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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第八章 【抜け忍】
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其の七 一人じゃない正月

 流れ者の退治より十津の里に帰還して数日。労務局へと赴いたこの日エンは、先のお仕事の成功報酬を受け取った。心機一転、十津の里で再出発したエンの初報酬である。美濃だろうが大和だろうが同じ銭ではあるが、それは養成所を出て初めて貰った時の報酬と同じくらい新鮮に感じられた。

 早速家に戻ったエンはヨシノを呼んで報酬を山分けにし、半分をヨシノへと渡したのだが、彼女は困った表情で訴える。


「こんなに多く貰えないよ」


「そんなこと言っても、半分に分けたらその額になるんだから」


「だって私、また動けなかったのに…… あんなに足を引っ張ったのに、半分も貰う資格は無いよ」


 遠慮ではなく本当にそう思って言っているヨシノだが、エンは取り分に差をつける気はない。


「そもそもあのお仕事にヨシノを誘ったのは俺さ。そして結果的には上手くいったんだから、そんなに気にするな。それにな、実戦で動けるようになるには場数を踏んで慣れるのが一番なはずなんだ。思い返してもみなよ、敵を罠にかけるあの場面では敵に威嚇されてお前は動けなかったけど、そのあとのアジトでは同じ顔の敵に襲われても返り討ちにできただろ? 段々と戦えるようになっていってるんだよ」


「でも……」


 里に帰還して以来、一人で過ごすことがあると、威嚇し向かってくる男の目に身がすくみ動けなかったあの時のことが脳裏に浮かび、怖さと歯がゆさが湧いた。そんなところに働きに見合わない報酬を受けたことで、余計に罪悪感に苛まれたのだ。


「なぁヨシノ、悔しいって気持ちは向上心がある証拠で、その気持ちがある限りはお前は強くなれる。今は強くなる途中なんだろう。だからといって、強くなれるまで報酬を受け取らないんじゃ、忍の大半は野垂れ死んじまう。それにな、どんなに実力を付けたところで上には上がいくらでも居て、一番上になんて誰もなれないのさ。俺が見たところ、お前はちょっと悩み疲れてるな。たまには下を見てみな」


「下を?」


「そう、真面目なお前は考えたこともないかもしれないが、上には上が居るように、下には下が居る。一番下になんてなろうと思ってなれるものじゃない。おまえ……自分は駄目だと思ってるらしいが、この世にお前より弱くて役に立たない奴は本当にいないと思うか?」


「いや……さすがに一番下じゃない……とは思うけど……」


「だろ? お前は自分で考えているほど役立たずじゃない。せいぜい今は『下の上』ってとこだ」


「何だか引っかかる慰め方だけど……分かったわ。有り難く貰っておくわね」


どんな凄腕だろうが組で動いて任務が達成できなければ報酬はへるし、未熟でも組の任務が達成されれば報酬を得られる。極端ないい方をすれば、報酬を出す者が成否を判定するのは任務を達成したかどうかが全てで、個々の強さなど関係が無いのだ。そういう意味では労務局から満額の報酬が出たのだから、ヨシノはそれを受け取るべきだというのが、エンの考え方である。


『そうは言っても、敵の前で動けなくなるのは致命的だ。あれでは命が幾つあっても足りない』


 しばらくは報酬額よりも安全を重視してお仕事を選ぼう。エンは心の中でそう決めた。



─── ── ─


 邪魔になるほど地表を覆っていた落ち葉はどこへ消え去ったのか、寒々しい砂や土そして葉のない樹木と、茶色ばかりが目につく年の瀬。ヨシノと二人、気の利いた飾りを置くような家でもないため、年越しの準備などということに忙殺されることもない。この日もエンは、火の傍でゴロゴロと無為な時を過ごしている。

 そこに突然、ザザザと戸の開く音がした。


「ん?」


 エンはおよそ忍とは思えないほど、もっさりと体を転がして入口の方を向く。開いている戸、そこにひょいとチセが顔を覗かせた。


「あっ、チセ!」


 エンが跳ね起きる。


「ただいま」


 土間に入ってきたチセの姿は防寒の蓑をまとい、脇には笠を挟んでいる。あれを被って独りで歩いてきたのなら、一見して女とは思われないだろう。


「あぁ寒かったぁ」


 蓑を脱いで板間へ上がったチセは、汚れた足が床に付かないように膝で歩きながら、エンのいる囲炉裏へと寄ってきて火にあたった。


「お仕事、終わったのか?」

 

「ううん、年越しのお休みが貰えたの。女中衆の半数ずつが交替で家に帰れることになって」


 たしかに防寒着を脱いだチセの着物は、華やかさを抑えた女中の物に見える。そこにチセの帰宅に気が付いたヨシノが出てきて、手に持つ碗をチセに差し出した。


「お帰りなさい。足を洗う桶も用意するけど、先にお湯を持ってきたわ」


「ありがとうヨシノ、相変わらず気が利くわねぇ」


 褒められたヨシノが嬉しそうに井戸へ水を汲みにゆく。

 久しぶりに三人が同じ板の間でくつろいだ。チセが居るだけで家内の雰囲気が明るくなった。先ほどまでは春まで囲炉裏の前で転がり続けてやろうと考えていた不届きな引き籠もりにも、こうして心が温まるにつれて色々と意欲も湧いてきた。


「せっかくチセが戻ったんだ、少しは年越しらしく祝いたいもんだな」


 そんなエンの提案にヨシノが反応する。


「今日は…… うん、今年最後の市の日。この時刻ならまだ開いてるかもしれない」


 三人そろって新年を迎えられるなると、年越しの目出たさが途端に増した。そんな環境の変化一つで祝おうという気が湧いてくるから不思議だ。


「よし、行こう。すぐに帰るから、チセは遠慮なく自分の家だと思ってゆっくりくつろいでいてくれ」


「いや、自分の家よ!」


 軽く冗談も出るようになったエンは、チセの帰宅によって冬眠動物が目を覚ましたように行動力を取り戻していた。



「えっ、エンも忍の登録したんだ。しかも二人でお仕事してきたなんて、いいなぁ」


 夜、三人は囲炉裏を囲み、こんがりと焼けた魚をかじりながら盛り上がっていた。酒も少し入っている。これらは昼に市で購入してきたもので、エンとヨシノの稼ぎがあっての細やかな贅沢である。

 チセとしてはエンが忍に復帰することは予想していたことではあったが、何よりもそのエンに引っ張られてヨシノもお仕事を完遂していたことが嬉しかった。忍として大きな弱点を持ち、自信を失っていたヨシノのことを誰よりも心配していたのがチセだったのだ。


「今のお仕事を終えて帰ってきたら、あたしも一緒に行きたい」


  チセはエンとヨシノの共通の武勇伝を聞かされて羨ましかったらしい。


「私たちは募集型の余り仕事しか受けることができないのよ。生え抜きのチセには割が合わないよ?」


「いいの。楽しそうだから行きたいの!」


「三人いれば受けられるお仕事の幅も広がるし、いいじゃないか」


 チセと共に行動したいエンは大歓迎だった。とはいえ、チセのお仕事の方は今のところ終了の目処は立っていないという。標的は河内の小領主とはいえ、自然な形で女中から領主の目に留まり、寵愛を受けるまでにはそれなりの月日を要するらしい。正直なところ、エンとしてはチセが他者の寵愛を得ることを応援するのは気が進まないが、それを口にすることは忍の仁義に反する。


 こうしてエンは、穏やかな年末年始を過ごした。濃武の里では一人で暮らしていたエンにとって、家族とも思える人たちと過ごす年越しなど、久しいことである。ましてや、ほんの半年前までの自分にとってはここは知らない地であり、そこで知らなかった人に囲まれての平穏な正月。当時の自分には想像もつかない光景だと考えると、選択一つで全てが変わる人の暮らしが面白くも思えた。


 そして年は明け、チセが再び任地へと戻るときがきた。見送ろうと出てきたエンとヨシノと共に、里付近の街道まで歩く。男装ながらもまだ笠を被っていないチセはとても男には見えなかった。長い髪は笠に隠れるよう丸めて団子にしてある。そんなチセの端整な顔をついついチラ見してしまうエンの様子に気付いたのか、チセもエンの目を見て言った。


「エンがどこに行くのも自由だけど…… もし良かったら、あたしが帰るまで、ウチに居てくれると嬉しいな」


 今のエンは居候の身である。それは行くあてが無いという事情もあるが、チセへの想いによって居座っているという気持ちの悪い面も否定はできない。そんな自分を好意的に見てくれていたのだと分かるチセのその言葉に胸を震わせるエンがいた。


「ああ、三人でお仕事に行くって約束しただろ? 俺はいつまでも待ってるよ。だからさ、焦らずじっくり、お仕事を終わらせてきな」


「うん」と明るく返事をしながら笠を被り、男となったチセは今度はヨシノの手をとった。


「また家のことをお願いね」


「もちろん。チセも気を付けてね」


 そうしてひとしきり別れを済ますと、チセは笑顔でひらひらと手を振って西に向かって去っていった。木々に囲まれ道のうねる大和の街道、チセの姿はすぐに見えなくなった。


「嬉しそうね、エン」


 ニヤついて口元が緩んでいるエンに気付いたヨシノは、それがチセの言葉に気を良くしたからだと察している。


「そりゃチセにああ言われれば、男は嬉しいに決まってるだろ?」


「ま、当分エンは居てくれるみたいだから、私も寂しくなくていいわ」


 そう言って街道に背を向けると、ヨシノは里への茂みに消えていった。こうして十津の里の忍エンの大和での二年目の暮らしが始まった。


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