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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第八章 【抜け忍】
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其の三 はみ出し者の集う家

 伊勢国で進路を西に向けてからというもの、上ったり下ったりを繰り返す地形は次第に高低差も大きくなってゆき、いつしか山越えが続くようになった。エンにはいつ大和国に入ったのかもよく分かっていない。


「これは美濃よりも山深いんじゃないか」


 これまで美濃が最も山の多い国であると思っていたエンだったが、この大和の山深さを目の当たりにして呆れるようにぼやいた。


「大和も北の方は平地が広がって栄えているのよ」


 チセはそう言うが、大和ではまだ坂と草木しか見ていないエンにはにわかに信じがたい。そんな大和の山中で、チセの案内する進路の様子が明らかに変わった。突然道を外れて茂みに入ったかと思えば、その先には獣道ではなく人の通れる道、またしばらく進むと茂みに入ってということを繰り返したのだ。


『里が近いのだな』エンは悟った。


 里の者だけが把握している順路なのだろう。そして最後に背の高さを越える草を掻き分けたとき、ついに眼前の視界が開けた。久しぶりに木の葉に邪魔されることなく空を見たような気がする。小さな田畑、その向こうには多数の建物が見えた。まだ姿は見えずとも、人の気配がある。里だ。


「お疲れさま。ここが十津の里よ」


 そう言ってチセが微笑んだ。



 チセに案内された場所は、里の中でも中心部からは随分と外れていた。そこに一軒家が建っている。チセは立て付けの悪くなった引き戸に手をかけ、力を込める。ガザガザと砂を引きずるような音を立てて戸が開いた。


「さあ、どうぞ入って」


 チセに促されるまま、エンは戸をくぐった。すると、家の中からも声がする。


「お帰りなさい。疲れたでし……!?」


 チセの家に何者かがいる。驚いたエンだったが、中にいた人の方が驚きは大きかったようだ。声が少し震えたものに変わる。


「だ、誰ですか? 何の用ですか?」


 その弱々しい声からも相手の警戒心が伝わってくる。そんな声の主にチセが話しかける。


「ただいまヨシノ。元気だった?」


「あぁ、チセ!」


 そこにチセがいると分かった途端、怯えた声が生気を取り戻した。暗い屋内でエンは目を凝らして声の主を見ると、そこにはエンとさして歳も変わらないような小柄な男が立っていた。チセの家に男が住んでいて、チセがただいまと挨拶をしているのだ。

 チセが語った彼女の体質の話、あれはチセが独り身であることと同義ではなかったのか。エンは、明らかにがっかりしている己を自覚する。


『俺は何を期待してたんだ?』


 浮かれて居候になろうとしていた自分が恥ずかしくなった。そして何よりも、夫婦の暮らす家に居候など身の置き場が無いではないか。エンはチセの方を振り返る。


「チセ、キミは所帯持ちだったのか?」


 思わず聞いてしまった。一瞬の沈黙となり、その間にチセはエンの言葉の意味を悟った。


「あはははは」


「なんで笑うんだよ」


 笑われて不満も露わなエンに、チセは笑顔のままたしなめる。


「あなた、あとで謝っときなよ。ヨシノは女なんだから」


「へっ?」


 エンは慌ててこの家の住人を見返す。そこにはヨシノと呼ばれた女子が少し落ち込んだように俯いて立っていた。



 夕刻、三人で囲炉裏を囲んだ。


「エンは住むところが無いから、しばらくウチで預かるわね」


 チセがそう切り出して事の経緯を語った。エンが住むところを失った理由を聞いて呆れたヨシノだったが、そのおかげでチセが助かったのだから馬鹿にもできない。


「ま、はみ出し者が三人だけど、協力していきましょうね」


 チセが笑顔でそんなことを言った。たしかにチセはその特殊な体質から毒蛾と呼ばれているし、エンは抜け忍の身だ。しかし三人ということは、どうやらはみ出し者にはヨシノも含まれているようだ。いったいどういう女子なのだろうかとエンはヨシノを見る。そんなエンの視線に気が付くとヨシノは慌てて俯いたが、やがて彼女は自分の事情を語り出した。


「わ…… 私はね、くノ一としてやっていけなかったの…… だから、今は外様の扱いで忍として登録しているの」


「とざま?」


 詳しく聞くと、ここ十津の里では生え抜きの忍を『譜代<ふだい>』、それ以外を『外様<とざま>』と呼んで厳格に人材の区別をしているのだという。さらに譜代の中では男性が忍、女性がくノ一と明確に区別され、養成所でも男女が共に学ぶことは無いのだそうだ。

 また十津の里では、労務局が里にとって重要であると判定した案件は、全て譜代の忍やくノ一にお仕事として斡旋する。逆に重要度が高くないと判別された案件は募集型の案件として貼り出されるので、外様の者でも名乗りを挙げて引き受けることができる。この辺りの制度から、「十津の里は外様に冷たい」と言われることが多いのだとか。

 女性のヨシノもかつてはくノ一を目指して養成所で学んでいた。しかし男とも女ともつかない容姿に色気を感じさせない体つき、何より引っ込み思案な性格から、この者には男を籠絡する資質が無いと見なされて教官に見限られた。いくら里の生え抜きであろうとも、くノ一となれなかった者が里の譜代としてお仕事を受けることは、この十津の里では許されない。ヨシノは外様の身分に落とされ、一般の忍として募集型の案件をこなしてゆくしかなくなったのだった。

 しかし、ヨシノの苦難はこれだけで終わらなかった。男性に混ざって一般の忍として任務を果たしてゆくには、技量も強さも足りていなかったのだ。養成所ではくノ一の手ほどきしか受けておらず、忍としてのお仕事では力が発揮できなかった。そして遂には周囲の男どもに「役立たず」と言われた。周りの忍に煙たがられてしまうと、なかなか割の良いお仕事にもありつくこともできず、今では唯一の理解者と言ってもよいチセに養われているという、肩身の狭い生活を送っているのだった。そんな説明を聞くかぎり、彼女もまごう事なきはみ出し者だろう。


 とはいえ、このヨシノの話の中には、よそ者のエンには理解できない部分もある。


「なぁ、そもそも忍とくノ一は何が違うんだ? 男と女ってだけで何でそこまで区別されているんだ?」


 そんなエンの疑問にはチセが答えた。


「くノ一のお仕事はね、男を籠絡することなのよ」


 十津の里出身のくノ一は、色香と体を駆使して標的となる男に取り入り、情報の取得から敵中工作、果ては暗殺までこなす。そのため、十津の里の養成所では男女は別の教育課程となり、女は男を攻め落とすための訓練を徹底的に指導されるのだという。これは、男女の別なく任務に当たっていた濃武の里とは大きな違いである。

 恐らくエンだけではなく世の多くの忍は、もしも自由を奪われて身体を蹂躙されるような事態ともなれば、その時には自ら死を選ぶかもしれない。ところがチセたち十津の里のくノ一たちは、目的のために身体を献げることがお仕事だというのだ。

 十津の里では、これらのことはごく当たり前の文化なのだろう。異文化の中で暮らしてきたエンにとっては複雑な気持ちが湧いてくるが、ここで同情したりするのはむしろ失礼にあたると察した。


「ま……まぁ、こうして頭数も増えたことだし、ヨシノのお仕事も力を合わせればさ、何とかなるだろう……知らんけど」


 自分から話しておいて、どんよりと気を落としているヨシノにエンがそんな適当な励ましの言葉をかけた。はみ出し者がはみ出し者に大丈夫などと根拠もなく言っているのだから、「そうだね」とは誰も言わなかった。


「久しぶりに我が家でこうして落ち着いていると眠くなっちゃった。あたしはそろそろ寝るわね。あっ……それと、明日は労務局へ帰還の報告に行ってくるから」


「俺も付いて行っていい?」


「あなたはまだ部外者だから労務局の外で待っててもらうことになるけど、それでよければその後に里の案内もするよ」


 エンも板張りの床の隅に転がって眠った。こうしてエンの大和での生活が始まった。



 一夜明けて残暑の日差しがまだまだ強い日、チセはエンを伴って労務局へと向かった。里の外れに建つチセの家の周囲はいかにも淋しかったが、里の中心へ向かって少し歩けば足下は次第に踏みしめられた堅い道になってゆき、人の姿も見かけるようになっていった。

 とはいえ、人を見かけはすれどもエンたちに話しかけてくる者や挨拶を交わそうとする者は一人もいなかった。それどころか、すれ違う人々は皆ちらりとエンたちを一瞥すると顔を背けて去っていくため、エンの側からも声をかけづらい雰囲気を出されてしまっている。どうもこの里は、見慣れぬ新参者にはあまり接しない風土なのかもしれない。


『果たして俺がここに馴染める日は来るのだろうか……』


 エンは心の中でそんなことを思った。見知らぬ土地で暮らし始める者は、少なからずそのような不安の一つも抱えるものだ。

 労務局へ入ってゆくチセを見送り、エンは一人になった。部外者=不審者であることをわきまえて単独ではあまり動き回らぬよう気をつけ、エンは労務局の塀にもたれてジッと待った。


『それにしてもこの里の人間は、新参の俺は避けるにしても、チセの顔くらいは知っているだろうに。だったら彼女とは挨拶くらいすればいいのに、何とも無愛想な連中だ』


 エンは腕を組んでそんなことを思った。まだ里に入って間もないながらも、どうにもこの里の者たちからは陰気なものを感じる。だが、エンがその陰気の正体を突き止めるのに月日は必要ではなかった。労務局での用を済ませたチセに連れられて里の散策をしてみると、すぐに実状を知ることになったのだ。

それはチセと共に立ち止まって休憩していたときのことだ。少し離れた所から一人の男がチセを見ていた。男は連れの者の袖を引き、チセの方を顎で指して会話をする。そんな離れた場所での会話でも、エンは得意の読唇術で男たちの発言を手に取るように読むことができた。


「おい、あそこに上玉の女子がおるぞ」


「あほう、お主はまだ日が浅いから知らんのだろうがな。ありゃあ毒蛾じゃぞ」


「あぁ……あれがあの毒蛾か。話には聞いていたがの」


 そんな会話をしながら物珍しそうな視線を向けてチセを観察し、遠巻きに距離をとるのだ。なにもこの男たちだけがそのような態度をとるわけではない。行き交う人々のほとんどは、チセを意識的に避けているように感じられた。


『なるほどな。これがチセの言っていた、彼女の身体の秘密を知った者は離れて奇異な目を向けるってやつか』


 エンにもこの里でのチセの立ち位置が見えてきた。くノ一としての実力に一目置かれているため迫害こそ受けないが、必要以上には誰も近寄らぬといったところか。そのことはチセも気は付いているが、気にしないように努めているのだろう。


 新しい土地に慣れるまでは、どうしてもそれまで慣れ親しんだ地と比べてしまう。すると往々にして、嫌なものが先に目に付いてしまう。この里の良い面がエンの目に映り始めるのは、もう少し先のことになりそうだ。

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