其の拾三 黃忠
やがて梅雨が明け、夏の日差しが肌を射すようになった頃、夏の出兵が開始された。
エンは西澤氏の縁者として、この軍に加わっている。鎧は西澤家の蔵にあった物から、簡易で家紋の入っていないものを借りて身に着けている。また、侍っぽさを出すために髪は後ろへ流して束ね、額に鉢がねを巻いてみた。これで雑兵以上の武将未満くらいに見える。
この軍は急がない。目的地が近隣とはいえ、ゆっくりと進み、野営を行って日をまたぐ。これも野営から戦陣の経験を積むためにと、領主からの指示であるらしい。しかもこの日の野営地は、まだ敵地ではなく自領内である。営内に緊張感はなかった。
夕刻、野営地にて早々に設営を終えた営内は、炊事の当番以外は休息時間となっていた。エンはこれも西澤家の者として輜重を護る幕を回って視察を行った。
広い平地を選んで野営地とし、輜重は荷駄ごと幕で囲って固めてある。幕は三つ。食糧と弾薬、もう一つは囮のため中には何も無い幕であった。
エンは弾薬を保管する幕へと入った。硫黄のような臭いが幕内に籠もっており、あまり長居はしたくない場所だった。そんな場合に大きな袋が、ざっと二十は置かれている。これら全て大雑把に袋に詰められた弾薬である。少量でも高価なものであるはずだが、これを人ではなく砦に向けて撃ち尽くそうというのだ。無駄遣いにも程がある。
たしかトトキからの情報でも、跡取りは弾薬の浪費が激しいだけでなく管理も杜撰であるため、領地の役人も正確な弾薬の在庫が把握できなくなっていると聞いた。
エンはこれら輜重隊の隊長を捕まえて話した。
「じつは作戦の一環で、これら予備の弾薬を今夜中に帰らせることになりました」
「はぁ? こんな量を持ち出しておいて、そのまま持って帰れってか?」
「こんな量だからですよ。この規模の作戦でこの弾薬はさすがに無いなって」
「おいおい…… そんなこと、準備の段階で気付けよ」
「まったくです。ですが、上の決定ですのですみませんがお願いします。撤収はなるべく静かに今夜中にお願いします。あと、見知らぬ私からの言付けでは心配でしょうから、西澤様の方に確認してみてください。帰って理不尽に叱られないように証文も記すよう伝えておきます」
腰の低いエンに毒気を抜かれた輜重隊長は素直に了解してくれた。そんな輜重隊長に、合図に使用するための五発分の弾薬だけを残して貰うようにお願いして、エンはその場を後にした。
翌朝、跡取り率いる軍は領境を越えた。
ここからが侵攻の開始であり、昼には砦へと到着するという短かな進撃である。
そんな軍が、もはや見慣れてしまった敵の砦の前へと到着したときには、すでに砦は戦闘態勢で守りを固めていた。
季節ごとにこの地へとやって来ては、砦の部隊と睨み合う。こんなことでも繰り返せば段々と手慣れるもので、砦の兵たちが決められた配置につくように、跡取りの軍の方も自然にこの地での兵の配置が決まってきていた。軍の大将である跡取りは、少し後方ながらも砦までが見える位置を本営として指揮をとる。
兵の配備が終わる頃、跡取りの守り役でありこの軍の副将格でもある西澤老人は、エンを伴って本営を訪れた。
本営には跡取りしかいなかった。西澤は型にはまった挨拶をして跡取りの傍へと近づいてゆき、エンもそれに続いた。他人を恐がる跡取りは、見知らぬエンを見て少し尻込みをしたが、それに対しエンはこれ以上ないくらいの目ぢからを込めて跡取りを睨みつけた。
「ひっ」
「こちらはエンドウ殿といいまして、此度の作戦で若の身辺を警護するために用意した者です。信頼できる者ですので、ご安心召されて指揮に専念くだされ。それがしは持ち場に戻りますので」
エンはエンドウと紹介された。西澤氏のお墨付きの侍という体をとるので、侍風にエンではなくエンドウ氏を名乗ることにしていたのだ。そうして跡取りの傍にエンを立たせると、西澤はさっさとその場を去ろうとする。
「いや…… あの…… ジィ……… 待っ」
一部隊であるため本陣と呼べるほどのものでもないのだが、跡取りが床机に座り、すぐ横にはべるようにエンが立っている。そして西澤の指示があったのだろうか、二人から少し距離をとって普段より離れて囲むように兵が控えている。
全員が配置についた。しかし見知らぬ男に張り付かれて緊張する跡取りからの命令が出ない。
「ご命令を」
そう促されると、跡取りはエンに怯えながらも、当初の予定通りに命令を下した。
「鉄砲隊、撃て」
近くの兵は、そんな跡取りのあまり通らない声を聞くと、太鼓を三度叩いた。これが合図であるらしい。前線の指揮官から「放てぇ!」と声が飛ぶ。
パンパパパンパパンパン───
銃撃が始まった。地形の関係で鉄砲隊全員が横並びとなる広さはないため、兵は横三列に並んでいる。
最前列が撃ち終えると後ろに回り、再度撃つ準備に入る。その間に最前列となった兵たちが発砲するという動きを繰り返す。戦術でも何でもない、ただただ戦場の幅の問題で、鉄砲の三段撃ちが完成していた。
一人が三発分の弾薬を保持していたため、合計で九列分の発砲が行われた。相手は身を隠してさえいれば当たるものではないのだが、あの銃声からの弾丸が全て自分たちに向けられていると思うと心中穏やかではない。
「鉄砲を撃ち終えたようです」
エンが誰にでも判る報告を傍から告げる。
「うん…… じゃ、じゃあ、鉄砲隊に弾薬を補充させ」
「それは出来ません!」
エンは言葉を被せるように否定する。
何を言われているのか理解ができず、跡取りがエンの顔を仰ぎ見る。それに対しエンは跡取りの目を見ることなく、直立で前を向いたまま告げる。
「弾薬の補充隊はすでに引き上げさせています。ですので予備の弾薬はありません」
命綱を失ったような衝撃に、跡取りの顔から血の気が引く。
「な、なら退くしかない……」
「いけません。退かずに戦いましょう」
そんなエンの言葉を無視して、跡取りは近侍の兵に撤退の準備を指示した。
前線の兵は戦闘準備のまま、後ろの兵たちが撤収の準備に入る。備え付けていた旗などを外す兵の姿がエンから見えた。
当然のことながら、それら撤収の動きは砦の方からも見える。砦の将はいつもなら敵の撤退を苦々しく見送るところだが、今回は覚悟が違った。『敵は日頃の憂さ晴らしのために、我々に向けて鉄砲を撃ちに来ている』あの情報を耳にして以来、彼は怒りに打ち震えていた。そんなものを許していては領民に示しがつかない。そして何より侍の矜持にかけて、敵にひと泡吹かせねばおさまらない。
この撤収作業を見て銃弾を撃ち尽くしたのだと判断した砦の将は砦の門を開き、跡取りの手勢に向けて襲いかかった。
「そ、そんな……」
敵が打って出た様子は跡取りにも見えた。敵が向かってくるという恐怖に、跡取りは色を失う。そして独り言のように呟く
「弾薬さえあれば………」
「あの仕掛けの早さは、元々こうして打って出る作戦を立てていたのでしょう。ならば弾薬が有っても無駄です。こちらが全てを撃ち尽くすのを待ってから飛び出すことに変わりはありませんから」
エンの分析は正しい。ただし、敵がここで打って出るように事前に砦の兵を挑発しておいたのもエンたち忍であることは内緒である。
しかし跡取りにとっても先程から見ず知らずの男に口出しを続けられることには釈然としないものがあった。エンドウと名乗るこの男、守り役が連れてきたとはいえさすがに不審に思ったのか、跡取りは勇気を出してエンに食ってかかろうとした。
「き、キサマは何なのだ! キサマが弾薬をかって…」
「敵が殺しに来る前に私に殺されたくなければ、耳だけで私の話を聞き、前を向いておくんだな」
「ひっ!?」
傍から偉そうに口を出す男に、さすがに抗議しようと声を荒げかけた跡取りであったが、言葉を被せるように耳元でエンにすごまれると、怯えながら前を向いた。
もはや何に怯えているのか分からない様子で、ただただ手をこまねいて時間を浪費する跡取りに
「なぜ手を打って反撃しないのですか? 怖いのですか?」
「戦は人が死ぬ。ワシは死にたくはない」
分かっていたとはいえ、ヌルいことを言う。
そんなヌルい一軍の将に、エンは侍ですらない自分にでも分かることを語りかける。
「貴方は死なないよ」
「えっ?」
「死ぬのは貴方じゃなくて、貴方の配下や家臣だ。彼らが先に死なない限り、貴方に死ぬ番は回ってこないよ。よく考えた方がいい、こうして貴方が死ぬことを怖れてじっとしている間に、貴方の味方は指示も与えられず無駄死にしていく。分かるかい? 死を怖れてじっとしていることこそ、味方は倒され貴方は死に近づくんだよ」
「…………」
「もっと言ってやろうか? 死にたくないのは貴方だけじゃない。死ぬのなんて誰だって嫌さ。おおかた幼い頃から「死を怖れるな」なんて教えられてきたんだろ? でもね、死を怖れない奴なんて世の中では一握りの少数派、そいつらの方がおかしいんだよ」
跡取りは、少しエンの話に引き込まれている自分に気づく。いままで自分に講釈をたれてきた連中とは違い、生の人の声に聞こえたのだ。
「貴方が教えられてきたのは帝王学、上に立つ者の心構えってやつで、建前だよ。人を率いる立場の者は下々の者への見本となるために、そんな建前を押し立てて強がるものなのさ。
ちなみに、普段どんなに死を怖くないと強がっている奴でも、怖い死に方がある」
「…… それは?」
「無駄死にだよ。人は『死』に意味を欲しがるものさ。しかし貴方は、未だ兵に指示を出していない。上からの指示はなく敵には攻められて、前線の兵から順番に無駄死にしていってる。貴方は自分が死にたくないことだけ考えて、貴方のためについてきている味方を今も殺しているんだ」
「そんな…… ワシはそんなつもりは……」
「このまま逃げ帰れば死んだ人は無駄死にさ。このさき自分を恨む人々の中で生きるのは、死ぬより怖いよ」
「どうすれば……」
「今すぐ命令を出すんだよ。そして砦を落とすのさ」
「でも…… もう鉄砲の弾が……」
「貴方は鉄砲より強いものを持っている」
「そんなもの……」
「西澤様がいる。今すぐあの人を呼んで、砦を落としてこいって、周りの者に聞こえるくらいの声で命令するんだよ」
「……ジイに?」
「あのお方こそ貴方のお父上に仕えて国を強くした立役者だろ? 貴方はあの人を舐めすぎなんだよ。帰ったら謝って、あの人への態度を改めるんだな。
おい! そこのあんた! 西澤様を呼んでくれ!」
エンは控えている兵に言った。兵はエンが何者かを知らない。西澤が連れてきて跡取りと居るのだ。何か特別な立場の人だと思っているのだろう。兵は素直に従った。
すぐに西澤はやって来た。
エンは跡取りに耳打ちする。
「さあ、声を張って言ってやりなさい。これに全てがかかっていると思ってね」
エンに人を洗脳する能力はない。教祖のように人を先導するのも向いていない。だが、跡取りはエンの話に乗せられるかのように、彼なりに声を張った。
「西澤!」
「はっ!」
「これより敵に突撃し、砦を落とせ!」
このエンという男は若君に何を言ったんだ? と、内心ふしぎに思いながらも、ハキハキと命令を下す跡取りに感動した西澤は笑顔で応える。
「はっ! ただちに砦を落として見せまする」
そんな西澤にエンが補足した。
「西澤様、このあと一斉に五発の銃声を鳴らします。それが突撃の合図です」
「おう!」
そう若々しく答えて、西澤が配下のもとへ去っていった。
エンは五発分の弾薬を残していた。跡取りを通して近くの鉄砲隊に装填させると、味方に当たらぬよう一斉に空へ向けて発砲させた。
ダダンダンダダン
『撃ち尽くしたのではなかったのか!?』
鳴り響く銃声を聞いた敵がひるんだ。そこに西澤率いる騎馬八騎が突撃した。
敵が混乱する。現れた騎馬は少数、戦うべきか退くべきか迷った。そんな一瞬の躊躇が歴戦の将である西澤の前には致命傷となった。敵を蹴散らすように西澤隊は割って行き、敵より速く砦の門をくぐった。砦兵が門を閉めることができなくなったところに、敵兵と共に味方の兵もなだれ込む。もともと勝てる戦力で侵攻しているのである。もはや砦の占拠は容易かった。
ともあれ、この戦は跡取りがその指揮の下、砦を攻略する形で決着がついた。真相はともかく見た目には、理想通りの結果に納まった。




