其の二 ユマとウチヤ
福徳村は美濃国の北寄りに在る村。
昼を過ぎた頃、濃武の里から派遣された五人の忍がこの地に集結していた。その構成は、引率役といってもよい中堅が二人に新人が三人であり、この新人の中にはタイの幼なじみウチヤとユナの妹のユマが含まれている。
「此度のお仕事は、養成所を終える者は誰もが通る、そうだな…… 実地の研修みたいなものだ。だからまぁ簡単な内容ではあるけれども、今後のためにも真剣に取り組むようにな」
隊長のカリヤはそう訓示すると、さっそく隊を二組に分けて村人への聞き込みを行うことにした。隊長のカリヤはユマとウチヤを連れ、副長のカギはもう一人の新人のチュウを連れて行動した。
山賊について尋ねられた、とある村人は言う。
「二年ほど前だったかな、あっちの方の山に住みついたんじゃよ。そこに流れ者がやって来ては段々と加わっていってな、ある程度の人数にまで増えたところで、街道を通る商人なんかを襲うようになったわけさ」
「…………」ユマが難しい表情で聞いている。
「今では山の岩肌に砦を造ってな、そこに暮らしておる」
そんなことを話してくれた村人にカリヤが礼を言って別れた。だが、賊が山に居着いたことや旅人を襲うことは、カリヤ達は事前に濃武の里で知らされていた話なので、賊の内情に繋がるような有益な新情報ではない。
「ねぇ隊長、何だか変な感じがありませんでしたか? さっきの話」
そんなことを言い出したのはユマだ。たしかにカリヤとウチヤが軽い気持ちで村人の話を聞いていた時も、ユマだけはジトッと相手の胸の内を見透かそうとするように睨みを利かせて聞いていた。
「変な感じ? どのへんがだ?」
「……分かりません。 何となくそう感じただけです」
「そうか、 私はとくに…… 違和感はなかったがな」
その後も何人かの村人をつかまえては山賊について尋ねてみるも──
「近くにあんな物が出来て、迷惑な話だよ……」
「あれのせいで村を通る人が減った」
「商人が来なくなって不便だね」
村人たちが語る内容はこんなところだった。これは賊の情報というよりも村の情報や村人の感想であって、カリヤ達が求めているものとはやはり違う。
ただ、村人たちから悲壮感は感じられない。村の様子を見ても平穏なもので、賊から直接の危害を加えられたりはしていないのだろう。
こうしてしばらく聞き込みを行い、再び村の入口にて副長のカギ達と合流した。お互いの組が持ち寄った情報を共有したのだが、ここでカギが意外な話を持ってきた。
それは、カリヤ達がこの村で山賊の調査を行っていることが村の庄屋の耳に入ったようで、庄屋からもてなしと情報共有を兼ねて、食事に招待されたというのだ。
「どうする?」と カギはカリヤに問う。
「断る理由が無いな。この村で一番事情に詳しい庄屋殿から話を聞けたなら、この村での調査は完了するのだしな。 ……よし、ウチヤとユマ、君たちはこれから庄屋殿の屋敷に行って招待をお受けすると伝えてきてくれ。丁寧にお礼も言うんだぞ」
そう言って雑用も新人のお仕事とばかりに、二人は送り出される。
村に不釣り合いな大きな屋敷、塀に囲まれて立派な門構えとなれば、町の武家屋敷の様相である。附近を山賊が活動する地域ともなれば、有事には村人が籠城できるように造られているのかもしれない。
そんな庄屋の屋敷にて、応対に出てきた使用人に用件を伝えたウチヤとユマ。その帰り──
「なぁユマ」
「何ですか」
「忍のお仕事にも色々と種類があるって習っただろ。キミはどんなお仕事で食っていきたいなんてこと、考えたりはしてるのかい?」
「私は伊達に道場の娘じゃないですからね。従軍支援でも専属でやって、稼がせてもらいましょうかね」
「そんな小さい体で戦をしようってのか?」
「甘っちょろいですね。戦いの勝敗というものは、体格だけでは決まらないのですよ。そう言うあなたはどうするのですか?」
「僕か…… まだ何も決めてなかったけど、ユマが戦場に行くのなら僕もそうしようかな。強気だけのキミじゃあ危なっかしいからね」
「あなたこそ戦闘に向いてないでしょ。養成所の格闘訓練であなたが勝ってるのを見たことないですもの」
ウチヤは心根が優しく、ユマの言う通りあまり戦闘には向いていなかった。殴る・斬るといった動きの際に、ほんの一瞬ながら躊躇が入ってしまうのだ。それは命のやりとりが発生する戦場では致命的な甘さでもある。
一方、ユマは実家の道場で格闘の基礎は叩き込まれている。それだけで既にウチヤよりも強いのだが、さらには暗器使いの天才なのだ。そんな自分より数段弱いウチヤがユマを護るというのが可笑しかった。
「んふふ……」
「何笑ってんだよ!」
勇気を出して遠回しながらもユマを護ると言ったのに、笑ってかわされたウチヤがムッとする。
以前から、ウチヤは秘かにユマに想いを寄せていた。『秘かに』という点については、ほぼ成功していたのだが、残念なことに唯一ユマ本人にだけ見透かされていた。
──── 日が暮れた。
約束通り、カリヤたち四人は庄屋の屋敷へと向かう。
四人だった。五人で福徳村へとやってきたカリヤ隊だが、忍の数が一人減っている。新人の一人であるチュウがそこには居なかった。
ただし、これは戦略的な話でも何でもない。それはつい先程のことだった。チュウが腹痛を訴えたのだ。
隊員からは、どこかの民家でチュウを休ませて貰おうという意見も出たが、隊長のカリヤがそれを許さなかった。本来であれば隠密行動を旨とする忍が、堂々と村人の家に上がり込んで迷惑をかけるなどありえないと考えたのだ。研修の意味合いが強いとはいえ此度は曲がりなりにも正式な忍のお仕事なのだから、今後へ向けての経験を積む必要性も考慮し、チュウには村の外での野宿を命じたのだった。
「ご馳走を前にして可哀相にな、チュウの奴」
「緊張したのでしょう。養成所でも行事の日には体調を崩す奴でしたから」
そんな本番に弱い男チュウの噂話に花を咲かせながら、彼らは庄屋の屋敷へと歩いた。
庄屋の屋敷では、広い座敷へと通された。
廊下を背にカリヤ達のために用意したのであろう五つの繕が並べられ、それと向かい合うように一つの繕が置かれている。
「ようこそおいでなさった。どうか座ってくつろいで下され」
そう言って現れたのが庄屋本人であろう。彼は向かい合うように一つ置かれた繕の前に座った。皆も勧めに応じて並んだ繕の前に座る。
すぐに酒が運ばれてきた。ユマを除く三人が酒を口に運び、今宵の酒宴が始まった。
「本日はなぜ我々をこのような酒宴にお招きくださったのですか?」
カリヤが今夜の招待の話を聞いて以来、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。これに庄屋は笑顔で応える。
「情報ですよ。あなた方も賊の情報を得るために村へ来られたのでしょう?」
「え…… えぇ…… まぁ」
「同じですよ。我々は外の情報が欲しい。賊の影響で村を通る人がめっきり減りましてね。外の世界の情勢にすっかり疎くなってしまいました」
庄屋は人の良さそうな柔らかい口調でそう語る。
そして単刀直入に質問を入れてきた。
「こうして賊の調査に来られたということは、ついに美濃の守護様が賊の討滅に動かれたと思ってよろしいのでしょうか?」
「いやいや庄屋様、我らを遣わした主はそこまでの大物では御座いません。せいぜい近隣の領主様くらいに思って下さい。しかもまだ周辺の情報収集という段階ですから」
「それは残念ですね。一刻も早く守護様には軍勢を指し向けられ、賊を滅ぼしていただきたいと願っておりますのに」
笑顔を絶やさぬままそんなことを言う庄屋は、なかなか腹の読めない人物であるようだ。その後も庄屋と隊長・副長が世間話も加えながらお互いの情報を交換してゆく。
そのうちに、ユマが隣に座るウチヤの異変に気付いた。
「ちょっとウチヤ、あなた顔が青いですよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫もなにも…… 僕は何ともない……」
気持ち悪そうにそう答えるウチヤの顔をユマがじっと見る。
「あなた本当はお酒、飲めないのに無理したのではないですか?」
「酒くらい飲めるよ! たまたま今日はちょっと…… 気持ち悪いだけさ……」
「こういうのって好き嫌いだとか体質の問題なのですから、無理に背伸びして大人のまねをすることはないと思いますよ。それに── 」
「それに?」
「それに、別にお酒を飲める人が好みというわけでもないですよ、私」
「な、ななななに言ってんだよキミは!? ぼ、僕はそんなつもりで………」
思わずウチヤが大きい声を出した。これを隊長のカリヤが叱る。
「おい、そこ! 何を騒いでんだ」
「隊長、ウチヤの顔が青いです」
「何だお前、悪酔いして騒いでたのか。ちょっと廊下に出て、酔いと頭を冷やしてこい」
「ハァ──」座敷を追い出されたウチヤは縁側に座ると、永く深いため息をついた。ユマにいいところを見せようとして、そのユマにたしなめられた。
「情けない…… ユマの言うとおりだ……」
ユマは見た目にまだ幼さの残る少女である。そんなユマと同い年なのだから、他人から見れば自分にも幼さが残っているのかもしれない。そんな子供が大人と対等に見せようと背伸びしたのを見透かされたのだろう。
ウチヤはまたため息をついてうな垂れた。
座敷では、新たな酒が運ばれてきた。
情報交換については、もはや聞きたいことはお互いに話し終えていたが、せっかくなのでゆっくり楽しんでいって下さいと庄屋が改めてもてなしたのだ。
給仕の者がカリヤ達に酒を注いで回る。最後にユマの繕に置かれた猪口にも酒が注がれた。ユマは酒は飲まないが、断るのも失礼に当たるのかもしれないと、注がれるに任せた。
酒の臭いがした。あのツンとくる臭いがまだ好きにはなれなかった。しかし、ユマはその臭いに違和感を感じた。ユマだけがその違和感に気付けたのは、彼女が暗器使いだからだ。
── 毒の臭い?
酒の香りと混ざって微かにしか感じられないが、ユマはこの臭いを知っていた。暗器使いの先輩のマチコから扱いを教えられた毒の一つ、痺れさせたり眠らせるものではない、相手を殺すための毒。
「隊長、このお酒はあやし ──!?」
ユマが先輩たちに危険を知らせようとするのと、その先輩たちが猪口を落として苦しみ出すのは同時だった。
異常事態。
ユマは咄嗟に片手を着物の袖の中に入れて武器を探りつつ、周囲の警戒に入る。上役がやられたことへの動揺や仲間を失う感傷に囚われずに戦闘への嗅覚が働く、この辺りが普通の少女とは異なるユマの格闘センスである。
庄屋は座ったままこちらの様子を見ている。その顔に笑顔が消えていないところが恐ろしい。そして、庄屋の傍にもう一人男がいる。毒酒を運んできた給仕の者だ。
酒を飲んだ二人が苦しみ出して自由に動けなくなったのを見計らって、この給仕の者は懐から鎌を取り出した。ユマが酒を飲まないことを見越して、他の者に毒が効いた段階で直接ユマを殺害する手筈なのだろう。
給仕の男は鎌を振りかぶり、真っ直ぐユマへ襲い掛かった。しかし、この少女は動じない。ユマは口に隠したふくみ針を吹き出すと襲い来る男の目に命中させた。
「があぁぁぁ」痛みに思わず目を押さえながら迫ってくる男をユマがひょいと避けると、視界を奪われた男は勢い余って障子に突っ込んだ。
驚いたのは廊下で頭を冷やしていたウチヤである。突然、斜め後ろの障子と共に男が廊下に倒れ込んできたのだから。
続いてユマが廊下へ出てくる。
「は? えっ? 何なの?」
廊下に倒れ込んでいた給仕の男が立ち上がる。暗器で潰されていない方の目を何とか開けて、再び鎌を構えようとするも、躊躇なく小太刀を突き出したユマに喉を刺され、男は中庭へと転げ落ちた。
「ほら、動かないと死んじゃいますよ。さぁさぁ早く立って!」
ユマは呆然と見つめるウチヤの手を引いて立たせ、廊下を走り出した。走りながらウチヤに状況を教える。
「隊長と副長が殺されました。お酒に毒が盛られていたのです」
「えっ、 酒に毒!?」
驚いたウチヤは自分の喉の辺りを触る。
「あなたは大丈夫、たぶん後で運ばれてきたお酒に毒が入れられてたのです」
「そうか…… でも何で……」
「そんなことは知りません! でも、とにかく逃げないと殺されます」
廊下が交差する場所に出た。豪華さはまったくないが、村の庄屋の屋敷にしてはとても広い。
「どこかに隠れた方がいいんじゃないかな?」
「待ってください。屋敷の中で隠れても、家捜しされて終わりです。できれば屋敷の外に出てから隠れたいのですが」
その時だ、一方の廊下の向こうに人が現れた。
── 見つかった
ウチヤがマズいと思ったのと同時に左からも「いたぞ!」と叫び声が聞こえた。
ここで二方から挟まれたのではひとたまりも無い、とはいえ広間の方へ戻るわけにもいかない。ユマは、残る一方の廊下を少しだけ進むと、振り返って小太刀を抜いた。驚いたウチヤが尋ねる。
「おいユマ、何やってるんだ!」
「私がここで敵をしばらく止めます。ウチヤは逃げてください」
ユマのそんな提案に素直にうんと言えるわけがない。ウチヤはユマの手を掴んで反論する。
「何を言ってるんだ、キミを盾にして僕だけ逃げるわけがないだろう」
「でも、あなたよりワタシがの方が強いです。なので、私が食い止める方が合理的です」
「今日言ったばかりだろ! 僕がキミを護るんだって」
「でも……」
「もし僕がキミを護るって信念を違えるだけでなく、キミを犠牲にして生き残ってしまったなら、きっと僕は後悔に押し潰されて、その先まともな人生なんて送れやしないんだ」
まさに鬼気せまる形相でそう訴えるウチヤを説得する言葉が見つからない。それでも困ったように立ち尽くすユマの腕をウチヤは後方にぐいっと引き、さらに強く突き飛ばした。
「ここで敵を止めるのは僕だ。ユマ、頼むから逃げて生きてくれ!」
ここで留まって戦えば、敵を引きつけて時間を稼ぐ代わりにウチヤは確実に死ぬだろう。それが分かっているだけにユマは決断ができないのだ。
しかしもう猶予は無い。敵が来れば各個撃破されて皆死ぬだけだ。せめてウチヤのこの覚悟にだけは報いてあげるべきなのかもしれない。
「分かりました。ありがとう…… ウチヤ」
ユマはウチヤに背を向けて走り出した。廊下の角を左へ曲がり、ウチヤへ迫っていった敵が最初に現れた方へ回り込んでゆく。敵がウチヤの方へ動いて居なくなったのならば、敵が元いた場所が安全であるという理屈だ。とにかく一旦はそこを目指す。
庭に降りて走る方が見つかりにくいのだが足跡が残る。なので危度険は高いが廊下を走った。そして目的の場所に到達して初めて、ユマは軒下の暗がりへと跳び込んだ。
ふぅ─っと息をつく。ウチヤが敵を引きつけてくれたおかげで上手く死角に潜り込めた。ここならしばらくは見つからない ─── そう思ったユマの肩が何者かに掴まれた。
── !?
心臓が飛び出そうになる程の驚きに襲われながらも、ユマが振り向きながら相手の顔の位置に向けてふくみ針を放ったのと、「ユマだね」という声を聞いたのは同時だった。
『え── 知り合い?』
思わず暗器を使用してしまったことに慌てるユマだったが、ふくみ針は全て目の前の板に刺さっていた。
「暗器使いの動きは想定済みさ」
そう言って板の向こうから男が顔を見せた。その声には聞き覚えがあった。そう、昨日はじめて聞いた声だが忘れはしない。
「エン……くん?」
「やあ、迎えに来たよ」




