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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第六章 【焼き討ち】
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其の九  比叡山

 横川と呼ばれる比叡山の二ノ丸。攻撃を担当する羽柴隊は、麓から横川へと続く小道が存在することも突き止めていた。

 小道の入口を囲むように展開する羽柴隊を避けるように、エンたちは道なき道へと踏み込んで、山中へと入ってゆく。


 草木をかき分け、時には這うように急斜面を登るこの出鱈目なルートは獣も通らない場所かもしれない、しかも、夜間の見通しの悪さが重なることで進むのは難渋する。忍にはこのような移動にも多少のたしなみがあるのだが、全く慣れていないサクは辛そうに着いて来ている。

 そんなサクを励ますようにカンが声をかける。


「いつの日か、落ち武者狩りから逃げ切る訓練だと思って、頑張りましょう」


「おいコラ、誰が落ち武者じゃ、縁起でもないことを言うな!」


 カンの前向きな提言にも、サクは声を荒げるだけだ。すかさずエンがフォロー。


「こいつらエリートだから、挫折した人間の気持ちが解らないんだよ。でも安心しろサク、俺はお前の味方だぞ」


「おい、シバくぞ! 誰も挫折なんかしてねえ。てめぇが一番、人の気持ちを解ってねぇわ!」


 夜の山は余計に気を遣い、神経と体力を削られる。

 疲労の濃いサクにチョウも休息を提案したが、サクは止まろうとしなかった。


「いや、後ろに控えているのは羽柴隊だ。奴らは以前、岐阜城を攻めるのに稲葉山の急斜面を鎧を着て登ったらしい。もしも今、戦が始まったら、そんな羽柴隊に追いつかれちまう。俺は…… 負けたくない」


 彼なりの意地があるらしい。

 そうして登り続けるうちに、斜面の先に空が見えた。夜は枝葉で覆い隠される木々の下よりも空の下の方が明るい。そんな空の方へと登ってゆくと、柵が見えてきた。

 四人は柵の傍まで近づくと、草に伏せて柵の中の様子を覗った。

 建物がいくつも見える。山の中腹を切り拓いて村が形成されていた。ここが横川で間違いないだろう。

 そこは比較的穏やかなこの辺りの地形を利用した集落で、タチバナはここを二ノ丸と表現していたが、僧侶たちの居住区と言った方が正確に思える。


「着いたみたいですけど、どうします?」


 周囲はまだ暗い。麓を囲む軍勢は、日の出と共に総攻撃を開始するとも聞いている。


「そうだな…… 夜が明けてからじゃあ目立っちまうし、今のうちにこの柵の中に入っておこうか。で、物陰にでも潜んで、火種を作りながら夜明けを待つとしよう」


 四人は闇に紛れて柵を越え、横川へと潜入する。そして、二つの人気の無い棟を見つけると、その間に身を隠した。


「事ここに至っては、坊主どもも叡山に敵が迫っていることは知っているでしょうに、静かなものですね」


「その敵が本当に聖地にまでは踏み込んで来ないと高をくくっているんでしょう」


 この横川とは異なって根本中堂には僧兵の多くが集まり、既に騒然としているのだが、エンたちはそれを知らない。横川しか見ていない彼らには、僧侶がいかにも能天気に映った。



 夜が明けるまでエンはカンとチョウに近況でも聞いて過ごそうと考えていたが、この二人の忍は侍のサクに興味を抱いていた。

 里のエリートに質問攻めにされては、サクが面倒くさそうに答える。そんなことを繰り返しているうちに東の空がぼんやりと白んできた。


「攻撃の開始が近い。そろそろ火の準備をしておこう」


「そういうのは得意そうな忍に任せておいて、儂は辺りの様子を見てくるわ」


 そう言ってサクが立ち上がる。


「おいおい、敵地の中だぞ。ウロウロするのは危険じゃないか?」


「いや、味方の攻撃が始まる前の方が、人が少なくて良い。後で何処ぞに火を点けるにしても、少し明るくなってきた今のうちに下見をしておくべきだろう」


 そう言うとサクは、さっさと歩いて行ってしまった。



 延暦寺の僧侶の慈雲は、美濃勢の攻撃開始は夜が明けてからであると読んでいた。

 もし敵が延暦寺に勝つつもりで戦を挑むのであれば、闇に紛れて多くの僧に逃げられる夜ではなく、明るい朝に戦端を開くはずだ。自分なら当然そうするというのが、この推測の根拠なのだが。

 そう決めつけてしまうと、慈雲は割り切った行動をとる。夜のうちから来ない敵を根本中堂で待ち構えたりはせず、夜明け前までは横川でゆっくり休み、朝までに根本中堂へと向かうように計画したのである。


 夜明け前に宿所を出た慈雲は、従者のステマルを伴って根本中堂への道を歩き始める。しかし、すぐに慈雲は不穏な気配を感じて足を止めた。

 気配…… いや、それは違和感といった程度のもの。戦を前にした尖った感覚でしか察せられなかっただろう。


「ステマル、何か気にならんか?」


「は? 何かって何です?」


「んん・・何かは何かや!」


 なかなか言葉に表すのが難しい、感覚的なものなのだ。

すると──


「魔王さま、身をかがめて!」

 そう言いながらステマルが慈雲の手を下に引く。


「おわっ 何だ?」

「あそこを見てください」


 ステマルが指した指の先に何かが動いているのが判る。まだ薄暗くて見えにくくはあるが、人が歩いているようだ。


「あいつ、あそこの建物の間から出てきました」


「ほう、あの辺りは短期でやって来る外来の僧にあてがわれる施設。なるほどな、あそこやったら侵入者が身を隠しとくのに都合がええ」


「外来の僧は気付かないんですか?」


「いや、あそこの連中は全員、今は根本中堂に回されてんねん。 ……よし、調べてみるか」


 ステマルが不思議そうに慈雲の顔を見上げる。


「根本中堂へは急がなくていいんですか?」


「ええかステマル、ワシ一人がおるかおらんかで戦の勝ち負けが替わったりはせぇへん。この戦は── 敵の覚悟次第やな」


「覚悟?」


「うむ、敵が神仏に弓を引く覚悟を決めて向かって来るんやったら、我らは勝てん。しかし、そこに迷いがあるんやったら、比叡山が落ちることは無い」


 こと喧嘩に関しては、慈雲は的確な戦略眼を持っていた。金使いや育ちの悪さが無く、武家にでも生まれていれば、武功の一つも挙げていたであろう。


「敵が本気だったら負けてしまうんですか?」


「おう、そんな時に根本中堂なんぞに行ったら、ワシもオマエも…… グサリやな」


 慈雲は軽く拳を握ってステマルの胸を槍で刺すような素振りを見せる。絶対視する魔王からの弱気な話に悲しげな顔をするステマル。


「まぁそういうこっちゃから、根本中堂へ向かうのは、こっちで戦況を覗ってからでもええ。ヤバかったら、横川から逃げた方が捕まらんしな」


 親のように慕う魔王を死なせたくない、そして自分ももっと魔王と一緒にいたい、ステマルは今まで考えもしなかったこの『逃げる』の選択肢に魅力を感じている自分に気が付く。


「それよりも今はアイツらや。オマエはあの一人歩いてゆく者を見張れ。ワシはアイツが出てきたあの辺りを調べる」


 そう言って二人は別れた。




 外来練は数棟在るが、窮屈な思いをさせぬよう、建物同士はそれなりに間隔を空けて建てられていた。そんな中庭のような隙間でチョウが火を起こそうと、細かく砕いた枯葉に棒を押し当てて回していた。そこに──


「キサマら、そこで何をしとんねん!」


 エンたち三人がハッと声の方を向くと、大柄な男が立っている。

 僧侶らしく頭は丸めているものの、衣服の上からでも判る鍛えられた大きな身体は、ふだん経文を読んで過ごしている者のそれではない。

 間違いなく僧兵。

 男が手に握るは柄こそ細いが、そこから先は太い鉄の塊。そんな四角い鉄の棍棒にしか見えない武器を軽々と持ち上げている。


『よりによってコイツか……』

 そう、エンはこの僧兵を知っている。


「森の獣とは異なる不審な気配を感じて来てみたが、神仏の山に忍び込むとは不届きな奴め………… ほぅ、キサマは」


 喧嘩の前口上のつもりで語りかけていたこの僧兵こと慈雲も、エンの顔に気が付いたようである。


 エンとしては、一度は敵と判別ができず、誤ってみすみす見逃してしまった相手である。その誤りのせいで、里の味方を窮地に立たせてしまった。

 しかし、広い天下でこうも早くその敵と再会を果たせたのは奇跡だろう。ならば今度こそここで討ち取るのが、エンなりのけじめである。

 エンとしては正直なところ相手にはしたくない怪僧であるが、この状況に至っては決着を付けるしかない。


「人かと思えば、何だ…… タコじゃないか。 タコは海にいる生き物だと聞いていたが、山の中にもいたんだな」


「なんだと?」


 顔を見知っているとはいえ敵の工作員であることが濃厚な不審者である。そんな呼び止めた不審者にいきなり悪態をつかれ、慈雲に苛立ちの色が見えた。改めて慈雲は問う。


「何をしていると聞いとんねん!」


「どうもこの山にはタコがたくさん生息しているらしい。火を点けて焼きダコにすれば、京の飢えた人たちの腹が潤うんじゃないかと思って火を起こしていたところさ」


 ニヤニヤとそんな答えを返すエンの態度は挑発と判っていても腹が立つ。慈雲に怒りがこみ上げていくのが見てとれる。彼は鉄棍棒を握り直して、エンたちに近づこうとした。

 それを見たエンは、仲間に指示を出す。


「この程度のザコなら俺だけで充分だ。君らはさがって見てな」


 誰が見ても明らかに分が悪そうなエンのたび重なる挑発に慈雲は怒りを露わに襲いかかった。

 頭を叩き割る勢いで振り下ろされる鉄棍棒、エンはそれを横に跳ねて避けた。続けて縦に横にと振り回される鉄棍棒も、エンは何とかかわしてみせる。

 見るからに重量のある武器を振り回しているにしては、慈雲のたたみかける攻撃は速い。この力強さは破戒僧と呼ぶに相応しいものである。それでも避けることだけに専念すれば、何とかエンでも回避はできた。

 しかし、ここは平原ではない、ましてや喧嘩慣れした慈雲である。相手を上手く誘導し、やがて外来練の壁を背に退がれなくなったエンの前に立ちはだかる慈雲、今度はその慈雲の方がエンを罵倒する。


「先ほどの軽口はどうした。逃げてばっかりやないか。でもな、もう謝っても許さんぞ」


「ふん、タコには骨が無いと聞く。無理してそんな重い物を持つのはやめときなって。頭に落っことして墨を吐くのがオチだぜ」


「キサマっ!」


 この期に及んで小馬鹿にするエンに、渾身の力で鉄棍棒が振り下ろされる。エンは耳元で鉄棍棒が風を切る音を聞きながらもかろうじてそれをかわすと、鉄棍棒は勢い余って木の壁を破壊して穴を開けた。

 この隙に急いでエンは慈雲の横をすり抜けると、一旦距離をとった。


『これは剣では闘えないな…… 受ければ折られる。剣だけじゃない、あんなものが体に当たれば骨を砕かれるだろう』


 要するに近接戦闘は不利だという分析である。そんな分の悪い事ばかりの状況でありながらも、エンは両手にクナイを握って挑発をやめようとしない。


「動きが遅過ぎてあくびが出る。お前の攻撃には眠気を誘う副作用があるようだな。坊主なんてやめて子守りにでも転職しろよ」


 両手のクナイを打ち合わせ、キンキンと鉄の当たる音を響かせながら、エンはへらへらと言い放つ。

 カンとチョウは苦笑いでそれを見守っている。

 慈雲の頭が赤みがかっているのは、彼の怒りが心頭に達しているのを物語っているのであろう。


 そんな慈雲へ向けて、エンは左手のクナイを投げつけた。

 クナイは真っ直ぐ慈雲の顔をめがけて飛んでいったが、慈雲が鉄棍棒を一振りするやあっさりとクナイは弾かれ、大きく弧を描いて草むらへと消えていった。


 ── ん?

 ここでエンの攻撃を初めて目の当たりにした慈雲は違和感に気付き、少し冷静さを取り戻す。


『今の武器を失うだけの不用意な攻撃、そして先ほどの逃げ回るだけの動き…… もしかして、此奴は戦闘の素人なのではないか? ……ならば先程からのは、それを隠すためのハッタリ。そういえば先日此奴が余所の坊主と争っていた時も、相手を斬っていたのは此奴の連れの方だった』


 慈雲がそんな疑惑を持った矢先、エンは右手に握っていたクナイも慈雲へと投げつけた。


「やはりこやつ、阿呆か」


 慈雲はこのクナイもはたき落とそうと、鉄棍棒を振り下ろす。そして見事に鉄棍棒でクナイを捉えた瞬間だった。


 ── カッ! ──


 クナイが強烈な光を発した。

 発光は一瞬であったが、光をまともに見てしまった慈雲は目を開けていられない。

 そこに刀を抜いたエンが走り込んできている。


 ギンッ という鈍い音がした。

 エンが慈雲の首下を狙って袈裟斬りに振り下ろした刀を、慈雲はかろうじて鉄棍棒の柄の先で受けていた。


 エンの折れた刀の先が、トンッと地面に刺さった。

 意表を突かれて流石に肝を冷やした慈雲だったが、エンの攻撃を受け止めたことで勝負が見えた

 ── が、鉄棍棒をエンが掴んでいた。


「くっ…… 往生際の悪い……」


 苛立ちながら、慈雲が力ずくでエンを引き剥がそうとした時だった。

 慈雲の体を左右から刀が貫いた。


「キ……キサマは…………」


 左右からぶつかるように接触したカンとチョウの手にまで慈雲の血が伝って落ちる。

 卑怯者とでも言いたげにエンを睨みながら、慈雲は足から崩れる。そして刃が内蔵に達したのだろう、すぐに血を吐きながら地に伏せた。


「試合か何かと勘違いしていたんだろう。三対一の不利な戦だってのに、能天気な奴だ」


「一対一の雰囲気を作ったくせに。ひでぇ人だ……」


 仲間が苦笑を続ける中、エンは未練がましそうに折れた刀の刃を見つめていた。


 先ほどエンが投げつけて発光した物はクナイではない。光玉の形を細長く改造し、黒く塗ったものだ。事前にエンはわざとクナイを叩き合わせて音を出すことでクナイであることを強調しておき、二投目を光玉にすり替えて投げたのだった。

 もちろん光玉が発光したなら全員で斬り掛かるのも、事前に仲間と示し合わせていた戦法である。



 ──────


 しばらくすると、サクがステマルを連れて戻ってきた。ステマルの背に刀が突き付けられていることから、サクに負けて捕まったのだと判る。


 しかし、エンたちの前に引き出されたステマルは、ここで目を疑う光景を目の当たりにする。無類の強さをほこるはずの慈雲が倒れているのだ。


「わあぁぁぁぁ魔王さまぁぁぁ!!」


 ステマルは必死でサクを振り払い、慈雲の亡骸へとすがりついた。


「何ぃ? 魔王だぁ?」


 ステマルの言動に、思わずカンが言葉に出す。

 知っていたエンとサクは顔を見合わせ、サクは笑った。


 ステマルは慈雲の体を揺すりながら魔王の名を呼び掛け続けた。ステマルにとって魔王は最強、その死など到底受け入れられないことである。


 やがて慈雲がもはや事切れていることを理解できたステマルは、鬼の形相で振り向いた。

 師の仇を前にした弟子の形相。その時エンは、かつて倒した虎級キョウとその弟子のヤスケのことを思い出していた。


「おどれかぁぁぁ!」


 ステマルはエンに目を付け、飛び掛かろうとする。

 しかし、怨念のこもったステマルのその体がエンに届くことはなかった。


 ── ズシャッ


 サクが一刀のもとにステマルを斬り落としていた。


「「「あ!? 斬った……」」」


「いや…… なんか、すごく敵意を向けてかかってくるものだから……、斬っちまった……」


 情報を吐かせるなど利用価値があると考え、殺さずに連行してきたサクの冷静さに少し感心していたのに……。連れてきた本人が斬り捨ててしまうとは、エンたち忍は苦笑いしかなかった。


「それにしても…… 先輩が倒したあの坊主、魔王なんですか?」


「ああ。少なくともあの子供はそう呼んでいたな」


「じゃあ、魔王を倒したエン先輩は、勇者さまですね」


「くくく・・そりゃいいや、儂も勇者一行となれば鼻が高い」

 サクの言葉にカン、チョウが笑う。


「おい、やめろ恥ずかしい! だいたい、奴を殺したのはお前たちだろうが」


「いえいえ、総てが先輩の手の中で踊っただけです。魔王を倒した勇者はエン先輩ですよ」


 思いのほか恥ずかしい称号に心底嫌がるエンをニヤニヤと見ながら、サクは皆に促す。


「攻撃が近い、とっとと火の準備をやっちまおうぜ、勇者さま」


「おい、やめろってそれ!」


 周囲はすっかり明るくなっていた。



 ──────


 遠くから太鼓の音や鬨の声が聞こえ出した。比叡山正面で戦闘が始まったのだ。

 エンたちは松明を用意すると、いくつかのめぼしい建物に火を放って回った。出火に気付いた坊主が声を上げると、やがて騒ぎが広がってゆく。しばらくすると、そこは坊主や女たちが逃げ惑う混乱の場と化していった。


「ケッ、色坊主が女ばかり連れ込みやがって」


 サクが混乱を眺めながら吐き捨てる。

 中には立派な信念と理想を持った僧侶も存在はするのであろうが、こうして目の前で慌てふためく聖職者らしからぬ光景を見ると、永い特権の中で堕落した仕組みは、やはり岐阜の大殿様のような破壊者の手で一度壊された方が良いのではないか。そんな風に思えてくる。



「よし、あとは登ってくる羽柴隊を手引きすればいいのか?」


 周囲の喧騒を見ながらエンがサクへと確認するが


「いや、手引きなんてしない。そんな暇があったら、さっさと逃げるんだよ」


「なに? 羽柴隊に保護してもらえないのか」


「そりゃ駄目だな。奴らは合言葉を決めている筈で、その合言葉を即答できなれば問答無用で斬りつけてくるぜ」


 侍は混戦の際にどうやって敵味方を見分けるのかということは、エンも疑問に思ったことはあったが、合言葉に即答できない者を全て斬っていたとは物騒な話だ。

 感心しているエンにサクは


「おめぇは変に頭が回るわりに、時々そうやって常識の欠けたことを言うよな」


 サクに常識外れを指摘されたことにショックを受けながらも、エンたちはまだ羽柴隊の包囲の届かない横川の北側から柵を越えて、山へと入った。



 エンたちと入れ代わるように羽柴隊の突入が開始された。小道を抜けた兵たちが横川になだれ込む。

 そんな後方の異変に山中で気付いたエンたちであったが、すぐには山を降りなかった。二刻ほど山中に潜み、エンとカン、サクとチョウの二組に分かれて互いに距離をとる。


 山中にはこの山に住む者だけが知る抜け道のようなものがいくつか存在した。羽柴隊が暴れまわる横川から脱した僧侶が度々これらの道を通り、山中へと逃れてくるのだ。

 そうした人影を見つけると、身を伏せ姿を隠したままエンたちは叫んだ。


「本坂が手薄なようだぁ!」

「本坂が安全そうだとよ!」


 本坂と無動寺坂、とうぜん本坂が美濃勢の主力であると考え、延暦寺は僧兵の多くをそちらに割くはずである。そんな本坂の柴田隊へと、山中を逃げる僧侶をも誘導しようというのだ。

 こんな陳腐な策で何人の僧侶が乗ってくるかは分からない。ただ、僧侶の首は柴田隊にくれてやる替わりに少しでも彼らの負担を増やし、根本中堂へは明智隊に一番乗りをさせたい。そんな健気な想いからの行動であった。



 この日、比叡山が燃えた。

 人知れず魔王が死んだが、以降この山を焼いた岐阜の御殿様が人々に魔王と恐れられるようになったという。


 もちろん、古い魔王を倒した勇者には、この新たな魔王に抗う器量など持ち合わせてはいなかった。


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