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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第六章 【焼き討ち】
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其の二  魔王

「魔王さま!」


「だれが魔王やねん!」


「そろそろ人通りが多くなる頃なので、出てきてください」


 男はのそりと腰を上げて小屋の戸を開いた。男を呼びに来た声の主の姿はもうない。自分の持ち場へと戻ったのであろう。

 男も歩きだす。丸めた頭に陽が反射してきらめいた。

 男の名は慈雲。僧侶である。

 仏に仕える身の愛称が『魔王さま』など、悪い冗談だ。


 小屋のすぐ近くに関所は在った。

 関所の門の前に仲間たちが立ち、通行人から通行料を徴収している様子が見える。そんな門から十歩ほど離れた位置に腰掛けを置き、慈雲は座った。何のことはない、座る場所が小屋の中から外に移っただけである。


 ここに座って時を過ごすこと自体が、慈雲の役割となっている。

 慈雲は鍛え上げた体と鋭い目つきで、威嚇するように通行人を監視する。通行料の支払いをゴネる者がいれば出てゆき、自らの腕力と背景の組織力を盾に関所は通さない。


 監視する慈雲が僧侶なら、通行料を徴収している者たちも僧侶、ここは寺が収入を得るために建てた関である。

 通行料は寺社からは十二銭と指定されているが、実際には十四銭を徴収している。多く取った二銭は、ここにいる僧侶の懐へと入ってゆく。そんなことを生業としているのだ。

 正直なところ、眠い仕事である。慈雲の性格上、通行人には定期的に問題を起こしてもらい、眠気を払拭するために暴れたいくらいだった。


「魔王さま、寝ないでくださいよ。魔王さまの寝顔は案外穏やかで威厳がなくなっちゃうんですから」


「ステマル、お前って最近、口うるさくなってきたよな」


 先ほど小屋に慈雲を呼びに来たのも、このステマルと呼ばれた子供である。今はまた、退屈な仕事で眠気と戦う慈雲にクギを刺しに来たのだ。


「今どきこの叡山の膝元で、関所破りなどしようとする阿呆もおらんからな。一日中座って見てるだけって、拷問みたいなもんやぞ」


「収入になる拷問なんて聞いたことないですよ。ほら、もっといかつく睨んでくださいよ」


 なぜか慈雲を魔王と呼ぶステマルに促され、慈雲は背筋を伸ばした。すると、ちょうどそこにやって来た二人組の通行人の声が耳に入る。


「えぇ~、また関所があるの? いったい何重取りするんですか、これって悪質なんじゃないですか?」


 ステマルは声のした方を振り返り、慈雲は睨みつけた。

 声のした方に通行人は二人。一人はまだ若く、もう一人は落ち着いた雰囲気の大人に見えた。

 すぐに大人の方が若者に注意する。


「こら、言葉を控えなさい!」


 あれも師と弟子だろうか。いや、兄弟子と弟弟子といったところか。生意気な弟子を叱る師。自身と隣に立つ生意気盛りのステマルに似ていると見れば、妙な親近感が湧いた。

 あの兄弟子にも数多くの面倒があるのだろうなと心中察するものもある。そんなふうに思うと、腹も立たなかった。


「魔王さま、どうします? あの者たちを止めますか?」


「いや、素直に銭を払っていくなら放っとけ」


 そんな慈雲の言葉に、ステマルは少しだけガッカリした表情を浮かべた。


『コイツはワシに魔王らしい振る舞いを期待しているからタチが悪い。自由に育てすぎたかな?』


 破戒僧がガラにもなく、人の親のようなことを考えるのだった。



 世の中、天下の往来において、各地の領主が勝手に関所を設けて収入を得るという動きが当たり前のように広まっていた。そのため旅には費用面でかなりの制約がかかることとなり、人や物の移動は決して多くなかった。

 それでもこの地は都である京に近い交通の要衝とあって、毎日それなりの交通量が見込めるのだ。

 特にこの数年は、岐阜の大名が美濃国から京へかけての関所を撤廃したことで、この地の人の往来は盛んになっている。

 比叡山とその系列の寺社、そして関で働く僧の懐は温かかった。

 破戒僧といえる慈雲らが、月の半分とはいえこうして似合いもしない労働のようなことを行うのは、これが割の良い収入となるからだった。

 もちろん、そんなこの地に慈雲たちが関を構えているのは、寺社勢力は大名の命に従っていないということを意味している。


「ステマル、シケた顔すんなや。銭も貯まったし、また半月ほどブラブラするぞ。町に出たら、いけ好かん侍がなんぼでもおるから、喧嘩売ったんがな」


 ステマルに明るさが戻った。



 ──────


 少し時をさかのぼる。

 戦乱の時代は都市だけでなく人の心をも荒ませていた。地方人が憧れるはずの京の都がどこよりも荒廃しているという有様だった。

 身寄りの無い子供など珍しくはなかった。

 しかし、以前は貧困とは縁の無かった家の者もボロを着て、その日暮らしの生活を送っているご時世である。そんな身寄りの無い子供たちの何人が生きて成人できるのだろう。少なくとも彼らが日々を生き残るのは至難の業であったはずだ。


 そんな京で、ステマルは生きていた。

 常にお腹をすかせていた。

 仕事を貰えれば何でもやった。死体運びでも便の汲み取りでもだ。

 働いてもその日暮らしだった。欺されて、悪い大人にタダ働きさせられたこともある。子供という理由で、給金を減らされることもしょっちゅうだった。

 助けてくれる大人なんていない。

 むしろ難癖をつけて危害を加えてくる大人が多かった。腹いせというやつだ。


 それにしても、その日の連中は酷かった。

 四人組の男たちと路地ですれ違った時だった。

 とつぜん男の一人に横から突き飛ばされ、ステマルは壁にぶつけられた。男どもはそれでもおさまらず、ステマルがぶつかってきたと難癖をつけて取り囲んできたのだ。

 連中はステマルを足蹴にした。ここで彼らに殺されなくても、怪我をして働けなくなってしまえば、それはステマルにとって死を意味する。

 ステマルは亀のように踞って、手足を守っていた。


 そんなときだった。

 連中の一人が宙に浮いた。

 男が腰を押さえて悶絶すると、男たちのステマルへの暴行が止んだ。

 ステマルがそっと顔を上げると、黒い着物に灰色の袈裟を着た男が立っていた。


『お坊さん…… なのか?』


 頭を丸めてそれらしい衣裳をまとっている。だが、迫力のある体つきが、ステマルがこれまで見てきた坊主の姿とは異なっていた。

 年端もいかないまだ多くの未来を残す子供に、念仏を唱えて来世に期待せよなどと平気で教え、今を生きている人を助けようともしないのが坊主だと思っていた。それが──


「助けてくれるの?」


 突然の乱入者に男どもがスゴむ。


「何じゃキサマは!」


「ワシか?」


 この僧侶こそ、偶然そこに居合わせた慈雲であった。

 慈雲は一瞬考えるような仕草を見せたが、すぐに悪そうにニヤつきながら答えた。


「ワシは魔王や」


「テメェ、ふざけん──」

 男の一人が話し終えるのを待たず、慈雲の拳が顔面をとらえた。男は吹っ飛んで壁に叩きつけられる。


「群れた大人が子供をいたぶって楽しんでんのが気に入らんな。今すぐその小僧に謝らんと、ワシがお前らをしつけのためにぶん殴ったろう」


 すでに殴っておいて、この言いぐさ。これでは退けない男どもは数で慈雲を囲もうとしたが、喧嘩慣れしている慈雲に全員が叩きのめされるまで、さほど時間を要しなかった。

 すると慈雲は


「お前らに虐められたせいで、ワシも小僧も怪我をした。医者代を置いて、さっさと失せろ」


 そう言って銭を巻き上げ、男どもを追い払ってしまった。

 ずいぶんと軽い口調の魔王がいたものだが、ステマルには充分の衝撃だった。本当に魔王に助けられたと思えた。それと同時に、この人とこのまま別れてはいけないとも思った。

 必死でこの場を去ってゆく四人の男の背を見下した目で見送る破戒僧の後ろから、ステマルは叫ぶように言った。


「魔王さま!」


「いや、だれが魔王やねん!」


 自分が魔王を名乗ったことも、もう忘れているのかもしれない。そんな慈雲にステマルは必死で訴える。


「オレを弟子にしてください!」


「はぁ? 弟子ぃ?」


「お経を教えてほしいなど言いません、お側で世話をさせていただくだけでもいいんです!」


「経なんか知らんから、そもそも教えられへんけどな」


 ステマルはその場に土下座し、すがるような眼差しで慈雲を見つめる。


「何で坊主になんかなりたいんや?」


「べつに坊さんなんかになりたくはないです。魔王さまのように強くなりたいだけです」


「一応、ワシの身分は坊主なんやけど…… そんなワシに坊さんなんかとは、よう言うたもんやな」


 なかば呆れながらステマルを見たが、ステマルは慈雲を見つめたまま目をそらさない。


「必死やなお前……。 ワシは力まかせに相手をシバくだけやから、教えることなんか無いねんけどな。まぁ、それでもええんやったら、好きにしたらええんちゃうか」


「魔王さまぁ」

 表情を明るくしたステマルが、目に涙を貯めながら安心したように言った。


「それヤメ! ワシの名は慈雲や」


「いえ、オレにとっては魔王さまです」


「くそっ、弟子になっていきなり口答えかよ」


 その日から、ステマルは慈雲に付き従った。慈雲はまだ子供のステマルに歩調を合わせてやるような人柄ではなかったが、ステマルは懸命についていった。


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