其の八 ワンサイド特攻隊長
「ん? あれは一揆の兵? …………逃げてくる」
北から志村へと薄汚れた兵が歩いてくる。その数は時間の経過と共に増えていった。
「味方が動いたな」
サクはそう悟った。恐らく志村以外でも僧侶たちは蜂起していて、味方の軍がまずそちらを叩いたのだろうと。
やがて、落ちてくる一揆兵を追うように、幟や旗を掲げた軍勢が迫ってきた。軍勢は一揆軍が築いた陣の前に展開してゆく。
「おおっ 来た来た! サクよ、これで覗いて見てみろ、あれは味方の軍だろう?」
サクが遠筒を覗く。ぼんやりとではあるが、幟の模様や文字が見える。
「たしかにあれは岐阜の大殿が派遣した美濃の軍勢だ。しかし、我らが明智軍の旗ではない」
そう言いながらも、サクは腰を落として美濃兵の行軍をジッと見つめる。そしてサクは行軍を見ながら足許の草を千切る。千切っては捨て、千切っては捨て、次第にそのペースが上がってゆく。明らかにそわそわしているのが見てとれる。
「おい、禿げ山にする気か? どうした?」
「あそこを歩いてる奴らには、これから手柄を立てる機会がやってくる。なのに、あそこにいるほとんどの者よりも強い儂は、このような所で指をくわえて眺めているのみ」
「それで?」
「すぐにでも行って、儂も暴れたい」
サクには侍らしくも功名心があって、手柄を立てて明智の殿に認められたいという強い願望がある。だから手柄の立てようがない戦術的舞台の外から味方の戦を傍観するだけの状況に我慢ができないでいるのだ。
「ふん、やめとけ やめとけ、小さい」
「小さいだと?」
「お前のような戦闘員が戦に出たって、見えるものといえばいつも自分の周りを囲む敵兵の顔ばかりだろう? でもお前の大殿は、今回はあえてこうしてお前に別行動をとらせている。それって目の前の戦場だけではなく、戦場全体を俯瞰して戦全体を見渡し、歴戦の将たちの用兵や戦術を学ぶ機会を与えたんじゃないのか?」
「大殿が儂に……」
「うん、それって特別扱いだろ? ゆくゆくは戦を仕切る指揮官となれるよう期待されてるってことじゃないか。それならば、何でもかんでも戦闘に加わりたいなんて小さい事を言わず、この先いつでも思い出せるくらいにこの戦の動向を目に焼き付けとけよ」
エンの言葉を聞いてしばらく呆然としたかと思えば、やがてニヤニヤと表情のぶっ壊れたサクが再び戦場から目を離さなくなる。もう草は千切らない。
一揆軍の方も戦闘配備を終えて待ち受けていた。
柵の内側から一揆方が矢を放つと、最初は攻め手の美濃兵も矢で応戦したがすぐに止め、真っすぐ柵へと殺到して行った。
まず盾持ちが柵へと張り付き壁を作る、続く兵がその背後にて地に手や膝を着く。そしてその後から来る兵が、地に着く兵の背中や肩を踏み台にして次々と柵を飛び越えていった。
美濃勢の突進を受けて一揆方の矢が止まると、攻め手側は大木槌や鉤爪を持った兵たちが柵へと近づき、柵を破壊してゆく。どの柵もあっという間に無効化され、攻め手は無人の野の如く真っ直ぐに突き進んでゆく。
「あの真ん中の部隊は、『特攻隊長』なんて影で呼ばれている柴田の隊だぜ」
── 特攻隊長?
攻め手の美濃勢は四隊が展開しているが、たしかに真ん中の一隊が特に突出して敵を押しまくっているのが見てとれる。
「サクはその柴田があまり好きじゃないみたいだな」
「ふん、古参の家来だとかで偉そうにしやがる。いつも明智の殿を威圧するあの態度が気に入らねぇのさ」
兵を手足のように動かし、敵を翻弄する戦術で勝利をさらってゆく、エンは戦場で繰り広げられるであろう歴戦の将のそのような用兵を想像していたのだ。だが、現実に目にしているのは、数にものを言わせた何とも大味な突撃なのだった。
追い散らされた一揆方の兵は志村城へと逃げ込んでゆく。志村城の侍ももはや攻め手が勝利したところで自分たちが赦されることは無いと悟っており、一揆勢を城内へ受け入れている。
攻め手の将たちは兵を進め、城へと攻め寄せた。城方も応戦してはいるものの、兵の勢いと士気が違う。
僧兵たちは美濃兵の侵攻を一定期間食い止めつつ、近隣で蜂起している一揆軍と連携して戦う算段であったが、美濃軍の想像以上の勢いで一気に押し込まれた。とてもじゃないが援軍も間に合わないだろう。
結局、抵抗らしい抵抗も見せられぬまま城は陥落、美濃の軍勢は志村を散々に蹂躙すると、さらに南に向かって進軍していった。生きた人の気配が少なくなった町には、僧侶たちの遺体ばかりがそこかしこに転がっている。
「…………」
「おい、あれのどこから用兵を学ぶんだよ」
「う……うん…… 素人の俺にでも解るわ……… あれは単なる力押しだ」
志村攻めの一部始終を見守ったエンとサクだったが、そこに用兵戦術の駆け引きなどは微塵も感じなかった。
それから一刻ほどが経過した頃、美濃勢の本隊となる軍勢が姿を現した。先鋒隊がこの先の城を攻めているため、本隊はこの志村で停止して陣を張ってゆく。
サクはそんな本隊の各陣営の中に明智の旗印を見つけた。すぐに二人は山を降り、明智の陣への接触を行った。
「斉藤利三家中の作兵衛だ。殿に取り次いで貰おう」
サクにそう言われた見張りの兵が連れて来た男はサクとは顔見知りであったようで、出てくるなり気さくに声をかけてきた。
「おう作兵衛、こんな所で遅参とはどうした、何か任務でも帯びておったのか?」
「まぁな。それよりも殿は居られるか?」
「ああ、大殿は不在だが、利三様はあちらに居られる」
そう言われて案内された陣幕へとサクに伴われてエンも入ってみると、そこにはエンにとっては意外なことにタチバナが居た。
「エンさん、やはりここに来ましたね」
「おおっ タチバナさん!? ………明智家に仕えたんですか?」
「そんなわけ無いでしょ! 濃武の里はこの作戦の最後まで、明智様をお助けすることになりました。そこで私も共にここまで従軍してきたのです。付近に伏せてはいますが、他の忍も連れて来ています」
「へぇ、そうなんですね。……でもまぁ、ここでタチバナさんに会えたのはちょうど良かった。俺の方のお仕事の成果も報告させて下さい」
「何を他人事のように言ってるんですか。こうなったのは半分あなたが原因なんです。エンさんも行くんですよ!」
── はぁ?
さしあたりこの琵琶湖東岸から南岸辺りまで一揆方の戦線が続いているので、柴田を初めとする先鋒隊が南岸で敵を殲滅するまでは、エンもこの本隊について行くこととなった。
その間にエンは、今回のお仕事で起こしてしまっていた間違いについて、タチバナから説明を受けたのだった。
ショックだった………
タチバナは、説明不足で行かせた自分が最も悪いと言ったが、それにしても引き起こされた結果が大きい。
「これって…… 里的に、かなりヤバかった……… ですよね?」
「そうですね。正直なところ、私も肝を冷やしました」
「ですよねぇ…………」
志村での僧侶との果たし合いにおいて、別の僧侶が入ってきてエンたちの味方に付いたあの時点でおかしいとは思っていたのだ。あの慈雲という僧は別の宗派の僧、いや、アイツこそ正に比叡山の僧侶だったのだと今にして確信する。
その後、志村の惨状を聞いた一揆方は美濃兵を恐れ、大きな抵抗も見せず降参する者が多かったという。
先鋒隊は数日のうちに一揆の鎮圧を完了した。
秋九月、岐阜の御殿様は西近江をこうして再平定した。
どこの陣も兵たちに凱旋ムードが漂っている。
そんな時に次なる作戦が全軍へと告げられた、「比叡山を討つ」と。
兵たちがザワつく状況の中で、エンもタチバナに呼ばれた。タチバナはまず、今後の軍の動きをエンに話した。
「比叡山の延暦寺に『根本中堂』と呼ばれる場所があります。そこが延暦寺の中枢であり、美濃勢が攻め落とさんとする目標です」
麓から根本中堂へ向かうには、『本坂』と『無動寺坂』という二つのルートが存在するが、現在そのルートには、本坂に浅井軍、無動寺坂に朝倉軍という美濃にとっては宿敵ともいえる大名配下の部隊が陣取っている。
此度、そんな比叡山の本坂の浅井軍へは柴田隊、無動寺坂の朝倉軍へは明智隊が攻撃を行うという。これらを撃破し、根本中堂を落とそうというのだ。
また、根本中堂から山道を進んでゆくと、『横川』という場所が在り、根本中堂を比叡山の本丸とすれば、この横川は二ノ丸と言える要所であった。
もしも根本中堂が危うくなれば、僧たちは横川へ逃げ込むと考えられる。
そこで、麓での戦闘が開始されたなら、別働の羽柴隊が横川を落とし、僧侶たちの退路を断つ。
以上が、これからの軍事作戦の内容なのだという。
「そこで、エンさんにお願いするお仕事なのですが、先に横川へと潜入して撹乱を行って下さい。羽柴隊が横川に入るためのお膳立てをしてくれればよいです」
「例によって、手荒なやり方でもよいですか?」
「それは構いません、戦ですから。あと、人手が欲しいでしょうから、里から二人ほど付けます。私にもいくつか考えがあるので二十名ほど連れて来ていますが、エンさんにはその中から面識のある者を呼んでいます」
そう言って手招きするタチバナの方へ寄ってきたのが二人の忍、その見覚えのあるその顔に気が付いて、エンがハッと身構える。
「出たなエリートども! わざわざ近江まで、万年鳴かず飛ばずの俺を笑いに来やがったか!」
再会を祝うどころか、劣等感をこじらせた先輩に警戒されるこの状況に戸惑うカンとチョウがいた。
この二人の忍は半年ほど前、美濃各地の優秀な新人忍者が出場するお宝探しなる行事において、濃武の里代表となった成績優秀者だった。
その時エンは成績平凡であるにもかかわらず、怪我をした組長に代わって彼らを率い、そして敗れたのだった。
「ち……ちょっと、エン先輩…… 何言ってんですか。目をかけた可愛い後輩がまたこうして参上したんじゃないですか」
「ガルルル・・・」と警戒を緩めないエンを見たタチバナは
「もしかしてあなた達、仲が悪かったのですか?」
「はい」
「「いいえ………… え、えぇ!?」」
そんな話をしているところに、サクが現れた。
「サクぅ~」エンは甘い声でサクの盾にするように背後に回ると、新たに加わった二人の忍を紹介する。
「あいつらエリートなんだぜ。そのうち俺みたいな普通の忍はあいつらから陰湿な仕打ちを受けて、お仕事を干されて路頭に迷うんだ。
だから今のうちにさぁサク、お前たち侍の理不尽な権力を行使して、あいつらをいびってくれよぉ」
「おい、あんた何てことを言うんだ!?」
この先輩はしばらく見ないうちに侍のタニマチを手に入れたのかと感心してしまったが、そのエンからの言われなき中傷にカンとチョウは慌ててを否定した。
「てめぇはいったい誰に喧嘩を売っているんだ? 坊主だけでなく、後輩や武士も敵に回す気か?」
サクはエンの話には乗らずにこうして適当に流すと、忍たちに告げた。
「儂もまた、おめぇ達と共に叡山に向かうこととなった。足を引っ張らぬように着いてくるようにな」
「何だサク、原隊復帰させてもらえなかったのか」
「う……うるさい! 儂はな、殿や叔父上に滅茶苦茶怒られたのだ、とても復帰を頼める雰囲気ではなかったんだよ!」




