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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第八章 【抜け忍】
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其の八 毒蛾の仲間

 この冬はどうも雪は降らないようで、この日も寒いながらも日が差していた。昨日はシトシトと雨が降り、今朝は霜が張っていた。この条件ならば、冬でも茸の収穫が期待できる。エンは里の外へ散策に出ることにした。準備をするエンを見て、

「裏山じゃ駄目なの?」

 と、ヨシノが不思議に思って尋ねたが、

「秋から目を付けていた場所があるんだ。里を出て北の山。明るいうちに帰るよ」

 エンはそう言って身支度を整える。この男は怠け者なのか働き者なのか判らない。そんなヨシノの視線を受けながら、エンは腰に袋を下げて家を出た。


 しばらく歩くと隣の家が見えてくる。お隣といってもこの辺りは里のはずれにあたり、家と家はそれなりに離れて建っている。


『お、戸が開いてる?』


 里を移動する際には必ず通ることになるこの道、これまで何度通っても隣家の戸はいつも閉ざされていたのだが、今日は珍しいものを見たと得した気分になる。エンは隣家の住人を見たことがなかった。チセの家に住む者は里では『はぐれ者』と見なされているため、他家との交流が皆無なのだ。


『どんな奴が住んでいるのか、見えるかもしれないな』


 エンは戸の開いた隣家を覗くようにゆっくりと前を通る。しかし、そんな好奇心が、エンの今日の外出を中止せざるをえない事態をもたらした。隣家の中には確かに人がいた。それこそ隣の住人なのだろう。ただし、その者は倒れていた。エンは足を止める。


『寝てる? ……わけがないよな、冬に戸を開けて。まさか、襲われたのか?』


 エンは隣家に足を踏み入れる。倒れているのは子供だった。板間に横たわり、片手がだらりと土間にはみ出している。


「おい! 大丈夫か!」


 エンは子供を抱きかかえてみると、その体はガタガタと震えていた。それが痙攣なのか震えなのかは判らないが、少なくともまだ生きていることは判った。しかし、とにかく体が冷たい。すぐに火を起こして温めてやった方がいいだろう。そう思ったエンは周囲に薪を探したが、この家には内にも外にも薪が見当たらない。


「う……あ……」


 子供がエンの腕の中で呻いた。もう意識が無いのかと思っていたエンは少し安心した。


「俺は隣のチセの家の者だ。ここでは凍え死んじまうからな、ウチへ行くぞ!」


 そう勇気づけるエンに、絞り出すような声で子供が返事をする。


「ど……くが……の助けは……うけない」


 これほど幼く、しかも瀕死の子供にまで拒絶されるエン。もう放って行ってやろうかと思ったが、さすがにそれは大人げないと思い止まり、改めて優しく諭す。


「毒蛾に借りを作るのが嫌なら、元気になって借りを返せばいい。だから今は死なないためにウチに来い」


 それ以上の問答は無用とばかりに子供を抱え、エンはチセの家へと急いだ。


「ヨシノ、温めの湯を沸かしてくれ!」


 家に入るなりそう指示をすると、エンは囲炉裏に薪を足して家内を温める。そして火の傍に子供を寝かせると、自分の予備の服を掛けて身体をさすった。そこにヨシノが湯を持ってきた。彼女は子供を抱えるようにして、ゆっくりと湯を飲ませる。


「この子…… 隣の子だよね。どうしたの?」


 さすがにここに長く住むヨシノは、子供の顔を見て何者かの見分けがついたようだ。


「いや、分からん。家の前を通ったら、偶然こいつが倒れているのが見えたんだよ。親は見当たらないし、火を起こそうにも薪も無いし、かといって放っとくわけにもいかないから連れてきたのさ」


「そっか…… エンは知らないもんね。今のこの子に親はいないの。去年亡くなったんだよ。両親とも忍でね、二人でお仕事に出て命を落としたらしいの。短期のお仕事で、その間この子は留守番だったって聞いたわ」


「そうか、この歳で親無しか…… 俺も親は死んだけど、忍になってからだったもんな」


 目の前で弱っている子供の不幸な身の上を聞かされて同情するエンに、

「里の人たちがお隣に集まって、葬儀が行われてた。チセはお仕事に出てて、私は…… 行くと皆に迷惑がかかるから…… ね、行かなかった」


 この家の者が行けば「何しにきた」と言われ、行かなければ「薄情者」と言われるのだろう。つまらない差別である。しかし、そんなつまらぬ差別をもって親を亡くした子供と助けとなる隣人の関係を絶つのだから、里なり周囲の大人たちで責任を持ってこの子の世話くらいしてやれよとエンは思う。


「かわいそうに。この衰弱から察するに、誰かが面倒を見ていたわけでもないんだろう」


 ヨシノの膝上でぐったりとした状態で白湯を飲まされる子供を見ながら、やりきれない気分に苛立った。


 子供の名はタイガといった。チセの家に担ぎ込まれた日は、なかば流し込まれるように粥を飲まされていたが、日を追うにつれて生気が蘇ってゆき、数日後には自分で食事もとれるまで回復していた。

 タイガは口数の少ない子供だった。それは毒蛾とその仲間を警戒してのことなのか、それとも幼くして孤独な生活を強いられてきたことで子供の無邪気さを失ったのか、いずれにせよ自ら口を開いて語ろうとはしないため、タイガの身の上はエンの方から絞り出すように少しずつ聞き出していった。

 タイガの親は、子供に火の起こし方や保存食の食べ方は教えていたようだが、薪の集め方や食糧確保の方法まではまだ教えていなかった。そのため、両親を失って独り身となって以降はタイガに手を差し伸べる者も無く、家に貯められた薪と食糧で食いつないで生きてきた。七歳の子供がである。さぞかし心細かったであろう。


 体にダルさは残っているが、思い通りに手足が動くようになったタイガは、「家に帰る」と、いいだした。


「そうか。じゃあ、いくつか言っておくことがある」


 エンはタイガの方へ向いて座り直す。


「まずは、このヨシノに礼を言え」


「なんだと?」


 どうにもこのタイガはという子供は、エンに懐かない。いや、この家の者の誰にも懐いてはいないのだが、特にエンには常に敵意だけを向けて、最低限の会話以外は黙して口を開かない。隣家のチセたちについて、生前の両親からどのように言い含められてきたのかは想像がつく。そして、そんな隣家に住むエンから礼を言えと指示されると、タイガは思わずカッとなった。


「俺はともかく、ヨシノはお前の命の恩人だ。お前が今そこで生きているのも、ヨシノが食事を与え、看病したからだろ?」


「オレは助けてくれなんて頼んでない!」


「いいか、これは毒蛾の仲間かどうかの問題じゃない。行儀や礼儀の話さ。それが分からないようじゃ、お前にその程度のしつけもできなかったお前の親が笑われることになるぞ」


「お父を悪くいうな!」


「俺はお前の両親を知らないから悪く言うつもりはないけどな、少なくとも毒蛾の仲間のヨシノは弱ったお前を見てすぐに助けた。それに引き換え、毒蛾の悪口を言ってた里の連中にお前を助けてくれた奴はいるか?」


 タイガは言い返せないが納得はいかないといった表情でエンを睨んでいる。エンは構わず次の指示を告げる。


「あとな、明日からは日が暮れる頃になったら、夕飯を食いにここに来い」


「い、嫌だ、オレは毒蛾の仲間の施しなんか受けない!」


 こういうときは、幼いくせにはっきりとものを言う。


「でももう、お前は俺たちに借りを作っちまったぞ。ならば言うこと聞いて、借りは返さないとな。じゃないと…… タイガは毒蛾の仲間だって噂を流すぜ」


「卑怯な……」


 脅すくらいに言い聞かさなければ、タイガはエンの言葉に従わないだろうと考え、エンは少々意地の悪い言い方をした。タイガはキッとエンを睨みつけていたが、「分かった」と、背を向けて去っていった。家の中が静かになった。ここまでエンとタイガのやりとりを黙って見ていたヨシノが感心した様子で口を開く。


「けっこう優しいじゃないの、エン」


 タイガが来る時刻を『日が暮れたら』と指定したのは、タイガが毒蛾と関わっていることを周囲に悟られぬように配慮したこと、そしてタイガの家に暖を採るための薪を補充しておいたこと、この辺りの気遣いがヨシノには分かっているのだ。


「となりの子供が衰弱死なんてことになったら、また里の連中に何を言われるか分かったもんじゃないからな……」


 そんなエンの照れ隠しに、「ふふ、そうね」と、ヨシノは目を細めた。



 次の日から、タイガは夜になるとチセの家へとやって来て、エンやヨシノと晩飯を共にするようになった。これで当面はタイガが飢えて倒れることはないだろう。

 相変わらずエンには心を開かないタイガだが、食事を共にした回数が増えていくにつれて、無愛想ながらもヨシノの質問には素直に答えるようになっていった。母親を求める心が身近なヨシノへと向いたのだろうが、ヨシノを通してでも意思の疎通が図れるようになったのは大きい。


「で、お前は一人で暮らしてこの先どうするつもりだったんだ?」


「何で毒蛾の仲間にそんなことを話さなければならないんだ」


 それでもエンは語りかけるのだが、タイガの反応はこの通り取り付く島もない。するとヨシノが口を挟むというのが掛け合いのパターンとなってきている。


「私も知りたいな。タイガがどんな気持ちで生活していたのか」


「う……うん、オレは ──」


 ヨシノが後押しすると、あっさり口を開くタイガにエンが苛立つ。


「おいこら、お前は毒蛾の仲間が嫌いなんじゃなくて、男が嫌いなんじゃないのか。何だそのオレとヨシノとの対応の違いは!」


「う……うるさい、オレは毒蛾の仲間の言うことは聞かん」


 終始この調子で、エンとタイガの直接の会話は成り立たない。タイガのことは、ヨシノが丁寧に聞き出していった。

 両親と同じ忍への道を進むべく、八歳の春に養成所へと入る、これがタイガの語った今後の唯一の予定だった。たしかに養成所で寮に住んでしまえば、食うに困ることはないだろう。卒業後は十津の里の生え抜きの忍として活動することが条件となるだろうが、問題とはなるまい。居候の身から、なんとか自分たちの食い扶持くらいは力を合わせて稼ごうと活動を始めたばかりの肩身の狭いエンとヨシノではあるが、タイガが養成所に入る年齢となるまでの一年であれば、何とか養ってやれるだろう。



 そうするうちに季節が進んだ。春が近い。冬の間、生き物の生命力を全て凍らせるように吹き付けていた風の厳しさが和らいだ。そんなある日の夕食にて、エンはタイガに提案した。


「食糧の探し方を教えてやる」


 露骨に嫌な顔をするタイガを、ここもやはりヨシノがたしなめる。


「忍に必要な、それも養成所では教えてくれない事をエンは教えてくれる。初めは私も行くからさ、あなたも生きましょう」


 翌朝、タイガは一人で里の外に出た。街道に合流して少し東へと歩くと、木漏れ日のさす日なたで待つヨシノとエンが見えた。タイガの接近に気付いたエンたちが街道を外れて北の茂みに入った。少し遅れてタイガも後を追うように茂みへと踏み込んだ。

 現地集合にしたのは、タイガがエンたちとつるんでいることを里の者に知られないための配慮である。


「よし、約束通り来たな。今日はこの先の山で、食える山菜の見分け方を教えるから、素直に聞くんだぞ。素直にな!」


「ふん」と、鼻であしらうタイガの態度に、蹴飛ばしてやろうかと足が出そうになるエンだったが、大人の器量で思いとどまる。


 ガサゴソと山を歩き回りながら、エンはミツバやフキノトウから腹に溜まりやすいワラビなどの山菜、さらには食用の判別を付けやすい種類のきのこの見分け方をタイガの知識の引き出しへ叩き込んでいく。


「ま、それらを美味しく食べられるかは調理次第なんだけどな。そこは俺じゃなく、そっちのヨシノから教えてもらいな」


「料理の腕をお褒めにあずかったようで、光栄です……あれ? ……この匂い」


 まんざらではないヨシノがおどけて見せたが、同時に何かの香りに気が付いたようだ。


「ん、匂い? ……… どんな匂いだ?」


 あちらこちらを向いては鼻で空気を吸ってみたが、エンには判らない。


「こっち。少しだけ甘そうな匂いがする」


 そういって進むヨシノに二人はついてゆくと、赤い木苺に辿り着いた。


「ほら、ね。あった」


 ヨシノが木苺を摘んでみせる。


「ほう…… たいしたもんだ」


 エンには全く感じられなかった匂い。たしかに普段から、探し物には視覚を頼っていたと気付かされる。


『ヨシノがこんなに鼻が利くとは。料理が上手いのもこのせいか』

と、妙に腑に落ちるものがあった。



 日が暮れた。今日も三人で食事をとっている。ただ、いつもと違うのは、囲炉裏ではなく皿を囲っていることだ。エンの手製の木の大皿に山菜が盛られている。もちろん昼間に三人で獲ってきた山菜だが、ヨシノによって調理されたものである。大皿とはいえ皿一つを三人が囲んで座っているのだから、まさに膝をつき合わせている格好である。


「おお、さすがはヨシノ、美味くなるもんだなぁ」


 山菜を口に入れたエンがヨシノを褒めると、

「そぉ?」

 と、照れくさそうにヨシノが頬をかく。


「美味いよ。なぁ、お前も言ってやれよ」


 そうエンにふられたタイガは一瞬嫌な顔をしたが、

「うん、美味い……」

 と、ぼそりと答えた。ヨシノは嬉しそうに微笑んでいる。


「それにしても、ヨシノがあんなに鼻が利くとは知らなかったよ」


「はは…… その効果は木苺が見つかる程度で、お仕事の役には立たないんだけどね……」


 自分に自信のないヨシノは、相変わらず自分の能力については評価が控え目である。


「じゃあさ、もしも忍へのこだわりが無いのなら、ヨシノは食堂でもやればいいんじゃないかな? うん、その鼻と料理の腕があれば、それでやっていけるよ」


「えぇ!? 私が店をやるの? ダメダメ、そんなの無理だよ」


「お世辞抜きにお前の料理は美味いと思うけどなぁ。人の多い町に店でも構えりゃ、それなりに繁盛するだろうに」


 そんな大人の会話を聞いているのかいないのか、タイガは黙って食べているだけだった。


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