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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第六章 【焼き討ち】
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其の五  士・農工商

「ここから北へ回り込めるはずだ」


「俺には連なる山しか見えないが……」


「美濃などどっちを向いても山だ。気にするな」


 昨日に続いて街道を西へ進むと、道は二手に分かれた。エンとサクは岐阜の在る西への街道を避け、こうして北回りの道へと入った。


「サクは大殿の家臣になりたいのかい?」


 エンの素朴な疑問だった。これまでのサクの発言を聞いていると、自分の主君である斎藤様よりも、さらにその主君である明智様の方に心酔しているように見える。


「ほう、分かるのか。そうさ、儂は大殿に憧れている。いつかは大殿の直臣になりたいのだ。実はな、殿もその旨を大殿に話してくれたらしい。おかげで昨今では大殿に挨拶する機会があるとな、大殿からも儂に言葉をかけていただけるようになったのだ」


「何? 斎藤様に話したのか。しかも、怒られなかったどころか大殿に口添えしてくれたと。斎藤様、めちゃくちゃ良いお方じゃないか。それでも大殿が良いのか?」


「殿には感謝している。それでも儂は大殿に仕えたいのだ。大殿の号令で敵陣を駆け抜けたいのだ」


 そんな大殿が「私ではなく斉藤に尽くせ」と言わないということは、サクの成長次第では将来的に直臣に取りたてるつもりがあるのだろう。となれば、この旅にサクを寄こしたことにも、大殿なりの意図があると見ていい。

 サク自身はその意図を察してはいないようだが……



 北回りの迂回路は上り下りの変化が激しい道のりで、思いのほか時間を取られることになった。

 事前に地図に目を通してきていたサクはこの道の存在を知っていたが、地図に高低差は記されていなかったらしい。


 夕刻、歩き続けたエンたちがそろそろ野宿の準備を考える頃、あぜ道の向こうに家が見えた。小屋ともいえる小さな家だが炊煙が上っているところを見ると、人が住んでいるのだろう。

 サクに少し休憩するように促すと、エンはその家へと向かっていった。


 夜、火を囲むエンとサクは、握った麦飯を頬張っている。


「それなりに歩いてはいるはずだけど、いつ美濃を抜けられるんだろう」


「うむ…… 上り下りに足をとられ、岐阜を回り込むように西へ向かっておるからな、明日はまだ無理だろうな」

 

「そうか………」


 エンは横になって目をつむった。

 疲れた。明日も一日、坂の上り下りに明け暮れるのかと考えるとうんざりする。ただ、近江までの時間がかかった方が、サクとの結束は深まる気はする。その結束がお仕事の成功に関わるかもしれないのだから、無駄ではないはず。

 そう前向きに考えてはみたが、やはり憂鬱な山岳路であった。



 まるで昨日がもう一度繰り返されているような、坂を上ったり下ったりするだけの一日。

 サクとは日を追うごとに打ち解けてきた。このことが唯一、昨日とは異なる部分と言えるのかもしれない。


 夕刻に坂を一つ下り終えたところで、今夜の野宿を意識する。人が生活すれば食事は摂るもので、今日も炊煙の立ち上っている民家を見つけた。エンがその民家を訪ねる。


 夜、火を囲んだ二人が、今夜もまたありつけた麦飯を口にする。


「エンよ、おめぇはいつも民家に行っては飯を握らせているのか?」


「別に俺は山菜だけでもいいんだけどね。でもまぁ今回はサクもいるし、飯を炊いてそうな家で銭と交換で飯を分けてもらったのさ」


「なに? 銭を払ってたのか。そういうことなら儂に言えよ。次は儂が飯を徴発してきてやる」


 徴発とは強制的に取り立てること。サクは民から食料を召し上げることも侍の権利として疑いがないと見える。エンはいつになく鋭く、サクの目を見て言った。


「サク…… 友達として一つ言っておく。サクはね、この世の中の人の関係が解っていない」


「ともだち……」


 侍の間ではあまり使われないその言葉には、新鮮な響きがあった。


「そう、友達だからこそ、あえて言うのさ」


「どういうことだ?」


「侍が威張れる相手ってのはね、同じ侍や自分の使用人、あとは犯罪者くらいなものさ」


「な!? 何だと、てめぇ武士を愚弄するのか!」


 サクの言葉と表情から、カッと血が上ったのが判る。そんな声を荒げようとするサクを前にもエンは落ち着いた表情を崩さず、「話は最後まで聞くものだ」と続けた。


「まぁ熱くならずに考えてもみなよ、お前ら侍の食い扶持は誰が作ってるんだ? 侍は米の多さで競い合ったりしてるけど、それもこれも農民が米を作るから、農民のおかげで侍をやってられるんだよ」


「む………」


「侍に生産能力は無い。その服も刀も全て職人が作った物だ。もしも世の中が侍だけだったら、今でも人は裸で生活してるだろうよ」


「てめぇ、武士には何も無いくせに、作る者どもを上から力で脅してふんぞり返ってると言ってるのか」


 サクはエンが言わんとしていることを想像し、それを言葉にした。それは半ば開き直りにも聞こえる。


「いやいや、俺はそこまでは言っていない。 なあサク、今まで周りの侍がそうだったからとか、そんな決めつけじゃなくてさ、武士ってのが何のために存在しているかってことを自分の頭で考えたことはあるか?」


 武士は民の上に立つものである。父にはそう教えられた。武士は命じる者で民は命じられる者だという暗黙の認識があった。だから、若い武士が年配の農民に偉そうに振る舞うのだって何度も見てきたが、何とも思わなかった。武士は偉いのだからそういうものだと思い込んできたからだ。

 しかし「友達」と称する目の前の男は、それは違うのだと言う。幼き頃から思い込んできた事が間違っているかどうかなど──


「考えたこと無い……… かもしれない」


「武士に生産能力は無いけれど、周囲で暮らす生産能力のある人や生活に欠かせない人たちを敵から守ること。時には脅威となる外敵へと打って出たりしてでもね。周囲の民が安全に暮らせるように体を張って、そのぶん民からの恩恵を受ける。武士ってさ、本来そういう役回りだったはずなんだよ」


 先ほどから、さもエンが世の中の真理を語っているように見えるが、これらの話は全てエンの師匠であるユデの受け売りである。それでもサクの価値観を揺るがすこれらの話は、彼にとって充分に衝撃的であるはずだ。


「だからね、俺は誇り高い役回りだと思うよ、武士って」


 このあたりはただただ罵るのではなく、一度は相手を持ち上げて緩急をつけるエンの話術。先ほどから武士を貶されているのだと感じていたサクだったが、この言葉を聞くと意外そうにエンを見た。


「そんな武士も長い年月を経た今となっては、『誇り高いこと』を『人としての地位が高いこと』と勘違いしている武士が多くなってしまったんだろうね。

 でもね、武士の中でも『名君』って言われる人は、このへんの事がちゃんと解っているはずだよ。サクの尊敬する大殿が領民に無慈悲に接しているのを見たことないだろ?」


 サクは黙って焚き火を見つめている。エンに言われたことが銅鑼の音のように重く響いたが、その言葉を基に『武士』というものを見つめ直すには、少し時間がかかりそうだった。


「今の話は筋が通っているように聞こえた。おめぇの言うように自分なりに考えて、至らぬところは改めるとしよう」


 サクの良いところはここだとエンは感じた。この男は聞く耳を持っている。そして話し合いの通じる者が相棒であれば、このお仕事は各段にやり易くなるだろう。

 この夜のサクは、それ以上何も話すことはなかった。



 夜が明けた。

 夏が過ぎて少し薄くなった青空の広がる爽やかな日和。もう美濃を抜けて近江に入っているだろうか。それならば今日あたり、あの琵琶湖が見えるかもしれない。


 サクの口数は少ない。まだ色々と考えているのだろうか。エンの説教でこうなったのだから、エンとしてもサクの様子が気になって、チラチラと彼を横目で見ながら歩いてゆく。


 ふと、サクが空を見上げた。そして、何か迷いから吹っ切れたように、明るい空を見ながら晴れ晴れとした表情で語り出した。


「エンよ、儂はこれから戦いまくって強くなってやるぞ。そして、敵を寄せ付けぬ強さを見せてやるのだ。生産者どもに舐められず、一目置かれる男になるためにな!」


 ── はぁ!? 何言ってるの? この子………


 たしかに生産者を守るために戦うのが本来の武士だとエンは言ったが……


「ち…… 違う……」


「どうしたエン? おめぇの言葉が響いたのだぞ」


「俺は…… 侍以外の人とも仲良くしようって……」


「ああ、分かってるって。そうせねばおめぇの機嫌が悪くなるからな、それも気を付けるから安心しろ」


 結果的にはサクの意識は良い方向に向いた。それはエンとの関係、さらにはお仕事においても見通しを明るくするだろう。でも……


 ── 思ってたのと違う




 やがて緩い坂を登りきると、そこで一気に視界が開けた。


「琵琶湖だ!」

「うむ、どこから見ても、やはり広いな」


 この東岸のどこかに在る村から、西岸へと渡る船が出ているとサクは言う。

 エンとサクの住む美濃国は山が多い。山道というのは遮蔽物が多く、視界が開けることなど滅多にない。何日も歩いていると、気が滅入ることすらある。それに比べてこの琵琶湖は、水辺に沿って進めば迷うこともない。美濃人が琵琶湖に来るとはしゃぐというのも頷ける。


 二人は湖に沿って南下した。


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