其の二 神対応
作戦を終えたエンは、濃武の里へと帰還していた。
「今回は安全なお仕事って言ったじゃないですか! ちょっかいを出す相手が鉄砲隊だなんて聞いてないですよ! 危うく死ぬところだったんですからね!」
ちゃぶ台から身を乗り出すようにして興奮気味に話すエンの声が小さな和室に響きわたる。ちゃぶ台に置かれた湯飲みのお茶が、こぼれんばかりに波打って揺れている。
「すみません。我々も依頼者に近い関係者によくよく話を聞いて分かったのですが、あの将の部隊は大量の鉄砲を携行していて、戦果は皆無ながら毎回ほぼ全ての弾薬を使い切って帰ってくるのだそうです」
濃武の里労務局員のトトキは、エンの不満をいちいち丁寧に聞いた上で詫びた。クレーム対応の手本である。
聞くところによると、他の組も例の部隊の進軍ルートの各所にて様々な工作を行ったらしい。そしてそのことごとくが、鉄砲隊の銃撃をお見舞いされて帰ってきたのだそうだ。
「そもそもねぇ、端っからあんなに怖がっている人を、わざわざ追い込むように怖がらせてどうするんですか。だいたい、鉄砲の弾や火薬って高級品なんでしょ? それを怪しいってだけで、草むらにいきなり一斉射撃って、あいつら正気じゃないですよ」
エンの組では一人が軽傷、全体ではさらに一人が重傷を負ったらしい。
エンはあの日、迂闊にも相手をなめていた。銃口を向けられる危険な状況なんて想像することもなく、死線に立って一網打尽にされかけた。あれ以来、胸の中でくすぶるやり場のない感情があった。それを今、トトキに向けて吐き出しているのだ。
そもそも今回のお仕事、あれはいったい何をしていたのか。これには、とある領主の苦悩と事情を知らねばならない。
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今回のお仕事の依頼者となる、とある領主が治める地は、火薬の生産で富を得る裕福な地であった。その富によって軍事力の増強に成功すると、その偉容には周囲の領主たちも敵視されないようにと顔色をうかがうばかりであった。
しかし、そんな日の出の勢いの領主にも悩みの種があった。後継者問題である。とはいえ、この領主は骨肉の争いが生ずるほどの子沢山ではない。むしろたった一人の男子である嫡男がすでに元服しており、跡目相続に一切の問題は無いように見えた。
では、いったい何が問題なのか。
それは領主の跡取りとなる嫡男の人間性にあった。一言でいえば「臆病」なのである。その臆病っぷりたるや、およそ領地を担って人の上に立てるような器ではなかった。
じつは一昨年、この跡取りは初陣に臨んだ。それにあたって領主は跡取りの初陣を華々しいものにしようと考え、かねてより関係性の悪かった隣国の一つを相手に戦へと打って出た。この戦というのが、領主がこの日のために以前から温めておいた『勝てる戦』であった。
たしかに領主と彼の軍団は、その勝てる戦に勝った。ところがこの戦にて、跡取りは悪い意味での華々しい実績を残してしまった。
逃亡したのである。
逃亡の理由は、隣の味方部隊の勝ち鬨に驚いて逃走したという残念なものだった。
そんな跡取りの行動にさすがに危機感を持った領主は、彼に戦の経験を積ませようと考えた。
昨年の春、周辺の地域の中でも軍事的に弱小な地を目標に定めると、跡取りに率いさせる一隊を編成して侵攻を命じたのだ。
攻められた方はたまったものではない。何の不興を買って侵略を受けているのかも判らぬまま座して滅びるわけにもいかず、砦に兵を集めて防戦の準備に入った。
跡取りにとっては兵数は敵の倍、しかも敵は不意の侵略で防戦準備が遅れている。力押しでも楽に落とせる状況だった。
しかしこの戦は、戦闘が行われることなく終了した。跡取りが軍を退いたのである。
その理由は、敵の砦に掲げられている旗差物が増えたからだった。夜間に敵の防戦準備が進み、追加の旗差物が届いたので掲げただけであったのだが、何故か跡取りはそれを敵方の援軍の到着と解釈し、恐れをなして逃げてしまったのだ。
帰還した跡取りと謁見した領主は、報告を聞いて唖然とした。息子の初陣での逃亡が、緊張や手違いからのものではないことが改めて判ってしまったのだ。それも領地経営には致命的といってもよい程の臆病者だったのである。
季節が夏へと変わった頃、領主は改めて跡取りに進軍を命じた。このとき領主は事前に跡取りと対面し、出陣に際して工面して欲しいものはないかと問うた。
跡取りの答えは「鉄砲」だった。
たしかにこの家には大量の鉄砲があった。火薬という鉄砲の必需品を生産していることも関係し、取引の材料として鉄砲が入ってくることも多いのだ。今では中規模の一領主には見合わない数の鉄砲と弾薬を保有していた。
鉄砲を与えることで、この臆病な跡取りの気持ちが大きくなるのならと、領主は豊富な鉄砲弾薬を跡取りの隊に与えて出陣させた。
攻められる小領主にとっては心底迷惑な話だった。春に侵攻を受けて防戦の構えをとったら、何もせず翌日に引き上げていった。もしかすると大きな作戦行動の中の囮にでも使われたのではないかと想像していたのだが、今度は武装を強化して再侵攻してきたのだ。
砦の上から敵である跡取りの軍隊を見た兵士は肝を冷やした。彼にとっては鉄砲という武器を初めて見たことだけでも驚きであるのに、自分たちの砦を攻め落とさんとする敵部隊の兵が、ことごとくその鉄砲を持っているのである。自分たちの殿様はいったい何をしでかしたら、これほど強国を怒らせられるのかと心の中で主をなじった。
銃撃が始まった。間断なく銃声が鳴り響く。
砦に銃弾を当てたところで、砦が落ちるものではないのだが、心理的な威嚇としては効果があった。砦の兵たちの顔に恐怖の色が出ている。
もしもこの時、ほどほどで銃撃を中断して降伏勧告を行えば、砦の攻略は成功したかもしれない。
しかし、銃声は止まなかった。砦の兵たちは降伏のタイミングも与えられず、ただただ顔を砦から出さぬようにして銃声が止むのを待った。
砦の将は対応に困った。攻めてきた相手が何をしたいのかが解らないのだ。要求を突き付けてくることもなければ、降伏を勧告するわけでもない。ただ闇雲に発砲してくるのだ。
そうして悩む砦の将に、驚きの報告が届いた。
敵が退いたというのだ。
領主の失望は、あまりにも大きかった。 出陣した跡取りが銃弾だけを使い果たして帰ってきたのだ。ただ力で押せば倒れる程度の相手を選んで向かわせているのに、どうやれば負けることが出来るというのか。
秋の収穫が終わった頃、三度目となる侵攻の命が下された。
そして、跡取りに単身で隊を率いさせると逃げ癖が出ると判断した領主は新たな対策として、此度は跡取りの育ての親ともいえる守り役の老臣を同行させた。
しかしこの侵攻においても、また同じ事が繰り返された。
この軍は、敵の偵察が入った茂み、魚が跳ねたのであろう水音、それらの全てに念のための発砲を行って進んでいくのだ。
もちろん傍に控えている老臣は、跡取りのこれらの行為を諫めた。しかしここでも、領主には想定できないことが起こっていた。 見知らぬ人物に話しかけられるだけで萎縮する気の小さい跡取りが、幼い頃から傍にいたこの老臣にだけは内弁慶だったのだ。まるで甘い親への反抗期のように、老臣の諫言を強気に却下したのだ。
雪の積もる美濃国で、冬に軍を出すことはできない。この年は三度の軍事で何も得るものが無かった。
老臣は責任を感じたが、そんな老臣が腹を切ることを領主は許さなかった。
見た目も中身も温厚が滲み出ているこの老臣、ちょうど現役を退こうとした時期に領主の跡取りが生まれたため、守り役を任された。ただの老いた人に守り役が回ってくるものではない、彼は軍事で第一線に立ってこれまで領主一族を支えた功臣だったのだ。
「来たる年は荒療治にて、愚息の更生をはかるべし」
これが領主が老臣に告げた、今後の方針であった。
これまでのように、ただ無抵抗な道中を行軍させるのではなく、作戦行動中に見舞われる待ち伏せ・伏兵・罠といった危険からの精神的圧力、狙撃・撹乱の対称として身を晒す精神的消耗、そういった負荷のかかる環境に立たせることで、恐怖に慣れさせようというのだ。
ただし、戦略戦術に長けた本当に強い地域へ侵攻させると、現状の跡取りでは討ち死にしてしまうのが目に見えている。そこで、安全な地にて陰から危険を演出するための要員として、忍の出番となった訳だった。
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トトキとエンの対談は続いていた。
「この案件は長丁場で、跡取り殿が敵地の砦を落とさない限りは今年いっぱい続きます。ただし、先日失敗して引き上げたばかりなので、次の侵攻は夏になるでしょう。要するに、この案件はとにかく契約期間が長いだけで、大半の時期は何もすることが無いのです」
エンは出されたお茶をすすりながら、トトキの話を聞いている。
「なのでこうしましょう。エンさんには、跡取り殿の出陣を待つ間、別の簡単な案件を紹介します。気晴らしにもなると思うので、それで息抜きしてきていただくのはどうでしょう」
エンの動きが固まった。
湯飲みを口へと持っていった状態のまま、ジトーッとトトキを睨みつけている。
「な、何ですか? 何か気を悪くさせることを言いましたか、私……」
「その簡単な案件とやらは、本当に簡単なんでしょうね」
「もちろん本当ですよ…… 報酬額は低いですけど、簡単で楽しめるものかと……」
「そんなこと言っておいて、いざ現場に行ってみたら、荒野に十人ほどで放り出されて、殺し合いで生き残った者だけが帰れる、なんて仕事だったりするんじゃないんですか?」
「いや、何ですかそれ。そんな誰も得しない仕事があるわけないでしょ」
「ホントかなぁ…… それとも現場へ行ってみたら、狭い場所で獰猛な獣と素手で闘わされて、その様子を道楽な大名が、女をはべらせて酒を飲みながら見ているとか」
「何その怖い妄想、どれだけ疑り深いんですか。そりゃあね、絶対に安全な案件なんてものはそうそう無いですけど、いま話しているのは伝統的な新人行事への参加ですから、危険度は低いんです」
銃撃されたのが余程トラウマになったのか、「簡単なお仕事」という謳い文句に疑いを持つエンだった。そんな疑心暗鬼の権化にトトキは説明した。
「この行事というのが、二年に一度開催されるもので、美濃国内の多数の忍里や工作組織から四人組が選抜されます。この四人の内訳は、忍のお仕事を初めて五年以内の組長が一人、残る三人は忍歴二年以内の新人と決められています」
「はあ、それで何をするの?」
「宝探しです」
「……は? 宝探し? 美濃国ってそんなに宝だらけなの?」
「いえいえ、これは行事ですから。宝は行事の運営委員が隠すんですよ。毎回二・三の里に、運営委員の当番が回ってきます。その運営委員が仕掛け人となって、どんな宝をどんな場所に隠すか、どんな手掛かりを残して、どんなお題にするか、なんてことを考えるんです」
「ふぅん。 で、今年の濃武組の組長はどうしたんですか。決まってたんでしょ?」
「ああ、組長になる予定だった彼は…… 重傷の怪我を負いました。銃撃の弾に当たって……」
「あ・・・あぁ、そう……」
たしかに例の跡取りを脅かすお仕事で、一人だけ重傷者が出たと聞いていた。それが里に選抜された組長だったとは。ツイてない人がいるものだ。
「それで、何が目的でそんなことをやってるの? いや、その前に、それってそもそもお仕事なの? 報酬の流れが見えないんですけど」
「まずですね、これは美濃国全体の諜報力の底上げを目指して、国内の忍里などの諜報組織が共同で企画した行事なんです。今ではすでに恒例行事となっていて許可も何もありませんが、立ち上げ当初の頃はきちんと国守様の耳にも入れて、暗黙の了解を得て行っていたという意外と格式高い行事なんですよ」
世の中、身近なものでも案外知らないことはあるようで、そのような大会が定期的に開催されているなど聞いたこともなかった。流石はエリートの忍というべきか、人々の暮らす日常の中で人知れずそのような戦いが繰り返されてきたのだろう。
また、金銭の面では、参加する全ての里や組織が少しずつ出資しており、運営に使用した金銭以外は、勝利した組の所属する組織が賞金として総取りするのだという。組織が得た総額から何割が選抜者に還元されるのかは、それぞれの組織の方針に任されるのだろう。
「ってことは、優勝者以外はタダ働きってことですか?」
「名誉職ってことです。里からたった四名だけが選ばれる代表に入れるというのは、非常に名誉なことなんですよ。 あっ!?、いま、名誉だけじゃ食っていけないなんて思ったでしょ、その考えは浅いですよ。同世代の中で最上位ともいえる代表に選ばれたという実績は、その後も一目置かれますからね。当然その後の依頼や職歴にも影響してくる。ただし、後年パッとしない状態が続いてしまうと、華々しい過去とのギャップから世間の冷たい視線を受ける危険もあるのだけどね」
最後にしれっと言った副作用が恐すぎるが、たしかに美濃国内の諜報組織が力を入れる行事となれば、その代表に選ばれたという肩書きは職歴書の中でも燦然と輝くものになるだろう。
「それぐらい狭き門なんですよ。欠員が出た所にたまたま居合わせたエンさん以外の歴代の代表は、本当に養成所の上位者や天才と言われた人ばかりですから」
話の中ほどで明らかに馬鹿にされた感があったが、エンはこの名誉あるお仕事を拝領したのだった。




