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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第八章 【抜け忍】
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其の拾一 姫の帰還

 最初の蝉が鳴いたとき、「夏の風情だねぇ」などと、肯定的な台詞を口にしてしまったことを心底後悔していた。一つ二つと鳴き声は増えていき、数日もすれば、日中の会話も聞こえないほどの蝉の大合唱にうんざりするようになって今に至る。

 そんな頃にチセの家の戸は叩かれた。戸を開けると、労務局からの使いで来たという男がいた。


「あんたがエンだな」


「あぁ、そうだけど。何の用だい?」


「チセの家のエンに宛てて、労務局に手紙が届いたのさ。たしかに渡したからな」


 エンに押しつけるように手紙を渡すと、さっさと帰ってゆく男の背を見送った。


「俺に手紙なんて、誰だろう……」


 エンのかつての知人で、エンが大和の十津の里に住んでいると知る者などいないはずなのだ。家に入ると、貰うあての無いその手紙の封を切って開いてみる。


「あっ!? チセからか」


 手紙にはチセが近く帰ってくる旨が記されていた。そして、帰ってくる途中の場所まで迎えに来てほしいとある。きっちりと日取りと場所まで指定されているのだ。

 エンはその夜、ヨシノとタイガが揃っているときに、この手紙をヨシノへと見せた。チセが元気にお仕事を行い、そして無事に帰ってくることをヨシノは喜んだ。そして、エンを冷やかすように言った。


「へぇ~、良かったわね、エン。チセからご指名よ。今までこんなことなかったんだから」


 しかし、手紙を貰った当のエンの方は、手放しに喜んではいない。


「ふぅん…… ヨシノは何で、チセがこんな手紙を届けたんだと思う?」


「そりゃあ、エンに会いたくて、二人で旅をしたかったんじゃないかな? ……嬉しくないの?」


「いや、本当にそうなら嬉しいさ。しかし、今までこんなことはなかったんだろう?」


 チセが指定してきた長月十日までは、まだ少し日がある。念のため指定の場所についても調べておいた方がいいもしれない。


「この新庄って所までは、どれくらいで行ける?」


「ん~ ここからだと三日ってところかな」


「じゃあ少し余裕をもって、長月四日には出発しよう」


 そう言われて初めて、エンが自分も連れて行くつもりなのだとヨシノは気付いた。


「えっ!? 私も行くの?」


「嫌か?」


「嫌じゃないけど。誘われたのはエンなのに…… いいのかな? って」


「いいも何も、チセがこんな手紙を寄こすのが初めてだっていうのなら、そこで何かがあると思っておいた方がいいだろう。それに……」


「それに?」


「それに、ヨシノが連れて行ってくれないと、俺には場所が分からない」


 頼りになるのか、ならないのか、こと大和での移動に関しては、エンはヨシノに全面的に助けてもらう方針を貫いていた。ヨシノもそれについて悪い気はしていない。

 今回この話にタイガを交えているのは、彼を仲間と認めていることを示してやるエンの配慮でもあった。


「心配するなタイガ、今回はお仕事じゃないからな。十日もあれば帰ってくる」


「心配なんかしてないよ。ただし、危険なことがあったときは、オマエは死んでいいからヨシノは無事に帰らせろよな」


 この調子で以前よりは積極的に話すようになったタイガだが、エンにはこの調子で生意気な口を利くものだから、口論は絶えない。


「このガキ、家から摘まみ出すか」


「オマエの家じゃないだろ」


 同レベルで喧嘩をするエンとタイガを苦笑いで見守るだけで、ヨシノはもう止めようともしない。



 チセがお仕事をしている河内と大和国の間には、まるで国の境界を仕切るように山脈が壁となっている。そのため、河内と大和を往来するには一般的に四つの道が用意されていた。

 山沿いを北へ向かい、京を経由するように北から回り込むのが第一の道。

 生駒峠と呼ばれる山脈の峠を越えるのが第二の道。

 生駒より南、山脈の切れ目を抜けて大和へ入る道が第三の道。

 最後に、山脈に沿って南へ向かい、南河内から大和の南へと山を越える第四の道がある。

 チセの指定する新庄という場所は、第三の道を選択した場合に通る場所であった。


 エンは一人で新庄の木に登っていた。ヨシノは別の場所に待機させている。予定の刻限が近い。

 遠筒を通して河内方面の様子を覗っていると、小走りで駆けてくる女子が見えた。チセだ。そのさらに後方には、すぐに追いつかれるほどの僅差ではないが、武士のような格好の二人の男が追ってきている。

 チセがエンの潜む木の横を通過するそのとき、木の上からエンは声をかけた。


「この先で道が曲がったら、すぐに右の茂みに跳び込め!」


 エンの声に反応して数匹の蝉がギーギーと木を飛び立っていく。木の下を過ぎてゆくチセが人差し指を立てた。了解の合図だろう。

 続いて、チセをやり過ごしたエンの潜む木に武士が近づいてくる。エンは二人の武士のすぐ目前の地面に向けて光玉を落とした。人の習性として、足もとに落ちてきた物を見ないわけがない。武士たちは一瞬だが強く発光する光玉をモロに見てしまった。これには昼間で明るさに目が慣れているこの二人も、しばらくの間は視力が奪われる。スルリと木を降りたエンはチセの後を追い、道を曲がった先の茂みに駆け込んだ。


 草むらは下りの斜面になっていた。草を掻き分けながらそれほど長くもない斜面を下り終えると、視界が開けた。川原だった。上の街道を歩いていても、生い茂る草と木、そして音は蝉の鳴き声にかき消されるため、すぐ傍に川があると気付ける者は少ないだろう。エンも事前にこの辺りを調べたことで気が付くことができたのだ。

 川原にチセは一人で立っていた。茂みを抜けてエンが川原に現れると、チセが駆け寄った。


「エン!」


 チセはエンの首に手を回すようにして抱き付いた。突然のご褒美にエンの方は固まってしまう。


「迎えに来てくれるって信じてた」


「当たり前さ。キミの帰りを待ってるって言っただろ?」


「うん」


 チセの抱きしめる腕に少し力がこもった。チセを助けて逃げる準備をしておいて本当に良かったと、この瞬間の幸福を楽しむエンではあるが、このままジッとしているわけにはいかない。


「いつまでもこうしていたいところだけど、早くここから動こう。奴らはしばらくはチセの逃げた方へ向けて街道を追っていくはずだ。俺たちは今のうちに河内へ戻る」


「河内へ戻るの!?」


「うん。いったん河内へ戻って山沿いを南回りで改めて大和へ入る。途中でヨシノも待機させてるから、今日はそこまで歩くよ」


「エンは人をだますのが上手いんだね。たしかに逃げたあたしが戻ってくるなんて考えないものね。……そっか、ヨシノも来てくれてるんだ」


 日が暮れた。南河内のとある民家、ここでヨシノと合流した。昨日のうちにエンとヨシノはこの家を訪ねると、住民に銭を渡して宿としていたのだった。



 チセとヨシノ、そしてエンの三人は、南河内の山を越えて大和へ入り、悠々と十津の里へと帰還した。相変わらずの硬い戸を力ずくで開き、最初に家に入ったヨシノの「あら、あなた来てたの」という話し声が外へも漏れ聞こえる。


「誰か居るの? ……あら」


 タイガが来ていた。今ではこの少年は夜間に食事にやって来るだけではなく、昼間でも人目を気にせずこの家を訪れるようになっていた。


「お帰りなさい、チセさん。隣の家のタイガです」


 まだ小さいのにハキハキと挨拶ができてお利口な子供、といった風のタイガの態度にイラッとしたエンは、

「いいのか? お前が言ってた毒蛾のおねえさんだぞ」

と、嫌みの一つも言わずにはいられなかった。タイガはチセを見つめるように訴える。


「チセさん、コイツはこうやって昔のことを蒸し返して、ネチネチと虐めてくるんだよ、酷いでしょ」


 タイガはここのところ随分と口数も増えて、心を開くようになっていた。今日のこのタイガの姿を見たチセには、この家に担ぎ込まれた頃のタイガなど想像も付かないだろう。


「よろしくね、タイガ。周りの大人の影響で、お喋りが上手なのね」


 チセにはエンとタイガが似たもの同士と映ったようだった。ともあれ、エンがこの家へと転がり込んでほぼ一年、毒蛾の仲間は人数が倍増していた。


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