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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第六章 【焼き討ち】
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其の一  西方見聞録

「ほら、そこに丸太が残っているでしょ? かつての関所の残骸ですよ」


 タチバナが指を指した街道の両脇には、たしかに地に刺さったままの丸太や、放置されたまま朽ちた材木が転がっている。

 そんな自分の解説にさほど興味を示すこともなく通り過ぎていったエンに少々ガッカリしながらも、タチバナは話を続けた。


「関所の跡を越えましたので、この辺りはもう近江国ですよ」


 この言葉には心に響くものがあったようで、エンは柔らかな表情でタチバナに言った。


「俺、今初めて美濃から出ました。別に景色が劇的に変わるわけでもないのに、何だか新しい世界に踏み込んだような気持ちになりますね」


「これまでの限界だった枠を越えたのです。自分の世界が広がったとき、誰しもそんな気持ちになるものです」


 他国への旅が初めてではないタチバナは流石に落ち着いている。もはや美濃の周辺で彼が心躍らせることなどないのだろう。もっとも彼の場合は、初めての体験であっても落ち着いていられるのかもしれないが。


 一方のエンは楽しそうだ。


「はやく何処かの町で、他国の蕎麦ってやつを食ってみたいですね」


「エンさん、あなた昨日は岐阜が懐かしいとか言って、岐阜の町で散々飲み食いしましたよね。おかげで美濃を出るのが予定より延びたのですから」


「だって、こんな旅の機会はめったに無いですからね。タチバナさんだって俺に見聞を広めるようにって言ってたじゃないですか」


 急ぎの旅程ではないとはいえ、町が目に入るたびに豪遊されたのではたまったものではない。エンとは対象的にタチバナは暗い表情でエンを見た。


「どうしたんですか、タチバナさん。俺に見聞を広めるように言ったのを後悔してるんですか?」


「いいえ、今回の旅費は里がもつと言ってしまっことに、後悔をしているのです!」



 二人は今、京を目指して歩いている。

 この旅は、タチバナがエンを誘ったのである。

 濃武の里の労務局員であるタチバナが労務局の出張で京に用があるため、そのお供としてエンに声をかけたのだった。もちろん忍のお仕事ではないので、報酬は出ない。


「俺を連れても、護衛としては役不足ですよ」


 エンも当初は、そう言って乗り気ではなかったが、

「その代わり、労務局の出張の人員として扱いますので、旅費は里が持ちますよ。タダで旅ができて見聞が広がるのですから、悪い話ではないでしょう?」

 タチバナのこの言葉を聞いて、二つ返事で了承したのだった。


 エンにとってこの旅は、驚くことが多かった。

 最初に驚いたのが、水平線を見たときだった。


「すごい…… これが海ですか…… はじめて見ました」


「違います。これは琵琶湖です。」


「えっ!? 琵琶湖ってこんなに大きかったんですか。 いやぁ…… 大きい池だとは聞いていましたけど、想像とぜんぜん違った……」


 山ばかりの美濃国しか知らなかったエンには新鮮な景色。街道は琵琶湖の南を迂回するように西へと続いてゆく。

 そんな水辺の風景を右手に見ながら、エンはタチバナにたずねた。


「タチバナさんは本当に意味もなく、俺をこの旅に誘ってくれたんですか?」


「何を言ってるんです、意味なくではありません。前にも言ったでしょ? あなたには里の大事な人材として成長してもらわねばなりません。柔軟な判断を下すには、相応な知識が必要なのです。そのためにもエンさんには美濃だけでなく、広く日ノ本のことを知ってもらって、仕事に活かしていただかないと」


 タチバナは里の事業の拡大を計っているのかもしれない。その日暮らしな仕事への取り組みではなく、タチバナのような時勢を読んで先を見据えた営業を行える人物を得た濃武の里は幸運だった。


「ははは。タチバナさんは伊賀や甲賀みたいな大手の里に勤めた方がいいんじゃないですか? ウチの里ではそんな他国を股にかけたお仕事なんてやってないでしょ」


「違いますよエンさん、世の中は動いているのですよ。知ってますか? 岐阜の御殿様はかなりの切れ者のようで、勢力圏が一気に広がったのです。もう美濃の外は敵国ではないんですよ」


「美濃の中も外も領地。だから関所も必要なくなったんですね。住みやすい世の中で結構なことじゃないですか」



 やがて琵琶湖の西の湖岸とその向こうの山がよく見えるようになってきた頃、街道の前方に道を塞ぐような柵が見えてきた。


「さて、エンさん。ここからが、あなたの見聞が広がるところですよ」


「何のことです?」


「世の中、面白いものばかりじゃないということです」


 柵の正体は関所であった。

 柵のあちらとこちらに数名づつ、さらに道の脇には監視者のような男が居た。柵の手前に立つ男がエンたちに声をかけてくる。


「関銭は十四文だ」


 タチバナは男に二十八文を払い、二人は関所を通過した。


「もっと色々と調べられるのかと思ったら、ただ銭を取るだけなんですね」


「この辺りの関の目的は銭の収入源、そこで働く者は銭以外のことにはあまり興味を持ちません」


「へぇ…… そういうものですか」


 初めての関所の通過でエンの見識が広がったのかは分からない。しかし、そこから数里歩くと、前方にまたも柵が見えてきた。まさかとは思ったが、近づくとやはり関所であった。


「えぇ~、また関所があるの? いったい何重取りするんですか、これって悪質なんじゃないですか?」


 思わずエンは、タチバナに訴えかけた。

 タチバナはハッとした表情でエンを見る。エンが関所の人間に聞こえようかという距離で不満を声に出すとは思っていなかったのだ。


 エンの声は柵前の男には届かなかったようであったが、監視者とその傍の男には聞かれてしまったようだ。いかにも屈強な風体の監視者がエンとタチバナの方を見る。すると、監視者よりも若輩に見える傍の男の方が気性が荒いのか、振り向いてエンを睨みつけた。


「こら、言葉を控えなさい!」


 タチバナが周囲に聞こえるようにエンを叱った。

 初めてタチバナに声を荒げられたエンは身を縮めるようにしてうつむき、タチバナに付き従って関所を通った。

 関所破りを働いたり、面と向かって喧嘩を売ったわけではない。エンとタチバナが関の番人に咎められることはなかった。



 充分に関所から距離をとったところで、タチバナはエンに問うた。


「エンさん、何か気が付いたことは?」


「ふだん怒らない人に怒られると恐い……」


「違います、そうじゃなくて、関所を見て気が付いたことは?」


「ん~っと、そうだなぁ…………、岐阜の御殿様は関所を廃止したと聞いてましたが、全てを無くしたわけじゃなかったんですね」


 そう言いながらもエンは、通過した二カ所の関所の様子を思い返していた。

 あのときエンの方を見た監視者は、頭を丸めて僧侶のような格好をしていた。いや、それ以外の者も服装はまちまちではあったが、頭髪は丸めているか、もしくは短髪だった。


 ── !?

「あいつら全員、坊主だ」


「その通り。岐阜の御殿様はたしかに関所を撤廃しました。それでもああして関所が存在しているのは、寺社は大名に従ってはいないということです」


「なぜ従わないんですか?」


「大名より自分たちの方が偉いと思っているからですよ」


 タチバナの答えは簡潔だった。

 現に坊主たちは、彼らの主張を通すためならば、公家の屋敷や御所にまで乗り込んで直訴をするのだという。

 なぜそのようなことが許させるのか。

 坊主たちは権力者の元へと押しかける際、神輿を持ち出すのだ。

 要するに「我々には神仏がついている。我々に逆らうということは、神仏に逆らうということになるが、それでよいか」と、恫喝するわけだ。



「でも、通行料なんて何で一カ所で取らないんです? 彼らだって人手がかかるでしょうに」


「それはね、比叡山系の寺は各地に在って、それぞれが関所を設けて収入を得ようとするからです。通る人から見れば同じ宗派による単なる多重取りなのですか、本人たちはそれぞれが異なる関所だと思っていることでしょう」


 知らない事などいくらでもあるものだ。

 これまで僧侶と聞くと、どちらかというと世や人々に奉仕を行う『善』の側に立つ人々であると理解していた。それが今日一日にして、エンの価値観がひっくり返ってしまった。


「これくらいでウンザリしてはいけません。これからもっとウンザリするものを見ますから」


 その後も関所は存在した。中には露骨に威嚇するような態度の僧侶もいれば、通行料を払えない人を足蹴にしている者もいた。

 そして、京までの最後の関所へとさしかかったときであった。エンたちとは逆、京の方からやって来た老人が関所の番人ともめていた。

 何のことはない、通行料が払えないが、どうしても行かねばならない所があるので通してほしいと老人が懇願しているのだ。番人としては追い払うだけなのだが、老人の方も懸命に食い下がっているようだった。

 関所を通るエンたちをはばかることもなく、番人の僧侶が吠える。


「銭の無ぇ奴を助ける仏なんざいねぇんだよ! お前なんか今世も来世も野垂れ死んでろボケが!」


 ついに老人は番人たちから暴行を受けた。エンたちが去ってゆく背後で、老人の痛めつけられる声が聞こえてくる。


「タチバナさん、あれ」


 当然タチバナにも聞こえているはずだが、念のためにエンは、あれを放っておいてよいのかと確かめたのだ。


「関わらない方がいい。関所の者に、我々が他人に恵むほど銭を持っていると思われるのは危ない」


「どういうことです?」


「目を付けられると、襲われる可能性があるということです」


「そこまで酷いんですか?」


「彼らは僧兵です。仏門に帰依しているので肩書きは僧侶ですが、基本的に争い事での活躍が専門の兵士なのですよ。

 だから戦のない平時にああして労働のようなことをしている者はまだマシな方で、酷いのになると野盗まがいな輩までいますので、気を付けた方がいいのです」


 老人に加勢して関所破りになるわけにはいかないし、銭のない者にいちいち通行料を恵んではキリがない。関わっても良いことはないのも理解できる。……それにしたって、もう少し言い方があるってものだ。

 世の中の世知辛い面を知って沈むエン、足取りは重く口数も減っていたが、やがてタチバナが慰めるように声をかける。


「ほらエンさん、都が見えてきましたよ。下を向いていては、楽しいことも見逃してしまいますよ」


 ──────


 初めて足を踏み入れた京の都。西へ向かって真っ直ぐに延びる道は果てが見えない。さすが都だけあって他国の町とは規模が違う。エンは迷子にならぬようタチバナについて歩く。一度はぐれると二度と合流できる気がしない。

 人々は泥で衣服を汚しながら働いていた。子供も一緒になって汗を流している光景も見られ、町は活気ともいえる喧騒に包まれていた。


「ねぇタチバナさん、美濃で忍の派遣をやっているウチの里が、何で京に出張するんですか? まさか飛び込みの営業じゃないですよね」


「今回うかがう人は今は京に住んでおられますが、元々は美濃のお方なのです。明智様といいましてね、美濃の東の方の領主なんですよ」

「ふぅん……」


「明智様は岐阜の御殿様に仕えておいでで、今はこの京の番を任されているのですよ。だから商談も京でということになります」

「へぇ…… 偉い人なんですねぇ」


「まぁ…京まで来たところで明智様ご本人とお会いするのは難しいので、お話相手は家内を取り仕切るご家老様なのですけどね。ほら、ここです」


 タチバナはとある屋敷の前で足を止めた。ここが今回の旅の目的地であるようだ。



 エンは畳の間へ通された。タチバナが商談を行う間、ここで待てとのことだ。ふすまは全て開け放たれ、部屋は明るい。エンは畳の上であぐらをかき、ぼんやりと景色でも眺めているしかなかった。

 しばらくすると、すたすたと人の動く気配が近づいてきた。廊下の角をこちらへ曲がってきたのは、この屋敷に仕える女中のようだった。年の頃はエンと変わらない、小綺麗な着物をまとい清潔感がある。なによりも流石は都の大屋敷に仕える身、女中にすらどことなく気品のようなものが漂っている。


 エンはそんな女中が通り過ぎていくのをぼんやりと眺めていたが、女中の方はエンに気が付くと急停止した。


「あっ、お客様でしたか。すぐに湯などお持ちしいたします」


「いえいえ、俺は人の付き添いでお邪魔しているだけで、客というほどの者でもないですからお構いなく」


「はぁ、そうですか。それではごゆるりと」


 女中はエンに興味を示す様子もなく、社交辞令の挨拶と共に去っていった。女中の背中を見送ると、エンは再び独りとなった。

 京に来てからの全てが、これまで噂にしか聞いたことのない未知の世界だった。そして、何か引っかかるような違和感もあった。


 エンはあぐらをかいていた畳の上から、先ほど女中の通った縁側へと出て腰を下ろす。

 陽の光が差して明るい中庭には物音ひとつ無い。屋敷の外の喧騒はここまで届かない。

 立派な屋敷と庭だと思う。ただし、エンはこういった屋敷を初めて見たわけではない。濃武の里の労務局にも中庭は在るし、いつだったか暗殺に忍び込んだ領主の館だって、昼間であればこの様な光景であったのかもしれない。しかし、都というだけで同じ庭でも上等に見えるのだから、人の持つ印象というのは、見え方や感じ方へと大きな効果を及ぼすものである。


『ああ、そうか…… 想像していた都と少しズレているんだ。さっきから屋敷や中の人が綺麗なことに感心していたけれど違うな。外の人々が汚れていることの方に違和感あるんだ』


 これまで噂でのみ聞いてきた都という所は、貴族の屋敷だけでなく町全体が荘厳で、道行く人々も煌びやかな衣服、垢抜けて品のある人々、そんな町として完成された美を誇る場所だった。

 しかし、エンが自分の目で見た京の町に優雅さは無かった。むしろ未完成で泥くさい活気があったのだ。



「これでもずいぶん復興が進んで、活気を取り戻したんですよ。ほんの数年前までの京は荒れ果てて、この世の地獄のような区域がほとんどだったのですから」


 夕刻、屋敷を出たエンは、タチバナに京について語ってもらった。


 およそ百年ほど前から、日ノ本では戦乱が絶えなくなったのだそうだ。天下の武士たちは主にこの京を巡って争いを続けた。とうぜん戦乱の多くは京とその周辺の畿内が舞台となり、京の都は荒れに荒れたという。

 焼け出されて家を失う人も多ければ、なだれ込む兵による略奪で生活を失う人など、京のいたるところに屋根のない場所で生活を送る難民があふれた。路上に転がる遺体も珍しいものではなく、京の町は永きにわたってこの世の地獄と化していた。

 そんな京へついに数年前、岐阜の御殿様が入ったのだった。彼は将軍を補佐して政治機能を回復させ、多大な資金を投入して京の復興をはかった。それが今の京の姿なのだという。


さて、ここからは美濃への帰途となるのだが、エンは京への滞在を主張する。


「この時刻に京を立つと、じきに夜になります。今夜は京に泊まって明朝に発ちましょうよ。 ね、焦らずに、これから都の蕎麦でも食いにいきましょうよ」


「おかしいですね、あなたは自然の食料調達が得意で、野宿などお手のものと聞き及んでいるのですが、この旅で一度も野宿などしていませんよね」


「何を言うんですかタチバナさん、この辺りの夜は危ない。迂闊に外を歩き回って、野生の僧侶にでも襲われたらどうするんですか」


 労務局の経費となると躊躇なくたかるエンへのタチバナの視線は冷たい。里に帰着した時の残額を想像すると、野盗に会うのと大差ないのではなかろうか。

 いつの日か族と戦う仕事があれば、優先的にエンへ回そうと心に誓うタチバナがいた。


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