其の九 キョウ
領主の葉栗長倉は、三人の家臣と共に馬上の人であった。毛艶の良い栗毛の馬に跨がった長倉が、傍の男に話しかけた。
「キョウは馬にも乗れたのだな」
「仕事がら必要となることもございますので。しかし、忍であれば誰でも馬に乗れるというわけではありません。むしろ乗れない者の方が多いですな」
キョウと呼ばれたこの男こそ、エンが恐れる『紺の男』である。
付き従う侍の一人が会話へと入ってきた。
「キョウ殿は、忍としては特別な修業をされたということですか?」
「いやいや、里を離れて独りで忍をやっていくには、なにかと器用にこなせる必要があると思いましてな。 雇い主が馬で移動した際には付き従えるようにしておくのもその一環で、私の場合は馬産地へ押しかけて修練いたしました」
侍の質問に答えたキョウの話は、興味深げに聞いていた長倉の表情を笑顔に変えた。
「ははは 馬産地に押しかけたか。たしかにそこなら、嫌でも馬に関わるのぉ」
「馬産地で働く見返りに、乗馬の鍛練をしておりました。これが思いのほか私を丁寧に扱ってくれる人たちでしたもので居心地が良く、危うく牧童として余生を過ごしてしまうところでした」
「「「ははははは」」」
笑いがあった。この葉栗長倉の主従は、冗談を言い合える環境なのだ。馬に乗る四人は、それぞれ家人を連れており、主人の馬のくつわを取っていた。荷物も家人が背負っている。
この八人の一行は、葉栗長倉の弟にあたる葉栗倉次が住む館へと向かっている。東城とよばれる倉次の館は、西城とよばれる長倉の館と同じ葉栗郡に在る。葉栗は小領であるので、それぞれの館へは二刻もあれば到着できる。
長倉と倉次の兄弟の仲は、けっして悪くはなかった。長倉は穏和な性格で弟にも優しく接してきたし、倉次もこれまで兄の方針に逆らったことはなかった。お互いが相手を館に招くのも、この兄弟には決して珍しいことではない。そんな兄弟の過去からの関係を知っていれば、こうして長倉が少人数で軽装のまま向かっていることも、油断というのは酷である。
そんな兄弟の間になぜ暗殺という事案が発生したのか。狙われる側の長倉は知るよしもなかった。
一行は林道へと入った。
林の木々は何処を見ても鮮やかに紅葉しており、林道はまるで紅や橙色に彩られた回廊のようであった。
かつて葉栗家は、侵攻してくる他家勢力をこの林へ誘い込んで撃ち破ったという。以来、葉栗家はこの林を大切に整備している。そのため林道の脇には整備のための資材を保管する小屋が点在していた。
キョウの馬を引いている青年が、真っ先に人影に気付いた。
「師さま、何かが来ます」
主従の談笑が止む。
キョウは馬で先頭に立ち、仲間を手で制して停止した。向かってくる何者かとの距離はまだまだ遠い。
「旅の集団か? 」
長倉は遠目に見える五人の旅装から、そう予想した。しかし、キョウは即答した。
「いいえ、あれは刺客です」
「えっ!? 」
三人は、キョウがなぜ前方の旅人が刺客であると判るのか不思議で仕方ないが、彼にはこれまでもこうして真実を見破ってきた実績がある。キョウが長倉に仕えた年月はまだ決して長くはないが、すでに長倉と側近たちの信頼を掴んでいた。
「私が行ってきます。お二人は御館様の警護を。危険だと感じたら、館へ引き返してください」
そう告げると、キョウは馬を降りた。
「ヤスケ、ついて来い」
ヤスケと呼ばれた青年は、荷物をキョウの馬に乗せると、手綱を他の家人に預けて、キョウと共に林道を進んでいった。
ヤスケはキョウの弟子である。それなりの剣術や心得は叩き込まれている。
「どこの刺客ですかね」
「そうだな、他国からの刺客であるのが健全でよいのだがな」
キョウは含みのある言い方をした。




