其の拾 打撃武器 鉄砲
こちらへ全力で駆けてくるヨシノを見れば、ただ事ではないことは分かる。
「何かあったようです! 馬を降りて、いつでも退ける態勢だけお取りください」
弟殿にそう告げて、エンは駆けてくるヨシノを迎えようと進み出つつ尋ねる。
「どうした!」
「鉄砲が狙ってる!」
ヨシノがそう叫ぶと同時に、彼女の背後の木の枝が光り、パーーン と、発砲音が鳴り響いた。すると、エンか踏み出した足のすぐ前に転がる小石が弾けた。
── うおっ!? 木に狙撃手か!
エンはヨシノの方へ走った。一人とは限らない狙撃手に近づく恐怖を胸に堪えつつヨシノと合流すると、彼女の手を引いて森道脇の草むらに跳び込んだ。
茂みの中でヨシノの体を抱き起こし、
「怪我はないな」
と、確認する。
「うん、ありがとう。エンも大丈夫?」
「ああ。鉄砲を相手にするのは、どうにも慣れないけどな」
エンはこのまま森を通って隊に合流するよう、ヨシノに指示した。また、弟殿には少し後退するように伝えてくれ、とも付け加えた。
「エンはどうするの?」
「ちょっと、あの狙撃手に説教してくる」
狙撃手が登っていた木は分かっている。発砲の際の火花を見たからだ。エンは木々の隙間を駆け抜けて、すぐに目的の木に到達した。しかし、狙撃手の姿はすでに無い。木の枝からは、縄が垂れ下がっている。おそらく狙撃手は素早く退却できるように、あらかじめ木から下りるための縄を結んで垂らしていたのだろう。
周りを見回すと、森の先に人影を見た。
「逃がすか!」
エンは背を向けて逃走する狙撃手を追った。
たいして時間はかからなかった。エン自身が意外なほど、あっさりと狙撃手に追いついた。理由は簡単、鉄砲が重いのだ。その重くて長い鉄砲を抱えて枝葉だらけの森を走るのは、いかにも難しかったらしい。
『このまま進まれて仲間に合流されたくはない』
エンは狙撃手の足を止めようと、クナイを投げた。
が、外れて地面へと刺さった。紐を引いてクナイを手に戻し、すぐに二投目を放つと、今度は相手の左脚をかすめた。しかし、狙撃手が足を止めるほどの傷は負わせてはいない…… はずなのだが、彼の足は止まった。
── あれ!?
狙撃手は振り向くと、まるで棒のように振り上げた鉄砲で殴り掛かってきた。エンが連続で投げたクナイは当たらなかったが、こんなことを一方的に繰り返されれば、当たるのは時間の問題だと相手に思わせた。それが結果的に逃走を諦めさせる効果があったようだ。
「うおっ!?」
突然の反撃をエンはかろうじて避けた。鉄砲は飛び道具といってもその名の通り鉄の筒、殴打されれば骨が砕けるかもしれない。相手がここでやる気なのであればと、エンも刀を抜いた。
所詮、鉄砲は遠距離射撃用の道具である。森の中で鉄砲を打撃武器として闘うのは無理があった。突いても人は殺せないし、大きく振り回すと木や枝が邪魔になる。さらには重くて動きが悪くなる上に、貴重品であるため捨てるに捨てられない。あまりにも制約が多かった。
高価な鉄砲を与えられているくらいだから、武家の次男や三男なのかもしれない。ならば、もしも自由に闘うことができれば、エンより腕が立つのだろう。だからこそ、この敵がいったん鉄砲を捨てて、エンへの対応に集中しようなどと思わぬよう、牽制せねばならない。
「今日の戦利品は鉄砲か」
「生きて帰ったところで、鉄砲を奪われたのでは切腹ものだな」
「俺に鉄砲を渡してみろよ、お前より上手く扱えるところを見てやるぜ」
エンは抜いた刀で突きを繰り出しながら、そうやって鉄砲への色気もみせる。単純な人間なら意地でも鉄砲を手放さないだろう。
エンは抜いた刀を振ろうとはしない。全ての攻撃で突きを見舞っている。このような障害物の多い中では剣など振れないからで、同じ条件の狙撃手は防戦一方となってきた。
「いいのか? 大事な鉄砲が傷だらけになっちまうぜ」
エンのささやきに一瞬、狙撃手が怯んだように見えた。今だとばかりに、エンは大きく踏み込んで刀を突き出した。
── カッ!
しかし、これ以上はないであろうタイミングで、狙撃手が鉄砲を振り上げていた。エンの刀がはじき飛ばされる。
形勢逆転、狙撃手がニヤリと口元をほころばせた。だが、同時にエンの方もニヤリとしていた。エンは刀を失ったことで空いた手で、振り上げられた相手の鉄砲の根本辺りを掴みつつ、狙撃手にぶつかる勢いで急接近すると、左手のクナイを狙撃手の二の腕に突き立てた。
「くっ……」
狙撃手の表情が一転して苦悶に変わる。それでも彼は、右手を刺されてもなお、左手の力だけで鉄砲を持ち続けようとした。それが致命的だった。狙撃手は鉄砲を手放してでも、エンとの距離をとるべきだったのだ。エンは狙撃手の腕に刺したクナイを抜いて、そのまま太腿に突き刺したのだ。これで機動力を失った狙撃手が逃げのびる目は無くなった。
狙撃手は遂に鉄砲を手放し、片膝を着いて太腿を押さえる。その間にエンは、先ほどはじき飛ばされた刀を拾った。
「くそっ…… 殺せ」
観念した狙撃手が降参の意を示したが、エンはそれを無視するように、戦利品の鉄砲を拾い上げた。そして、
「俺は侍じゃないんでね。敵の首を持ち帰る趣味はないんだよ。お前のその脚なら闘うことはもう無理でも、引きずって帰ることはできるだろう。好きにすればいい」
そういって、立ち去ろうとしたエンだったが、ふと思いだしたように振り向いた。
「お前以外に狙撃手は来ているのか?」
「ふん、そのようなこと教えるわけがなかろう」
死ぬ覚悟の者が易々と情報を口にするとは思っていないので、エンも期待はしていない。
「だろうな。念のために聞いてみただけだ。こちらも今回は筒井への反抗勢力が結集して連携して動いてるんでね、お前を捕らえてじっくり時をかけて吐かせる暇は無いんだよ」
エンは再び男に背を向けて足早に去った。部隊に戻ると、ヨシノが出迎えてくれた。部隊は再び前進の準備ができているという。発砲した狙撃手をエンが追っている間に、部隊からも人を出して周囲の索敵を行ったらしい。
エンはすぐに弟殿の前へと出頭し、弟殿を狙った狙撃手を追い払った事を報告した。弟殿は喜び、エンを賞賛したのだが、エンは首を横に振り、
「いえいえ、私は狙撃に失敗した狙撃手を追い払っただけです。事前に狙撃を察知し、身を呈して知らせたのは私ではなくこの者です」
と、ヨシノの手を引いて弟殿の前に立たせた。
「そうであったか、其方のおかげで命拾いした。礼をいう」
「い、いえ、そんな、あの…… お役に立てたようで、良かったです」
これまで、お仕事において褒められたことの無かったヨシノは、弟殿に褒められて胸が一杯になった。一方、弟殿の興味は、エンの持つ鉄砲へと移っていた。
「それはそうと、お主の持つそれは鉄砲ではないか。まさか我らを狙撃した敵のものを鹵獲したのか?」
「はい。森で追い詰めたところ、これを投棄して逃げました」
「これは羨ましい。昨今では堺などの鉄砲は全て大名に買い占められるゆえ、我らの手にまで回ってこんのだ。ちと、見せてもらえぬか」
エンは鉄砲を弟殿に手渡した。弟殿は先ほどの戦闘で付いた細かく新しい傷が目立つこの鉄砲をまじまじと見つめた。
「のう、この鉄砲、儂に売ってはもらえんか。工面できる限りの銭は払う」
そんな弟殿の要望に、エンは事もなげに答える。
「それほど気に入られたなら、タダで差し上げますよ」
「なんと!? お主は本気でいうておるのか?」
「ええ、構いませんよ。もしも、此度は私どもを雇って良かったと思っていただけましたら、今後とも十津の里をご贔屓に」
エンはそんな宣伝ひとつで、鉄砲をあっさりと譲ってしまった。突然の鉄砲入手に興奮気味の弟殿と別れ、エンは改めてヨシノと斥候に出る。
「本当にいいの?」
と、ヨシノが尋ねたが、エンは、
「この先、あんな重い物を抱えて動き回るなんてご免だね。かといって、銭でもめるのも面倒だし」
などと、鉄砲への執着がまるで無い様子である。
「ふぅん、欲が無いねぇ」
呆れたような言葉とは裏腹に、ヨシノのエンを見る目は優しく穏やかだった。実際、鉄砲を撃つには鉄砲だけではなく火薬や鉛弾が必要となる。しがないフリーの忍にはそのような高価な消耗品など常備できないし、武器としても重くて携帯していられないだろう。まさに無用の長物というやつなのだ。
その後は、筒井方の組織的な攻撃にも遭うこともなく、弟殿の部隊は無傷で目的の額田城へと至った。元々が領主である筒井の留守をついたもので、守りも薄い枝城である。城の正面を固め、すぐに合流してきた箸尾本隊が搦め手に回った。あとは体の大きな大殿の側近が恫喝混じりに大声で促せば、城の門はさしたる抵抗も無く開かれた。忍の工作も不要なほど、簡単に城は落ちたのだった。こうして箸尾の兵が額田に入ったことで、エンたちの今回のお仕事は完了した。
この日エンは箸尾の兵たちと共に入城、兵たちと共に勝利の酒を拝受し、兵たちと共に庭で眠った。
翌日、エンは元請のアジアをつかまえて、案件完了の証明を一筆書いてもらった。これにて全てが完了し、十津の里への帰還の途につこうとしたそんな時、エンは箸尾の弟殿に呼ばれた。
「武家のたしなみが御座いませんもので、無作法があればお許しくだ……」
「よいよい、すぐ済むからこちらへ来い」
部屋の前でのエンの口上が終わる前に、弟殿はくだけた口調でエンを傍に招いた。そして、
「今の世では宝にも等しい鉄砲を、お主はタダで譲ってくれた。約束なれば、銭は払わぬが、これはせめてもの礼じゃ。受け取ってくれい」
そういって、黒塗りの鞘に収められた脇差しをエンに渡した。エンには刀の銘は分からないが、高級なものであることは見てとれる。
「ありがとうございます。有り難く頂戴いたします」
できる限り丁寧に礼を述べて、エンは退出した。
城門の傍でヨシノはエンを待っていた。
「無用な鉄砲が、立派な脇差しに化けたよ」
呼び出しを受けたことを心配してくれていたのだろう。不安げな目を向けるヨシノにおどけてみせた。帰還の道中、エンは心に温めていた企画をヨシノに話してみた。
「こうやって仕事を続けてさ、少し銭が貯まったら、チセに恩返ししないか?」
「エンのおかげで私もこうしてお仕事ができてるし。チセにはずっと世話になってるから、もちろん喜んで」
「じゃあさ、チセを誘って三人で温泉旅行ってのはどうだろう」
「お ん せ ん りょ こ う?」
「有名な温泉地は知っているけれど行ったことなんて無いだろ? だから三人で旅して温泉に入りに行って、ついでに現地の美味しいものを食べてくる。ちょっとした贅沢な旅さ」
温泉にくいついたのか、美味しいものが心に刺さったのか、ヨシノが目を輝かせる。
「いいねぇ、それ」
十津の里が近くなってきた。
「タイガは元気にしてるかな?」
ヨシノはひと月にも満たなかった今回のお仕事の中でも、たびたびタイガのことを気にしていた。
「そのために食い物の探し方と調理の仕方を教えたんだ。以前のようなことにはならないさ」
「自分の力で生きていけると分かったなら、もうウチには来ないかもしれないね」
そういうヨシノは少し寂しそうに見える。
「でもアイツは、俺たち毒蛾の仲間とは距離を置きたがってる。それに、里で暮らしていくなら、その方が良いと俺も思う」
「そうだね。私たち、悪名高い『毒蛾の一味』だもんね」
世間では悪口のように使われる毒蛾の異名も、本人たちはもはや開き直って笑い話に使っていた。
チセの家が見えてきた。里に着いたときには感じることのなかった、帰ってきたという実感が湧いた。自分の家でもなければ長年暮らした家でもないのだが、見ればホッと落ち着く程度に愛着をもっているようだ。
そんな家の前に誰かが立っている。
「あれはタイガか? アイツ何やってんだ、まだ日が高いのに」
人目につかぬよう夕暮れ時に来させていたのに、こんな白昼堂々とチセの家の前に立っているとは。すると、タイガの方もエンたちに気が付くと、こちらへ駆けてくる。
「どうしたんだろう」
と、少し心配そうにするヨシノに飛び込むように、タイガはヨシノに抱き付いた。あの素っ気なかったタイガのこの行動に、驚いてエンの顔を見るヨシノ。
「寂しかったみたいだな」
エンがそう言うと、なるほどと理解したヨシノは優しい表情でタイガを包むように抱きしめた。両親を同時に亡くしてからの数ヶ月、タイガにとっては地獄のように孤独な毎日だった。そんな日々から自分を救ってくれたのは、里の者たちが忌み嫌う『毒蛾とその仲間』だった。それから毎日のように自分を気にかけてくれた毒蛾の仲間が、悪い人間ではないことは気付いていた。それでも心は開かないようにしていた。
そして毒蛾の仲間たちは、お仕事へと旅立っていった。
あの地獄のような日々と同じだった。あの時、父と母は帰ってはこなかった。そんなことを考えるようになると、またあの孤独な暮らし戻る不安、そして、ヨシノたちへとっていた自分のこれまでの態度に後悔が湧いた。なぜ自分から美味しいと言わなかったのか、なぜありがとうと言わなかったのか、なぜ……「毒蛾の仲間」と罵ってしまったのか……。
そうやって悩み抜き、やがてタイガが辿り着いた想いは、「オレも、毒蛾の仲間になりたい」ということだった。




