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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第八章 【抜け忍】
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其の拾五 虎の倒し方

 神部とよばれる地域にはいくつかの村が点在しており、そのうちの一つが神部ライドウの治める村である。ライドウの屋敷を中心に側近の屋敷が周囲を囲み、さらにはライドウが組織している忍部隊の構成員やその家族の住む家が建ち並んでいる。もちろん、忍だけで村が成り立つわけはない。村には忍の家以外にも商家や鍛冶など、そして村の南側には農家と田畑が広がっている。


 エンたちが神部へと到着したときには、すでに正午を大きく過ぎていた。一行は村の宿屋を見つけてその戸をくぐった。神部ライドウは客人を屋敷には泊めない。宿泊は必ず宿へと泊まらせた。忍に相応しい警戒心といいたいところだが、実際は客に宿泊費も払わせて村に銭を落とさせているのである。

 エンは応対に出てきた宿の女将に、先にこの地へと向かった仲間の所在を尋ねる。


「先に仲間が来ているはずなのだが、知りませんか?」


「あぁ、それなら、お館から使いの人が来て、一緒に出ていかれましたよ」


「お館というのは、ライドウ様のお屋敷ですかな?」


「ええ。もう一刻ほど前のことですよ」


 チセたちとは宿で待つ約束だったが、呼び出しを受けたのであれば、無視もできなかったのだろう。


「よし、ワシらもこのまま屋敷に向かおう」


 女将に礼を述べて一旦宿を出ると、エンたちは神部ライドウの屋敷へと向かった。村の中に風流な池が造られているのはライドウの趣向だろうか。池のほとりを抜けるとすぐにライドウの屋敷に至った。


「御免! どなたかお取り次ぎ願えぬか」


 エンが代表して声を上げ、屋敷の者を呼んだ。すぐに、「どなた様ですか?」と、使用人らしき男が姿を見せたので、その者に事情を説明した。


「あぁ、あの御方たちの……」


 複雑な視線でそういった使用人の口ぶりから、チセとナガツが既に来訪していることがうかがい知れた。先導する使用人の後をカツヤ翁を先頭にヨシノ、エンと続く。


「御館様、十津の里のご使者がご到着です」


 板の襖の前に片膝を着くと、使用人は大きな声でエンたちの到着を中のライドウに伝えた。紙の襖ではないため、中へ声が届きにくいのだろう。


「通せ」


 中から凄みのある声が返ってくると、使用人は少し板襖を開き、カツヤたちを中へと促した。

 板襖と板の壁で閉め切られた薄暗い部屋だった。陽の差し込まない室内では点々と置かれた背の高い燭台の灯りだけがこの空間での視界の源であり、明るい室外から入ってきた一行の目が慣れるには少々の時を要した。

 部屋の奥に頬から顎にかけて髭を蓄えた男が、ふんどし一丁の姿で座っている。この裸の男が神部ライドウなのだろう。そしてその前には、側近と覚しき二人の男が左右に分かれて座っている。


「おどれらも十津の者か」


 ライドウのドスの利いた声がカツヤたちを威圧してくる。


「はっ。我ら十津より暮れの挨拶に参上致しました。すでに先だって、我が里の者がお目にかかっていると伺っておりま──」


 最年長のカツヤ翁が代表して口上を述べていたが、つまらなそうにそれを聞くライドウの背後に、カツヤは信じられないものを見た。


「……チ……セ?」


 そんなカツヤの呟きに、俯いていたエンとヨシノも反応してライドウの方を向いた。ライドウの影になっていて暗いが、畳の上に半裸の女性が倒れている。しかし、それがチセであるわけがない。ここは単に客先の屋敷なのだから。チセであってはいけない。

 しかし、次第に目が慣れてゆくにつれて、エンにもその女性がチセであるとはっきりと見えていった。


「ど、どうして…… どうして…… このような……」


 状況がつかめない混乱を何とか抑えようと、カツヤ翁は説明を求めて訴える。しかしライドウは、むしろ苛立ちをぶつけるようにカツヤたち十津の里の者に厳しい言葉を浴びせてくる。


「どうもこうも無いわ! おどれら、よくもやってくれたのぉ」


「は? 何のことでしょうか?」


「とぼけんな! 儂を暗殺しようと、毒蛾を送り込んできたではないか」


 思いもかけない言い掛かりを付けてくる。カツヤたちにとっては此度の伊賀行きは、里への手伝いであってお仕事ですらないのだから。


「そんな…… 誤解です。チセはご挨拶の使者として参ったのです。此度は里の運営部の手が足りませなんだ故、専属の忍が代わってまかり越し申した次第で……」


「そのような妄言が信じられると思うか? 挨拶には里の職員が参るのが習いであろう。ところが、職員が一人もおらぬどころか、毒蛾と名高い籠絡の手練を送り込んできたのだぞ。そんなもん、儂を狙っているに決まっておろうが!」


 ライドウは聞く耳を持たない。カツヤたち十津の者に怒りの声を上げる隙を与えず、逆ギレともいえる手段で加害者と被害者を逆転させている。


「それが暗殺など…… 滅相もありませぬ。恐らくチセもそう申したはず」


「ふん、暗殺者が「暗殺しに来ました」などと言う訳がなかろう。……しかし、相手が悪かったな。儂は毒蛾を知っていた。だから、返り討ちにしてくれたわ」


「何ということだ……」


 カツヤは愕然とする。先に行かせたことが、まさかこれ程までに裏目に出るとは。ライドウは勘違いであるとは認めない。むしろ、暗殺をはねのけたと誇るような言い草である。


「ふん、だがな、そもそも儂に毒は効かぬ。故に、かねてより興味はあったのじゃ、この毒蛾という女にはな。精根尽きる前に命が尽きると云われるこの毒蛾の身体、儂が堪能して成敗してやったわ! ククク」


 確信犯だ。ライドウのこの言葉で全員がそう悟った。ライドウは己の欲を満たすために言い掛かりを付け、チセを襲って彼女を蹂躙したのだ。カツヤは言葉を詰まらせ、ヨシノもまだ信じられないというように、両手で口を覆っている。そして沈黙の空気が漂ったそのとき


「カ……ツヤ……さ……ん……」


 灯りが届かず薄暗い壁の下から微かな声が聞こえた。そこには無残な姿のナガツが倒れていた。


「ナガツ!? おまえまで……」


 相当に痛めつけられたのだろう、起き上がることもできず、ナガツは呻くようにカツヤの名を呼ぶ。


「まだ意識があったか」

 ライドウの傍に控える弟のゴランがそう呟いたとき、カツヤ翁の背後でゆらりと一つの影が立ち上がった。エンである。


「ごぉらあぁぁぁ! このクソふんどしがぁぁ!」


 怒りが満ち満ちているのが周囲の仲間に伝わってくる。


「駄目だよエン」

 ヨシノが止めるが、その声は届かない。

 そんなエンにライドウが刺すような視線を向ける。


「見たところ鼠か猿だのう。虎に逆らってどうなるか分かっておろうな」


「知るかボケェェ!」


「御館さま」と、今にも斬り掛かってきそうなエンに、側近のゴランとライハクが間にはいろうとするも、

「儂の玩具だ。おぬしらは手を出すなよ」

 と、ライドウは手で制して言った。


 神部の幹部三人の中に飛び込もうとするエンの十中十死な行為から、幸いにもライドウのこの趣向により状況はエンとライドウの一対一となった。そして、このライドウの行為が少しだけエンの頭を冷まさせた。


 ライドウは静かに立ち上がった。

 カツヤとヨシノの制止を聞かずエンは走り出し、ライドウへ向かって跳躍した。それは周囲には、怒りにまかせて飛び掛かっていった無謀な突貫に映った。

「うん?」だが、ここでライドウだけは奇妙に思った。自分へ向かってくるこの男は激高している様子なのだが、なぜかそこに殺気が見えないからだ。この神部ライドウは虎級の上忍である。多く虎級にとって相手の殺気というものは感覚的に感じるものではなく、具体的に目で見て判定するものである。もしも対する相手も虎級以上の実力者であれば、自らの殺気を操る術を持ち、敵に殺気を見せぬように闘う者も存在するのだが、いま目の前にいる下級の忍にはそのような術も知識も無いはずなのに。


「攻撃の意思がないだと?」


 エンという忍の身体の何処からも、殺気を表す煙のようなものも、攻撃の軌道を示す線も見えてこないのだ。

 

『攻めると見せかける動きを繰り返して、こちらが隙を出すのを待つつもりか?』


 もしもそうであれば、エンは愚かな戦法を採っている。戦闘技術で圧倒する相手に対し奇襲ではなく、じっくり時間をかけて闘おうとするのだから。それでは敵が隙を見せるよりも、敵に動きを読まれて対応される方が早い。

 エンの跳躍はライドウまでは届かず、ライドウの目の前に着地すると、先ほどまでの怒気が嘘のように柔和な笑顔を見せた。これに面食らうライドウ。するとエンは左手を素早く伸ばして、短刀を握っているライドウの右手首を掴み、また、右手をライドウの首へと回してまるで抱き付くような体勢に移ったのだ。

 ライドウは油断から後れを取ってしまった。そして次の瞬間には、自分がこの下忍のペースに乗せられてしまっていることに気付かされた。突然、エンの全身から凄まじい殺気が噴き出したのだ。


『しまった!?』


 ライドウの顔から血の気が引く。そう、相手を舐めて油断している虎級の倒し方をエンは知っている。ライドウがいくら攻撃の軌道を見る目を持っていようと、ゼロ距離ともいえるこの密着状態からでは回避はできないと。

 ライドウの首筋に回した右手の袖からクナイを出すと、エンはライドウの頸動脈を狙って斬りつけようとした。


 ── ゴトンッ


 クナイが床に転がる。エンの腹にはライドウの左の拳が貫かんばかりに打ち込まれていた。

 

「がはっ」

 苦痛に腹を抱えるも、なんとか倒れず踏ん張るエンをライドウが蹴り飛ばした。文字どおり蹴散らされたエンはカツヤの手が届く位置まで転がった。


 起き上がるのに時がかかるであろうエンを薄ら笑いを浮かべつつ見下しながら、ライドウは背後に掛けてあった羽織を取って纏った。

 ライドウとしては正直なところ、先ほどのエンの攻撃には鳥肌が立った。油断したとはいえ完全に意表をつかれた。すんでの所でみぞおちに一撃を入れて難を逃れたが、一瞬対応が遅れていれば首をかき切られていただろう。だが、もう油断は無い。迂闊にエン及び十津の一行には近づかず、エンを観察しつつ立ち上がるのを待つ。


 エンは立ち上がった。ライドウの方を見れば、自然とその傍に横たわるチセの姿が目に入った。再びエンに怒りが注入される。もう退くという選択肢は許されない。エンはライドウへ向かって駆け出した。ライドウは左手を羽織の袖に入れたままである。もしかすると武器を取り出すのに手間取っているのではないか。エンがそんな希望を見いだしたそのときだった。エンにはそこにあるはずのない線が見えた。白いような透けているような半透明の線がライドウの胸の位置から真っ直ぐエンの胸へと突き刺さっているのだ。


 ── これは!?


 エンは咄嗟に身をひねり、その白い線から体を逸らすような動きをとった。その瞬間、ライドウの羽織の胸の隙間から白い線をなぞるように伸びてきた刀の刃が、つい今までエンがいた位置を刺し貫いた。


「避けただと!?」


 足を踏み出すと同時に袖ではなく胸の合わせ目からとつぜん白刃の突きが飛び出してくる。これが神部ライドウの必殺の技であり、猿級ごときが薄暗い部屋ましてや初見で見極めることなど不可能なはずだった。

 しかし、エンは白刃を紙一重でかわした。そして突っ込んできた勢いそのままに、ライドウの突き出された腕の側面を転がるように体を一回転すると、ライドウの首に遠心力を乗せたクナイの一撃を見舞った。


 ライドウの首から噴き出す血を見たとき、これまで何が起こっているのかが理解できず固まっていたこの場の全員が我に返った。エンの左右に位置するライドウの弟ライハクと執事のゴランが慌てて立ち上がり剣を抜いた。そしてエンを挟むように斬りかかる。

 エンは咄嗟に両手のクナイを握り直し、そのクナイを交差させて、ライハクが振り下ろす刀を受ける。が、背を向ける形になってしまったゴランにまで手が回らない。背中を斬られることを覚悟すると、ぐっと全身に力が入った。

 だが斬撃は来なかった。すると、エンと鍔迫り合いを演じている相手であるライハクの表情が変わった。エンの背後の何かを見て目を見開いたのだ。

 このときエンの背後では、年齢を感じさせぬ身のこなしで割って入ったカツヤ翁が剣を斬り上げ、エンの背に向けて刀を振り下ろすゴランの両腕を切断していた。とつぜん両腕を失い苦悶の咆哮を上げようとしたゴランの喉を間髪入れないカツヤ翁の二の太刀が襲った。声にならない呻き声を上げながら、ゴランがその場に突っ伏した。


「カツヤ様まで…… なんて事を……」


 そんなナガツの声が聞こえたのか、カツヤはナガツとヨシノの方を向いて言った。


「相手の威圧に屈して牙を抜かれ、忍びの自主独立性を忘れる事こそ恥と思え!」


 それは決して大きな声ではなかったが、耳よりも心臓へと響く激だった。

 一方、エンと膠着に入っていたライハクは焦った。ほんの僅かな間に味方が伐たれ、刻々と己の分が悪くなってゆくのだ。しかも事ここに到っては、敵と共に閉塞されたこの部屋はどうにも場所が悪い。そもそも厚い板の襖で囲まれたこの部屋は、兄のライドウがこの部屋で行っていることを外に漏らさぬように造られている。時に人をいたぶり、時に女子を犯し、その悲鳴を抑えるための工夫がなされているのだ。これまでライハク自身もその目で見てきた、神部ライドウの残虐な趣向を満たすためのこの部屋が、今は自分の声を遮断し逃げ場を無くしているのだ。


『こいつを押し離し、振り向いて襖に飛び込み突き破る』


 ライハクがそう意を決し、全力でエンを押した。そして、よろめくエンを尻目に振り返って走り出そうとする。しかし──


「「えっ?」」


 横から駆け込んでくるヨシノと目が合った。予想外の方向から飛んでくる者にライハクは驚き、エンに加勢しようと敵の背後に回り込んできたヨシノも突然向きを変えて自分の進路に入ってきたライハクに驚いた。


 ── ゴッ!


 ライハクの右目の辺りにヨシノが頭からぶつかった。衝撃と激痛で方向感覚を失いよろけるライハクに刀が突き立った。


「よくやった!」


 そうヨシノをねぎらうカツヤ翁の刀が、ライハクの首を貫いていた。


 室内が静まりかえった。やがて、チセを抱きかかえるエンとヨシノの嗚咽の声だけが部屋に小さく轟くようになった。

 そんなときだった。


「ライドウ様、いかがなされましたか?」


 騒ぎに気付いた家人が、板の襖の向こうから声をかけたのだ。それに対しカツヤ翁が怒鳴った。


「うるさい! 人払いじゃ、みな向こうへ行っておれ!」


 それは、まるで神部ライドウがそう言ったような声色だった。ライドウを恐れる家人たちは声に従ってその場を離れた。カツヤ翁の一連の動きを目の当たりにした十津の里の忍たちは、このカツヤが運だけで生き残ってきたのではなく、生き残るだけの技術と技を十分に秘めているのだと思い知った。


 ライドウ、ライハクと執事ゴラン、そしてチセの遺体が横たわる薄暗い部屋には、血の匂いが篭もっている。そんな中、涙で顔を濡らしてすっかり意気消沈したエンがカツヤに向かって口を開いた。


「すみませんでした。オレの軽率な行動で皆がお尋ね者になってしまった」


「いいや、そもそもワシがチセさんを先に行かせたのが悪かったのじゃ」


 さしあたり、これからどうするか。

 里へ戻って素直に事情を話したところで、タダでは済まないだろう。ならば全てを捨てて国外へ逃亡するべきか。しかし、今回ばかりは国外であろうと追っ手が差し向けられるだろう。伊賀者の暗殺者である。逃げ切れる気がしない。


「ワシの古いツテを頼るか」


「ツテ?」


「同じ伊賀の服部屋敷に駆け込み、保護を求める」


 カツヤ翁は現役時代、服部家のお仕事に呼ばれて従事する機会が多かった。それは、カツヤの仕事への姿勢と堅実さが服部家に気に入られていたからで、親しく話せる間柄となっていた。ゆえに今回の件でも助力を得られるかもしれないという。とはいえ、服部家にとっては『厄介ごと』以外の何物でもない。 伊賀内での争いの種となりうる以上、結果として服部家から神部家へと引き渡される可能性もある。


「そうですね。これで駄目ならあきらめよう」


 エンたちに選択肢は多くはない。そのどれもこれもがロクな結末を想像できないものである以上、エンには無いカツヤの人脈に賭けるこの案が、追っ手の恐怖に怯えながら逃亡生活を送り続けるよりは随分とマシなものに思えた。


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