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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第四章 【暗殺】
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其の拾六 輝く職歴

 今回の案件をやり遂げたことで、エンの経歴に「暗殺案件の完遂」という箔がついた。今後のエンの職務経歴書の中でこの文字は、人事の人の目に輝いて見えることだろう。

 ただ、ユナに冠せられる「暗殺者」とは、似ているようで雲泥の差があるような気がする。


 では、エンに「虎級殺し」という箔や異名はついたのか。

 じつはこれも怪しい。

 あのキョウという忍は明らかに虎級の実力者であったが、本人が虎級を明言したわけではない。

「虎級へと上れるほどの才能を持った鷹級じゃないのか」などと揚げ足を取られてしまうと、反論のすべがない。

 もっとも、エンとしても「虎級殺し」などという重たい異名は抱えきれない。ヘタにそのような異名を得たせいで、強い奴に狙われるようになったりしたのでは、たまったものではない。


 経理課で報酬を受け取り外に出ると、冬の始まりを告げる雪が降り出していた。


「誰からも警戒なんてされず、気楽に生きていたいもんだね」


 エンはそう呟くと、寮ではなく市場の方へと歩き出した。市場を抜けると、居酒屋や食事処の集まった通りが在る。

 報酬が入ると酒場に向かう。いつの頃からか、これがエンの行動パターンとなっていた。



「エンせんぱーーい」


 ── この声は… シノか。 なぜあいつは、いつも俺がお仕事を終えたタイミングで現れるのだろう。


「よう、じつは今の俺は、もう酒を飲むことしか考えていない。お仕事の報酬が入ったんで奢ってやるけど、お前も来るか?」


「えっ、いいんですか? さすがは虎級詐欺師、懐が厚いですねぇ」


「おい、ちょっとまて、お前いま何て言った?」


「みんなの噂では、なんでも虎級の人が、エン先輩に欺されたんだと皆に言い残して死んだって言ってました。たとえ相手が虎級だろうが、そんな虎級という社会的地位なんて一顧だにせず、欺して破滅へと追いやるセンパイは虎級詐欺師だって……」


「誰が詐欺師じゃ! まるで人様から騙し盗った黒い金で酒を飲みに行ってるみたいじゃないか。くそっ、胸クソ悪い。もう今日は一人で飲む!」


「えぇーーー何でですかぁ!? アタシの初仕事を担当してくれて、こうしてふつうにお話できるセンパイが、今やそんな異名を持つなんて、アタシは鼻が高いんですよぉーー」


「いや、それ異名じゃなくて悪口だから……」


 こうしてシノに絡まれながら、エンは里の居酒屋通りの方へと消えていった。


 一面の空を覆う灰色の雲により、昼間でも薄暗い。しんしんと降り落ちる雪は、世界をモノクロに演出していた。



 ─────


 濃武の里の者は知ることのない一つの話がある。


 エンたちを西城内へと通したあの内通者のことだ。

 彼は名を新助といった。

 彼は領主の葉栗長倉に仕え、長倉の拠点である西城に勤めていたが、いつの頃からか、長倉の弟の葉栗倉次に通じ、長倉の身辺の情報を倉次へと流す内通者の顔を持つようになった。


 領主の長倉が暗殺されたあの夜、新助は領主への刺客たちを館内へ通すと、すぐに領主の館から離れた。そして、その夜のうちに倉次の拠点である東城の城下まで移動して身を隠した。

 新助ら内通者を含む倉次の工作員たちには専用の連絡手段というものが用意されており、この時も新助はその連絡手段を使って、主人である倉次へのコンタクトを図った。

 すると倉次側の反応は早く、翌日には目通りが適った。


 工作員は非公式な役目であるため、倉次は彼らと会う際は、家臣を通した正式な面会は行わない。新助は御庭番により館の裏庭へと通され、そこで倉次に面会することができた。


 新助には不安があった。

 内通者であることがバレた内通者はもう使えない。仮に内通者ではなかったとしても、自分の持ち場から主人の命を狙う族が侵入したのである。責任を取って腹を切るのか、少なくとも同じ場所に勤めることはできなくなる。

 新助は倉次という主人の命令にて刺客を館内に通した。いわば命令によって職を失ったのだ。そんな自分を倉次はきちんと保障してくれるのか。

 この先、兄の地位に取って代わろうと目論む倉次にとって、兄殺しに直接関わった当事者である新助は、百害あって一理無い存在であるはず。保障されるどころか、利用価値のなくなった者として消されるのではないか。

 そんな不安を胸に参上した新助へと倉次は告げた。


「これから儂は、お前を斬る」


 やはりそうなるのか ── と、心に絶望の影を落とした新助に向けて、倉次は続けた。


「しばらく傷が痛むことになるが、斬るのは皮まで。肉は斬らん。儂のウデを信じよ」


 何を言われているのかが解らない。まさか死なない程度に切り刻んで、拷問にでもかけようというのか。いささか理不尽とも思える最期ではあるが、死ぬのであれば、侍として気高く果てたいと訴えた。


「倉次様、こうして隠れ潜む身となっても、それがしは武士の端くれです。願わくば、せめて武士らしく、腹を切らせていただけますよう…」


「何じゃ、お前は死にたいのか?」


「は?」


 話が見えなくなった新助は狼狽した。

 倉次は、兄に似た穏和な表情で新助に説明する。


「お前には背に傷を負ってもらう。背を斬ることで、この先お前は、主君を守れず生き残った不忠者として生きていかねばならぬ。ただし、儂が生きている限り、そんなお前を召し抱え続ける。たとえ葉栗家が没落して、家臣を手放していくことになろうとも、最期の一人になるまでお前を抱え続けよう」


 そう言ってその場に新助を立たせると、倉次は新助の背後へと回り、愛刀を袈裟斬りに振り下ろした。

 新助の服が裂け、背の皮が切れた。流れる出る血が衣服を赤く染めた。


 倉次はすぐさま、西城に書簡を送った。

 書簡には以下のような主旨の内容がしたためられていた。


【主家に仕える新助はあの夜、背後より突如として襲われ、背に傷を負って気を失い、族の侵入を許してしまった。

 しばらくして新助は覚醒するも、もはや主君に合わせる顔は無く、腹を切ろうと考えたのだが、主君は無理でもせめて弟の倉次に詫びてから死のうと、背の傷をおして倉次の元まで参じた。

 その義理堅さに心動いた倉次は、新助に死ぬことを禁じ、自分の元にて新助を預かることとした】


 暗殺により領主は不在であったため、西城の重臣たちがこの書簡を読んだ。

 主を失って気が立っている者の中には、新助に責任を取らせよと思う者も多かったが、亡き主君の弟君の要望とあっては、たかが下級武士の事で声高に反対の声を上げる者もいなかった。


 ほどなく、領主不在となった領地経営を行う長倉の重臣たちの相談役として、倉次は西城へと通うようになった。

 やがて一年後には領主代理へと収まり、その半年後には国主からの認可により、正式に領主の座についた。


 新助はその後、葉栗倉次の元で大きく出世することはなかったが、彼に死の訪れる最期の日まで、倉次は新助を抱え、居場所を与え続けた。

 兄を害してまで領主という地位を求めた倉次だったが、その面を除けば、彼は家臣や領民想いの穏和な人物だったのだ。



 善人を殺すのが悪人とは限らない。

 悪人を倒すのが善人とも限らない。

 この世の中に白や黒なんてものは、ほとんど存在しない。まともな人間には白や黒を貫くことなどできないものなのだ。人の大部分は灰色であり、人の差などは灰色が濃いか薄いの差でしかない。

 そして、全ての人の心の色が白とならない限り、忍のお仕事が無くなることはないのだろう。


第四章 ── 完 ──


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