其の四 マチとの遭遇
可児の町へは、翌日の夕暮れ前に到着した。
町の雰囲気を知るためにも、この日は野営はせず、町へ入って宿に泊まった。与えられた二階の部屋の窓から表の通りを眺めていたが、取りたてて不審なものは見当たらなかった。
翌朝、いよいよ濃武組は町の探索を開始した。与えられている手掛かりがあまりにも少ないので、とにかく町を歩いてみることにした。まさに闇雲というやつだ。
「この町にもそれなりの数の忍が入ってるみたいだな」
通りを歩きながら、エンが後輩たちにそう言った。
「分かるんですか?」
「そりゃあ、ある程度は分かるさ。っていうか、四人で行動している奴は、まず忍と疑っていいんじゃないか? ほら、アレも、アレも」
エンは目につく四人組の通行人を指さした。
「でも、四人組ってだけじゃ…… この町の人かもしれないじゃないですか」
大雑把なエンの洞察に、リュウが指摘を入れた。
「勿論そうさ、判りにくい人だっている。ただ、全員が旅装だったり、逆に全員がバラバラな衣装で組んでいたりすると、まず間違いないんじゃないかな」
それからは忍と思しき者を見付けては、濃武組四人で指摘しながら町の中を歩いて回った。ゲーム感覚で刺激があったのか、次第に町の探索よりもそちらに熱中していく四人がいた。
そうした結果、濃武組の視界に入った者たちだけでも、この町にはすでに六組の忍がいた。また、忍とは断定できない者たちも二組いた。
後者のうち一組は、荷物の運び屋と思しき四人組だった。これだと四人が同じ格好でも不自然ではない。 もう一組は、町人風の男女四人組だった。四人で行動する理由は判らないが、見掛けだけならば往来の町人たちと遜色がなかった。
そうこうしている間に一刻ほど町をうろうろしただろうか、当たり前だが、町中にあからさまな手掛かりなど用意されているわけがない。得たものといえば、この町の道に詳しくなった程度だった。あまりの収穫の乏しさから、もっと何かの狙いを絞った調査せねば埒が開かないと全員が思い始めている。四人は休憩がてら足を止めて、通りの端の軒下の陰に寄って固まった。
そんな時だった、エンの視界にただならぬものが飛び込んできたのは。それは男三人と女一人の四人連れ、他里の忍の組と思われた。他里の忍の存在がただならぬ訳ではない。ただならぬのは、その中に見知った者がいたことだ。
小柄で少し茶色がかった短めの髪、それはエンと道場を共にするマチコだった。
『おいおい、あの見た目だけ活発そうな引き籠もりが、何でよりによってこの町にいるんだよ』
たまたま男友達とこの町に遊びに来た・・・なんて訳はない。当然よその里の代表として来たのだろう。マチコが自分のうかがい知らぬ所で同じ行事の担当へと選抜されていて、そして同じ町へとやって来るのだから、世の中は狭いものである。
『あの人が働いてる姿を始めて見るけど、宝探しの若手を引き連れているってことは、エリートだったのか』
どうやら今の立場は敵同士ということになるが、心情的にはどうにもやり辛い。私情を挟むのがよろしくないことはエンにも分かってはいる。それでも、イベントが始まって早々、わざわざ気の知れた仲間を敵に回して争うというのは、やはり気が引ける。むしろ優勝を狙っていくならば、一時的に共闘するなどの道を探る方が効率的とも思えた。
ただ、仮に彼女たちと共闘するのだとしても、それはもっと後の話だ。ひと組しか勝ち抜けない町に二人が居たのでは潰し合いにしかならない。ここは何か理由を付けて、町を替えるべきだろうとエンは思った。
エンは視線を足下に移し、後輩たちに囁いた。
「みんな、周りをキョロキョロせずに聞いてくれ。大事な話だ」
急にどうしたのかと不思議に思う四人だったが、組長の雰囲気の変化を察して素直に従った。
「ちょうどカンの後ろの方向に風呂屋があるんだが、その前に忍が居る。みんな自然に何気なく、一瞬だけ見てみろ。そこで目線を止めるなよ」
たしかに風呂屋と思われる建物の前に、四人の男女が立っている。だからどうしたと言わんばかりにチョウが言葉を返す。
「そりゃ忍も居るでしょうよ、宝探しに参加している組は沢山あるんだから」
「いや、違うんだ。あの中のくノ一が危険なんだ」
風呂屋の前の四人組に一人、女性が混ざっていることは見てとれるが、新人たちにはエンの言っていることが分からない。
「あれはこの業界で『毒壺のマチ』と恐れられる忍だ。まさかアイツが出てきているなんてな」
「そんなに危険な奴なんですか?」
「ああ、アイツは毒を扱う。しかも、ただの毒使いじゃないぞ。空気に毒を流して、離れた相手を殺すこともできる恐ろしい奴だ。風下に立ったが最後、攻撃されたことにも気付かぬまま、毒を嗅がされて死んでいくんだよ」
ひっ!?
知らぬ間に殺されるという術の存在を知り、標的に自分を当てはめて想像したのだろう、とくにマチコを背にするカンは、背筋に悪寒が走った。
「アイツには近づかない方がいい。ここからそう遠くない土岐にも町が在る。我々はそっちに移動しよう」
可児の町から土岐までなら、今日中に移ることができるだろう。この序盤であれば、まだ町の定まっていない組だっている頃のはず。エンの指示を受けた新人たちも、さほど抵抗もなく移動の決心がついた。
─────
日暮れよりも前に、土岐の町に入ることができた。道中、薄暗い道が少しばかり四人の不安を煽ったが、予想よりも早く到着できたことで、町を見て回る時間までも確保できたのは大きかった。
一日歩き続けて疲労が溜まっていたが、見知らぬ町を一日に二つも巡ることができるという体験は、里とその周辺しか知らない新人たちには心踊る散策となった。
そんな楽しいお散歩が突如として終焉を迎えたのは、半刻近く町を散策した頃だった。カンが動揺を隠せない様子で声をあげた。
「せ、先輩!? あそこに…… ど、毒壺のマチがいますよ!」
── なに!?
たしかに可児町で見た、マチコと連れの三人だった。
じつはエンたちが可児町でマチコを見付けた時、マチコの方もエンがいることに気が付いたのだ。するとマチコもまた、エンを避けようと考えた。そこで彼女は、連れている新人たちに訴えかけた。
「あれは虎級殺しで有名な男だよ。とくに不意討ちと騙し討ちが得意なやっかいな奴だ」
そうエンを紹介すると、同じように組員を説得して、この町へと移動してきたのだった。
「あっ……」
マチコの方も、エンの存在に気付いたようだ。
マチコの口の動きから、「おいおい、何でまた居るのよ」と言ったのが読めた。それはこっちの台詞だと言いたいエンだったが、自分と同じように、マチコもエンとは闘いたくないと思ってくれたことは、素直に嬉しかった。
組長から有ること無いことを吹き込まれている両組の新人たちは、まるで威嚇するように睨み合った。マチコもエンをジロリと見てくる。その表情から、自分の親切が裏切られたことで明らかにムッとしているのが判る。
「先輩、毒壺のマチが睨んでますよ。ヤル気ですかね」
チョウが威嚇の姿勢を崩さぬまま、組長に見解を問うた。
可児町でエンが新人たちに話したマチコについての情報は、たしかに話は少し盛ったかもしれないが、それはあくまで町を移すための口実だった。その内容は、相手は危険な強さを持つくノ一だから喧嘩は売らない方がよく、無用のトラブルにつながっても困るので町を移ろうという主旨だったはずなのだ。ところが、どうもエンの後輩たちは、マチコのことを見境なくライバルを排除する殺人狂のように理解した節がある。
エンは落ち着いて答えた。
「いや、偶然向こうも町を移して来ただけだろう。ツイてなかったな。無駄な時間をかけてしまったが、やはり可児の町へ戻ろう」
マチコが口を動かしてくれれば、読唇術で読み取ることができるのだが、エンはマチコに読唇術のことを教えていない。エンはマチコにアイコンタクトと指の動きで意思の伝達を試みる。どうにもマチコのご機嫌が斜めであるようなので、ここはエンの方が再度町を移す方向で、意を伝えるように指を動かした。
その夜は野宿となった。エンは食べられる野草を後輩たちに教え、それらを皆で食べて過ごした。宝探しの進展としては、濃武組の今日の動きは丸一日の時間的ロスとなってしまったが、元々が優勝となると壁の高いイベントなのである。それよりもこうして、少しばかりでも先輩らしく新人への指導と交流ができたことで、彼ら新人たちの中に何かしら有意義な記憶として残ってくれれば、一緒に旅をした甲斐があったというものだ。
翌朝には可児町の付近まで戻ってきた。
土岐と可児をつなぐ道は二つ在るが、エンたちは早朝から動くことと、一昨日からの悪天候を踏まえて、少し距離は増えるが比較的に開けた場所を通る南の道を選んできた。
このまま道なりに進んで北のルートからの道と合流すれば、すぐにその先が町の入口となる。北と南の道の間には雑木林が存在してそれぞれの道を隠しているため、合流地点に到達するまではお互いの道の様子は分からない。これは防衛上の工夫で、可児領主が意図的に雑木林を整備しているものだった。
エンたち濃武組が合流地点に達したとき、ちょうど北の道からも人の一団が歩いてきた。
── あっ……… あれ?
マチコがいた。
マチコの方もエンの姿を見つけると、一瞬驚いた表情となったが、すぐに目で射殺すように睨みつけてきた。肩が震えている。
── めちゃくちゃ怒ってないか? あの人
そしてついに組員をその場に留まらせ、マチコが単身で濃武組の方へ向かってきた。
焦ったチョウが慌ててエンに危機を告げる。
「せ、先輩!? 毒壺のマチがこっちに来ますよ!」
マチコにまで届くその声に、接近しながらマチコはチョウをギロリと睨みつけた。
「ひぃ」
気圧されたチョウが後ずさる。
「ちょっと来い!」
マチコはエンの腕を掴むと、仲間達から離れた場所まで強引に引っ張っていった。組員たちは、呆然と見送るばかりだった。
「あ、あの・・・マチさん?」
マチコは恐る恐る話すエンの胸ぐらを掴むと、そのまま持ち上げた。エンより背の低いマチコに片手で持ち上げられ、エンの足がぷらんと宙に浮いた。まさかの怪力だった。マチコがエンを睨みつけて吠えた。
「お前、喧嘩売ってんのかゴラァ!」
『ええーーーー』
めちゃくちゃ怒っていた。空中で前後に揺さぶられ、力なくエンの頭が前後にがくんがくんと揺れる。
「あのー、ウチの若い子たちが見てるんで……」
「あん? 何やと?」
「すいません。何でもないです」
「今度はついて来んなよ!」
「は、はい…… ごめんなさい」
「あとお前! 毒壺のマチって何じゃ」
「え!? さ、さぁ…… 何でしょうね…… はは、は、きつく叱っておきます……」
「ふん!」
言いたいことをぶちまけて気が済んだのか、マチコはとつぜん我に返ったように、ハッとなってエンを地上に降ろした。そしてマチコはうつむいて小声で言った。
「ごめん…… あの…… 今のは忘れて」
「いや、無理です。こんなに怖かったこと…… ぜったいに忘れられません」
マチコはエンに背を向けて、仲間の方に走り去っていった。エンもトボトボと仲間のもとへと戻った。
「先輩、無事でしたか?」
マチコにキレられて明らかに気落ちしたエンに、リュウが声をかけた。
「う、うん、大丈夫。話がついたよ。あちらの組が場所を変えてくれる」
このエンの返答に驚嘆したのが新人たちである。
「え!? さっきのあれ、交渉してたんですか?」
「腕力で一方的に恫喝されていたようにしか見えなかったのに、よもや有利な条件で折り合って戻ってくるとは。なんて高度な交渉技術なんだ!」
「いや、それよりも、先輩は毒壺のマチと知り合いなんですか?」
そんな各々の驚きが思わず声となって口に出る。
「ま…… まぁね、彼女とは武を競い合った腐れ縁といったところかな」
「流石は虎級を倒した先輩…… 知り合いも、ただ者じゃない人たちなんですね」
何かと好意的に解釈してくれる後輩たちに、申し訳なさとも後ろめたさともつかない、いたたまれない気持ちが湧いてくるエンであった。
こうして濃武組の四人は、改めて可児町へと入った。




