やバジクたち同僚が見ている手前、雇う者と雇われる者という関係をわきまえて皆の前では礼儀をもって「サク」ではなく「安田さま」と呼んでいるのだ。


 その日の午後、敵陣から弾き出されるように、二十人の武装集団が森道へと進み始めた。後続が動かないということは、砦とそこまでの道中の様子を探るための威力偵察であろう。この情報もカンからいち早くエンたちへと伝えられた。エンは対岸のバジクに敵の接近を伝え、土手の上の草陰に身を潜めた。


 耳をすませば敵兵が近づいてくるのが音で判った。二十人の足音、そしてカシャカシャという装具と装具の当たる音、時おり話し声もあったりする。


「あの規模で堂々と森道を通ってくるなんて、舐めてるんですかね、我々を」


カンはそうボヤいたが、現にこの森道には小数の忍が配されているだけなのだから、舐めてかかった敵の判断は的を得ているともいえる。


「判らん。砦造りで手一杯だと思っているのかもしれないし、我々が城側からの襲撃にしか警戒していないと考えているのかもしれないな。まぁ俺たちはできる限り邪魔してやろう」


 二十名の敵兵がエンたちの潜む土手の前に差しかかった。エンがユナに向かって手を挙げると、彼女は仕掛けてあった縄を切った。草陰に固定された五つの弓から矢が放たれた。エンとカンは草の隙間から敵の様子を覗っている。


 さすがにこの程度の仕掛けでは敵を仕留めるには至らなかった。五本のうち三本の矢は外れ、一本は一人の武装に傷を付けた。しかし一本だけながら、敵兵に手傷を負わせた。

 攻撃を受けたことに気が付いた敵兵たちであったが、彼らは砦の方へ駆け抜けるでも自陣に引き返すでもなく、停止して矢の飛んできた方向、即ちエンたちのいる土手の方を向いた。飛んできた矢の数から、見えざる敵が少数であることが読まれている。

 恐らく奴らの頭の中では今、土手を駆け上がって突入し、障害を一蹴しておくべきかを考えているのだろう。だが今のこの状況は、対岸のバジク組にとっては敵が目の前で背を向けて止まっている状態なのである。これほどの攻撃の好機はない。


 しかし、対岸の土手からの攻撃が行われることはなかった。


「くそっ…… あいつら」


 敵が一気に土手を駆け上がろうとすれぱ、エンは逃げろの指示を出すつもりだが、それまではせいぜい抵抗するつもりである。エンは茂みに踏み入ってくる敵を躓かせるために足もとに張っていた縄の一端をほどいた。その縄をシノに持たせ、草むらを動き回るように指示を出す。


「身を低くするんだぞ!」


「はいっ」


 わさわさと草が揺れる。茂みに潜む人数を少しは多く見せることはできるはずだ。ただし、その程度のことで敵が突入を躊躇してくれるかは怪しいものだが。

 エンは弓に繋がる残りの縄を切り、対岸からの射撃の後に放つ予定だった矢を放った。斜面を駆け上がろうとしていた敵兵たちが怯み、次の矢を警戒して身を縮める。


『これで一旦退いてもらいたいところだが』


 対岸のバジク組の協力なしに、エン組だけで突入してきた敵の相手をするのは荷が重い。だが、こちらの期待に沿って敵が容易に動いてくれるわけもなく、身をかがめていた敵の中から一人が立ち上がり、味方たちを鼓舞した。


『あいつが隊長だな』


 この隊長らしき男の位置はエンから近い。しかも立ち上がってくれたため、今なら狙える位置に頭が見えている。エンは草葉の隙間を通すようにクナイを投げた。すぐにガッという骨に堅い物が突き立つような音を発して、男の顔にクナイが命中していた。


「おぉ」


 想像よりも素早く正確なエンの投てきに、思わずカンから驚きの声が洩れる。男の鼓舞が兵の心に届く前に機先を制したエンの攻撃は、兵の心を折るとができただろうか。

 しかし、すぐに敵兵の中からまた一人、立ち上がった者がいた。見れば男の腕には籠手が装着されており、周りの兵より全身の装備が充実しているように見える。


「くそっ!? あっちが隊長だった!」


 エンの位置からでは一撃で致命傷を与えるのは無理だ。


「皆、退くな! 姿を見せぬのは敵が少数である証拠、このまま駆け上がるのだ!」


 そのような声が聞こえてなお、この場の死守に拘るエンではない。バラバラに散って逃げるようユナたちに指示を出そうとしたその時だった。突然、敵兵たちから悲鳴が上がった。

 バジク組のいる対岸の土手から、敵兵たちの背に向けて、矢が射掛けられたのだ。


「アイツら今ごろ……」


 カンが怒りを抑えきれないといった口調で吐き捨てた。

 この敵は兵の一団といっても砦の状況を探ることが目的の偵察隊であり、砦を落とすための兵力ではない。背後からも攻撃を受けたことで、彼らは明智勢が草原側にもそれなりの備えを敷いているとみなし、それ以上は無理をすることもなく後退していった。


「どうだ、見たか。こちらの攻撃で敵を追い払ってやったわ」


 敵の撃退を自らの手柄のように誇るバジクにカンが詰め寄る。


「あんた、なぜ段取りの通りに動かなかった?」


「ハァ? 知るか、そんなもの。何で我らがそいつの指示通りになんぞ動かねばならないんだ」


 エンを指差しながらそう言うバジクにカンが食ってかかろうとする。


「あんたらのせいで、こっちは死にかけたんだぞ!」


 バジクに飛び掛かりそうな勢いのカンの腕をエンが掴んで止めた。エンはバジクに向かって

「客に迷惑がかかる。そういう嫌がらせはお仕事中じゃなくて、俺ひとりに仕掛けてこい」

といって睨みをきかせた。

「ふん」と、エンに背を向けると、バジクは砦の方へ歩き出す。それに倣うように、テツたち組員も去っていった。


「奴らは信用できません。エンさんは次は言うことを聞くと思っているのですか?」


 怒りの冷めやらない様子のカンがエンに訴えかける。


「まぁ、アテにはならないだろうな」


「それじゃあ……」


「まぁ、そうカリカリしなさんな。アイツらが協力しないのなら、その前提でこちらも策を立てるまでさ」


「なにか考えがあるの?」

 意外と落ち着いているエンに、ユナが興味深そうに問う。


「まぁね。アイツらは大事なことを知らないんだよ」


「大事なこと?」


「ああ。俺が依頼主とズブズブだってことを知らないのさ」


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