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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第八章 【抜け忍】
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其の拾六 伊賀の服部

 服部シンゾウも服部の分家ではあったが、名門の服部家となれば、それなりに顔は立つ。今はすでに隠居の身だが、その現役時代にはまだ若造だったカツヤを可愛がり、多くのお仕事でカツヤを招へいしては、実戦で彼を育てた。そんな関係のまま、お互い現役を退いてからは二人に会う機会も無く疎遠になっていたのだが、ある日突然、服部屋敷にカツヤが現れた。大きな災いを連れて。優雅な隠居生活を破るこの客を、シンゾウは屋敷に入れて話を聞いた。


「なんだと!? 神部の悪童を殺したと申すのか」


 事情を聞いたシンゾウは、当然ともいえる驚きの声を上げた。その事実を知った上で、この服部の隠居は果たしてどう動くのか。間違いなく災いとなるカツヤたちをすぐに追い出すのか。それともこの場で成敗するのか。または捕まえて神部家へ引き渡すことも考えられる。悪い方向の予想は考えるとキリが無いのだが、とにもかくにもエンたち十津の里の一行が生きるか死ぬかは、そんなシンゾウの意向ひとつで決するのである。シンゾウの次の言葉を待つ場の空気はヒリヒリとしたものになっていた。


「分かった分かった、そのような目で儂を見るな。話を聞けば、たしかにこの件は神部の側に否がある。お主らが抜け忍とならずに済むよう、できる限り尽力するゆえ」


 服部シンゾウはやれやれとばかりに、カツヤたちを悪いようには扱わないと、救いの手をさしのべてくれた。さらにはカツヤを安心させるためだろう、即座に具体的な策を考えて語ってくれた。

 ライドウ兄弟の死の情報はまだ伊賀に広まっていない。恐らく今後、何かしらの真っ当な死の理由を付加して神部家はライドウの死を公表してくるだろう。そこで、服部シンゾウは機先を制し、配下の忍たちを使って先にライドウの死を神部周辺の地域に広めるという。それも、協力関係にある里からの挨拶の使者を自分の趣向を満たすために襲い、逆襲を受けて死んだという神部側にとって不名誉な真実と共に。


「さすれば神部から服部へと、何らかの申し入れがくるだろう。そこでこちらからも条件も出し、この件になしを付ける。奴らも伊賀忍家の会合で、他家にネチネチと吊し上げられるのも嫌じゃろうからな」


 シンゾウはニヤリと口もとのしわを上げながら、考えた策をそう締めくくった。


「上手くいきますかな」


「さぁの。やってみんことには分からぬが、ライドウの評判がすこぶる悪いというのが救いかの」


 こうして、カツヤに頼み込まれてはむげにもできないと、服部シンゾウは行き場を無くした十津の忍たちを匿い奔走してくれることを約束してくれた。


「それにしても ── 貴様というやつは、なぜ現役時代より引退後の方が無鉄砲になっておるのだ。」


「はは…… お恥ずかしい限りで……」


 最後にそんな会話をするシンゾウとカツヤ翁に、羨望の目を向けるナガツがいた。



 それからひと月ほど、十津の忍たちは服部屋敷から一歩も外に出ない謹慎者のような生活を送った。エンにとっては、それがチセの死に向き合うよい期間になったともいえる。一連の出来事は、エンにはとうてい納得のいくものではなく、チセを想い失意の底に沈み続けた。『あの時こうしていれば』『あそこでこう動いていれば』 残された者の多くはそんなことを考え、そして深く後悔する。しかしエンは不思議なほどそのような後悔には襲われなかった。むしろ、自分ごときの行動で今回の悲劇を回避できたとは思えないのだ。そういう点では、悔いの残る悲しみの方がまだ救いがあるのかもしれない。そんなエンの傍には、同じくらい悲しいはずなのにエンを気遣い、毎日明るく話しかけてくれるヨシノがいた。そんなヨシノを十日、二十日と見ているうちに、エンも自分だけが陰気に振る舞っていることが申し訳なく思えてきていた。

 そんなある日のこと、神部の者が服部屋敷を訪れるという話を耳にした。エンたちが時の止まったような生活を繰り返している間も、外の世界は動いているのだ。


 服部屋敷の一室で、六人の男が膝をつき合わせた。服部側からはシンゾウと執事、そしてカツヤが出席した。神部側の出席者は本家の者ではなくライドウの部下を代表した者たちで、強硬な態度で話し合いに臨んできた。

 神部側はまず、ライドウの死を触れて回っている行為を止めるよう要求した。さすがは相手も忍である。流言が服部シンゾウの配下によるものであり、ライドウを討った者どもをシンゾウが匿っていることまで掴んで乗り込んできたようだ。

 シンゾウは、今回のライドウの顛末を恥じているのなら、服部が真実を世に流しているのを止めることで、神部側も手打ちにせよと交渉した。

 だが、神部側はこれを拒絶した。そもそも本件はライドウの素行の問題ではない、さらには対外戦争でもなく、友好関係の中での内輪の揉め事であり、そこで一派の長が命を落としているのだから、相手側にも責任を問わずして手打ちなどは無いと強弁したのだ。


 会合は物別れに終わった。丁重にお引き取りいただいた神部の者の背を見送る執事とカツヤの表情は暗い。しかし、シンゾウだけはその口もとが緩んでいた。彼にはまだ腹案として次の手が頭の中にある。隠居して失っていた闘争心が呼び起こされたのか、シンゾウはこの抗争に不思議と心が躍っているようだった。


 しかし、その夜だった、カツヤ翁が腹を切ったのは。

 遺体の傍にはシンゾウに宛てた遺書が置かれており、『若い者たちの未来をお願い致す』と記されていたという。


「なんと早まったことを……」


 カツヤの死を知ったシンゾウは、思わずそう呟いた。しわの刻まれた目尻や頬に光るものがあった。

 その昔、シンゾウはカツヤに対し、我が家に移籍して直属の部下となるよう誘ったことがあった。カツヤは自分を忍にしてくれた里に恩義がある故と丁寧に断った上で、自分を抜擢してくれたシンゾウには直属の部下にも遜色ない今後の奉身を約束した。そんな律儀なカツヤの姿勢に打たれ、シンゾウはカツヤを弟分のように目をかけていたのだ。


 服部シンゾウは約束を守った。彼は伊賀の有力数家に立ち合ってもらい、神部家と会談の場を設けたのだ。そこでライドウの数々の問題行動をまとめ上げて突き付けた。そこには伊賀の諸家の盟約に抵触するものも含まれていた。実際、ライドウという男の存在は身内も持て余しており、神部家としても事を荒立てるつもりはなかった。騒ぎとなった相手側の責任者としてカツヤ翁がすでに腹を切っており、神部の側も面目が保てたことで、痛み分けと相成ったのだ。これにより、エンたちには自由と安全が保障されることとなった。


 カツヤ翁は服部屋敷での潜伏期間中、エンが十津の里へとやって来た経緯をシンゾウに語っていた。これについてもシンゾウは、カツヤの遺言を受けて骨を折ってくれた。なんと服部家は過去のお仕事を通して、東海の大名家である徳川との繋がりを持っていたのだ。エンが美濃にて徳川の忍を手にかけた事件について、シンゾウはエンの赦免をあっさりともぎ取ってきたのだ。これについては徳川としても、孫請けやその周囲の忍が「徳川」の名を押し立てて女子に狼藉を企てていたと聞いては、そのような者は処罰対象ではあっても守る義理などは無いと断じたものもので、シンゾウはそれをもって濃武の里にエンに罪は無いことを通達し、里へ復帰できるよう取り計らったのだ。


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