其の三 欲するは剣による栄光
「旅は良いものだ。特にだな、知らなかったものを見聞きしただけで賢くなったような気がするのが心地良い」
「あぁそれ、分かります」
京から帰還したエンは日常へと戻っていた。
今はここ遊好館道場にて、師のユデに旅の報告を行っていたところだった。
「それではお主に問う。此度の旅で最も心に残ったものは何かな?」
ユデはかつて、日ノ本を旅して回った経験を持つ。
そして旅の経験をその後の生活に生かすためにも、己が旅の中で見聞きしたものを整理して、知識として言葉に出せることが大切であると心得ていた。
今回旅をしてきた弟子のエンにもこうして問いかけることで、旅の記憶の整理を促しているのかもしれない。
「最もか……… そうですね、坊主が威張ってました」
「ははは、そうか、都の方だものな。あれが気になったか」
僧侶の所業については、やはりユデも知っているらしい。
二人の横でユナが不思議そうに話を聞いている。道場横の母屋で暮らし、濃武の里と近隣の町くらいしか行動範囲のないユナは、世情への疎さではエンの上をいく。
「どうしてお坊さんは威張ってるの?」
「奴等は世の中の銭と物の流れを牛耳っているんじゃよ。言い換えれば人々の生活を握っているということじゃ」
「ふぅん、お侍が偉いんじゃないんだね」
「本来、誰が偉いなんてことはないからの。侍だろうが食わねば生きられん。となれば、その命は農民が握っているようなもの。そんなことも分からず農民相手に威張り散らす侍はいつか大事な場面で兵がついてこんものよ。 その点、坊主は念が入っておる。民の暮らしを押さえているからの」
寺社勢力は、米にしか興味のない侍の領分は侵さないようにしつつ、米以外の物資は総て寺社が経営する市場を通して販売している。各商品の値段も寺社が設定しており、確実に利益が上がる仕組みが造られていた。
以前こんなことがあった。灯りに必要な油の原料を農家から直接仕入れて油を製造し、市場より安く売った者がいた。じきにその者の家には僧兵どもが押し入って、見せしめのために殺害されたという。
こうした状況からくる選民意識が僧を増長させているというのがユデの見解だった。タチバナの見解とは少し異なったが、どちらも正解なのだろう。
「さて、俺は稽古に戻ります」
エンは道場横の空き地にて四半刻ほど木刀を握って素振りを行うと、道場に戻って稽古用の剣に持ち替えた。道場の中央を見ると二人の門下生が打ち合っており、順番を待つ者がその左右に列を作っていた。エンもその列にならぶ。
しばらくしてエンに立ち会いの順が回ってきた。
相手は稽古用の薙刀を手にしている。女中のイノという。
イノは薙刀の先をエンの顔先に突き出すように構えた。長い得物の先端を顔の前に持ってこられるのは鬱陶しいかぎりだが、イノが肘を引いて構えているいる所を見ると、いきなり突く気満々といったところか。 エンは薙刀など気にせぬそぶりで両手で剣を握り、正面に構える。
「いくわよ」
「おう」
やはりイノは突いてきた。切っ先を少し下げ、胸の辺りを貫いてくる。
エンは刀の腹で左に押すように払うと、薙刀の側面を滑るようにイノとの距離を縮めていく。そのまま飛び込めばイノの肩に届く。
イノも払われた薙刀を戻してエンを打つように振るったが、エンまでの間隔が短くて勢いがつかない。
エンは薙刀の長い柄を左手で掴むと、踏み込んだ勢いそのままに右手の刀を突き出した。剣の先がイノの肩を捉えた。
練習用に先を丸めて刃には綿入りの布を巻いているとはいえ、勢いよく突かれれば痛い。イノは薙刀を床に落とし、右肩を押さえて踞った。
今年に入ってから刀を扱うようになったエンが、こうして道場での立ち合いに勝利する場面が増えてきた。この道場では武器の修練は自主性に任せられるためその剣技に癖は強いものの、エンの剣の腕については今が伸び盛りであるようだ。
「イノさん、だいじょ……」
気遣ってイノに近づこうとするエンに対し、余計な心配は無用とばかりにイノは手のひらを向けて制した。そして足下の薙刀を掴むと
「まだまだぁぁぁ!」
エンの足に向けて薙刀を振り回してきた。
「うおっ!? 危ねぇ」
エンは咄嗟に跳躍して薙刀をかわす。偶然ながらも忍者らしい身のこなし。
イノは実力を出す前にやられたのが納得いかなかったようで、長い薙刀で∞を描くように攻撃をたたみかけてくる。
そして袈裟斬りに薙刀が降ってきた。
エンは慌てて左足を引き、引いたその勢いで体を半回転させて左を向くと、ちょうど薙刀がエンの鼻先をかすめるように落ちてきた。
攻撃は終わらない、薙刀は地面を叩く前に横に流されると、また方向転換して横を向いているエンの正面から胴を払うように迫ってくる。エンはこれを仰向けに倒れて避けた。
すると次はまな板の魚の腹を両断するように上から斬撃が振り下ろさせる。エンは倒立するように両脚を突き上げて、これもかわす。
『この子、器用に逃げるわね』
『うふふ…… 何これ』
『猿みたいだな』
足を突き上げた勢いで立ち上がったエンに、立ち合いを見ていた周囲が面白がってどよめき出すと、攻撃の当たらないイノには苛立ちが募った。
「このぉぉぉ!」
イノがエンの膝あたりを狙って低い横凪ぎを振るうと、エンは待ってましたとばかりに足の裏で薙刀を止めた。そして、すかさず足で止めた薙刀に体重をかけ、その上に立った。
模造の薙刀がきしむ。
エンがその反動を利用して飛び掛かったのと、重さに堪えかねたイノが薙刀を手放したのは同時だった。
「きゃっ」
エンに飛び付かれたイノが仰向けに倒れ、それにエンが覆い被さる。エンの手には練習用の刀がいまだ握られており、イノの首に優しく当てられている。
『勝った…… どうよ、アゲハさん』
勝利を決めた高揚感でニヤけたエンが、立ち合いを見守っていた塾頭のアゲハへと顔を向けた。
総てを見ていたアゲハだったが、彼女の目にはエンが女子を押し倒して鼻の下を伸ばしているようにしか映っていない。目を輝かせるエンは賞賛の言葉を期待しているようだが、ドン引いているアゲハからはき出される言葉は冷たい。
「アンタ、わざとやってるんじゃないでしょうね!」
「へ? 何のことだよ」
「あんたこの前も相手を押し倒してたよね。何で武器での立ち合いが、毎度相手を押し倒して終わるのよ!」
「だって、しょうがないだろ。いつまでも薙刀を避け続けるなんてできないんだから!」
「いや、何で避け続けるのよ、刀で受けなさいよ!」
「え? 薙刀を刀で受けて折れないの?」
「はぁ? 当たり前でしょ。大型の武器に見えても薙刀なんて棒の先に刀の刃が付いたようなものよ、鉄の刀が簡単に折られる訳ないじゃないの」
エンには刀という武器について誤解があった。刀は切れ味を追求しているため、重い武器や大きい武器を受け止めると折れやすいと聞いたのを鵜呑みにしていた。だから実戦を想定した稽古では、模造とはいえ薙刀の攻撃は全てかわしていたのだ。
なるほど、周囲に笑われるわけだ。
「ねぇ…… そろそろどいてくれる?」
皆の前でエンに組み敷かれたままのイノは恥じらいで顔を赤らめながらも、自分に乗ったまま他の女と長話をするこの無粋な男に少し怒りを込めてそう訴えた。
「でもまぁ、エンもそれなりに強くなったんじゃない?」
立ち上がって乱れた衣服を整えながらイノが言う。
「そう! 俺もね最近、剣の腕が上がってきた気がしてるんだよ。だからね、次に実戦で闘うときには、刀で勝ちたいって思ってんのさ」
「勝ち方にこだわって、死ななきゃいいけどね……」
何やら怪しげなフラグを立てるエンをたしなめるアゲハだった。
──── 夕刻
その日はマチコと共に道場を出た。
マチコは道場からもそう遠くない所で暮らしているので、共に歩く距離は僅かである。
「じつはマチさんにだけお土産があるんだよ」
そう言ってエンは袋から何かを取り出した。
都へ上った人が自分だけに土産をくれるという。これにはマチコも胸にくるものがある。
そんなエンがマチコに渡したものは、小さな鉄製のピンセットだった。もちろん彼らの知識にピンセットなどという言葉は無いが。
「あの…… 何、これ?」
「お店の人は、物をつまむ鉄だから『てつまみ』って呼んでたかな」
もちろん小さな部品をつまむための工具で、細やかな工作にて重宝するものだ。説明を受けるとマチコも少し目を輝かせたが、同時に何やらモヤモヤしたものも感じた。
やがて、そんなモヤモヤの正体に気が付いたマチコがエンに苦言を呈する。
「キミねぇ…… 女の子にあげるお土産なんだからさ、もうちょっと何かあったでしょうに……」
女性への贈り物といえば、やはり飾りの付いた『かんざし』が定番。他にも光るものや模様のあるものといった綺麗な物が選ばれがちである。
「 え……、マチさんならそういう物の方が喜ぶと思ったんだけど、嬉しくなかった?」
「………う、嬉しかったけど……」
マチコにとっては本当に嬉しい贈り物ではあったのだが、これでは気になる女子へのお土産ではなく気になる職人へのお土産であるだけに、釈然としないものがある。女としてのプライドが心の中で騒いでいる。
しかしこのエンのことだ、女子ウケする飾りの店なんて知りもせず、マチコのために工具を求めて細工師を訪ねたのだろう。そんな風に想像の翼を羽ばたかせてゆくにしたがって、マチコには次第にこの青年が可愛くも見えてきた。
一方、マチコの言葉に気を良くしたエンは、そんな女心も知らずに笑顔で語る。
「京には色んな店があってさ、これは飾り職人の店でね、職人が使ってるのを見かけたんで売ってもらったんだよ」
「飾り職人の店…… それって、綺麗な細工や『かんざし』なんかを売ってるお店?」
「うん」
・・・・・・
「よし、この喧嘩、買った! こい!」
── えぇ!?
エンは人付き合いの難しさを知った。




