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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第四章 【暗殺】
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其の拾一 戦略の劣勢は戦術で覆らない

 領主の一行が林道で足を止めて以降、エンたちトキ組は皆、ほとんど音と声だけを頼りに状況をうかがってきた。

 エンを信じ、エンの指示に従って動くしかないと、トキ組の全員が考えていた。なにせここまで、ほぼエンの予測していた通りに事が進んでいるのだから。

 組員に自分の考えを信用させるため、最初にエンは組員たちと賭けをしていた。


「林道にて前方から向かってくるシンゴたち実行組の存在に気付くと、すぐに領主たちは彼らが変装した刺客であると見破って足を止めるだろう」


 これがエンの予測であった。常識的に考えると、領主と旅人が対向したとき、その土地で最も身分の高い領主とその側近の方が足を止めて待つというのは考えられないことだった。

 そんな常識にかからないエンの予測が当たったならば、組員たちはエンの言葉を信じて速やかに遮蔽物の陰に隠れ、けっして敵に姿をさらさないようにすることを組内で約束をしていたのだ。

 もっとも、紺の男が他人の殺気を目で見る能力を持つことを知っているエンにとっては、領主が今回もあの紺の男を付き従えてきたならば、そのような展開となることは容易く想像することができた。

 そして、現実にその通りとなった。その時点で濃武の里方の作戦は破綻し、忍たちは命を狙う者から狙われる者へと立場が逆転することとなった。


 エンはその後の惨劇も予想して、組員に語っていた。その予想については、もう賭けにする必要はない。聞こえてくる声や音から、エンの予想が当たっていることが皆に伝わればそれでいい。姿を見せれば殺されるかもしれないこの状況で、次の手まで考えていたのはエンだけなのだから、自然と皆がエンの指示に従う気持ちになっていた。


 ただし、エンにも誤算はあった。紺の男が一人ではなく、二人で向かってきたことだ。町で襲われたあの時、侍は領主の護衛に付けておき、彼一人で敵にあたっていた。今回も同じように動くのかと思っていたら、まさかの手練れの従者を連れてきた。

 紺の男だけでもエンの手には余りすぎるのに、もしも敵が二人のままだったなら、エンは負傷者を見捨て、最後まで息を殺して隠れ続けるしかなかっただろう。だからその従者が、援護組の攻撃で負傷して引き上げてくれたことは、エンにとっては本当に幸運だった。

 エンの潜む物陰から、ヤスケと呼ばれた従者が寂しげに何度もふり返りながら去っていく姿が見えた。


 そうして、襲いくる刺客を一掃した紺の男は、周囲になおも潜んでいる可能性のある敵に向けて、負傷者を餌に姿を現すように叫んだのだ。


 エンは紺の男キョウの前に進み出た。

 間合いは約二十歩。

 エンはキョウの前に正対した。


「ほう…」


 キョウは自ら出てくるように促したにもかかわらず、出てきたエンを見ると意外そうな声を漏らした。集団でキョウを襲うときに出てこなかった者が、いま一人で出てきたのである。臆病より責任感が勝つ性格なのか、それとも観念して生きることを諦めたのか。キョウは興味深くエンを観察した。


 エンは右手に刀身の短い刀を握っていた。

 ただし、逆手で柄の先を握り込むようにし、刃は右腕の後ろに隠すように持っていた。キョウの目からはこの刀は見えておらず、エンは素手で立っているように映るはずだ。


「どうした、命をあきらめて観念したのか?」


 キョウの問いかけにも、エンは黙して答えない。

 今は何も情報を与えたくない。正確には、敵に何も情報を与えたくないとエンが思っていると、キョウに思わせたい。

 忍び装束のエンは、深く巻いた襟巻きで口もとまで隠している。これもキョウとの面識があることを隠すためである。


『俺の持てる渾身の力で、右手の刀を叩き込んでやる!』


 エンは刀を握り込む右手に力をこめた。身体中の気を右手に集めるような意識を持って、強く握った。


 キョウの目には、エンの頭から湧き上がる殺意としての気煙と、それを凌駕するように右腕から立ち上る気煙が映っていた。


「いや… 違うな。観念したように見せてはいるが、キサマからは殺気があふれ出ている」


 そう言うと、キョウは油断なく冷静に、この単身で立ち向かおうとしている敵の忍を分析した。


『あの気煙の出方は、武器を持っているのだな。うまく体の陰に隠しているようだが、私のものと同じくらいの刃物か』


 エンが動いた。

 腕の後ろに隠した武器を見せないように、両腕は伸ばしたまま、脚だけを動かして、真っ直ぐキョウへと向かって突っ込んでいく。


「うおおおおぉぉーーー」


 エンの勢いと気迫を見たキョウは、刀を両手で握って構えた。


 キョウまで三歩、エンは右手を振りかぶると、飛びかかるかのような勢いで刀を振り下ろした。


 ギーーン

 両者の刀がぶつかった音が鳴り響いた。

 エンの渾身の斬撃を、キョウは両手で握った刀で受けとめていた。


 ぐぐぐ・・・

 エンは押し込むように刀に力を乗せているが、キョウに完璧に止められている。


「残念だったな。お前が右腕に隠した刀で斬ってくることは読めていた。太刀筋も含めてな」


「それはどうかな」


 初めてキョウに向けてエンが口を開いたのと、キョウの右脚に痛みが走ったのは同時だった。エンの左手にクナイが握られており、そのクナイの先が、キョウの太腿に刺さっていた。


「くっ…… キサマ」


 キョウは両手に力を込め、エンを刀ごと押し返した。

 押されたエンが後退するのと共に、キョウに刺さっていたクナイも抜けた。クナイが抜けた瞬間、小さな線香花火のように、傷口にキョウの血が一瞬舞った。



「まさか左手にも武器を隠し持っていたとはな……」


 油断した…… ということになるのだろう。

 気煙を見てエンの右手の武器の存在も、攻撃の軌道も見抜いていた。エンの左手の気煙が微弱だったということは、あの時点では左手での攻撃の意思はなかったということだ。

 斬撃を受け止められた時点で初めて、左手での攻撃の意思を持ったのだろうが、もはや読めてもかわせる間合いではなかった。


 キョウの傷はそれほど深くはない。

 再びエンとキョウは対峙する。


「だが、何度も通用する策ではないな。さあ、かかって来い」


 キョウの戦い方は、受け身であった。

 気煙で相手の攻撃の軌道までが読めるので、基本的に相手に手を出させて受け流してゆく。そのうち相手が体勢を崩すなどの隙をみせたところを突くという、堅実な戦い方をする。


 エンはすぐには攻撃に出なかった。

 攻撃しないというより、できないという方が正確な表現であるが。


 ハァハァ………


 対峙したまま、時だけが過ぎる。

 風が吹くたびに、色づいた林の木々から葉が舞った。秋葉舞う林はさぞかし美しい風景を創り出しているのだろう。しかしエンは、今だけは決して余所見をするわけにはいかない。


 ここでエンが話しかけた。


「なぁ、何であんたは、あの領主に仕えてるんだい?」


 無口であった刺客に話しかけられ、いぶかしそうにエンを睨んだキョウであったが、やがて言葉少なく答えた。


「……心ある良きお方であるからだ。領民や臣を慈しむ心を持っておられる。 ……キサマはその御館様をなぜ狙うのか?」


「良きお方は、悪きお方に狙われるものさ」


「ふん、そうだな」


 そんなやりとりを終えると、エンはまた突っ込んだ。もう刀は隠していない。


 キョウは片手で刀を構えて待ち受けている。


 ── なんだと!?

 キョウが心の中で叫んだ。向かってくる敵に殺気が見えないのだ。


 エンはキョウの横をかすめるようにすれ違った。

 キョウの左脚から血が噴き出す。


「ぐっ………」

 一瞬、苦悶の表情を見せたキョウだったが、すぐに傷口を手で押さえて地に膝をつくのを踏みとどまると、闘う姿勢を崩さない。しかし、両脚に傷を負ったキョウには素早い移動は不可能となった。


 明らかに形勢が逆転した。

 だが、それでもエンはキョウに近づくという迂闊なことはしない。エンは懐から光玉を取り出すと、地面に叩きつけた。


 ── カッ ──


 一瞬、眩い閃光が周囲を照らす。


 すると、この光を合図に、トキ、シュウ、シャチが飛び出した。そしてエンを含めた四人は、四方からキョウに向かってクナイを連続で投げた。


「なっ!? ……まだいただと」


 顔に向かって飛んできたクナイをなんとか刀で弾き落としたが、五つのクナイがキョウの身体に当たった。

 よろめくキョウの横に回りながらエンが素早く近づき、キョウの手の甲に一太刀を浴びせた。

 キョウは刀を落とした。


 ついに膝を落として呆然とするキョウに、もはや戦意はなかった。


「あんたは、気煙に頼りすぎたんだよ。気煙を前提にした戦いが身につき過ぎたせいで、気煙の無い戦いに対応できなかったのさ」


 キョウは驚きを隠せない表情でエンを見る。


「なぜ…… 気煙を知っている?」


 エンは鼻から下を隠していた襟巻を下ろして顔を見せた。それでもキョウには、ピンとこないようだった。他人の印象に残らない自分に苦笑いを浮かべながら、エンは言葉で補足する。


「町で主君の駕籠が襲われた時、俺に気煙のことを喋ったのは迂闊だったね」


「……あ、あの時の失禁した男か……… やはり刺客だったのか……」


「あの時の刺客とは、ほんとうに無関係だけどね。 それに…… あれは失禁じゃない、水袋を踏んだだけだ!」


「あれだけの言葉から気煙の内容を理解するとは……」


「あんたの弟子と同じで、俺にも優秀な師匠がいるんだよ」


 そうか・・・とつぶやきながら、キョウは先ほどまでのエンの動きを思い返していた。気煙の特性を知られていたのであれば、エンの動きには気になるものがいくつかあった。


「ふふふっ…… キサマ、私にいくつの嘘をついたのだ?」


 トキをはじめ、エン以外の組員にはキョウの言っていることの意味は分からない。エンだけが笑みを浮かべながら、キョウとの会話を楽しんでいるように見える。


「上忍を相手に闘うのだから、嘘も一つや二つじゃ騙せない。あんたが気付いたものよりも多いと思うよ」


「そうか。俺は正直に生きてきたのでな。嘘つきとは相性が悪かったようだ。 ……あと、一つだけ教えてくれ。最後に気煙が見えなくなったのは、キサマの仕業か?」


「神経毒だよ。それも視覚によく効くね。気煙といっても目で捉えているようだったので、視覚を弱らせれば気煙も見えなくなると思ったまでさ。これは賭けだったけどね」


「そうか、あのクナイに塗ってあったのだな」


「ああ。俺には勘のいい師匠以外にも、毒や暗器に詳しい仲間もいる」


 もちろん毒をエンに提供したのはマチコである。


「ふふ…… すごい環境だな……… 友だちは選んだ方がいい……」


「くくく……」


 上忍からの気の利いた忠告に、エンも笑ってしまった。


「お手上げだ。おおかた私が最初に倒した連中は、キサマの作戦に乗らなかったのであろう。逆にそいつらを囮にしてまで、周到に私の首を狙ってくるとは」


「あんたが付いているかぎり、領主の暗殺は不可能だからね。今回の作戦が失敗するのは分かっていたけど、今後のためにもあんたは倒させてもらうよ」


「無念ではあるが、キサマなら仕方ないとも思った。 さあ、やれ」


 エンは手を合われてから、キョウ斬った。

 ただし、エンは侍ではないので、首を切り落とすことはなく、首の動脈を斬って絶命させた。



 トキ組は、キョウ師弟に斬られた中にまだ生きている者がいないかを探した。


 すると、倒れている十人のうち六人に息があった。キョウは最初の一人であるシンゴこそ斬り殺したが、それ以降に斬った六人には致命傷を与えていなかったのだ。もちろんそれは、敵に恩情を与えたのではなく、生かして取り調べるためだったのであろうが。



 標的である領主には逃げられ、難敵を倒した今、もうこの場に長居は無用だった。館から葉栗の応援がくる前にトキたちは逃走支援組を集め、急いで撤収した。


 逃げる途中、トキがエンに怒ったように言った。


「おい、おれにまで嘘をつくなよ。おまえ、めちゃくちゃ強いじゃねーか!」


「あ、いや…… うん、ごめん……」


 エンの思い描く強さとは、こういったものではないのだが、この大金星のあとでは返す言葉もなかった。


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