其の拾五 手に余るもの
「マチさん。マチさんはどんなお宝を想像していた?」
「そうね、もっとキラキラしたものかな」
「うん、俺もそうだよ。 でも違ったね」
「ええ。これは貨幣の山。木曽はいつの日か再起することを想定して、軍資金を遺したのね」
「じゃあ木曽家はキラキラした宝は持っていなかったのかな?」
「持ってたんじゃない? でもそれはきっと、木曽が滅ぼされた際に略奪された。いいえ…… その略奪も、この軍資金を隠すための囮だったのかもしれない。 もちろん別の家臣が別の場所へ隠した可能性もあるけどね」
マチコはエンにたいまつを渡すと、袋から紐を取り出した。紐の先には何やら鉄の歯のような物が括り付けられている。マチコは紐持って歯の方を穴へと垂らしてゆく。開いた状態の歯が貨幣の上に乗った。そこで今度はゆっくりと紐を引き上げる。すると、鉄の歯が閉じる仕組みのようで、ギザギザの歯が貨幣を一枚くわえるように挟まった。
「すごい、何それ」
「採取用に作った道具よ。けっこう簡単な仕組みなんだけどね」
そうして貨幣を手に取って立ち上がったマチコに、興奮冷めやらぬ様子でエンが言う。
「俺たち大金持ちだね。この金で…… どこか遠くで、二人で裕福に暮らそうか?」
「あはは。それもいいけど、こんなのどうやって遠くへ運ぶのよ」
「じゃあせめて、懐に入る分だけでも持ってかえ……」
「あっ!? これ古銭だわ」
エンはたいまつで銅銭をよく照らしてみる。たしかにそれは普段流通している物とは異なり、馴染みのない文字が彫られていた。
「もしかして、これって今は使えないお金?」
「ううん、古銭でも銭であることには違いはないから使えるとは思うよ。ただ……」
「ただ?」
「今となっては珍しい古銭だけに、使う度に色々と聞かれるかもしれないわね。 これは何だ……とか、どこで手に入れたんだ……とかね」
「う…… そのうち怪しまれて追及されたりして…… 使えないじゃん、そんなの」
財宝を前にして、エンもなかなか諦めがつかない。
「いっそ里を通して国守にでも知らせて、褒美でもいただくかい?」
「揉め事の元ね。キミとウチ、里が違うのよ。別里の忍同士で宝を探してきましたーって? ふだんお前たちは何をしてるんだっていうね……」
「たしかにマチさんとこの里とモメるのは嫌だなぁ」
「それに国守にっていうのも危ういわ。木曽の地はね、時期によって美濃国にも信濃国にも属してたの。報告されなかった方の国守が後で何を言い出すか。さらに木曽家の末裔たちも遺産の所有権を、下手したら京の将軍様まで口を出してくるかも」
「戦乱の火種ってこと?」
「そうね。ここや木曽の周辺が戦場となったら…… 少なくともウチらを泊めてくれた宿の人たちに迷惑はかけたくないわね」
エンのため息は深かった。
「はぁ…… この世はままならないものだねぇ。お宝を見つけても使えないどころか、不便なことしかないなんて」
そんな会話をしている時だった。とつぜんエンは全身の力が抜けていく感覚に襲われた。
強い脱力感に立っていられない。エンはその場にへたり込むと、座っていることすらできなくなって倒れた。
「ちょっとエン、どうしたの!」
意識はハッキリしていた、まぶたは重いが目も見える。ただただ体の自由が利かず、声を発することができない。そんなエンの様子からマチコは気付く
「これは!? 神経毒……… ウチじゃないわよ!」
先程までエンが持っていたたいまつが地面を転がり、古銭の穴へと落下してしまった。洞窟内は再び闇の支配が強くなった。
空気は洞窟の外から中へ流れている。マチコは入口の方を振り返った。今この洞窟で唯一明るさのある方向だ。そこには一人の男が立っていた。
「なんだ、これって効かねー奴もいるのかよ」
おそらくこの男が神経毒を流した張本人で、マチコには効かなかったことを言っているのだろう。
「まぁいい、私が狙ってたのは倒れているそっちの男だ。小さい方だけなら直接殺してやる」
男はエンを狙っているという。知り合いということか。
「よう、岐阜で私から宝の手掛かりを横取りしたのはキサマだろう」
「はぁ? 岐阜? 宝? 何言ってんのさ」
口が動かないエンに代わってマチコが対応する。
男はそんなマチコを無視するように、エンに向けて話を続ける。
「宝探しの終了を知らされた時、キサマは私と本部に居た。あの時は滅入って気が回らなかったが、その後に木曽で再びキサマを見かけた時にピンときたよ。私を襲ったのはコイツだってな」
エンは動かすことのできる目だけで男を見た。
『こいつ……、すっかり痩せて人相が変わっているが、あの時の組長か』
イチという名のこの男、岐阜でエンの率いる濃武の里組に手玉に取られ、醜態をさらしたまま行事の終了を告げられた。人一倍プライドの高いこの男は、この初めての挫折と屈辱に耐えられず、惨めなまま自分の里に帰ることができなかった。 以降、何かに取り憑かれたように美濃国内を徘徊していたある日、マチコと共に歩くエンの姿を見かけたのだ。
そう、あのとき自分は襲われて心を折られた、そしてその後すぐにたたみかけるように決勝戦の終了を告げられた。その時同じ場所にいたのがエンだったのだ。 その間彼は、エンたち以外にひと組の忍も見なかった。背格好も似ている。そのときイチは、自分の道を狂わせたあの覆面の忍をエンと決めつけた。そして後をつけた。
エンは宝山へと登り何かを見つけたようだったが、岩が邪魔で目的を達することができず、去っていった。
「いつか奴は再び戻ってくる」イチはまたも決めつけた。そしてその時までに準備を整え、エンを殺して大切なものを奪ってやる。自分と同じ屈辱をエンに与えることを誓ったのだった。
イチは日々の大半をこの地で過ごすようになった。毎日エンを待ち続けた。エンという壁を越えないと自分を取り戻せない。その執念がイチにこのおよそ百日を堪えさせた。
「私はあの時まで失敗などしたことが無かった。いつも完璧だったんだ。なのに…… なのに…… 私をコケにしやがって!」
「えっ? 仕返しがしたくて、あの日からずっと待ってたの? 直感だけでこの子を逆恨みして? うわっ気持ち悪っ」
イチの恨み節に対するマチコの言葉には毒が強い。
エンもイチのことを思い出しつつ、彼の執念深さにひいた。
『こいつはの行動は精神力が強いのか弱いのかよく解らないが、直感ばかりでこんなにも長く待ち続けるなんて…… まぁどの直感も当たってるんだけど』
ここでイチは初めて、マチコに向けて口をひらく。
「その声、おまえは女だな。女ごときが先程から私に生意気な口をききやがって!」
「はぁ? あんたウチにも喧嘩を売ってるね!」
売り言葉に買い言葉、マチコも熱くなってくる。
『案外、マチさんって冷静じゃないんだよな』
安い挑発でかんたんにヒートアップしたマチコを見てエンは思う。
「そいつの仲間であれば、おまえも敵だ。先に殺してやるよ」
そう言ったイチが洞窟内に踏み込んでくる。イチは知らなかった、視界の悪い所でマチコと対するのは分が悪いことを。
「ぐわっ!?」
イチが苦痛の声を上げた。彼の目とその周りに、数本の針が刺さっていた。手頃な闇は、暗器使いの独壇場だった。
イチは傷付いた目を押さえながら、他者へのさげすみを込めて吠える。
「エリートの私に下賤の女ごときが調子に乗りやがって! 身の程を知れっ」
『ダメだこのコイツ、マチさんを挑発しすぎだ』
プライドの高い馬鹿は、自分のプライドを安定させるために目の前の相手を罵る。イチの場合は視力を奪われた状態でそれをやったのだから度し難い。
次の瞬間、マチコの怪力を込めたグーが、イチの顔面にめり込んでいた。宙に浮いたイチは、長い滞空時間を経て洞窟入口の外側に落ちた。
すると、その時だ。
ゴロゴロと、雷とはまた似て非なる轟音が響いたかと思うと、洞窟内が完全な暗闇に包まれた。
『なに?』
「たぶん、崖が崩れたのね」
暗くて何も見えない。今はたいまつも無い。人を心細くさせるには充分な闇だった。
「エン~~…… って返事できないか」
そんな独り言を呟きながら、マチコは手探りでエンの所まで這ってきて、エンの体に触れた。
─────
闇に目が慣れたところで暗いものは暗い。洞窟の入口があった場所は、今は落石や土砂に塞がれてしまったが、小さな隙間や土砂の薄い部分があるのだろう、数カ所だけぼんやりと淡く光が滲んでいるように見える。闇の中でもそこが唯一の漆黒ではない箇所ではあったが、今日はあいにく外にも日差しが無いため、その淡く滲む光が洞窟内を明るくすることはなかった。
「ウチには効かなかったということは、あの神経毒はウチが扱い慣れている薬だね。なら大丈夫、死にはしないわ。時間が経てば動けるようになるよ」
そんな診断を下されて以来、エンはマチコの膝枕という栄誉にあずかっている。
この閉塞された闇の中で長時間、黙って時間を潰すのは精神的につらい。エンの方からは喋れなく、会話も成り立たない現状では、こうして看病のために触れておくというのが、マチコには寂しさを紛らわせるいい口実だった。
エンが口をきけないため、マチコは一方的に何かを話すしかなかった。
マチコは珍しく自分のことを語った。亡くなった父が細工師で、後に母が再婚した新しい父は医者だったこと。母は女相撲の横綱で、その母に幼少の頃から訓練を課されてきたこと。しかしマチコは女相撲が裸に廻しの格好で行われると知って以来、父から知識を吸収して別の道を探った。十歳を越えた時、マチコは父を味方に付けて忍の道へ進みたいと母を説得したという。
マチコの能力の源が総て詰まったような話だった。
やがて、エンも口が動いて声を発することが可能となり、指先も動いた。やっと返事のない一人語りから解放されたマチコが問う。
「それにしてもキミ、あの馬鹿に何をしたの?」
「お宝探しの決勝戦の時にね、あいつが面白いことをしてたんで、俺も真似してみただけさ」
「いや、いくら何でも、そんなことくらいであんなに怒らないでしょ。キミ、殺されるところだったんだよ」
「でも、マチさんが怪力の拳で返り討ちにしてくれたから助かったよ」
「な!? か…… かいり… き── な、何のことかしら…… げ…幻覚、そう幻覚よ。キミは神経毒のせいで幻覚を見たのよ…… あいつは自ら洞窟を出ようとして、不幸にも土砂に潰されたのよ」
この人はたびたび目の前で剛腕を振るっておいて、あくまでそれを無かったことにしたいらしい。
「さて。そろそろここを出ようか。」
身体が動くようになったエンは、財宝の穴に近い場所の左右の壁に自身の輪付きクナイを突き立てると、少し弛むように縄を輪に通した。さらに穴への淵の辺りの地面にマチコの鎧通しを二本突き刺す。
一方マチコは、まだ残っている爆弾から数本を入口の土砂の薄い隙間へ差し込んでいく。
「じゃあ火、点けるね」
マチコが導火線に火を点けると、洞内がほんの少しだけ明るくなった。この明るさを頼りに、二人は先程穴の淵に突き立てた鎧通しを掴み、これも先程エンが張った縄に足を乗せることで、財宝の穴に身を隠す態勢をとった。穴の上に出ているのは鎧通しを掴む手だけ、これで爆風を避ける準備ができた。
洞内に鳴り響く爆音に耳を潰されそうになりながら、その音が静まるのを待って顔を上げると、洞窟の入口には再び外の景色が見えていた。ただし開いたのは入口の上半分、下部はまるでイチの墓標であるかのように、土砂が爆風で吹き飛ぶことはなかった。
まずマチコが入口に残った土砂を登る。そして、まだ万全ではないエンに上から手をさしのべる。
手を伸ばそうとしたエンだったが、「あっ、ちょっとまって」と懐からこの地までエンたちを導いた古文書を取り出すと、洞窟の内壁に立てかけるように置いた。そして改めて手を伸ばし、マチコの手を掴む。
二人並んで立つ土砂の上、広がる外の世界は悪天候だったが、洞内よりは遙かに明るく澄んで見えた。
「こんな日に絶対に出かけたくないって思ってたのに、不思議なもんだね」
「はは、まだ災害の真っ最中なのに…… 静かで暗い穴の中よりは快適に感じるってね」
二人は積もった土砂から降りた。ちょうどその時、上から音がした。二人が見上げると、またも岩や土砂がなだれ落ちてくる。
「あぶねっ!?」
慌てて飛び退く。土砂は先程まで二人が立って景色を楽しんでいだ場所に降り注ぐと、まるで木曽が盗掘を拒むかのように、また洞窟の入口を隠してしまった。
「今のは危なかったんじゃない?」
「たしかに危なかったけど、爆破して塞ぐ手間が省けたみたいで、むしろ良かったよ」
まだ雷が治まっていなかった。二人は登ってきたときと同じように壁伝いに移動する。
歩きながらマチコは、エンが洞窟に宝の在処が記された古文書の日記を置いてきたことを思い出した。
「ねぇ。あの日記、あそこに置いてきてよかったの?」
「いいさ。もう俺とマチさんは知ってることだしね。いつの日か、俺かマチさんのどちらかにあの財宝が必要になった時は、また掘り出せばいいんじゃないの」
「そんな日がくるのかな」
「来なけりゃ子孫に日記で書き残せばいいよ」
「あはは。そんなことをすれば、ウチとキミの子孫が宝を巡って争うかもしれないわよ」
「じゃあ、争いにならないように共通の子孫を持つって方法もあるよ。そうすりゃ日記もどちらかが書けばいいから楽だ」
「もう…… バカね……」




