其の四 赤い回廊
「う……また知らない草……」
斜面に生える円く渦を巻くような形の植物を見てエンがぼやく。見るからに山菜らしき植物ではあるが、知っている種類とは少し形状が異なった。これでは食べられるのかの判別がつかない。それでも肩から提げている袋の中をのぞくと、既にある程度の量の山菜が貯まっていた。
「まぁ、こんなものでいいか」
エンは山菜の採取のため山にいた。居候の身としてはなるべく家計に負担をかけず自給自足できるようにと、エンはこうして数日おきに山へと入っている。あわよくば兎のような小動物も狩れればよいのだが、不用意に目の前に現れてくれる兎などそうはいない。今日もエンは山菜のみを抱えて帰ることになった。
「あ、お帰りなさい」
家でエンを迎えたのはヨシノだった。エンが食材の調達なら、ヨシノは調理の担当だった。食事の用意は当番制にしようという話も出たのだが、エンが作るものよりヨシノが作る方が明らかに美味いのだ。自然と役割が分担された。
「どこかにこの辺りの野草に詳しい人はいないのかな?」
「あら、エンは山の幸に詳しいじゃないの」
「それでも美濃では見なかった草や茸があってね。勿体ないじゃないか、美味いものだったら」
「そうか……私は知らないけど、あとでチセにも聞いてみればいいよ」
大和に流れて来てひと月が経っていた。ぎこちなかったヨシノのエンとの会話も、やっと砕けた口調で話すようになってきた。エンは山菜の袋をヨシノに渡すと再び外に出て、近くの草の斜面に寝転んだ。上空は風が強いのか、千切れたような雲がいそいそと流れてゆく。
『何をやっているんだろう……俺』
チセは気を遣わずこの家に居ていいと言ってくれている。だが実質として現状は、チセが低収入のヨシノと無収入のエンを養っている状態である。さすがにエンもこの頃は、ここでの暮らしに後ろめたさが湧いてきている。チセのヒモとなって安穏とした生活を送って三十余日、エンにもまだそういった危機感を抱く正常な感性は残っているようで、今ならまだ堕落の沼からは引き返せる。
『お仕事……探すか……』
二日後、チセが新たなお仕事のため、里を旅立って行った。なんでも西の河内方面での潜入のお仕事だという。残されたエンはヨシノに案内してもらい、十津の里の労務局にて忍としての登録を行った。この登録を行っておかないと、この里においてお仕事の紹介を受けることはできないからだ。
エンはその足で募集型の案件が貼り出されている掲示板の前に行き、めぼしいお仕事を探し始めた。この掲示の中に大口の顧客からもたらされた案件は存在しない。それらは里の生え抜きの忍たちに直接紹介されていて、エンたち外様の忍へは回ってこない仕組みとなっているからだ。しかし、今はそれで充分だった。ヨシノと二人で受けるのに大きなお仕事では手に負えない。ところが、張り出されている募集中の案件の内容を確認するエンは首をかしげた。
「なぁ ヨシノ、この里が外様に冷たいというわりには、貼り出されているどれもこれも報酬額が高いように思えるのだが。大和は景気が良いのか?」
「え? ……あぁそうか、エンのいた里とは仕組みが違うんだね。そこには全員分の合計の報酬額が記されているんだよ」
「ふぅん……そうなのか。しかし、どれも定員が書かれていないぞ。これじゃあ一人あたりの報酬額が分からないよ」
エンは先ほどから二人で受けることができるお仕事を探しているのだが、募集要項に肝心の募集人数が記載されていないのでは見つけようが無い。そんなエンのぼやきを聞いたヨシノは案件受領までの仕組みについても、過去にエンが属していた里とはいろいろと差異があるのだと気が付いた。
「これらの案件はねエン、請け負った人が代表ということになって、報酬も全額を代表者が受け取るんだよ。それでね、何人でお仕事にあたるのかは代表者が決めて、自分で人を探すんだよ」
「え!? そんな仕組みなの?」
「うん。それからね、報酬も山分けにするのか、それとも役割によって金額に差を付けるのかなんてことも、すべて代表者が決めるのよ」
労務局は代表者とだけ契約を交わして、報酬の分配については一切関与しない。この方法だと労務局の職員の負担が少ない分だけ労務局の中抜きが減って、報酬の額がいくらか割高になるのだという。
「へぇ、そりゃ簡潔ではあるけど、色々と揉め事が起こりそうな仕組みだな」
「そうだね。取り分で揉めるなんてのはよく聞く話だよ」
また一つこの里のルールを学んだエンがそれらを踏まえ、改めて貼り出されている案件を端から順に確認してゆくと、とある案件で目が止まった。
「うん、これにしよう」
エンが指を差した案件紹介の紙をヨシノが覗き込む。
【 多牧村にて、ならず者どもを退治致す件 】
そう記されたお仕事の場所は多牧村。ここに何処からか流れてきたならず者が住みついているという。その数は六名。この者たちが横暴に振る舞うため、村人たちは平穏を乱されて難儀している。意を決した村人たちが金子を持ち寄り、それを報酬として十津の里にこのならず者どもの退治を依頼したのだという。なお、退治に際して、ならず者たちの生死は問わないともあった。
「村の人々も裕福ではないでしょうに。金子を出すのは辛かったでしょうね」
「それだけ困っているということかもしれないな」
「でも……」
ヨシノが不安の表情で声を詰まらせた。案件の成功条件が『ならず者の退治』だったからである。どう考えてもこの案件は戦闘になる可能性が高いだろう、それがヨシノには恐ろしいのだ。殺される恐怖に殺す恐怖、その恐怖に負けて結果として仲間に迷惑を及ぼす恐怖、そして仲間から嫌われる恐怖。戦闘ではそのような様々な恐怖によって手足が縛られるように、ヨシノは動けなくなってしまう。そんな自分が戦闘で使いものにならないことを自身でも理解している。だからヨシノは、戦闘になる案件には尻込みしてしまうのだ。
「経験を積めばヨシノだって戦闘でも素早く動けるようになるさ。そのためにも戦闘の場数を踏まないとな」
エンもかつては敵から逃げることしか考えていなかった。しかし、そこから経験を重ねて少しは強くなった。今でも戦うのが怖いことに変わりはない。変わりはないが、怖くても体は動くようになった。そうなれば、危険の中に身を置いても案外なんとかなるものだ。そんな自己の経験からも、ヨシノに必要なのは少しでも多くの戦闘体験なのだとエンは考えていた。
しかし、ヨシノの懸念はそれだけではなかった。案件を受けるにあたって、ヨシノとエンにはもっと根本的な課題がある。
「あの……標的は六人とあるけど、こちらは他に誰を誘うの?」
「え? 俺たち二人でやるつもりだけど」
エンが平然と言い放った。二人ということは単純計算で、一人あたり三人の敵を相手にしなければならない。ヨシノは慌てた。
「な!? 私なんかと二人だけでなんて、そんなの無謀だよ」
「じゃあ、ヨシノには誘う人のアテはあるのかい?」
「……無いです」
「うん、俺も無い。だから二人で行くんだよ。それに二人で分けると考えると、成功すればなかなかの報酬額だろ?」
明らかに乗り気でないヨシノの背を押して、エンは契約の手続きを行った。また、十津の里では報酬額の中から事前に準備金を前借りできるという制度がある。エンはこれを利用すべく、作戦において薬や縄が必要であると申告して準備金を手に入れた。もちろんお仕事に失敗すれば、借金してでも返還せねばならない銭である。
「あんなに前借りして、何を買うの?」
「荒っぽい連中を二人で倒そうってんだ。色々と準備はしておかないとね」
そんな軽い調子で挑もうとするエンを訝しみつつ、ヨシノは買い物について回るのだった。
出発の日となった。木々の葉が朱や橙に色を変えていた。まるで大和の山々の全ての色が変わったかのように、どちらを向いても鮮やかな色彩に覆われていた。
エンとヨシノは多牧村へ向かって歩き出した。日光に照らされた紅葉の道は、まるで明るく輝く回廊だった。通り慣れたいつもの道も毎年この季節だけは、まるで見知らぬ道のような新鮮さを感じながら歩くことが出来るという。実際、今回のエンにとっては初めて通る不慣れな道でもあるのだが。ともあれ、大和に土地勘の無いエンは、ヨシノに導かれてあとをついて行くだけだった。
目指す多牧村は、地図上の位置では十津の里からそう遠くはない。しかし山の多い地形というのは、目的地まで真っ直ぐ進むことができない。迂回するように道が敷かれているため、到着には数日を要することとなる。その道中は坂に次ぐ坂だった。
人間にとって美しき自然を愛でるといった文化的な感性は、心と体に余裕がある状態でこそ育まれるようで、山道を歩き続けて蓄積されてゆく疲労と反比例するように感動は薄れていった。
「ここを渡るのか?」
吊り橋だった。
「うん、そう。ここを渡れば、多牧村へはもう少しよ」
大和国という所は、とにかく吊り橋の多いところだった。ここまでも何度か渡ってきたが、いま目の前にある吊り橋は特に異常だった。とにかく高くて長い。そこに不安定な足場と、手で掴むための縄が一本渡してあるだけなのだ。
「渡る前から風で揺れてるんだけど、この橋は大丈夫なのか?」
エンは完全に腰が退けている。
「皆が使っている橋だから大丈夫だよ。ここを逃すとまた一日かけて山を回り込むことになるけど、嫌でしょ?」
そう言ってヨシノが先に渡り始める。あまり離れないようにして、エンもついて渡る。まさに崖から崖へと掛けてある橋だった。落ちれば確実に死ねる。
『怖くて下を覗けないが、探せばきっと死体の一つや二つは見えるんじゃないか?』
そんなことを考えながら、たどたどしい歩様でついてゆく。
「大和ってとこは、いったい誰がこんなに吊り橋を掛けてるんだい?」
「さあ、知らないわ。私が物心ついた頃にはどの吊り橋も在ったもの」
たわいのない話で気を紛らわせながら、生きた心地のしないその橋をなんとか渡りきることができた。時間は短縮されたが、精神も大きく削られた。帰りは絶対に迂回しようと強く心に誓う。へたり込むエンに、ヨシノは次の山を指さして言った。
「この山を越えれば多牧村だよ」




