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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第六章 【焼き討ち】
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其の六  志村の剣

「久しぶりに文明に触れた気がする……」


 近江国は琵琶湖東岸の彦根という町に入った。

 近江に入ったからには、二人はもうコソコソするつもりは無い。町中を堂々と歩けば店にも足を運ぶ。

 エンとサクは美濃を抜ける前から決めていた、近江の町に着いたなら酒場へ行こうと。


 のれんをくぐって店内を見回す。既に八卓のうち七卓が人で埋まっていた。盛況である。二人はサッサと空席を確保する。

 そんな店の奥の卓に二人の男がいた。大人と子供だが親子には見えない。大人の方が法衣を着ているからだ。どうも大人の僧侶の方は、既に酔いが回っているようで顔色が悪い。そんな僧と共にいる子供がエンに気付いた。


「魔王さま、今あそこの卓についた客には見覚えがあります。以前、関所で目を付けた者です」


「ん…… あぁ…… そうなの…… か」


「もう、魔王さま! しっかりしてください!」


「昨日まきあげた……南蛮の……酒とやら…… アレが……合わんかったんや……」


「二日酔いは迎え酒で治る」そう言ってここで飲んだのが間違いだったのだ。魔王こと慈雲は泥酔してしまっている。


「今日はオレが行きますから、魔王さまもすぐに来てくださいよ」


「くそっガキが…… ワシは気分が悪い言うてんのに」


 慈雲の答えも待たず、ステマルはエンとサクが座った卓へとやって来ると、スゴむようにエンを威嚇する。


「おいオマエ、その顔を憶えているぞ。関所で我らへの文句をたれていた奴だな」


 近江ではコソコソしないと決めていたとはいえ、初日にしてもう絡まれた。この国の人間は見境のないほど好戦的なのだろうか。


「あん? 近江のガキは、他人様への口の利き方をしらんのか」


 身内にも好戦的なのがいた。エンの対面に座るサクが射貫くような目線でステマルを睨み据える。久しぶりのまともな食事を邪魔されて、明らかにイラついている。

 若いサクから見てもガキに見えるほど、まだ幼さの残るステマルだが気の強さは一人前で、サクに睨まれても引くことを知らない。


「ふん、あの時とは連れが別人だな、怪しい奴らめ。侍如きがいきがったところで、僧が怖がるとでも思ってるのか馬鹿め」


「ガキ、死にてえのか?」


 刀の柄に手をかけようとしたサクをエンが手で制して止めた。近江で騒ぎを起こすとはいっても、酒場ではマズいのだ。それでは単に酔っぱらいの乱闘であり、流石に仏門を組織的に動かすほどの威力とはならないだろう。


「旅人に付き添うのが俺のお仕事なんだから、そりゃ連れも時によって代わるさ」


 生意気なガキを蹴飛ばしたい衝動を抑え、エンはあえて落ち着いてステマルに対応する。

 しかし、いくらステマルが分別のない子供だとしても、武器を持つ青年二人に単身で絡んでくるというのは不自然に感じる。


 ── 仲間がいるのか


 エンはステマルの背後の店内に目を移す。すると客たちをかき分けるように、大男がゆらゆらと動いているのが見える。


 ── あれか?


「オマエの話が誠かは、これから厳しく調べれば判ることだ」


「その時まで無事におめぇの口がきけたらいいがな」


 サクがステマルを店から連れ出すべく卓を立とうとしたその時、黒い僧衣の大男がステマルの背後に現れた。サクの視線がステマルから大男に移る。


「てめぇがこのクソガキの保護者か」


「ああ、ウチのクソガキや」


「オマエたち終わったな。魔王さまが来られたからにはもう助からん」


 ステマルだけが威勢がいいが、サクはステマルの言葉を無視して魔王と呼ばれた僧を相手にする。


「いきなり絡んできておいて、大人に相手をさせるってか? ダセぇガキだな、自分の尻も拭けねぇくせに他人様に喧嘩売ってんじゃねぇよ」


「まったくや、ウチの者が迷惑かけたな」


 思いがけない慈雲の言葉。ステマルは驚いて慈雲の顔をを見上げた。


「どうしたんですか、どうしてコイツらを叩きのめさないんですか?」


 バシッ


 慈雲がステマルの頭を叩く。


「ワシは気分が悪いって言うてるやろぉが!」

 そう言うと、慈雲はエンたちの卓に銭を置いた。


「あんたの言う通り、ガキのしつけが悪かった。詫びにここの酒代はワシが出そう。これで見逃したってくれ」


 気分良く酔いが回っていたならば乗り気で喧嘩に足を突っ込む慈雲だが、悪酔いのまま侍と事を構えるほど馬鹿ではない。しかし、まだ酒を知らぬステマルには、このあたりの事が解っていない。


「そんなぁ…… 魔王さまぁ」


「何ださっきから。この酔っぱらいが魔王ってか?」


「ガキが言ってるだけや。気にすんな」


 そう言って慈雲は酒場から去っていった。

 ステマルはまだ納得がいかないのか、サクをひと睨みしてから、慈雲を追って出ていった。


「何だったのだ…… 今のは」


 サクが拍子抜けに呟く。

 エンたちはただ酒場に入って卓に着いただけだ。そこでいきなり子供に絡まれ、そして僧侶に奢られた。いったい何だったのか。僧侶を怒らせるために来たはずの近江で、なぜか僧侶の銭で酒を飲んでいる……




 翌朝、彦根を出た二人は、琵琶湖東岸に沿ってさらに南下を続けた。昨夜のことを思い返せば、この先いつ僧侶と事を起こすことになっても不思議ではない。急な戦闘にも備えておく必要をエンは感じた。


「まず、俺が相手を挑発して注意を引きつけるから、敵の意識が逸れたならサクは存分に斬ってくれ。それで敵が慌て出したら、俺も反撃に移る」


「何だそれ?」


「作戦に決まってるだろ! 二人で僧兵どもを相手にしようってんだから闇雲に闘ってどうすんだよ。入念な作戦を練っておかないと」


「ああ…… 分かった分かった」


 手をひらひらさせながら、サクは興味なさげに返事をする。


「おい、真面目に聞けよ。お前って感情的になってすぐ敵に突っ込んで行きそうだから言ってんだからな!」


「だから、分かってるって」



 時折、釣り人が船を浮かべている琵琶湖を見ながら歩みを進め、昼には志村という町に入った。


「ここから船が出てるか調べよう。この町には無くとも、何処から出ているのかくらいは知ってる人がいるだろう。あっ!? でも………… なぁ、あそこに蕎麦屋が在るからさ、とりあえず腹を満たしてからにしようよ」


 腹が減ったところに蕎麦屋、エンを足止めするにはこれで充分だった。サクも腹は減っていたので異論もなく腹ごしらえとなった。


「うおっ、おいサク、なんか海藻みたいなのが入ってるぞ、この蕎麦」


「琵琶湖で採れるんじゃないのか? ………琵琶湖に海藻なんてあるのかな」


 珍しい蕎麦に気を良くするエンを尻目に表通りへと目を移したサクが何かを見つけた。


「おいエン、あれを見てみろ」


 表の通りに初老の男と小さな子供、それを取り囲むように五人の僧侶がいる。

 僧侶の一人だけは質の良さげな法衣を纏っているが、体格は貧相である。おそらくこの僧の位が高く、残りのいかついのは取り巻きの僧兵であろう。


「僧への狼藉を働いたのだ、タダで済む訳がなかろう」


 エンが読唇術で口元を読んでみれば、いかにも悪い僧侶が一般人に言い掛かりを付けていると分かる台詞。男が額を地に着けて謝っているあたりに、現状の僧と民衆の関係が表れている。


「ぶつかってきたのは、そっちじゃないか!」


 土下座する男の横から子供が食ってかかったが、僧兵に腹を蹴られると踞って動けなくなった。


「本来であれば無礼討ちにするところであるが、今日のところは銭で済ませてやる。とりあえず持ってる銭を全て置いてゆけ」


 それは困ると許しを請う男の願いなど僧侶が聞くわけもなく、痩せた僧侶が男を足蹴にする。


「オレが許しても、この話を聞いたウチの若い衆が許すかどうか…… オレはな、オマエの家に血の気の多い彼らが押しかけるのも可哀相だと思い、善意で言ってやっておるのだ」


 こんな雑な言い掛かりと脅しがまかり通っている。

 やがて男から銭を巻き上げた僧侶たちが蕎麦屋の店内へと入ってきた。


「あぶく銭だ。こんなものはすぐに使ってしまうに限る。オマエたち、酒も飲んでよいぞ」


 一般人から巻き上げた銭で昼間から酒をあおるのが、この国の聖職者の姿。民衆に寄り添う僧など、もはや昔話の伝説なのか。


「なぁサク、まだ湖も渡ってないけどさ…… ここでやってもいいかな?」


「おう、それは都合が良い。儂も今な、ちょうどムカついていたところだ」


 飲んで騒ぐ僧侶どもを横目に蕎麦をすすると、エンとサクは店を出た。

 半刻後、店を出た僧侶たちは、上役の僧を囲むようにして通りを歩き出した。そんな集団の背後から近づいて──


「何だこの町では、野党が坊主の格好をして歩いているのか」

「そんな物を着たところで、品性の卑しさは隠せんわな」


 サクとエンが周囲にも聞こえるほどの声で会話をする。それは当然、僧侶たちの耳にも入り、彼らは後ろを振り返る。


「うぬら、今我らに暴言を吐いたのか?」


「はぁ? 暴言だと? 馬鹿を言うな、儂らは見たままの感想を言っただけだ」


 挑発にも聞こえるサクの返答だったが、意外にも僧侶たちは怒りはせず、ニヤリと口々に口上を述べ始めた。


「流れ者か。ここの支配者が誰であるかを知らぬようだな。侍ごときが粋がったところで我らとは格が違うのよ」

「調子に乗った侍は、僧が折檻して叩き直すのがこの国のしきたり」

「神仏の手を煩わせるまでもなく、ワシが修正してやる」


 相手は青年二人、僧侶からすれば新たなたかりの対象が現れた程度に思っているのだろう。しかし、もとより僧侶と事を構えるつもりのエンが動じる訳もなく、冷静に周囲を観察しようと──!?


『サクの肩が揺れている。まさかこいつ、怒って──』


 サクはちらりとエンへと目を向けると、「エン、悪いな」そう言った瞬間、サクは一足跳びで僧兵の一人に急接近すると、抜き打ちで相手を逆袈裟に斬った。さらに勢いそのまま斬った僧を追い越し、返す刀で次の僧を斬った。


 ── 速い


 機先を制されて思わず固まったエンと僧たちであったが、敵中に斬り込んだサクに対して僧兵の一人が最初に反応した。僧兵は刀を抜くと、サクの斜め後ろから斬り掛かろうとしている。

 完全に後れをとったエンだったが、この僧兵の動きに気付き慌ててクナイを投げた。


 クナイは僧兵の首の裏、頭の付け根辺りに刺さる。

「あが……」

 刀を振り上げたまま思わず動きが止まった僧兵をサクは振り向きざまに斬った。


 残る僧侶は二人、サクの位置から近いのは僧兵ではなく上役の僧侶。コイツは最後まで斬ってはいけない。


「そいつはまだ斬るな! 殺るのはあいつだ」


 エンがサクを制止して残る僧兵を指差したときには、既に僧兵は体を反転して駆け出していた。


 ── あっ!? あいつ上役を残して逃げるのか。


「まて!」そう叫んだのはエンでもサクでもなく、見捨てられた上役の僧侶。


 ところが、一目散に駆け去ったはずの僧兵が、ゴツッという音と共にこちらへと飛んで戻ってきた。

 ドサリと足下に転がった僧兵は、もうピクリとも動かない。


「キサマらとはよう会うな。楽しそうやったから、ワシもやらしてもらったわ」


 そこには黒い僧衣を着た男が立っていた。男は鉄の棍棒のような物を持った慈雲である。あれで殴り飛ばしたのだから、かなりの怪力である。

 エンとサク、そして慈雲に挟まれた僧侶は動くに動けず立ち尽くしている。


「てめぇも坊主だろうが、コイツらの仲間じゃねぇのか?」


「おいこら、こんなクズと一緒にすんな。ワシは善良な僧侶なんや」


 この慈雲という破戒僧、ただただ争いに首を突っ込むのが好きなのだろうか。それにしても同じ僧侶を叩き殺し、僧と対峙していたこちら側に平然と付かれると、この男の行動指針が読めない。

 エンは慈雲を警戒して距離を詰めない。

 すると、オロオロと立ち尽くす上役の僧侶へとサクが先に絡んでゆく。


「さてと、ここは岐阜の御殿様の勢力圏だが、てめぇらは生意気にもさっき、ここの支配者面をして儂らにスゴんできたよなぁ」


 侮辱された僧侶はサクを睨みつけたが、すかさずサクは僧侶のすねを蹴った。僧侶は痛みで地に片膝をついてすねを押さえる。

 そうだった、エンとしても今は慈雲の事よりも、この標的である上役の僧侶を放っておく訳にいかない。


「本来であれば無礼討ちにするところだが、今日のところは銭で済ませてやる。とりあえず持ってる銭を全て置いてゆけ」


 どこかで聞いた台詞をエンに吐きかけられた僧だったが、この状況では逆らえない。すねの痛みに耐えながら立ち上がると、懐から銭を出す。


「我らに手を上げるなど…… 神罰が降るぞ」


 エンに銭を渡しながらも脅し文句を呟く僧だったが、動じる者はここには居ない。


「てめぇらの神なんかじゃあ、鼻もかめねぇぜ。これからはせいぜい程度をわきまえて、ここの支配者であらせられる岐阜の殿様に媚び諂い、道の端っこを歩くんだな」


 そんな悪態をつきながらサクに放逐された上役の僧侶を「カカカ」と笑い飛ばす慈雲。エンは今だ、怪訝にこの破戒僧を観察している。


「まさか僧を相手に暴れてんのがキサマらやったとはな。いや、思いがけず楽しませてもろたわ」


「じゃあな」と軽く手を上げて慈雲が去ろうとする。どうやらこの男は本当に偶然ここを通りかかっただけらしい。


「待てよ!」


 エンは慈雲を呼び止めた。


「さっきの坊主が、せめてものお詫びの気持ちにと置いていった金だ。あんたの分を持っていきな」


「へぇ、俺にもくれるんか。詫びの気持ちなら貰っとかなな。 ………ほぉ、こんなにあんのか。あの痩せ坊主、さぞかし悪い奴やってんな」


 思いがけず飲み代が入った慈雲は、上機嫌で去っていった。


「さて、俺たちも身を隠して様子を見守ろうぜ。性根の腐ってそうな坊主だったからな、きっと仕返しを考えるだろうよ」


 そう言って歩き出した二人だったが、エンはハッと先程の戦闘を思い出した。


「それはそうとサクよ、お前は何だあの強さは!」


 さすが武士というべきか、倍以上の数の僧兵を前にしてサクは正面から斬り込み、複数の僧兵をあっという間に斬り伏せていた。その強さを讃えられるだろうと期待したサクだったが、何故かエンは怒っているらしい。


「あんなに剣の腕が立つなら最初から言えよ。俺の作戦なんか要らねぇじゃん。入念な作戦をとか言ってた俺が恥ずかしいじゃないか!」


 そんな風に捲し立てながら、エンはすたすたと歩いてゆく。


「いや…… なんかお前が熱心に作戦を立てるものだから、聞いてやらないと気の毒かと思ってな……… そんなに怒るなよ……」


 剣で実戦を闘って勝利する。そんなエンの目標を達する千載一遇の好機はこうして霧散した。エンが怒っているそんな真の理由を知らないサクが、戸惑いながらエンを追っていった。


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