其の二 暗殺への誘い
エンは労務局へと赴いた。
案件説明会の行われる部屋にはすでに十人ほどの人が集まっていたが、どれも見知った顔ではなかった。
これまでエンが携わってきた潜入調査という平穏なお仕事で見知った顔ぶれが、ここには一人もいないということは、またしても厄介なお仕事を紹介されるのだろうか。
難しい顔をしたエンがしばらく待機していると、会場にトキが現れた。このトキという男はエンの同期生で、この年の春には同じ組でお仕事をした仲でもある。エンの同期では最初に猿級へと昇級した出世頭でもある。
いち早くトキの身柄を確保すると、エンは彼を隣に座らせた。
「トキよ、俺は心細かったぜ」
「はぁ? 何言ってんだ。それよりおまえ、猿に昇級したらしいな。おめでとう」
「お… おう、ありがとう。しかしまぁ…… なんだな、この里って昇級した途端に危険な案件ばかりを紹介してこないか?」
エンは思わず切実な不満を述べた。だが、エンよりも猿級として長いトキの反応は飄々としたものだ。
「全部がそんな案件ではないけどな。それでもたしかに、危険だけど報酬の高いものを紹介されることが少し増えたかな? でもまぁ、そんなもんじゃないか。級が上がるほど難しい任務を任されるものだろう」
『そう言われると、そうなのだけど。ならば俺は、たまたま連続で危険なお仕事に当たっただけなのだろうか』
そんなことを話しているうちに、労務局の職員が部屋に入ってきた。あまり見ない顔であることから察すると、今日の担当はいつものタチバナではないらしい。その職員は「タカノ」と自己紹介をすると、案件の概要を話した。
「今回、みなさんにお願いしたい案件は、暗殺です」
──暗殺!?
人を殺すことが要件という、いかにも物騒なお仕事だ。何だか今回も、危険な目にあう予感しかしない。
「本件は、とある領主の家のお家騒動と思ってもらえばいい。なので実際に暗殺を実行するに当たっては、ある程度の依頼人側の協力が得られることになってます。 暗殺の案件はね、それはもう、成功させれば忍としては箔も付きますのでね、みなさんよろしく。 ただし、本件はあまり悠長な期間はないので、参加不参加はこの場で即決してもらいたい。なのでこのあと、不参加の方だけ退室を願います」
正直なところ、携わったこともない暗殺というお仕事の難易度や危険度といったものが、エンにはよく分からない。
『タチバナさんだったら、また受けろとけしかけてきただろうか。 危ないお仕事はなるべく避けたいのだけれど、箔が付くと言われると、断るのは勿体ない気もする。それなら暗殺者が屋敷に侵入するのを補助する役目とか、何とかこう… 楽な役回りで、この案件の頭数になれないだろうか』
そんな都合のよい打算に惑わされ、辞めておきますとは言い出せないエンは、周囲の者の出方を窺うことにした。部屋を出る者がそれなりにいれば、危険と判断して自分も降りようということだ。
・・・・・・しばらくの時が経ち、部屋には約三十名の忍がいた。なんと、暗殺と聞いて部屋から退出し、案件を断る者は一人もいなかったのだ。
『あぶねー。 もし退出していたら、俺だけ逃げたみたいになって、恥をかくところだった』
打算に助けられたエンを含め、誰も退出しないと判断したタカノは、この暗殺案件についての詳細な説明を始めた。
「暗殺の標的は葉栗長倉、葉栗郡の領主です。 そして依頼主は、長倉の弟である葉栗倉次に仕えている笠松氏です」
笠松氏というのは、弟倉次の名代と考えて間違いないだろう。兄弟で命を狙う、こんなご時世には珍しくもないとはいえ、それに自分が関わるとなると、なかなかに不愉快な話ではある。
「様々な事態を想定するにあたって、まずは皆には葉栗領内の潜入調査へ行ってもらいます。ただし、残念ながらこれも期間は短く四日間、そして五日後に再びここで、皆が持ち帰った情報を合わせて共有します」
エンは寮へ戻って旅の支度をすると、翌日の夜明けと共に里を出発することにした。今回も野草の研究者に扮し、堂々と道を歩いて行くつもりである。
四日の期間といっても、往復の移動に二日かかるため、実質はたった二日しか調査の時間は無いことになる。




