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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第八章 【抜け忍】
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其の六 流れ者対流れ者

 先月と同じように、夕刻から村を訪れる人が現れだした。今月も賭場は無事に開催され、満月の月明かりと賭場から漏れる灯りを頼りにエンとヨシノは交替で見張り続けた。そして、やはり先月と同じように翌朝には賭場がお開きとなり、客たちはみな村を出て帰っていった。

 全てが先月と同じ流れだった。おそらく賭場を閉めた流れ者たちはこのあと昼まで休息をとり、その後に留守番を残して町へとくり出すのだろう。

 エンとヨシノはこれにて流れ者のアジトの見張りを切り上げると、街道に仕掛けた罠のある場所へと移動した。そして、埋めた網や大袋への綱などの罠の状態を再確認し、風でいくらかは飛んだであろう網を隠す砂や落ち葉を足して補強した。


「あとは、ただただ待つのみだ」


 準備を終えていざ待ってみると、『ここまでやって相手が来なかったらどうしよう』などと、不安ばかりが脳裏をよぎった。が、事ここに至っては、なるべく余計なことは考えないようにして、二人はダラダラと時を過ごした。


 陽が高くなった。エンは見張りのために見つけておいた森道の多牧村方面を遠く見渡せる木の枝にて、遠筒を覗いて流れ者たちの接近を見張っていた。すると、ついにこちらへ向けて歩いてくる数人の人影が見えたのだ。


『一、二、三、四……五人か。都合が良いな』


 まともに戦うつもりは無いエンとしては、なるべく多くの標的をここで罠にかけた方が効率が良い。標的は全員で六人なのだから、ここで五人を倒すことができれば残り一人など何とでもなる。


「来たぞ」


 木の下にいるヨシノに向けて知らせると、彼女はついに来たかと緊張が電気のように全身に伝わり、ブルッと震えた。ところが、エンたちのもとまでまだ距離がある五人の流れ者の歩く進路が少しずつズレてゆく。彼らは段々と森道の左側へと寄っていき、やがて木の陰へと消えていった。


「あれ? 脇道に入った……」


 たしかにあの辺りには右に逸れてゆく脇道があったが、その道が町へ繋がるとは思っていなかったため無視していたのだ。


「ここを通らないんじゃあ、罠が無駄に……」


ヨシノはそう不安を口にしながらも、敵がここに来なければ戦闘にならないとホッとしている自分がいることに気づいていた。そこにエンがスルスルと木を降りてきて、

「ヨシノは位置についてろ。俺は奴らを誘導してくる!」

と言う。エンは簡単にはあきらめない。これではいけないと、ヨシノも再び頭を切り替えるが、すると戦いへの恐怖もまた蘇ってくる。ヨシノは自分が情けなかった。そんな自己嫌悪に暗く沈むヨシノの様子にエンは気が付いた。


「どうした。怖いのか?」


「また上手く動けないんじゃないかって考えたら、わたし怖くて……」


素直に弱音を吐くヨシノの胸の前で、エンはスッと拳を握った。


「えっ、なに?」


「お前も同じようにやってみろ」


何のことか分からないまま、ヨシノも胸の高さで拳を握ってみた。エンはそのヨシノの拳に自分の拳をそっと合わせた。


「これは?」


「俺たちの勝利の儀式さ」


「勝利の儀式?」


「そう。俺とお前が力を合わせれば、絶対に上手くいく。そんなまじないだよ」


とつぜん教えられたこれまでに聞いたこともない怪しげな儀式だったが、エンと自分の二人だけの決まり事というところに、なんだか心震わせるものがあった。こんなもので物事が上手くいくかは分からないが、先ほどまでの不安はいくらか和らいだような気がした。


「うん……」


何となくそんな返事をしたヨシノに笑顔を見せて、エンは藪の中に駆け込んでいった。エンたちが待ち受けていた罠から流れ者たちが逸れた脇道の入口までにたいした距離は無い。おそらくこの藪を急いで突っ切れば、脇道の先で奴らの頭を抑えられる。


 ズザザザササ─

 距離はなくとも高低差はあった。無数の枝に細かな傷を付けられながら、エンは滑るように脇道へと到達した。


『さて。どうやって奴らを誘導しようか』


 とにかく慌ててここまで駆け抜けたが、誘導する方法を思い付いているわけではない。木の陰から脇道を覗くと、すでに流れ者たちが近づいている。


『適当にからかって逃げてみるか? ……そんなので追ってきてくれるものかな』


 ぞろぞろと歩く流れ者たちの一人、頬に傷のある男が、くるくると手遊びのように何かを振り回しているのが目についた。それは一貫の銭の束。


『よし、あれだな』


 貨幣というのはかさばるもので、それなりの量が袖の中にじゃらじゃらと入っていると動きにくくて仕方がない。そこで貨幣の中心の穴に紐を通してゆき、一貫という単位ごとに銭を束ねておくのが一般的な銭の管理方法なのだが、頬傷の男は一貫の束をくるくると回したり、ぽんぽんと手の上で放り投げたりしながら歩いているのだ。

 エンはいつでも手を伸ばせるように集中しながら木の陰で待ち受ける。

 木の前を流れ者たちが通った。エンは頬傷の男が銭束を放る瞬間に合わせて木陰を飛び出し、空中の銭束をかっさらった。


「ぬあっ!? おめぇ、何しやがる!」


 道端で突然銭をスられた男が、驚き半分に怒鳴る。


「銭を粗末に扱う行儀の悪い奴には罰が当たるんだよ。じゃあな」


 そう言ってエンはさっさと脇道の入口へ向かって走り出す。


「阿呆かお前は。さっさと捕まえるぞ」


 仲間に叱責されながら、頬傷の男を筆頭に流れ者たちがエンを追ってくる。脇道を抜けたエンは大きく進路を変え、ヨシノの待つ罠の方へと森道を駆ける。森道のエンからはヨシノの姿は見えなかった。彼女は罠近くの死角に潜んで、細縄を切る準備をしているはずだ。

 念のため網を踏まないように跳び越えたところで、エンは振り向いて構えた。わざと肩を上下させ、息が上がって止まったようにふるまう。 

 エンが止まって構えたため、追ってきた流れ者たちもその前で停止した。まさに罠の上だ。


「今だ、やれ!」


 エンが縄を切るために木陰で待機しているヨシノに指示を出す。しかし、そのエンの言葉で、流れ者の一人がヨシノの存在に気づいた。


「何だてめえは! ぶっ殺すぞ!」


 ヨシノの方を向いて瞬間的に発した流れ者の脅し声に彼女は固まった。ヨシノは蛇に睨まれた蛙ように畏縮して動けない。


「おい!」


 エンが急き立てるように声を発するも、ヨシノは動かない。ヨシノに向かって威嚇しているあの男がいる限り、彼女は動けないのではないか。


『くそっ、あの吊り橋を平気で渡る肝の据わった奴が、人間相手だとこんなに変わるのか……』


 里でのヨシノへの低評価は、あくまで彼女の動きが評価者の期待するものに至らなかったため、物足りないという意味で「使えない」と、いわれたのだろうと想像していた。それがまさか、敵を前にして全く動かなくなるとは思ってもみなかった。

 仕方がないと、エンは奪った銭の束を結んでいる紐を引きちぎった。すると、銭がばらばらになり道へとばら撒かれた。


「あっ!? てめぇ何しやがる!」


 そういってエンと対峙していた流れ者四人の注意が銭の転がった足下へと逸れた隙をみて、エンは力いっぱいクナイを投げた。この距離なら今のエンは的を外さない。

 このとき、ヨシノの視界には自分を恫喝する男しか入っていなかった。その形相にヨシノの足はすくんでいた。そん男が突然目を見開き、声にならない叫びをあげるように口を開いて倒れた。男が視界から外れ、代わって男の向こうにいたエンが見えた。そのエンがこちらに向かって「やれ!」と急かしている。ハッと我に返ったヨシノは刀を振るって細い縄を斬った。


 ヨシノに向かった男がエンに倒されたことに反応したのはヨシノだけではない。ぶちまけられた銭に気をとられていた流れ者たちも、先ほどからのエンの行為が、いよいよ阿呆の悪ふざけでは済まぬと悟り、刃物を抜いた。そして一斉にエンへと襲い掛かろうとしたその時だった。

 地面から突然大きな網が現れて流れ者どもを包み込むと、網は高さを上げてゆき、木の枝の下に宙吊りとなった。


「何すんじゃ、ごらぁ!」


 網の中で折り重なった四人の流れ者が吠えるが、エンはとりあわない。一方的に要求だけを突き付ける。


「網の隙間から武器を捨てな」


「てめぇ、ぶっ殺してやる!」


 身動きのとれない状態でもまだ、流れ者は威嚇の言葉を吐いてくる。エンは落ちている短刀を拾うと、網の中に見えている流れ者の足を軽く刺した。


「痛っ…… てめぇ、やめろ!」


 そう言った男の脚をもう一度軽く刺し、無表情に忠告する。


「言うことを聞かないと、このまま一方的に刺し殺すよ」


「くそ……」


 観念した流れ者たちが、手に持つ刃物を捨てた。

 相手の武装解除にホッとしたヨシノだったが、エンはすぐに木の下に隠していた道具袋から小さな筒を取り出すと、同じく袋から出した鉄の小皿に筒の中の液体を注いだ。そして宙吊りとなっている網の真下で火を起こし、液体入りの皿を熱する。


「何をしているの?」


「どうせまだ、刃物の一つや二つは隠し持ってるだろうしね。しばらくの間、こいつらにはじっとしていてもらう。これは知り合いの暗器使いから教わった調合で、効果のほどは過去に俺自身の体で実証済みさ」


 そうして四半刻が過ぎた頃には、網の中のならず者たちは言葉を発することも無くなった。全員の目が半開きであり、眠ったわけでもなさそうだ。その様子にヨシノは気味の悪さを感じていたが、エンはその効果に安堵していた。エンが熱していたのは、マチコから調合を教わっていた麻痺香だった。


「よし、こいつらの生殺与奪は後で村人に任せよう。とりあえず今は、お仕事の仕上げに向かうよ」


 退治を依頼されているならず者は六人、その内すでに一人を殺害し、四人を生け捕りにした。残るは村のアジトで留守を守る一人。これを始末せねばならない。


 多牧村へと入ったエンとヨシノは、真っ直ぐ流れ者たちのアジトとなっている家を目指した。


「安心しろ、殺るのは俺だ。ヨシノは念のために裏口の前で待機して逃げ道を抑えていてくれ」


 そう言ってヨシノが離れるのを見届けると、エンは家の戸を叩いた。


「もし。夕暮れよりも早く着いちまったんだがの。賭場が始まるまで中で待たせてはもらえんかの?」


 すると、家の中から返事が聞こえる。


「おい、あんた。日を一日間違えておるぞ。賭場は昨日でもう終わった」


「なんと!? はるばる歩いてきたのだ、これから少しだけでも賭けさせてもらえんか」


「駄目だな。こちらも人が出払っている。また来月にでも来るのだな」


「分かった、そうしよう。しかし、せっかくここまでやって来たのだ。せめて面通しして顔だけでも憶えておいてもらえんか」


「しょうがねぇなぁ…… 分かったよ、今開けるから待ってな」


 ザザザと引きずるような音を立てて、引き戸が開いてゆく。戸の中から現れたのは散切り頭に無精ひげの中年男だった。男は戸を開けたとき、外に先ほどの声の主が見当たらなかったため、「ん?」と怪訝な声を出したのだが、次の瞬間足もとから伸びてきた刃に胸を貫かれた。エンは戸に張り付くような位置でしゃがんで待ち構えていたのだ。


「がはっ」


 気管に血が流れ込んだのか、男は血を吐きながらエンの方に倒れ込んだ。エンはそれをひょいと後ろに跳んで避ける。ところがここで、想定していなかったものをエンは目撃する。そこに住む全員を倒したはずのアジトの中で、人が動くのを見たのだ。アジトの中にはもう一人、流れ者の仲間がいた。男は仲間が襲撃を受けたことに気付き、慌てて裏口の方へ向かった。


「しまった!? ヨシノの方へ行く」


 エンの倒した男が虫の息ながら、入口の前でまだ生きている。逃げた敵の仲間がヨシノと接触する前に追いつくことは不可能だ。


「ヨシノ! 気を付けろ!」


「えっ?」


 エンの声が裏口に届いた。思わずヨシノに緊張が走った時、裏口の木戸が開いた。逃げようとする男とヨシノが敷居を挟んではち合わせした。


『今度こそ迷惑をかけたくない!』


 そんな思いとは裏腹に、ヨシノは向かい合う男の顔を見て固まった。そこに居るのは先ほどの森道での戦いにおいてヨシノに向かってきた、そしてエンに討ち取られたあの男なのだ。

 一瞬たじろいだヨシノに対し、先に刀を抜いたのは流れ者の方だった。男は刀を振り上げ、上段から斬りかかる。ヨシノも抜こうとするが、後れをとっていて対応が間に合わない。


 ガヅッ!


 ── !?


 ヨシノの脳天に向けて振り下ろそうとした刀は、裏口の鴨居に当たって深く食い込んだ。その時、遅ればせながらヨシノも両手で握った刀を、踏み込みながら突き出す。目をつむっているのは、彼女なりの工夫なのかもしれない。ヨシノの腕から伸びる刀は、急いで鴨居から刀を剥がそうと上を向いた男の隙だらけとなったなった喉に刺さった。


 エンが家の外側を回って裏口へゆくと、壁に片手をつき、もう一方の手で胸を押さえたヨシノが息を整えていた。


「お見事。タイマンでも立派に闘えるじゃないか」


 ヨシノの傍らに倒れている遺体を見て、エンはヨシノを讃えた。


「偶然だよ。この人が失敗して隙を見せてくれたから…… じゃないと、殺されていたのは私」


「敵の隙をついて仕留めたんだから、胸を張れよ」


 エンはまるで吐きそうな姿勢で前かがみに胸を押さえているヨシノの腰を押して直立するよう姿勢を正させ、それによって張られた胸をトンと優しく叩いた。そうして裏口から屋内へ入ってゆくエンをぼんやりと見送るヨシノだった。


「まったく…… 人数が一人多いじゃないか」


 表で倒れている流れ者を家の中へと引きずりながらそうボヤくエンに、遅れて入ってきたヨシノが裏口で倒れる男が森道で倒したはずの男だと話す。


「なるほど、兄弟か…… 村人からは同一人物と見なされた。それで人数が食い違ったと」


 そんな推理を披露しながら、エンは床の間に立て掛けられた刀に目を付けた。手にしてみると鞘に模様が彫られており、名のある刀なのかもしれない。


「これは一人分の追加報酬ってことて、貰っておこう」



 エンは村人を呼び集めた。依頼完了の報告と生け捕った流れ者たちの引き渡しのためである。

 集まった村人たちの中にいた久蔵という者。彼がならず者の退治を十津の里へと依頼した村の代表者であった。エンは流れ者を捕らえた場所へ久蔵たちを連れて行った。吊り下げられた網には今だ動けないままの四人の男、そして道端に一人の遺体がある。


「生かしたまま捕らえることができたのは四人、あとそこに一人と家に二人の死体がある」


久蔵はその場の遺体と生け捕られた流れ者の容姿を確認する。アジトの遺体は出発前にすでに確認が済んでいる。


「ああ、確かに見届けました。ご苦労様でした」


「では確認の証明として、この紙に血判を頂きます。仕事料は後ほど里から担当の者が受け取りに来ます」


 エンはお仕事の終了手続きについて説明すると、石を詰めていた大袋を切り裂いた。重りとなっていた大袋の中身が抜けて重量が軽くなった事で、流れ者たちを吊り下げていた網が地面に降りた。こうして流れ者たちの身柄が村側に引き渡されたが、久蔵たちの表情は浮かなかった。



 エンとヨシノは帰途についた。もうあの吊り橋はもう渡りたくないというエンの希望により、日数をかけて里に帰ることになる。


「どうしたんだろうね。あの人たち、あまり喜んでくれてなかったような……」


「なぁに、連中はあの流れ者たちを生きたまま引き渡されて迷惑なのさ」


「どういうことなの?」


「流れ者たちには人知れず死んでいて欲しかったのさ。というのも、あの村は不作が続いて困窮しているらしい。そこで村の大人たちは、賭場で潤うあの流れ者たちの資金に目を付けたんだよ。だから彼らを忍に成敗させて、アジトの銭で当面の生活をしのごうってね」


「そんな……じゃあやっぱり村人は彼らに乱暴なんてされてなかった……」


「そういうこと。実は流れ者を退治するだけなら、彼らが寝ている夜中に家の出入口を封鎖して火を点けるのが手っとり早かった。でも、それじゃあ金目の物も燃えちまう。だからわざわざ外で罠を張って捕まえてやったんだよ」


 じつは先日、罠を仕掛けるための牛を借りたときもそうだった。家を燃やさないために牛を借して欲しいと交渉すると、村人はあっさりと牛を貸してくれた。


『おそらく生き残っているあの流れ者たちも、村人の手で殺されるだろう。村人はさぞかし後ろめたいだろうが、それくらいの業は背負ってもらわないとな』


 どちらが本当のならず者なのかも怪しい多牧村での村人たちの所行。その片棒を担がされた此度のお仕事は、エンにとっても面白いものではなかった。だからこそ、流れ者を生きたまま村人へ引き渡したのは、エンの細やかな意趣返しであった。


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