其の五 あぶない寄り道
「先輩、はやく里へ戻りましょう!」
暗くて表情が見えなくても、懇願するような目で訴えられているのが分かる。
「そうだな。残念だったけど、まぁ二人救えただけでも俺も来た甲斐があったよ」
「そうですよ。だからすぐに動きましょう」
隊長たちの訃報を聞いて、すっかり恐怖に支配されたチュウがエンを急かす。
「分かった、分かったから騒ぐなって」
とうとうエンの着物を引っ張りだしたチュウを落ち着かせようとしていると、先ほどから沈黙していたユマが ──
「嫌です!」
エンとチュウが固まる。だが、何を言い出したのかが分からない。
「「何が?」」
二人が口を揃えたようにユマに問い質した。話の流れから考えると、里に帰るのが嫌だと言ったように聞こえたが、そんなわけは無いだろう。
しばらく待っていると、少し声を詰まらせるようにユマが答えた。
「私は…… このまま帰るのは嫌です!」
「「はぁっ?」」
とくにチュウが慌ててユマを諭そうとする。
「ユマ、おまえ何を言い出すんだよ。 僕たちのお仕事はもう終わったじゃないか!」
「今回の私たちがやったことは、山賊の情報を聞くために、のこのこと山賊の仲間のところに行って殺されて帰ってきたっていう間抜けな失敗ですよ」
「でも……」
「私は…… 私の華麗な経歴が敗北から始まるなんて許せません」
チュウには反論ができない。しかし、ここにそのまま残ったからといって、華麗な経歴とやらが変わるわけでもない。エンはユマの真意を尋ねてみる。
「しかし、このまま残ってどうするつもりなんだい?」
「山賊の頭の首を獲ります」
── !?
「僕は嫌だぞ! そんなの死に行くようなものだ」
チュウが反射的に拒絶した。
「ならチュウは帰ればいい。山賊の砦へは私とエンくんで行きます」
「あれ? 俺は行く前提なの?」
「お姉ちゃんの暗殺もエンくんがお膳立てをしてくれたのだと聞いています。今日の庄屋の時だってそうでした。エンくんがいてくれるとやれそうな気がするんです。だからお願いです、もう一度だけ助けてくれませんか」
「もし、俺が駄目だと言ったらどうする?」
「諦めて帰ります」
私一人でも行きますと言わないあたり、ユマは強かな交渉を仕掛けてくる。
自分の一生の経歴に関わることだと訴えておいた上で、その成否はエンが共に行くことを了承するか次第だと決定を委ねたのだ。これで諦めさせたなら、この先ずっと言われかねない。
「分かったよ。まずはその賊の砦を見に行こう。それで隙が無ければ諦める、それでいいだろう?」
「はい!」
信じられないという目で見ているチュウ。だが、余計なことを言って自分まで誘われてはたまらないと黙っている。
「お前は先に里へ帰って、労務局に知らせるんだ。そして、その時にこれを渡せ」
エンとユマは懐から大量の紙を取り出してチュウに押し付けた。
「な……何です? これ」
「福徳村の庄屋の部屋にあった書類だよ。この中に村と賊が繋がっている証拠があるかもしれない」
「多いですね……」
「吟味して持ってくる暇が無かった。悪いが全部持って行ってくれ。頼んだぞ」
エンはそう言ってチュウを帰らせた。幸い今夜は丸い月が美濃の地を照らしていた。月明かりの下、少しでもこの地から離れてくれればと願う。
「さてと、俺は賊の居場所なんて知らないぞ」
「私も知りませんでしたが、村人の話ではあちらの方角の山に砦を造ったと言ってました……… あ!?」
「ん? どうした。お前も場所が分からなくなったのか?」
「いえ、違うんです。今日、村人の話を聞いた時に何だかおかしな感じがしたのですが、その違和感の正体が今になって解りました。山賊の事なのに、あの人は自分の話のように語ったんです」
もしもあの時、違和感の正体に気付けていたなら、こんな状況にはならなかったのだろうか。ふとそんなことを思ったユマだったが、考えるのはやめておいた。
街道からつかず離れず林を移動し、福徳村から距離を取ったところで野宿にする。まだ見ぬ砦を夜間に探すことはできないからだ。
エンとユマが火を焚いて腰を下ろす。ユマは朝から動き通しで気の休まる時が無かっただけに、流石に疲れたようだった。
「ユマ、眠る前に一つ教えてくれ」
「何ですか?」
「お前、養成所での成績は何番だったんだ?」
「え…… 成績ですか…… 首席ですが。それがどうかしたのですか?」
首席ということは一番である。ユマの経歴へのこだわりを聞いていて、エンは何となく気付いていたのだ。ユマは、やはりエリートだった。
「何でもないよ!」
「もしかして、機嫌が悪くなっていませんか?」
「そ……そんなことはない!」
「山賊に挑む緊張や命を落とすかもしれない寂しさ、それに責任感で気持ちがくしゃくしゃになってるんですよ、きっと」
単にエンのひがみなのだが、健気に慰めてくれるユマ。そんな焚き火の向こう側にいたユマが炎を回り込んでエンの方へと来る。
「ん、どうした?」
「だから今夜は、寂しくないように傍で寝てあげますよ」
そう言ってユマはエンの横に寝転ぶと、すぐに寝息を立てだした。
エンはしばらくユマの寝顔を見ていた。信頼されているのか、それとも何もされないと読み切られているのか、無防備に身体を横たえている。このユマに対して劣等感を抱く自分がより小さく思えてきたエンだった。
流石はくノ一、無意識に男を籠絡する術が身に付いているようだ。




