其の拾四 暮れの元気なご挨拶
大和の山が華やかさを失い、気の早い人々が年越しの準備を始めた頃、チセとヨシノそしてエンは三人そろって労務局へと呼び出されていた。生え抜きのチセだけならばよくあることだが、外様のエンとヨシノが招集されるのは珍しい。三人は労務局内にある板間の部屋に通されて、担当局員が来るのを待たされる。
「ねぇチセ、いつもこういう部屋に呼ばれるの?」
「そうねぇ、いくつか部屋はあるけど、どこも同じようなもので、そのどれかに通されるわね」
かつて養成所時代は生え抜きのくノ一候補だったヨシノには、現役くノ一の労務局での待遇が多少気になるらしい。そんな雑談をしているうちに局員が部屋へと入ってきた。
「あなた達にお願いしたいことがあって、今日はご足労いただきました」
お願いする側が呼びつけていることはさておき、職員の物言いは丁寧である。
「じつは労務局では年の瀬が迫ると、平素からご贔屓にしていただいているお得意様への挨拶回りを欠かさず行っているのですが、今年は人手が足りなくて困っています」
「はぁ、そうですか」
「そこでお三方にはですね、我々の名代として、挨拶回りをお手伝いいただきたいのです。もちろん、多くはありませんが労務局から謝礼の金銭も出させていただきますので」
この局員から説明されたのは、以上のような端的な内容だった。年の瀬は局の仕事が多忙であるため人手が足りないから、お小遣いをあげるので手伝って欲しいということらしい。
「行く先はどちらになりますか?」
チセが詳しく尋ねる。
「伊賀!」
局員は力強く答えた。十津の里が伊賀からの下請け案件を主な事業として行っていることは、この里の者なら誰でも知っている。そして伊賀は大和国外ではあるが、さほど遠くもない。
「どうする?」
エンとしては正直なところ、どちらでもいい仕事である。なので、決断はチセとヨシノに任せようという確認の言葉である。これにチセが、
「まぁ、困ってるんなら、手伝ってあげましょうか」
と、乗ったことで、エンたちは年末にもうひと働きすることが決まった。
翌朝、エンたち三人は局員に指定されていた里の入口付近に旅装で集合した。吐く息が白い。雪こそ降ってはいないが、大和はすっかり寒くなっていた。体を温めるためにも早く出立したかったが、局員は、
「あと二人来るから、少し待ってくれ」
という。
「なんだ、あたし達だけじゃないのね」
昨日の説明の中でそんな話は聞いていないと言いたげに、チセが局員に尋ねる。
「うむ。先方に対し失礼に当たらぬよう、代表者に相応しい経験豊かな忍を呼んでいる」
俺たちだけだと失礼に当たるのかよ、という思いはさておき、局員が客に気を配っていることはうかがえる。
するとそこに、男が一人現れた。随分と年輩に見えるが、この人が局員のいう経験豊かな忍なのだろうか。チセとヨシノが敬意を表して頭を下げて挨拶をするのを見て、エンも「おはよう御座います」と、丁寧に挨拶をしておいた。
そのうちに、また一人の男がやって来た。こちらは若い。局員は待ちかねたとばかりに進み出て、
「では、これを手土産として、先方にお納めいただくようにしてください。ナガツさん、お願いしますよ」
と、局員は背負うための紐が付いた立派な木箱を、ナガツと呼ばれたこの若い男に渡した。
「神部の屋敷の場所はこちらのカツヤ翁がご存知のはずですので、くれぐれも丁寧に、暮れのご挨拶をよろしくお願いします」
そういって、局員はエンたち一行を送り出したのだった。
茂みを掻き分けて進むナガツの背中の木箱が、後に続くエンの目の前で揺れていた。
『経験豊かな先輩と荷物持ちがいるなら、もうその二人でいいんじゃないのか?』
そんな釈然としない思いを持ちつつ歩を進め、すぐに山道へと出た。
「カツヤ様! お初にお目にかかります、それがしナガツと申します!」
里を出て忍ばかりの五人になった途端に、ナガツがカツヤ翁と呼ばれていた年輩の忍に熱心に話しかけた。カツヤ翁は落ち着いた雰囲気を崩すことなくそれに答える。
「『様』はやめてくれ。ワシはそんなに偉かないよ」
「何を仰いますか。カツヤ様ほどの忍が他のどこにいますか。私はカツヤ様を尊敬申し上げて、十津の里へやって来たのです」
「ほほほ、そりゃあ物好きなことだな」
そんなやりとりを傍で聞いているエンは、カツヤのことを知らない。本当に名の知れた人なのかと訝しみつつ、小声で身内に尋ねてみる。
「なぁ、ホントにそんなに凄い人なのか?」
しかし、小声で発したつもりのエンの声は、残念ながらナガツの耳にも入ってしまったらしい。ナガツがエンの方を向く。
「あんた、カツヤ様を知らぬのか。十津の里にこのような、ものを知らぬ者がいるとは……」
ナガツは怒るよりも呆れたように、悲しい目でエンを見た。
「え? そうなの? お前らは知ってた?」
エンに聞かれて、チセもヨシノも「うん」と、うなずく。
「もちろん存じているわよ。十津の里の生え抜きで、現役生活の全てを第一線で戦い続けた、『超』の付く功労者ですからね」
無知は罪である。先ほどから周囲のやりとりを穏やかに聞いているカツヤにエンは頭を下げた。
「これは失礼をば。昨年、外から来たばかりゆえに知りませんでしたが、いま憶えました。もう忘れません!」
「かははは、それだけ長くやっても下っ端の忍で終わったのじゃから、ワシの程度など知れておろう。有名といっても、反面教師として名が知れておるだけよ」
穏やかに謙遜するこのカツヤは十代で養成所を卒業し、十津の里の生え抜きの忍となった。以来、齢五十にして現役を引退するまで、全てのお仕事から生還を果たした。その間、戦に従軍したことは数知れず、とうぜん戦場に立てば勝つことも負けることもある。それは個人の力量や組の戦力で覆るようなものではない。負け戦では多くの仲間が命を散らせていった。あわや全滅の憂き目にあったことも一度や二度ではない。しかし、カツヤはその全てで無事に生きて帰ってきたのだ。
「同じ隊にカツヤがいれば生きて帰れる」
次第に里の忍たちがそう噂するようになった。もちろんカツヤが生き残ったからといって仲間も死なない訳ではないのだが、縁起を担ぐ忍たちの中では御守りのように扱われた。では勝ち戦ではどうだったか。カツヤには派手な術や際だった武芸は無い。常に三番手あたりの位置で堅実に隊を支えた。
これでは勝ち戦では目立たず、負け戦でのみ人々の印象に残ることになる。そして、敗れて失敗に終わった案件では出世はしない。ついにカツヤは猿級のまま、忍としての現役を終えることになったのである。
結果として労務局の連中にとって、カツヤはうだつの上がらない中堅の忍である。しかし、現場の忍たちの中では伝説的な人気を誇った。
一行は伊賀国のある北東を目指した。この旅では労務局から経費が出るため、夜は民家を宿として寝泊まりすることができた。この日も通りすがりの村にて目を付けた民家の戸を叩き、ナガツが宿泊の交渉をした。宿泊が決まると、家の住人である両親と七人の子供たちがワラワラと家を出ていった。今夜はナガツたちに家を貸し、住人たちは近くの親類の家に泊まるのだという。なるべく住人を生活を圧迫しないようにと、エンたちは男女に分かれて泊まる家を探したのだが、結局この日のエンたちは、普段九人の家族が住んでいる家に男三人で寝ることになった。
「ナガツ。起きてるか?」
「何だい?」
年長のカツヤを中にして、エンとナガツがそれを挟むように左右に分かれて寝ていた。エンはカツヤ越しにナガツに話しかけている。
「お前さんはカツヤさんを慕ってウチの里へ移ってきたと言ったが、十津の里を出立した時点で『初めまして』と挨拶をしていたよな。なぜ十津の里へ移籍してきてから今まで、カツヤさんに会いに行かなかったんだ?」
「私が十津の里へ来たのは、その二日前のこと。そんな暇などあるものか」
「なんだ、そんなに最近のことだったのか」
「そうさ。十津に来て、さっそく忍の登録のために労務局へ行ってみたら、「良い体してるな。荷物を運んでみないか?」って……」
「このお仕事に誘われたと」
労務局も存外いいかげんなことをする。そんな会話を黙って聞いていたカツヤは、今回の旅の事情を悟った。そんな推理のウラを取るようにカツヤがエンに問う。
「挨拶に行く先が神部の屋敷だってのは、いつ聞かされた」
「今日ですね」と、エンが答える。
「この話、ワシには、担当の局員が病を患ったから代わりに、というて頼んできおった」
それがどうかしたのかと、エンはカツヤに尋ねた。十津の労務局とは付き合いが浅く、まだエンには意図などを測りにくい。
「労務局の奴ら、面倒な客への挨拶を我らに押し付けたんじゃよ」
「押し付ける?」
カツヤ翁の語るところによると、これから赴く神部の分家というのが非常に厄介なのだという。
神部ライドウ、それが今回エンたちが暮れの挨拶へと向かっている相手の名である。このライドウが難物なのだ。忍として強かで剛胆といえは聞こえは良いが、悪党・盗賊上がりの忍を地でいくような人物で、ひと言でいえば、情に欠けていた。戦場においても、味方の情報を敵へ流し、そのために敵に追われる味方を囮にして自部隊を率いて勝利をつかむ、そういった冷酷で手段を選ばぬ作戦の遂行をためらわない男で、敵だけでなく味方にも恐れられるという。
労務局の職員は、そんな高圧的で要求の強いライドウと対面しては、毎回精神的に振り回されて帰ってくるという話をカツヤは耳にしたことがある。となれば、職員たちが神部家へ赴く担当を押し付け合うようになり、とうとう今回、姑息にも労務局は多忙と称して所属する忍に挨拶回りを代行させようとしていることも想像に難くない、と、カツヤは推察している。
「ここに労務局の者が一人もいないのがその証拠じゃな。まぁ、里が神部家を軽く見ていると思われぬように、人数だけは集めたようじゃが」
「なるほど…… 俺たちはそのための頭数だったのですね」
実力を全く試されぬまま体格だけで選ばれたナガツ、現役を引退しているカツヤ、頭数として加えられたエン・チセ、ヨシノ。たしかに労務局員が熱く語るこのお使いの大切さとは裏腹に、人選は即席でいいかげんである。
ここで伊賀国についても記しておかねばならない。伊賀国は多数の家が忍を生業とし、他国でいうところの忍の里ともいえる組織を各家が構築している。そんな忍家が連合し、伊賀という国を統治しているといってもよい。
平素の伊賀は中立を保ち、各家とも自由に各国各地からの依頼を請け負っている。そのため、時には同じ伊賀の忍同士であっても、任地にて敵味方となって戦うこともしばしばある。ただし、ひとたび伊賀国が他国からの侵略を受けたならば、国難の前に伊賀の全ての忍家は連合し、外敵と戦う。これが伊賀忍者の掟であった。そんな伊賀の下請けとして主な仕事を回してもらっているのが十津の里である。よって、いくら難しい顧客であっても神部家からの案件だけを断るわけにもいかない。
里を出発して四日が過ぎていた。すでに一行は伊賀へと入っている。この日も分宿していた民家を出て全員が集合すると、神部へ向けて歩き始めた。この調子でゆけば、午後には目的地へ到着できることが分かると、皆の足どりは軽くなった。
ところが、ここで思いがけぬことが起こった。突然、カツヤ翁が胸を押さえてうずくまってしまったのだ。エンたち四人、特にナガツは血相を変えて「しっかりしてください!」と、何度も心配の声を上げている。
「こ…これは、時折あらわれる胸の発作じゃ。持病なのでな…… 初めてのことではないゆえ、心配はいらぬ……」
苦しみで脂汗を流しながら心配ないといわれても、はあそうですか、とはならない。やがて痛みに慣れたのか、それとも痛みが和らいだのかは判らないが、苦しそうではありつつも発症直後の切羽詰まった雰囲気は無くなった。するとカツヤ翁は痛みに耐えながら周りの四人に言った。
「ワシのことよりも、遅れて難癖でも付けられてはかなわぬ。ワシらは後を追うゆえ、ナガツとチセさんは先に向かってくれんか。現地では屋敷近くの宿に入り、先陣はすでに到着している、後の者が合流次第ご挨拶にうかがうと、神部屋敷に伝えておくだけでよい」
そんなカツヤ翁の指示に反して、
「カツヤさんを放っては行けませぬ! 他の者に先行を命じてください」
と、カツヤを敬愛するナガツが涙ながらに訴えたが、
「ナガツよ…… お主は荷を運ぶ大切な役目がある。そして、ワシを除けば唯一の生え抜きがチセさんじゃ。先行するのはお主ら二人が適任じゃろう」
こういわれると、ナガツは従うしかなかった。
今日は天候に恵まれ、陽に当たっていればこの時期にしては暖かく過ごせることが幸いした。エンもヨシノも看病といっても、とくにやれることは無かった。ただ、カツヤ翁の容態が落ち着くのを見守るだけである。
「大変ですね」
カツヤが胸を押さえだして一刻が過ぎた頃、ヨシノが何となく間の抜けた声をかけた。
「そうじゃな、これで忍を引退したのじゃから大変だわな。じゃが、不公平だとは思っとらんよ。お主たちもこの歳まで生き残れば、体のどこか一つや二つは痛くなるわな」
発作が起きる頻度は少ないが、一度発症すれば休息が必要となる。もしもそれが、作戦行動中であったなら、作戦の成否どころか仲間の命にもかかわる。そう考えたとき、もう忍を続けることはできなくなったという。それにしても、生き延びた証が体の痛みでは割が合わない。
けっきょく二刻ほどの時が過ぎ、カツヤ翁の様子も随分と落ち着いたようにみえた。
「行けますか?」
「うむ、待たせてすまんかったな」
カツヤ翁は力強く立ち上がった。本当に時間が経てば発作は治まり、何も無かったかのように動けるらしい。カツヤ、エン、ヨシノは再び神部へと向けて歩き始めた。




