其の一 おうちに帰るまでがお仕事です
春である。
どこの忍が言ったのか、春は新生活のお手伝いの季節なのだという。それというのも、春は各地の富豪の親族らが婚姻・独立して新居を構える季節であり、彼らのように家が大きく物も多いと転居にもそれなりに人手がかかるのである。しかし、そこは資金豊富な富裕層のこと、ある時、足らない人手は忍を雇って埋めるという方法を思い付いた者が現れると、「これなら簡単」とばかりに他所の金持ちもそれに倣いだしたのだ。
世間のこういった流れを受けると、命に関わらない肉体労働ということで忍業界側もこれを歓迎。他でもない濃武の里でも近年では「富裕層でなくとも利用できるように」なんてうたい文句で、【新居の補修・掃除・引っ越しの三点をお手伝いする忍二名の派遣】を季節限定の格安セットとして売り出していた。
この日のエンとタイも、そんな引っ越しの手伝いを終えて、濃武の里へと帰里中であった。
単純な肉体労働というのは、終えた後に妙な充実感を覚えるらしい。二人は心地の良い労働の疲れを感じながら歩いていた。ただ、こういうお仕事をやっていると、忍というものが『何でも屋』なのだなとつくづく思うのだった。
さて、そんな心地良い疲労と共に味わう酒を求め、西への道を急ぐエンたち。すると、二人が進む街道の先から、逆にこちらへと向かって歩いてくる二つの人影が見えてきた。やがてその容姿を視認できる程に距離が詰まってくると、それら二人はまだ若い男女であることが判った。
『忍なのだろうけど、あまり変装が上手くないな』
いまいちコンセプトの定まらない旅装でしかも男女二人、【かけおち】を表現していると言われれば納得感もあるが、そんな悪目立ちする変装をする忍はいない。
エンがそんな感想を抱いた時、隣を歩くタイも近づく男女を観察していたのだろう。タイは意外なことを言った。
「あっ、あれはウチの里の忍だ」
「ふぅん、まだ若いな。知ってる奴なのか?」
「ああ、実家のご近所さんってやつさ。里の養成所へ通ってたはずだが」
別任務で行動中の忍同士は、お互いの距離が近くても無視してやり過ごすことが多いものだ。しかし、タイはこの若い男の忍に声をかけた。おかげでエンはタイが立ち話をしているその間、傍の道端で待つ羽目となった。
そんなエンと同じように道端にたたずむ人がいる。それはタイのご近所さんが連れていたくノ一だった。彼女はしばらくエンを観察していたが、意を決したように声をかけた。
「あの…… もしかしてエンくんではないですか?」
── !?
タイのご近所さんが養成所を終了したばかりの新人であるならば、おそらくこの子もその同期なのではないか。目の前のくノ一は、それくらいにまだ子供に見える。そして、少なくともエンの記憶の中に存在する顔ではなかった。
「すみません、お顔を覚えていなくて。何所かでお会いしましたっけ?」
「ふふっ、本当にとぼけた人なのですね。マチコさんの言ってた通りだ。私、遊好館の娘のユマです」
「ああ……」そう言いながらもエンは考える。遊好館に娘は九人いるのだ。こうも幼く見えながらも「エンくん」と呼ぶくらいなので、実はユナよりも年上の姉なのだろうか。
そんなエンの迷いを察したのだろうか、ユマは積極的に話す。
「あなたを見ていると、マチコさんやユナお姉ちゃんから聞いていたエンくんの特徴と似ていたもので……。だから、会ったのは初めてですよ」
ユナお姉ちゃんということはその妹ということだ。そういえば以前、確かにマチコが言っていた。ユナの妹に暗器使いの天才がいると。それにしても──
「何でエンくんなんだ?」
「お姉ちゃんがいつも「エンくん」と言っていたもので、私の中でもエンくんはエンくんになりました。……ダメでしたか?」
「いや……… べつにダメじゃないけど……」
「良かった」そう言ってニコリと笑うユマには、九姉妹共通の整った顔立ちに、ユナをひと回り小さくしたような可愛らしさがあった。
「エン、待たせたな」
ここで、タイの話が終わったようだった。
ユマと少年は改めて任地へと向かって歩き去っていった。
──── 日が暮れた
エンとタイは日暮れ前に辿り着いた町で酒場を探し、労働後の至福を楽しんでいた。タイもその大きな身体に似合って、酒には強い方だ。
近くの卓にも客はいた。特に行商人風の男が座る隣の卓からは、彼らの世間話がその大きな声に乗ってエンたちにも聞こえてきた。永らく物価相場の話をしていた行商人だったが、いつしか美濃の治安の話題に変わっていた。
「最近、山賊や盗賊の類が増えてよう、たまんねぇだろ?」
「まったくさ。確かに関所を撤廃してくれたおかげで物資や人の移動が盛んになったのはありがてえよ。でもな、賊までがこうも活発に動き出したんじゃあな……」
「そうよ、その賊のことでオレも昨日、肝を冷やしたことがあってな──」
岐阜のお殿様の改革により、美濃ではほとんどの関所が撤廃された。それにより旅人や商人の出入りが自由になり、物や情報の流通が活発になった。しかし、その副作用として山賊・盗賊の類が増えたのだという。
流通が増えれば人々の暮らしは豊かになる筈だなのが、悪い奴はいるもので、その流通を横からかっさらう賊に身を落とす者も増えたのだ。
行商人の話はそこで終わらない。
「先日おいら福徳村って所に行ったのよ。たまたま近くに寄った時にさ、付近に山賊が出るせいで福徳村には人が寄り付かなくなったって聞いたもんでよ。それなら色々と売れるかなぁと思ってさ」
「へぇ」
「しかしよ、おいらは副業で人の人相も見るんだ。それで気付いたんだがよ、あそこは村人がみな賊なんだよ」
「ん? そりゃどういうことだ?」
「たぶんだがな、あそこは村自体が山賊と繋がっているのよ。グルなのさ」
「何だよそれ! おっかねぇなぁ」
「だろ? おいらもこれはヤベえと思ってな、気付かねぇふりをして、そそくさと逃げてきたのさ」
エンたちも何となくその話に興味を持って、酒の肴に聞き耳を立てていたのだが、話の中に「福徳村」というその村の名を聞いた瞬間、タイの顔色が変わった。それは先ほど街道ですれ違った新人の二人が向かった先だったからだ。
「ウチヤが……」
「ウチヤ?」
突然タイが発した聞き慣れない言葉に、エンは思わず聞き返した。
「さっき街道ですれ違ったあの新人の名前さ。アイツらの任務のこと、おまえ聞いたか?」
「いや、新人向けの簡単なお仕事なんだろうとは想像していたけど、わざわざ内容までは聞いていない」
「そうか…… いま隣の席の話が聞こえただろう。ウチヤたちの任務は、その山賊の情報集めのために付近の村へと聞き込みに行くことなんだ」
── !?
恐らくあの二人、そしてどこかで合流するのであろう他の忍も、簡単な聞き込みのお仕事と考えて向かっていることだろう。引率する忍は、果たして状況を見破り脱する技能を備えているか。
「エン、俺はウチヤを助けにゆく」
タイがエンに告げた。
しかしエンは ──
「いや、駄目だな」
「なんだと……」
男気ある自らの決意を即答で却下されてカッとなったのか、温厚なタイがその細い目を見開き、声も大きくなる。
「ウチヤは俺の弟分だ!」
「それを言うならユマは俺の妹分だよ。それにお前、相手は賊だってのに戦えるのか? 今まで潜伏調査くらいしかやってきてないんだろ? ならば、これまで暗殺や虎級殺しをやってきた俺が向かった方が、あいつらを救える確率は高い」
「おまえ…… そんなことをやっていたのか。あのエンが…… 変わったな。 そうか、それで猿級か……」
暗殺や虎級殺し。単語でのみ聞くと、とてつもない実績である。少なくともこれまで潜伏調査で身を立ててきたタイには衝撃的な話であった。タイの知るエンはどちらかというと危ないことには手を出さず、小銭をコツコツと積み上げるタイプの忍だったはずなのに。
「まったくだよ。危ないことは俺の性に合わないんだけど、それでも何度もやってると少しは慣れてくるんだな、これが。だから危ない所に行くのは俺だ。お前は上級者の俺の言うことを聞いて、この事を里に知らせろ」
エンはタイをそう説得すると、次は隣席の行商人に話しかける。
「おいあんた、さっき言ってた福徳村って何所にあるんだ? 教えてくれ」
「あぁ? 何だおめぇは。村の場所だと? ……ふふん、他人様からただで情報を貰おうってのかい?」
「ふんっ、足許見やがって…… これで頼むよ」
そう言って卓の上に、酒なら二・三杯は飲める程度の銭を置いた。
「何でぇ…… これっぽっちで貴重な情報を聞き出そうとはお兄さん、ちと図々しいんじゃないかい?」
エンはパーに開いた手の甲を男の目の前に出すと、サッと袖の中にその手を入れた。すると次にその袖からは手ではなく二本のクナイの切っ先が頭を出す。そんな切っ先をチラつかせながら、エンは商人と交渉を続ける。
「調子に乗って吹っかけてんじゃねぇよ、おっさん。俺は急いでんだ、さっさと話して酒でも飲みな」
こうして福徳村の場所を聞き出したエンは酒場を後にした。
それは、永い残業の始まりであった。




