其の三 人殺しの心構え
太陽はまだ木々の後ろに隠れているが、外はすでに明るかった。
濃武の里の入口には、まるで立ち塞がるかのように茶屋が建っている。茶屋がこんな早朝に開店しているわけもなく、エンは店の壁に沿って表の道に回り込もうとした。
店の横の井戸端を通ったとき、エンはばったりとサヨに遭遇した。
「あら、こんなに朝早く姿を見せるなんて…… もう、寂しがり屋さんねぇ。そんなにアタシに会いたかったの?」
「違うわ。お仕事に決まってんだろ」
サヨは洗った顔を手ぬぐいで拭きながら話している。
「そう、怪我しないように気をつけて行っといで」
「う…… うん」
人殺しのお仕事へ行くのに、自分は怪我に気をつけてと言われるのは、なんだか後ろ暗いものがある。 エンは逃げるように、旅立っていった。
北から葉栗領へと入った。
そこから西へ向けて探索を行っていくと、やがて道が固められた屋敷の建ち並ぶ区画へと辿り着いた。中でも最も大きく、門前に見張りの立つ館が見える。あれが西城と呼ばれる領主の居館であろう。それは塀に囲まれた平屋の屋敷であり、天守閣のような高層の建物は存在しない。塀の下に、溝といってもよい程度の堀こそ巡らせているが、やはりこれは城ではなく館と表現するのが正確なものだろう。
館の正門から南東へと道なりに進むと、城下町が整備されていた。エンの目に映る城下の人々の表情や声に、沈んだものは感じられない。
商家の裏手に、子供が夏に使ったのであろう竹の水鉄砲が転がっていた。また夕刻には、民家の路地に置かれた長椅子で、将棋をたしなむ老人も見かけた。 無駄な物があるということは、そこが豊かであることも意味する。それだけを取っても、ここ葉栗の領主の統治が圧政ではないことが分かった。
城下町の南方面には小規模な畑が広がっており、さらに南は、川が陸地を分断している。川の向こう岸には山林が見えた。
南東へと延びる大通りを歩いて城下町を抜けると、田園風景となった。道の両側に田園が広がっている。さらに道を進んで田園地帯を抜けると林にぶつかった。道はそのまま林の中へと続いており、葉栗郡の南東部へと抜ける林道へと変わっていく。
エンはそんな林道の手前で足を止めた。
『二日間で全てを見ることはできない。ここから先は、別の誰かに任せよう』
葉栗へは、すでに二十人以上の忍が入っているはずだ。ならば一人一人は、一定の範囲を深く調べた方がよい
エンは田んぼの畔道へと入り、大きく迂回して再び西城の裏へと回り込むように、調査を進めていった。




