其の拾 悲しみの数だけ強くもならず
「うぅ…… さぶっ」
冷たい風に落ち葉が舞う、近く冬の到来を予感させる物悲しい秋の日、エンはふらりと遊好館道場へとやって来た。
覇気のない足どりが気配を消すかの如く作用して、エンの存在に気付く者は少ない。それこそは忍の極意であるのかもしれないが、当の本人が自ら極意を体現していることに気付いていない。ただ呆けているだけなのだから。
エンはマチコに近い壁ぎわに、膝を抱えて座った。
そんなエンの様子に残念なものを見るように、マチコが声をかける。
「キミは外の世界で大きくなって帰ってくるかと思ったら、いつも腑抜けて戻ってくるね」
「腑抜けたとは失礼な。また一つ悲しみを背負って帰ってきたんだよ」
エンは膝を抱えて座ったまま、ぼんやりと道場を見回した。
アゲハやユナたち数人の門下生が立ち話に花を咲かせている。その他にもあちらこちらに人は居て、今日は道場に人が多いように見える。
すると、アゲハたち一団もエンが道場に来ていることに気付いたようで、エンの傍へと寄ってきた。
「それで? 今回の旅では剣で勝つことはできたのかい?」
『剣で勝つ』それが旅の前にエンが皆へ熱く語った望み。そんなエンの目標を憶えていて、こうして成果を聞きに来てくれる先輩たち。残念な結果ではあったが、ここには自分を気にかけて笑顔で接してくれる仲間がいる。
マチコとは違い、このお姉様たちならば、悩めるエンを優しく包み込んでくれるに違いない。
「剣で勝つことはできなかった。……てか、剣で斬り掛かったら、剣が折れた……」
そんなエンの報告を聞いて、女たちは顔を見合わせる………… そして、一斉に笑い出した。
「あはははっ ぜんぜん駄目じゃないの」
「わたしとの稽古を避けてるようだから、強くなれないんだよ」
女たちが口々に辛辣な感想を述べる。
そして終いには──
「エンはまだまだ弱いねぇ。そんなエンが次回こそ宿願を遂げられるよう、私が稽古をつけてあげよう」
「いいねぇ、それじゃあワタシも」
「アタシも」
── えっ あれ?
女子たちは何やら楽しそうに話し合いを始めている。女子たちからの甘い言葉を期待したことが間違いであったとエンも気付く。
『ここの女子たちには母性が無いのか…… あいつら、俺をなぐさめるどころか、俺を叩きのめす順番を相談してやがる……』
やがて順番が決まったのか、模造薙刀を手にしたシカが進み出る。
「さぁエン、私からいくよ!」
シカは薙刀を使う女中組の中でも最も腕が立つといわれる。そんなシカがエンの気も知らず、「さぁ来い!」と気合いをぶつけてくるのだ。
いつの間にか道場の中央に押し出されたエンも
「この薄情者め、お前らの歪んだ心など俺が叩き直してやる!」
エンは真っ直ぐ突っ込んだ。対処しやすい直線的な動き。シカは長い薙刀の先でエンがこれから振り下ろそうとする剣を押さえて制すると、ガラ空きとなった腹に蹴りを入れた。
腹を押さえるエンの目に、痛みと悔しさと悲しさで涙が溢れてくる。
「くそぉぉぉ!」
涙を拭うこともなく、エンが再び突っ込んでゆく。
「おーい、エンが泣きながらかかってくるぞ。面白いぞー」
稽古を見守る誰かがそんなことを言うと、遠巻きに囲って見物する門下生が増えていった。
館長のユデだけが、同じ男として気持ちを理解できたのかもしれない。ユデはこの様子を見ながら、エンを不憫に思った。
『強くなれエン。武を志す女子は、弱き者への母性より、強き者への憧れが勝るものなのだ……』
このあと身も心も打ちのめされたエンを館長席の傍へと呼ぶと、茶を振る舞って落ち着かせようとしたのだった。
『剣を折られたことを話してしまったのは失敗だった。しかし、魔王を倒して勇者などと呼ばれてしまった件、ここまでは言わなくてほんとうに良かった…… これ以上馬鹿にれたんじゃたまったものではないものな。俺の心の中の経歴書にのみ、【魔王殺し】の実績を書き加えておこう』
茶をすすりながら、そんなことを考えていた時だった。何者かが道場の入口から場内を見回す。そしてエンを見つけると、ひらひらと手を振ってくる。
「ほんとうに女子ばかりなんじゃな。 ………お、いたいた!? おい、勇者さま! ここだ!」
ぶほっっ
エンは思わず茶を噴き出した。
「な!? サクか! おい、やめろ!」
周囲がザワつく。
ユデが珍しいものを見るように、傍のエンに問うた。
「サクというのか。あの者はお主の友か? 侍に見えるが」
「呼びやすくサクって呼んでるだけです。本名は安田作兵衛だったかな。先のお仕事で知り合ったんですよ。
すみません先生、今日はこれにて失礼させていただきます」
そう言ってエンは、突然の客がこれ以上余計なことを言う前にサクの手を引いて道場をあとにした。
翌々日、エンが道場に顔を出すと、多くの女子から「先日の男は何者か?」とたずねられた。
何ゆえここの女子は、道場唯一の伸び盛り男子には見向きもせず、ほんのひと時のみ顔を出した、がさつな男に気を引かれるのか……
こうしてまた、エンは些細な悲しみを背負い続けてゆくのだった。
第六章 ── 完 ──




