其の拾四 木曽の財宝
ズンッ
──!?
とつぜん目の前に袋を置かれたマチコが、その袋の主を見上げる。
「あら、エンか……… なぁに? この袋は」
「お土産だよ」
この「お土産」の言葉が、稽古のために近くに立っていた門下生のフジの耳にも入った。
「なになに? お土産? 私にも見せてよ」
フジが人懐っこくもエンの土産に食いついてきたもので、エンは笑顔でお裾分けの意思を伝えた。
「火薬でよければ、フジさんも少し要りますか?」
「火薬?」
フジは袋の中をのぞき込んだが、火薬と言っても灰色の砂にしか見えないその中身にガッカリ感を隠しきれない。
「今回は遠慮しとくわ…… できれば次回は、甘いものにしてね……」
フジが稽古に戻ると、袋の中を確認したマチコが驚いた様子でエンに尋ねる。
「キミ、本当に火薬を手に入れてきたの? それもこんなに大量に。いったいどうやったら、こんなものが……」
「ちょっとお仕事でね。大量の弾薬を運ぶついでに、少しだけ拝借してきたんだよ」
マチコは訝しそうにエンを見る。
「キミそれ大丈夫なの? 危ない橋を渡ってない?」
「大丈夫だよ。そこの人たち、弾薬の在庫が把握できなくて困ってたくらいだから。マチさん、俺のこと心配してくれてるの?」
「どこぞのヤバい組織の火薬に手を出したキミが組織に狙われるとして、ウチがその盗んだ火薬を使ったら、ウチまで狙われるんじゃないかと心配しただけよ」
マチコの素っ気ない答えに気を落としながら、エンはマチコに宝山での約束を確認する。
「火薬がたくさん要るってのがどのくらいなのか分からなかったんだけど、それだけあれば足りるよね。じゃあ次はマチさんの番、頼んだよ。
……あぁそれとね、余った火薬はマチさんに差し上げるんで、例の物だけよろしくね」
あの岩をも吹き飛ばす爆弾。もちろんマチコは作ったことがない。エンに丸投げされたマチコを不安が押し潰しにかかる。
エンは剣の稽古に汗を流しながらも、固まったまま動かなくなったマチコの様子を覗っていた。やがて口元の緩むマチコが目に入ると、とうとう壊れたかと思い彼女に近づいた。
「自宅に火薬を所持する女子。なかなかぶっ飛んでて良いわね」
何だかおかしな独り言が聞こえた。エンは拾わないでおいた。
─────
爆弾が完成したとマチコの報告を受けたのはもう、ひと月も前のことだ。その時から待ちに待った今日、屋外は荒れていた。エンは二日に一度は天候に敏感な農家の老人のもとへと通い、三日前にはすでにこの台風の襲来を察知していた。
「イヤよ! 何でこんな日に出かけなきゃいけないのよ!」と、ゴネるマチコを強引に連れ出して、エンたちは再び国境付近の宝山を目指した。
強風に翻弄されながら、二人はなんとか木曽の町に入った。しかし町の往来に人の姿はない。商店も全て閉まっているようで、多くの建物では窓に板を打ち付けて台風に備えた補強がなされていた。
二人は宿へと向かったが、どの宿も『満員』と書かれている。どうやら旅人たちも嵐をやり過ごすまでは引き籠もりを決め込んで、早くに宿に押しかけたのだろう。
「宿が無理なら仕方がない、野宿するか……」
「バカ、嫌よ! 台風なのよ! 自然を舐めるにも程があるわ! いくら暖かい季節でも、雨に濡れて風に曝され続ければ体温を持っていかれるんだから。ウチは凍えて野垂れ死ぬなんて嫌よ!」
エンの能天気にな発言に、マチは命の危険しか感じない。
「大袈裟だなぁ。じゃあ濡れないように何処かの屋根とか、枝葉の覆う森とかを探そうよ」
「とっくにズブ濡れなのよ、ウチもキミも! 濡れないようにじゃないでしょ、何でそう危機感がないのよ!」
「さてはキミ、大雨の日に用水路を見に行く種類の人間ね」
「キミ、お仕事や戦闘ではあんなに慎重なのに、どうしてそれ以外のことはそんなに雑なのさ」
マチコがぶつぶつと、たたみかけるように文句を言ってくる。
「あ…… あの…マチさん?」
エンの言葉にハッと我に返ったマチコは、ダラダラと文句を垂れ流している場合ではないとばかりに『満員』と書かれた宿の一つに立ち入ると、宿の女将と交渉を始めた。このままでは大嵐の中で野宿をさせられる。マチコは必至で交渉した。物置でも土間でも構わない、お代は部屋泊まりと同じだけ払うからと。
さすがに嵐の中へ放り出すのは気の毒に思った宿の女将は、従業員用の部屋が一つだけ空いてるからと言って泊めてくれた。
夜になっても外で吹き荒れる風の音のせいで、この薄暗い部屋が静寂に包まれることはなかった。エンとマチコは宿が貸してくれたお古の肌着を着て従業員部屋に居た。
部屋の隅から隅へと張られた紐に、背伸びをしたマチコが濡れた衣服を掛けている。エンはそんな肌着姿で家事のようなことをしているマチコをぼんやりと見つめている。やがてマチコも自分の方を向いて呆けているエンに気付いた。
「なぁに。ウチに見とれているの? でもキミ、くノ一とは一緒になれないんじゃなかったの?」
エンは慌てて下を向く。
「ウチの実家はけっこう裕福よ。だから両親を説得するのは今のキミには少し大変かもね。 ふふっ せめてもうちょっと、しっかりしてくれたらね」
「な…… なんでそんな話になるんだよ」
薄着の女性というものは男心を惑わせる。エンもお年ごろであり、女性に興味がないわけがない。こういう時の男は自分を納得させるために、相手の女性に手を出せない理由を捻り出すものだ。
『もしこのままマチさんを口説いたり手を出そうとして、拒まれたらどうする? いや、むしろそうなる可能性の方が高いはずなんだ…… うん、嫌がられるに決まってる。 そして、そんなことがあったなら、きっと俺は明日から気まずくて、マチさんと一緒にいられないだろう。道場にも通い辛くなる。そんな未来は避けなくては。 そう…… 今はその時じゃないんだ!』
これが、そもそも女性を口説く技術など持たない、まだ色町にも行ったことのない健全?な青年ことエンの逃げ口上であった。
夜が明けても強風は治まることはなかった。山の方角からは雷鳴も轟いている。しかし、一時的ではあろうが、雨がほぼ止んでいた。
── 今しかない
エンとマチコの二人は、宝山へと向かった。
町で聞くよりも雷鳴が近くなった。しかも避雷針となる木も少ない岩山である。落石に気を付けながら、なるべく岩壁の傍を歩いて登った。
「あぁ…欲に目がくらんだ者はこうやって死んでいくんだわ」
「自然にたてついた愚かな人間は、きっと大地の罰を受けるのよ」
「宝を目前にして我々は大地の生け贄となり、霊として宝を護っていくことになるのよ」
マチコが壊れたかのように、ぶつぶつと縁起でもないことを呟いている。
「マチさん…… どうしたの?」
「怖いのよ! あのピカピカと光りまくってるのがここに落ちたら一瞬で死ぬのよ! 怖すぎて何か言ってないと落ち着かないのよ!」
しかしこれこそ、エンの待ち望んだ状況なのである。ここはそもそも人通りの少ない岩山で、ましてや今は災害の真っ只中。しかもこの雷鳴の中となれば、盛大に火薬を使って岩の爆破を行っても誰かに気付かれることはないはずなのだ。
そうしてついに到着した。マチコが古文書から財宝の在処とふんだ、あの岩の前であった。
まずは前回の経験を生かし、一見大岩にしか見えないながらも元は石と石の隙間であったと推測できる箇所をクナイで掘って、爆弾を差し込めるだけの隙間を確保していく。
マチコは差し込みやすいようにと、爆弾を細長い形状に作っていた。これを十本、岩の隙間に差し入れてゆく。
マチコは三十本の爆弾を作製していた。それでもまだ、火薬は余ったらしい。
「じゃあ、やるよ!」
マチコは十本の爆弾へと結ばれている導火線に火を点けた。ジリジリと導火線の火が大岩へと近づいていく。この導火線ジリジリ期間が与える見守る人への高揚感、二人は食い入るように導火線を見つめる。火は岩の隙間へと入ってゆく──
火が消えてしまったのか? と思わせる一瞬の間を置いて、凄まじい爆音が鳴り響いた。 覚悟して見ていたエンですら驚いて、耳を押さえた。
音と砂煙がおさまるのを待って、二人は先程まで大岩があった場所へと近づいた。
── やった………
岩壁に大穴が開いていた。決して先程の爆発で開いた穴ではない。約四百年もの間、穴を塞いでいた岩を爆破したことで本来の姿を現したのだ。
「すごいマチさん……。マチさんの言ったとおり、本当に穴があった!」
二人はついに洞窟へと足を踏み入れる。
ところが、入口からほんの三十歩ほど進んだ所で二人の足は止まった。足場が無くなっていて進めないのだ。もしかすると先程の爆破の衝撃で、ここの足場が抜けたのかもしれない。しかも暗くて底はよく見えない。
マチコは袋からたいまつを取り出した。洞窟に踏み込むのだから当然の備えではあるが、さすがにマチコはこのテのことによく気が回る。
たいまつに灯火すると周囲が明るくなった。前方に足場の続きが見えたが、とても飛び移れる距離ではない。エンとマチコは足場が抜けて開いた穴の底を照らした。
「おおっ……」
「ああ……」
「マチさん、これって」
「う…うん、すごいね」
まるで地底に水が貯まってできた池のように、錆びたような色の銅銭が積もり貯まっていた。
貯まった銭の上面だけが見えているため、どれ程の深さまで積もっているのかは判らない。それでも膨大な額になることだけは間違いない。
なるほど、お宝は洞窟の奥深くに隠されていると思いがちなのを逆手にとり、入口の近くに空洞を掘ってそこに財宝を流し込んで、空洞に蓋をしていたのだ。
しかし、先ほどの爆破の衝撃でその蓋が崩れたのだろう。
ついに見つけた。
これが木曽の財宝であった。




