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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第九章 【忍道】
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其の一 風あたりの悪きこと

「よくもぬけぬけと戻ってこられたもんだ」


 口の動きから、そう言われたことが判った。読唇術というのは情報を探るという点においては便利で有効な技能ではあるが、それによって自分への悪口が読めてしまうと、心の中のドロッとしたものがほんの少し波立つ。それでも大きく声に出して罵られるよりはマシだと自分を慰めて、気にしないように心がける。


 この春、エンは二年間の国外生活から無事に濃武の里へと戻ってきた。しかし、そんなエンへの里の人々の風当たりは冷やかなものだった。「エンが里を存続の危機に陥れて逃げた」という話が、すっかり里内に浸透してしまっていたのだ。

 エンが自らの軽率な行為によってトクガワを名乗る忍を殺害し、里を危機にさらしてしまったことは事実ではあったが、徳川からの報復を受けたり交戦状態にでもならない限りは、わざわざそのような事実を労務局が里民に公表することはないと推測していた。

 ところが、現実はそう甘くはなかった。

 公表まではしなくとも、噂の形でエンの悪名は広く深く知れ渡り、多くの里人の恨みをかっていたのだ。この噂というものが厄介なもので、人の口から口へと伝播するにつれて、内容に尾ひれが付いてゆくらしい。「名を売るために他国の者を殺した」「女を手に入れるために里をダシに使った」など、エン本人の思いもよらぬ理由が付加されているものも多く、挙げ句の果てには「他国と連携して労務局の転覆を謀り、里の運営を乗っ取ろうとしたが、未遂に終わって逃亡した」といった壮大な陰謀論までが囁かれているのだから、もはやエンの弁解で治まるような問題ではなくなっていたのだ。


 里の本通りを歩くエンの前方に労務局の建物が見えてきた。人は変わっても建物は二年前と変わっていない。濃武の里の労務局は敷地がぐるりと塀で囲まれている。その敷地は里の本通りに沿って位置しているのだが、入口は本通りに面してはいない。本通りから一つ横道に折れた所に入口が造られているのは、もしも敵兵に攻められるようなことがあっても、堅く守ることができるようにという戦略的な設計なのだという。

 エンは労務局の建物に入った。受付として座る男は以前より随分と痩せたように見えるが、無愛想なのは相変わらずだった。局員のタチバナとの面会をお願いすると、男はタチバナの状況を確認するため席を外した。

 果たして受付という立場のあの男もエンの事件を知っていて、いま自分が応接しているこの忍こそがその事件の当事者であることに気付いているのだろうか。もともと愛想の無い男であるため表情からは判らない。そんなことを考えながら待っていると、エンの呼び出しに応えてタチバナが出てきた。

 彼は今ではすっかり少なくなってしまったエンの理解者の一人である。里に復帰して以来、労務局との手続きや情報の伝達も、全てこのタチバナを通して行っているのが実状である。今日もエンに向けたお仕事は無かったが、それ以外にも里やその周囲の近況などを教えてもらい、本来なら仲間との会話などで得られるような情報を共有した。


「まだまだ厳しいみたいですね」


「すっかり里のはみ出し者ですよ。いっそ居を里外にでも移して、自給自足に力を入れた方が生きやすいのでは? なんて、考えるようになってきましたよ」


 もちろんそのような生活になると自給自足が生活の柱となり、忍のお仕事は副業となってしまう。それは勿体ないというのがタチバナの考えではあるが、現状で彼にできる協力にも限界がある。


「私にいわせれば、あなたは里の逸材だと思っているのですがね」


 タチバナだけは、以前からエンへの評価が高い。しかし、そんなタチバナからの評価は、過大な評価と共に過剰な期待をも受けているように感じられて、エン自身は少々息苦しくなることがあった。


「先の件にしましても、一介の忍が二年の月日をかけて自力で大名からの赦免を勝ち取るなど、にわかに信じられないことです。それも、あの服部家に取り入り、そこを動かして大名への渡りを付けるなど、神業を見た思いなのですから」


「はは…… 恐れいります」


 エンの復帰までの経緯としては、まず服部家からの使者が濃武の里労務局を訪ねてきた。この使者との応接を行ったのはタチバナである。使者はエンが徳川の忍を殺害した事件について、徳川家からの赦免が出たことを伝えた。なんと二年前に行方をくらませた一人の忍の罪状について、この業界最大手ともいえる伊賀の服部家が、大名である徳川から赦免を得たことを伝えに来たのだ。それは濃武の里労務局にとっては驚愕の出来事であった。さらにその上で、使者はエンの里への復帰を求めた。この事実だけで労務局内は騒然となった。労務局内でのエンの評価が反転したといってもよい。

 だが、そんなタチバナもエンと伊賀の関係の全てを知っているわけではない。


『その服部に取り入るまでに、俺が神部家の上忍を殺したなんて知ったら、みな腰を抜かすかもしれないな』


 このあたりは服部の使者も話しはしなかったらしく、エンも口外せず心の中に留めている出来事である。とまれ、いくらタチバナがエンに好意的であろうとも、労務局内の評価が好転しようとも、一度地に落ちた里の人々の認識に変化を与えるような効果があるわけもなかった。


「とはいえ、今は風向きが良くないですね……」


 労務局でもそれなりの地位にいるタチバナですら、エンを取り巻く現状をそう評して適当な案件を与えることもできないのだから、エンがいくら忍としての円熟期を迎えようとしていても、当面の開店休業は止むなしの状況なのだろう。


─── ── ─

 

 ぼんやりと天井を見つめていた。最近、眺めていることの多いこの天井はもう小さなシミの位置まで憶えてしまっている。この日もエンは退屈だった。

 もともとエンは、この里で一匹狼ではなかった。しかし、かつての仲間の多くは今のエンに同情的ではありつつも、世間の目を恐れずにエンと堂々と付き合うことはできなかった。仕方のないことだとも思える。

 それでも、ほんの一握りではあるが、今でもエンを庇ってくれる仲間はいる。鈍感なのか周囲に流されない意思を持っているのか、いずれにせよ彼らの存在にエンの心は支えられていた。そして、そんな稀少な仲間だからこそ、エンは頻繁に彼らと会うことは避けている。自分と付き合ったがために彼らの里での立場が悪くなったのでは申し訳ないからだ。そんな事情から、エンは他人との接触の少ない退屈な日々を送っている。

 滅入る気分は酒でもあおって紛らわせたいところだが、酔っ払いに絡まれるため居酒屋へも行けない。この濃武の里はエンにとって、なかなかに生きにくい環境となっていた。


 ── ひっく……


 呆けて寝転ぶエンの耳が人の声のような音を聞いた気がした。思わず起き上がったが、考えてみれば両隣の住人はそれぞれお仕事で留守にしているはずである。気のせいかと、万年床と化してきている布団に再び寝転ぶと、


 ── エッ…… グェ……


 また声が聞こえた。それもよく判らない発音である。さすがに気味が悪くなってきたが、謎の声に容赦はなく


 ── ウェ…… ぐずっ……


 もはやはっきりと聞こえる。ここまでくるとこれは心霊的なものではなく、戸の前に誰かが居るとしか思えなくなった。エンはそっと戸に近づくと、一気にガラリと開けた。

 するとそこには、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした女性が立っていた。


「うわぁ!? な、何だ…… って、シノか?」


「ヴぇぇぇ、ぜんぱいぃぃぃ」


「久しぶりだなと言いたいところだけど、何でお前はそんなことになってるんだ?」


 シノはエンの後輩のくノ一で、かつて彼女の初仕事をエンの組として指導した間柄である。噂話が好きで、過去にも早耳でエンに関する噂を聞きつけては、事の真相を本人に直接聞きにくるという物怖じしない性格の子なのであるが、そんなシノが情緒のおかしな状態でエンの部屋の前に立っているのだ。


「ぜんばい…… ごべんだざいぃぃ」


「何を言ってんのか判らんが、とりあえず入りな」


 自分の部屋の前で女子に泣かれていたのでは更なる妙な誤解を招きかねないと、シノを部屋に入れた。

 まずは落ち着いてもらわねば話にならないと、エンは手拭いを出してきてシノに手渡した。それで涙を拭いたあと、チーンと鼻をかんだシノは、「はい」と、手拭いをエンに返そうとする。


「いや、そのまま返すな、せめて洗え。ってか、このあとも泣くんなら、それで拭けよ。 それで? どうしたんだ?」


「うぇぇ 先輩、ごめんなさい」


 また泣きそうになるシノをゆっくりとなだめ、何とか話せる状態にする。


「じつは…… あのときアタシ、見てしまったんです……」


 シノが語るには、エンが里を抜けることになった二年前の事件の時、シノは偶然にも一部始終を目撃してしまったのだという。

 あの日、シノは里の外に些細な用があった。ちょうど茶屋の外を回り込んで峠道に出ようとしたそのとき、怒声が聞こえてきた。シノはサッと茶屋の陰に身を隠すと、表の様子をこっそり覗いていたのだ。すると、静かに店の表へと出てきたかと思うと、見事なまでに雑念を消したエンが流れるような動作で何者かを仕留めたのだ。真実は寝ぼけたエンが考えなしにクナイを投げただけだったのだが、シノにはそのように見えたらしい。

 そして、そのとき助けられた女子が口にした「トクガワの忍」という言葉も、店の陰に潜むシノにははっきりと聞こえていた。エンは女子と共に里を去り、茶屋の娘のサヨは謎の男たちが倒れた仲間を回収するまでの最低限の手伝いをして、彼らをもと来た方へと追い返したという。


 それから数日経った頃だった。「労務局の職員同士ががなにやら揉めている」という、やんわりとした噂が里の一部に流れたのは。噂好きなシノが詳しく探りを入れると、殺傷事件を起こした忍の処遇について意見が割れているのだという。これに噂好きのシノは飛びついた。なにせ今回の件については、核心となる情報を自分が握っているのだから。シノはいろいろな場所で、エンの武勇伝を周囲に語って聞かせた。

 噂話が人から人へと巡っていくとき、次第に話は脚色という層を帯びてゆく。そしてある日、シノは噂話を耳にした。それは自分の話した情報が世間を回ってシノのもとへともたらされたものではあったが、思いも寄らぬ尾ヒレをまとっていた。

「エンが何かの腹いせに大名家である徳川の忍を殺害し、徳川の敵意が濃武の里に向くように仕向けて逃亡した」というのだ。

 これはあまりにも脚色が過ぎたものだったが、それ以外にも噂を集めてみると、総じてエンが徳川の忍を殺害した事実と、それに付随して里を窮地に追いやって逃げたエンは許せぬ、という怨嗟の声だったのだ。


「そんなつもりじゃ無かったんです……ウェ……グス」


 軽い気持ちで周囲に話したことが、里中にエンへの怒りを充満させる結果になった。シノは怖くなりそれ以降この話を語ることはなくなったが、二年の時を経てエンが里に帰ってきた。エンに合わせる顔がないと思っているシノはエンに会いに行こうとはしなかったが、ついに目撃してしまったのだ、エンが里の者から罵声を浴びせられているところを。

 シノはひと晩思い悩んだ挙げ句、こうしてエンの部屋へとやって来たのだった。


「なるほど、お前だったか」


「ごめんなさい……」


 俯くシノの頭に手を伸ばし、ワシャワシャと髪をかき乱してやる。「みゃあぁぁ」と、謎の声をあげるシノをエンは優しく許す。


「まぁ過ぎたことは仕方がない。お前が見たことは本当の事だしな。尾ひれが付いたのは余計だったけど、事件を知っていて俺を快く思わない者は労務局にもいるからな」


「あ……ありがとうこざいます。……でも、先輩がこの里でつらい生活なのは違いがなくて…… アタシでよければ何でも言うことを聞くので……」


 申し訳のなかさら発せられたシノのこの言動をエンは聞き逃さない。


「ふぅん…… 何でも言うことを聞くんだな」


 ハッとしたシノは胸を隠すような仕草で『自分は取り返しのつかない言葉を口にしてしまったのではないか』、そんな後悔の面持ちでエンの目を見る。


「こら、何だその目は。勘違いするな」


「え……」


「え、じゃない! お前を手籠めになんかするわけないだろ。そうじゃなくて、お仕事に人数が必要なときには、お前にも参加してもらおうと考えただけだ」


 この里でお仕事を続けていくためには、一人でも信頼できる仲間が必要である。そういう人物には技術よりも、裏切らない信頼感が優先して求められる。たとえエンへの罪悪感がその根幹であっても、裏切らないであろうシノを味方として置いておきたかった。


「そぉかぁ。エン先輩もとうとうアタシを戦力として認めたんですね」


 もぉ、遅いぞ先輩、とでも言いたげな態度がムカつくが、本人はエンに本当に認められたと思っている様子だ。


「認めたんじゃない、お前くらいしかいないんだよ!」



 その後も無為に時は過ぎてゆき、ひと月ほどその日しのぎな暮らしを経た頃、ついに労務局からエンへのお仕事の斡旋があった。呼び出しを受けた労務局内の板の間。エンの他に、ユナ、シノ、カンといった馴染みのある顔ぶれが集められているのは、タチバナのお膳立てであろう。ただし、この場に居るのは見知った者ばかりではない。四人の見知らぬ男。いや、一人はどこかで見たような気もする。しかし、今のエンにそれを思い出す余裕は無い。四人のうち二人が、先ほどから穴が開くほどにエンを睨みつけているのだ。

 今にも飛び掛かってきそうな男たちの視線がスッと外れた。部屋に労務局員のタチバナが入ってきたからだ。タチバナも室内の一部のピリピリとした空気を察したのか、忍たちに発言の機会を与えぬように手短な挨拶だけを述べて本題へと入った。


「本日ご紹介するお仕事ですが、依頼主は明智ご家中の安田作兵衛さま。希望の人数は八名。遠征軍への従軍を求められています」


『安田作兵衛? あぁ……サクか』


 美濃では知らぬ者のいない明智家。そこに仕える侍の一人がサクである。かつて、岐阜の殿様が叡山に焼き討ちを敢行した事件があった。そのときエンはサクやここに居るカンたちと共に別動隊として叡山に入っている。

 問題はこの案件の『八人』という部分だ。エンは現状の里にあって自分に協力的な者の名を事前にタチバナへと伝えていた。この場に集められたユナたち三名は伝えていたその中に含まれていた者である。だが、八名という条件には無理があった。エンが伝えた全員を集めても、七名にも満たないからだ。


「我が里より選抜された皆さんは、エンさんを組長として安田さまの指揮下に入っていただき──」


 タチバナの説明を遮るように男が声を上げる。


「オレがコイツの下に? 冗談じゃない。このクズが何をやったのか知ってるんだろ? そんな奴と組めっていう方がどうかしてる。この世で最も信用できないゴミのような野郎じゃないか」


 そう口汚く声を荒げる男の名はバジクという。先ほども弟分のテツと共にエンを睨み据えていたことからも、エンを快く思わない人間なのは明白であった。


「ちょっと、言い過ぎですよ」


 カンがバジクの暴言をたしなめるが、バジクはやめない。


「何が言い過ぎなものか。里のほとんどの者がコイツを殺したくてウズウズしてるんだ。口で罵るだけで済ましているオレがいかに穏便かと言いたいくらいだ」


 これにタチバナが口を挟んだ。


「エンさんの行いについては、大名からの赦免が出ています。労務局も罪には問うていません」


「それがヌルいんですよ。赦免が出たのは結果論だ。里を危機にさらしても逃げれば済むのか? 労務局が制裁しないことも皆の不満ですよ」


 里のほとんどの者がエンを殺したいと思っているというバジクの発言は、さすがに大袈裟な話である。噂が広まったことで里内のエンの評判は著しく悪くなったが、大半の里民はそのエンをどうこうしたいとまでは考えていない。正直なところ、平素の生活でのストレスの捌け口として罵ったり絡んだりはするが、日々の自分の生活に直接的に影響を及ぼさなかったエンのことなど、どうでもよいというのが殆どの里民の心境だった。

 エンを害したいと考えているのは、一部の極端な倫理観を持つ者と、一介の忍が大名の赦免を得たという事実が気に入らない者たちであった。バジクもそのような人物の一人なのだろう。

 タチバナは労務局がヌルいという意見は受け流し、バジクたちに提案を持ちかけた。


「そういう意見もあるかと思い、別の案なのですが、エンさんの組と同等の組としてバジクさん、あなたの組を並立し、テツさん、シンさん、タクさんと組んで頂くというので如何でしょうか?」


 それでもエンとお仕事を共にするのが我慢ならないのであれば、バジクたちは案件から外せばよい。タチバナは心の内でそのように考えつつ提案したのだが、意外にもバジクの返事は、

「仕方ない。それでやってやるよ」

と、受け入れるものであった。


 今の里の忍にはエンを心憎く思う者が多いことは承知しているタチバナだが、バジクたちが本人を前にこれ程あからさまに敵意をむき出しにするとは思っていなかった。バジクを選出したのはタチバナ以外の労務局員だが、あくまでも空いている忍の中から選んだだけだった。そこにバジクと親しいテツ、その他空いている忍としてシンとタクを呼び寄せたのだ。それ程までにエンを嫌うのであればお仕事を断るという選択肢もある。にもかかわらず、バジクはお仕事を受けるというのだから、誘った労務局の方から辞めろとはいえない。


「皆さん思うところはあるのでしょうが、これはお仕事です。お客様は銭を払って我らを雇っているのですから、きっちりと連携して成果を挙げてきてください。それだけはくれぐれも忘れぬよう」


 タチバナはそう訓示を与えた。彼からは、こうして釘を刺しておくしかない。集合場所は京に在るサクの屋敷だという。念のため、エンはバジクに確認する。


「里の一団として、一緒に京へ向かうか?」


「はぁ? 寝ぼけんな。ゴミと一緒になんぞ歩けるか」


 相変わらず口が悪い。なるべく大人しくするよう心掛けていたエンもさすがに飲み込んでいた感情が上がってくるのを止められない。


「お前って…… 嫌な奴だな。友達少ないだろ」


 突然にエンから嫌味を吐かれ、バジクはカッとなる。


「何だと! 立場をわきまえろ。里じゅうがテメェに怒ってることを忘れんな!」


「同調圧力で弱ってる者を見つけて強気に追い込む程度の人間、小さいな。足手まといだから俺もお前とは一緒には旅はしたくはないな」


 淡々とした口調でそう返すエンに、バジクよりも強く反応したのがテツだった。


「テメェ、バジクさんに偉そうな口を利いてんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ!」


「ほぅ、殺すと言ったか…… そういう言葉は自分が逆に殺される危険性も考慮して覚悟を持って吐くべき言葉だが、もちろん分かって言ってるんだよな」


 これが二年前までのエンとの唯一変わったところかもしれない。かつては軽かったエンの言葉に凄味のようなものが備わっている。少なくとも言葉を浴びたテツと、注意深く観察しているタチバナにはその凄味を感じることができた。


 エンの眼力に堪えられず、テツが視線を逸らした。


「腰巾着の教育がなってないよ、バジクさん」


「テメっ……」


 エンの挑発的な言葉に思わず拳を握ったバジクだったが、労務局員のタチバナが見ている前で殴り掛かるわけにもいかず、バジクは言葉を詰まらせた。

 バジクやテツが動いた時には自分はエンに加勢せねばとカンは気を張り、ユナとシノそしてシンは、ニコニコと口論を見守っていた。


 ふと、エンはバジクたちの後ろにいる男が気になった。タチバナからはタクと呼ばれていた。バジクと同じように敵意のある目をエンに向けているものの、何か恐れのような雰囲気も見え隠れしている。


「あなた…… どこかで会ったこと……」


「知るか、おまえのことなんか!」


 ムキになってエンを拒絶するタクに深入りするつもりもなく、エンは彼への興味を失った。


「そろそろいいですか?」


 忍たちの話すがままにさせていたタチバナが、ここで止めどのない口論を終わらせた。この二日後、エン組とバジク組はそれぞれに別れて、京を目指して里を発った。


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