其の六 族の桟道
夜が明けた。夜間には見えなかった周囲の様子が露わとなってゆく。木々の間を縫うように、エンとユマは砦の方角へと進んで行った。
そのうちに林が途切れた。その先には草原が広がっている。山岳の多い美濃国では広い平地自体が珍しいといえるが、それでも関ヶ原と呼ばれる日ノ本でも有名な草原もこの美濃に存在しており、このような平地が全く存在しないわけではない。
なるほど、この草原を見渡せる位置の山に砦を造っておけば、たとえ領主が兵を繰り出してきたとしてもその動きが手に取るように分かるだろう。
「エンくん、あの山を見てください」
そう言ってユマが差した指の先は草原の向こう側、そこには周囲の山とは違って緑が少なく高さもない、まるで丘のような規模の岩山が在った。
「あの山が怪しいのか?」
「はい、あの山に何か建物のようなものが見えます」
エンは遠筒を取り出して覗いた。
どうやらその背後に在る緑の山の一角が岩も剥き出しに突き出ており、遠目に見るとそれがまるで一つの岩山のように見えているものだった。
そんな岩山のところどころに小屋のような建物が、まるで山肌に生えた茸のように点在している。戦闘それも籠城戦を想定する砦にしては、奇抜な見栄えである。
「へぇ、よくもあんな物を造ったもんだ」
これまでにエンが見てきたものとは異なり、武士の発想では思い付かないであろう奇妙な砦の形に感心しつつ、さらには裸眼であれを見つけたユマの視力にも感心した。
「とりあえず、近づいてみましょう」
ユマが率先して草原へと足を踏み出す。二人は見つかりやすい砦の正面を避けて、迂回するように草原を進んで砦へと近づいてゆく。
幸いにも草原を埋めつくす草の丈は長い。歩き辛いのが難点ではあるが、さほど背も高くない二人がが身をかがめて進めば、そうそう砦の敵から見つかるとは思えなかった。
二人は岩山の麓に到達した。改めて下から見上げてみると、岩山の草原側はもはや壁といってもよいほどに、ほぼ垂直に壁面のような山肌がそそり立っていた。
先ほど遠筒を通して見えた小屋は地に建っているのではなく、小屋の側面を貼り付けたように壁面にくっ付いている。そんな小屋が五つ、ぽつんぽつんと壁面に散らばるように造られていた。
では、それら小屋と小屋の移動はどのように行うのか。それは、木の足場を連ねることで、岩肌を人が歩いて移動するための桟道が造られていた。砦の山賊はこの桟道を通って、小屋から小屋へと壁面を移動できるようだ。
「なぁユマ、山賊ってのはそんなに身軽なのかい? あんな不安定な足場を行ったり来たりなんて、俺なら絶対にやりたくないんだけど……」
「私だって知りませんよ、山賊のことなんて。でも実際にああやって、落ちたら死ぬような場所に落ちやすそうな足場を作って住んでるんですから、そういう人たちなのでしょう」
壁面の下に階段が見えた。草原から砦の入口へと上る階段であるが、これも桟道と同じように、壁面に貼り付いた木の足場が階段状になったものだ。そして、余所者の侵入を妨げるためであろう、階段の上り口をぐるりと半円に囲むように、柵が立てられている。
エンは階段の先を目で追った。『く』の字に組まれた階段の先には、数十本の巨大な丸太を並べて壁に突き刺したような足場が、まるで草原を見渡す舞台のように構築されている。あくまで下から見た様子からの推測でしかないが、あの足場がこの砦の玄関口といえる場所なのだろう。
それにしても、不自然なほどに人の気配が無い。
柵の周囲や階段、丸太の足場から壁面の小屋まで、草原を見下ろせるどの場所にも見張りが居ないのだ。
「誰も居ないのでしょうか……」
「さすがにそんなことは無いんだろうけど、賊ってのはあまり警戒したり、交替で周辺を見張ったりなんてことはしないのかもな」
「そもそも、そのように真面目な人は賊にはならないのではないでしょうか」
そんなユマの指摘はもっともだが、これまでは領主や大名が率いるような正規の軍による守備しか見てこなかったためだろうか、エンにはこの山賊の薄い警戒態勢が酷くずさんに見えてしまう。
二人は柵を乗り越えると、悠々と階段の下にまで到達する。
「思いきって上ってみませんか?」
いくら何でも砦がもぬけの空だとは考えられないが、たしかに警戒の薄い今のうちに少しでも砦の様子を知っておきたい気持ちはある。
「分かった。では、あの丸太の足場の様子が見える所まで上ってみよう」
足を踏み外さないように気を配って上りながらも、エンは壁面にくっ付いているように見えるこの木の階段を観察していた。すると途中、明らかに階段の一段が欠落しているカ所があり、そこは壁に穴だけが開いていたのだ。どうやらこれら階段の一つ一つは、まず岩壁に穴を開け、そこに木を突き刺して足場としていることが見て取れた。おそらく上の丸太を並べて造られている広い舞台のような足場も、壁に張り付いているように見える小屋たちも同じような原理で造られているのだろう。
高い場所まで上ってきた。簡易に造られた階段には手すりも無く、足場の隙間から覗く地面が恐怖を誘う。ユマは壁面とは反対側の景色を見た。空の大部分を青が占める穏やかな陽気。草原全体が見渡せて、エンたちが野宿していたあの林までも一望出来る。今日の風は少し強く、草原の伸びた草がまるで緑の海の波のように揺らいでいる。
エンとユマは音を立てぬように気を配りつつ、丸太の舞台の手前まで階段を上った。二人はそっと頭を上げて、丸太の上を覗いてみる。そこは横幅にして約二十歩分、四十本ほど並べた太い丸太を壁面に突き刺すことで広い足場を造り出していた。
「あっ、人がいますよ」
そんな丸太の広場の中央で、三人の男が干し肉のような物を食いながら談笑していた。二人は座り、一人は片肘をついて寝転びながらクチャクチャと干し肉を噛んでいる。そんな山賊たちの様子を見てユマが呟く。
「人間というものは山賊のような狼藉者に身を落としてしまうと、親から教えられてきた行儀なんかも地に落ちるのですね」
「俺なんかは山賊らしいガサツさだなって程度にしか思わなかったが、サラッと手厳しいことを言うね、ユマは。……それより、奥を見てみろよ」
足場の丸太が刺さった壁に大きくくり抜かれたような大穴が掘られている。このくり抜かれた壁内と合わせれば、この舞台はかなり広い。情報としてここには二・三十人の山賊がいると聞いているが、この広さがあれば草原から迫る敵に対して、全員でここから迎撃もできそうだ。
「じゃあ、やりますよ」
そう言って袖の中をゴソゴソと探り出したユマの肩をエンが掴んで止めた。不思議そうに見つめるユマに、エンは一旦下におりるように促した。
二人は階段を下り、柵の外の草陰へと再び退避した。ユマが少し不満げにエンに問う。
「なぜ止めたのですか」
「だってお前、あそこにいた賊を毒か何かで殺そうとしてただろ。そういうやり方は良くないぞ」
「どうしてです?」
「正面に居る敵から順に殺して行くってのはな、現れる山賊を全員倒しながら進んで、奥の首領を殺しに行くやり方だ。そんなものは二人でやる戦法じゃない。それに、途中で外から賊の仲間が戻ってきたら、逃げ場も無く挟み撃ちに合ってしまうだろ? 」
エンの説得に少しがっかりした表情のユマ。彼女は正面から山賊を一掃するつもりだったのだろうか。そんな推測をしながらも、エンは続ける。
「それよりも、あのくり抜かれたような岩壁だ。あの奥にさらに通路が掘られているのが見えた。おそらく奴らは岩壁の中を掘りまくって、通路や居住空間を造っているとみた。それならば、別のやり方がある」
本来、洞窟には僅かながら空気の流れがあって、人は中で呼吸が出来る。しかし、洞窟内に仕切りなどを設けて居住空間を整備したり、まとまった人数の人間が居たりすると、空気が薄くなってしまい危険であるという。ということは、今回のようなそれなりの人数が出入りする山賊の砦ともなると、そんな空気の心配が出てくるはず。
だから、在るはずなのだ。この岩山の何処かに外からの空気を取り込むための通気口が。




