其の一 銃撃から幕は上がり
春の陽気につつまれた木陰では、そよ風が草を揺らしている。このような条件の揃った環境で人に寝るなと言うこと、それはもはや拷問に等しい。
草の隙間から遠筒で覗く先には、相も変わらず鳩と雀たちの姿しか見えない。どちらも人間が近づくだけで飛び去るくせに、鳩と雀同士ではまったくお互いを警戒することもなく、道の上でトコトコと共存を続けている。
あんな道に餌が転がってるわけでもなかろうに。まるで彼らは退化したかのように羽を使おうともせず、何が楽しくて延々と同じ道の上を歩き回っているのか。
その時だった。 突如、鳥たちが一斉に飛びたった。
── 来たか
遠筒で覗く先を、鳥たちがいた所よりもさらに向こうへと移して注視した。するとそこに、一つ二つと人影が湧き出てくる。その数はまたたく間に数十もの人影へと増えていった。
「みんな、来たぞ!」
エンは振り返ると、周囲の仲間に小声で知らせた。
まばらに草むらに伏せる五人の忍はみな縄を手にしており、その縄の先には折った木の枝が結ばれている。
そんな彼らの潜む草むらと平行して敷かれている道までの間隔は約三十歩、その道を部隊が進軍してくるのだ。草むらと道の間にはこれまた平行して、子供でも渡れる程度の小さな川が流れていた。
エンが手で合図を送ると、忍たちは不規則に周辺を這い回った。忍の通った辺りの草と、少し離れて縄に結ばれた枝の付近の草がガサガサと揺れる。道を進んでくる部隊の連中がそうとう鈍感でもない限り、この草むらには伏兵でも潜んでいるのではないかと警戒することだろう。
エンたちは今、「とある臆病な軍隊を怖がらせる」というお仕事の真っ最中である。そんなことをして誰に良いことがあるのかは知らないが、それが与えられた任務なのだから、やるしかない。
道の方から聞こえていた行進の足音が止んだ。この草むらの不自然さに気が付いたのだろう。エンたちも動きを止めた。
沈黙が続く。
もちろん軍隊が警戒をしたところで、いつまで経っても存在などしない伏兵が出てくることはない。彼らの選択肢は、安全のために引き返すのか、警戒を解いて進むのか、警戒したまま立ち尽くすかの三択しかないはずなのだ。
エンたちとて、この軍を追い返したいわけではない。ただこうやって少しでも恐怖心を与えることが、命じられたお仕事なのだ。
「かまえー」
道の方からそんな声が聞こえた。
エンは地に伏せたまま草の隙間を探すと、軍隊が立ち往生しているであろう道の様子を覗いた。すると、そこには数十人の兵が草むらの方を向き、片膝をついて並んでいる。そんな兵たちの後ろにもまた、横一列に並んだ兵がこちらを向いて立っていた。
『なんだ、駄目な部隊だと聞いてたわりには、意外と隊列が揃ってるじゃ…な…… おい、あれってまさか……』
膝をついた兵たち、その手には鉄砲を構えている。
── ウソでしょ!?
エンは這いつくばったまま後ろへ向き直ると、クモのようにカサカサと退がろうとする。そして味方にも手振りして、『退がれ! 逃げろ!』と伝えたその時 ──
「撃てぇ!」という声と共に轟音がとどろいた。
バンパンパパパンババパンパン───
草むらへ一斉に銃弾が撃ち込まれた。
逃げることもままならずにその場で伏せる忍たちの周囲で、チュンチュンと着弾音が聞こえる。
ひらひらと舞い落ちてきた木の葉も、エンの目の前で弾けた。
─────・・・
鉄砲の音が止んだ。
痛みは無い。当たらなかったらしい。
エンは半ば放心状態で地に伏せている仲間たちの服を引いて、身を低くしたまま背後の林へと後退した。
「おい、何だよあれ」
「死ぬかと思った……」
「こ、怖かった……」
全員そんな言葉しか浮かんでこない。涙を流している者もいる。忍たちこそ相手を怖がらせる側であったはずなのに、忍たちの方がこれまでの人生で最も怖い思いをした。腕を銃弾がかすめて流血した者が一名いたが、幸いにも命を落とす者はいなかった。
あれだけ撃ち込んでも何も出てこなかったことを受けて、道の軍隊は進軍を再開したらしい。
「やれと言われたことはやったんだ。胸を張って帰ろう。後で労務局に文句の一つも言ってやるさ」
エンは腰が砕けたようにへたり込んでいる仲間を慰めながら、一人ずつ手を引いて立たせた。そしてそのまま、里が本部を設置している地点まで退いていった。




