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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第六章 【焼き討ち】
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其の四  サムライ作兵衛

「お待たせいたしましたエンさん。やっとまとまりました」


「……何かを待っていた憶えはありませんが、何がまとまったんですか?」


 濃武の里は労務局の応接室。職員のタチバナがエンを呼んだのだ。


「先日、京まで出向いて調整してきた案件ですよ」


「あぁ……、たしか明智様でしたっけ。美濃のどこかの領主様とかいう」


「そうです。調整先は明智様の側近である斎藤様でしたが、明智家からの依頼となります」


 今度の客は、はっきり言って大物である。

 里にとっては大切にしたい顧客、欲を言えば今後につなげたい顧客なのだが、そのあたりエンには伝わっていない。


「ふぅん。で、どんなお仕事なんですか?」


「比叡山の僧侶を怒らせてきて下さい」


 ── はぁ?


 この件は、依頼主の明智様が僧侶と仲が悪いといった単純な話ではない。これは明智様の主君である『岐阜の御殿様』の意向であるという。

 この岐阜の御殿様というのが、一代にして尾張・美濃の二国をその手に収めた豪腕の『成り上がり』である。

 ただし、そのようにして急速に領地を拡大した大名というのは、当然ながら周辺の勢力に警戒されるもの。もちろん岐阜の御殿様もその例外ではなく、出る杭を打とうと反攻してくる勢力が後を絶たなかった。やがてそれら反攻勢力が手を結びはじめると、次第に岐阜の御殿様への包囲網が敷かれてゆき、流石の豪腕も手を焼いていた。


 当初、岐阜の御殿様は比叡山延暦寺に対しては寛容だった。これまでの全ての大名と同じように、延暦寺系の僧侶の横暴にも目をつむってきた。

 ところがここにきて情勢の変わる出来事があった。延暦寺が比叡山に大名の軍を入れたのだ。しかもそれが、岐阜の御殿様と敵対している浅井家と朝倉家の軍ときたから、岐阜の御殿様の怒りも頂点に達したのだとか。


 それにしても………


「坊主を怒らせると岐阜の御殿様の機嫌が直るのですか?」


「ははは、そんなもので機嫌は直りませんよ。だから、ただ怒らせるのではなく、今回の狙いは怒った僧侶たちに一揆を起こさせることです」


「一揆……ですか?」


「はい。比叡山のお膝元へと赴き、延暦寺門徒を怒らせて彼らが暴れ出すように仕向けてください。少々手荒な方法でも構いませんので、岐阜の御殿様が鎮圧のための軍を向かわせる口実を作ることができれば成功です」


「あぁ、なるほど。岐阜の御殿様は武力をもってお仕置きをしたいから、出陣の大義名分が欲しいというわけですね。

 でも…… 怒らせたくらいで一揆なんて大それた事しますかね、坊主は」


「そもそも比叡山の僧侶には、血の気が多く暴れたい者が多いのです。大丈夫、上手く煽れば彼らは動きますよ。しかも、エンさんは人をおちょくるのが上手ですからね。適任ですよ」


 慎重そうなタチバナにしてはいつになく楽観的な物言いである。最後の余計な一言は到底エンを褒めているとは思えないが、いかに僧侶が暴発しやすい連中なのかを語ったのだろう。


「さてはタチバナさん、このお仕事を俺にふる前提で、俺を京に連れて行ったんですね」


「ふふっ、いきなり神職の僧侶と戦えと言われれば、さすがに抵抗があるだろうと思いましてね。案件の前に予備知識として、世の中のことをエンさんに知っていただこうと考えたまでです。 ただし、私は嘘は教えていません。実状はエンさんがご自身の目で見てきた通りですよ」



 ──── 出立の日

 

 再び労務局。

 なんでも出立の前に、此度の依頼主である明智の関係者との顔合わせを行うという。


「来られました」


 障子の向こうから、来客を知らせに来た局員の声がした。それにタチバナが「こちらへお通ししてください」と丁寧に答える。


 すぐに障子が開き、二人の侍が入ってきた。

 一人は白髪混じりでエンよりも二回りは年上に見える。しかしもう一人の侍は若い、エンと同じ年頃の青年だった。

 タチバナに促され、二人はエンたちの正面の座につく。


「この者がエンと申しまして、此度の任にあたります」

 タチバナからの紹介を受け、エンは軽く頭を下げた。すると、それに答えるように年配の侍が名乗りを上げる。


「我は斎藤利三家中の安田甚兵衛と申す」

 そして若い侍を手で指して

「これなる者は、作兵衛と申す」


 そう言うと、甚兵衛も軽く頭を下げた。

 作兵衛と紹介された若い侍は頭を下げず、そのままの姿勢でこちらを睨んでいる。


『尖った奴だな』

 これがエンの作兵衛への第一印象だった。


 しばらくタチバナと甚兵衛が世間話で場を温めると、甚兵衛はエンを見ながら切り出した。


「此度はこの作兵衛を付けるゆえ、役立ててくだされ」


 ── は?


「作兵衛よ、大殿の申されたことを憶えておるな。エン殿と仲良く助け合うのだぞ」


「あぁ、分かってるよ!」


 どうも作兵衛は機嫌がよろしくないようだ。おおかた今回命じられたお仕事が不満なのだろう。



 エンと作兵衛は、里の入口まで見送りを受けて送り出された。

 作兵衛の出で立ちは若草色の着物に藍色の袴、腰に刀を帯びている。今回の旅では作兵衛の物より短いながら、エンも刀を帯びていた。とても安全とはいえない今の世の中、侍でなくとも武器を携行するのは珍しいことではない。


「作兵衛だから、サクって呼ぶことにするよ」


「んだとぉ、おめぇ勝手に…… 馴れ馴れしいんだよ」


 忍の世界にも無愛想な奴はいる。そういった者には根気強く対話を求めていくしかないというのが、エンの経験則だったが……


「なぁ、サク」

「おめぇ如きが気易く話しかけんじゃねぇ」


 先ほどからエンが話しかけてもこの調子で話にならない。愛想が悪いというよりも拒絶である。


 ── 仕方がない

 エンは腰の袋から帳面を取り出すと、小声に出しながら何やら書き記してゆく。


「我ハ友好的ニ話ソウトスルモ、彼ノ方カラ拒絶。円滑ナ作戦行動ニ支障ヲキタスモノ也─」


「お…… おい、おめぇ何を書いてんだそれ」


「お仕事を終えて帰還すれば報告の義務があるんでね、忘れないように書き残しているのさ」


 サクの表情に少し焦りの色が見えたのをエンは逃さない。この方向から攻めた方が効果がありそうだ。


「おめぇ余計なこと書くんじゃねぇよ」


「じゃあさ、せっかくこうして一緒に旅してるんだからさ、そうツンケンせずに教えてくれよ。武士ってのは奉公する主君に命じられたなら、それが危険であろうとも命を懸けて従うって聞いたことがあるんだけど、あれは本当なのか?」


「当たり前だ、武士は死を怖れん。ひとたび主と仰いだからには、地獄の果てまで付き従うまでよ」


 なぜか誇らしげに答えるサクに、エンがたたみかける。


「じゃあ、さっき甚兵衛さんが言ってたけど、大殿様はサクに仲良く助け合えと命じたんじゃないのか? 武士なのに良いのか? 主君の命に逆らって」


「なっ!? て……てめぇ、儂を脅すのか」


 エンは笑顔でサクと話している。それがむしろ気味が悪い。


「そんなつもりはないよ。単なる素朴な疑問さ。あぁ… あと、大殿様ってどなたのこと?」


「儂の仕える斎藤様の主君、明智の殿のことよ。天下でも稀に見る名君さ。憶えておけ」


 明智の名はタチバナからも聞かされている。エンの此度のお仕事の依頼主でもあるはずだ。


「ふぅん……… じゃあさ、サクにはどうも身分や立場へのこだわりがあるようなので言っておくけどさ。期間限定ではあるれど俺は今、明智の殿様から直接雇われている。だから俺の立場は、明智の殿様の子分だ。そしてお前は斎藤様の家臣だから、立場は明智の殿様の子分の子分だ」


「てめえ、そんな屁理屈に儂が納得すると思ってんのか!」


「大殿から直接の指図を受けている俺の邪魔をすることは、大殿の顔を潰しているということに気付けないほど馬鹿なのかい?」


 サクは苦虫をかみつぶしたような表情でエンを睨んでいたが、エンの正論に返す言葉がなかったらしく


「分かったよ…… まったく、口の減らない奴だな」


 これでエンが無視をされることはなさそうだ。

 理責めで言うことを聞かせただけだが、これからおいおい仲良くなればいい。

 仏頂面のサクにエンが言う


「なぁサク、俺たちまだ、喧嘩になるほど語り合ってもいないよ。話してみればお互い気が合うかもしれないぜ」


「無礼なことを言うな! なぜ武士である儂がてめぇと語り合わねばならんのだ」


「仲良くするということは、何かと語らえる仲になるということさ。そうすることに理由が必要ならば、それこそサクが命じられている大殿様からの任務だからだよ」


「何だと!? 身の程をわきまえろ、誰がてめぇとなんか……」


「主君たるもの、目の届かぬのをよいことに勝手に動く者より、目の届かぬ場所でも命令を守らんと努力する者にこそ信頼を置くもの、サクにはそれ……」


「分かった! 分かったからもうやめろ!」


 サクがこれまでどういう環境で何を学んで暮らしてきたのかはエンには知る由もなかったが、どうもこのサクという男は、武士という身分が他者よりも優位にあると信じているようである。



 やがて日が傾き、野宿となった。

 何処かの町へ出て、宿をとることはしなかった。作戦の後に僧侶たちが、此度のエンたちの足取りを調べることが考えられる。叡山付近では坊主の前へ姿を現すつもりだが、それ以外はなるべく足が付かないようにしておきたい。そのための野宿だとエンが説いたところ、サクも納得して従った。


 出発時に濃武の里への入口であるサヨの茶屋から調達していた饅頭を二人で分けた。

 眠る前には、明日からの進路を話し合った。サクは大殿の主君である岐阜の御殿様の目が光る町は何とも気が重いという。そのため、岐阜を通らぬ道で美濃を抜け、渡し船で琵琶湖を横断して比叡山へ近づく算段となった。


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