其の七 目に見える軌道
翌日、遊好館道場。
「先生! 虎級を倒す方法を教えてください!」
「……知らん」
「教えてくれないと俺、死んじゃいますよ!」
「しばらく見ぬうちにお主、頭が悪くなったな。 以前はもう少しこう…… 論理的だったというか。 己の印象を崩していく方針なのか?」
師であるユデの冷めた反応に、エンは心底がっかりした表情を見せた。武を鍛える道場においてはあるまじき、感情丸出しの表情に哀れさを感じたユデは、順を追って丁寧に事情を説明するよう、エンに促した。
エンは先日の潜入調査で体験してきたことを全て話した。里が信じない内容なのだから、守秘義務もくそもない。
話し終えても、エンの気は重かった。
「斬られた男と俺との差は、座っていた位置の違いだけです。もし自分が先に動いていたら、やられたのは俺でした」
見知らぬ男が領主に斬りかかるも、返り討ちにされたあの時、エンは呆然と動きを止めてしまった。その場で安易に考えた計画に穴がないわけがない。腕を失って苦しむ男を見ていると、もしもその安易な計画を実行に移していたなら、こうなっていたのは自分だという答えを即時に見せつけられた気がしたのである。
そして、殺ろうとするからには殺られる覚悟も持たなくてはいけないという、当然の心構えを思い知らされたのだった。
「あのとき俺は、自分の作戦に穴があるとは思わなかったんです。 そう、自分の横にも領主を狙う者がいるだなんて想像もできていなければ、それを監視する忍がいることにも気付いていなかった……」
「まぁ、そう悲観するものではない。嘆いているだけでは何も変わらぬからの。すべてはこれからを考えるための材料だと思うことじゃ」
べつに助かったんだから、いいじゃん── とは言わないところが指導者である。
ユデは、目を細めて思い出すように、話を続けた。
「ひとつ、ワシの知っている話をしてやろう。 あの大大名である武田の配下に、山県という武将がおったのじゃ。勇猛な男でな、敵を突き崩すこと数知れず、武田があそこまで大きくなれたのは、彼のような武将の活躍による部分が少なからずあったじゃろう。山県が戦場に斬り込めば、矢弾の方が山県を避けると言われておった。現に山県は弓や鉄砲を構える敵に向かって斬り込んだことが何度もあったが、矢弾に当たることはなかった」
「はあ…… すごい人なんですねぇ……」
すごいけど…… それがどうしたと言わんばかりのエンの反応をよそに、ユデはさらに話した。
「じつはワシは、武具の調査で諸国を巡っておった頃にな、山県本人と話をしたのじゃ」
「ええ!? 先生、すごいじゃないですか! 先生って本当は在野の大物なんですか?」
「いやいや、調査の一環で思い切って屋敷を訪ねてみたらご在宅でな、ワシの『武具の学者』という肩書に興味を持たれたようで、会うてくれたのじゃよ」
ユデはひと呼吸置いてから、続きを話す。
「エンよ、ここからが重要な話じゃ。 山県殿が言うには、武芸を磨いて戦場を経験していったある日、彼には敵が放つ矢弾の軌道が見えるようになったというのじゃ」
「軌道が見える?」
「そう、それも数々の戦いの経験から、飛んでくる矢弾の軌道が読めるようになったなどというものではない。 敵が弓を絞った時点、鉄砲を構えた時点で、そのあと放たれる矢弾の軌道が事前に線となって目に見えるようになったというのじゃ。
分かるか? これから飛んでくる矢弾の軌道が線として目に映るという、普通の人間には見えないものが見えるようになったと言っているのじゃ。 エンよ、この話で思い当たることはないか?」
そう、エンには思い当たることがあった。
あのとき紺の男は、エンからも「キエンが見えた」と言って、狼藉者の仲間ではないかと疑った。「エンからも」ということは、斬られた狼藉者からもキエンが見えていたということだ。
狼藉者とエンの共通点は、領主の暗殺を企んでいたことだから、例えば殺意のようなものが、キエンという形で紺の男には見えていたのではないか。
「先生!」
「うむ、キエンとやらが「気煙」なのか「気炎」なのか、そいつにどのような形で見えているのかは分からぬが、殺気のようなものを目で見る能力を持っていると考えれば、一連の事象に説明がつく」
── それだ! 相手の能力が分かってしまえば、対策の立てようもあるかもしれない。無双といわれた英雄だって、寿命を待たずに死んだ人はたくさんいる。 こちらには能力を見抜いているといる有利な点もあるのだから。
「ただし、これはあくまで推測ということを忘れるなよ。 間違っているかもしれんからな」
そうユデは、釘を刺した。
── 間違っていたら……… かんたんに殺されるんだろうな…… 相手の裏をかいたつもりになって、相手の攻撃しやすいところにこちらから飛び込んだりして。 敵にキョトンとされて、しまいには「ああコイツは頭の弱いヤツなんだな」と哀れむ目で見られながら、利き腕ですらない方の手であっさりと斬られて死ぬんだろうな。
そんな喜悲の極端な妄想に苛まれているエンに、師は語った。
「お主はワシに、その虎級を倒す方法を教えてくれと言ったの。では一つだけ教えておく。 先ほど話をした山県殿じゃがな、今はもうこの世にはおらん」
「亡くなったのですか」
「そうじゃ。 彼は物陰から目暗打ちで放たれた鉄砲弾を受けて死んだ」
「えっ…… 弾の軌道が見える人が、弾を受けて亡くなったのですか?」
「ああ。おそらくは、視界に入っている人間から放たれる軌道は見えるが、視界に入っていない死角にいる人間からの軌道は見えないのではないかとワシは分析しておる」
今のエンにとっては、偉大ともいうべきユデ先生の博識に感動を覚えながら、エンは師の前を離れた。 そして、いつものように道場の隅の主となっているマチコの傍に座って考えた。
『奴には何が見えているのか。
「キサマの頭や手からも気煙が見えたが……」
奴は俺にそう言った。
頭に現れるのは、殺意のことだろうか。そして手には…… 袖の中で右手にクナイを握っていた。武器に込める力が奴には形となって見えるのか? いや、殺気が頭に出るくらいだから、手に出るのも武器に込められた殺気なのかもしれない。少なくとも奴は、相手がどの手や足から攻撃を繰り出すのかが読めるのだろう。
さらにユデ先生の話を合わせれば、奴には相手の攻撃の軌道まで見えている可能性がある。狼藉者の仲間が襲いかかったあの時、奴は相手の攻撃を全て容易に受けきった。あれも事前に攻撃の軌道が見えていたのならば、できる芸当だ』
「また災難に巻き込まれてるの?」
───!
マチコの言葉が、深い思考の海からエンを引き戻した。
「まぁ…… そんなところだね。 マチさんが助けてくれないと俺、死んでしまうと思うよ」
「ちょっと、生きるか死ぬかがウチ次第みたいな言い方やめてくれる? キミが死んだら謎の罪悪感が湧くじゃないのよ」
エンはこの二日後、臨時召集を受けた。




